「たいようのものがたり。6」

 俺には、夢がある。しかしずっと、スタートを切れずにいた。東雲家の事情を言い訳にするつもりはないし、忙しさを言い訳にするつもりもねえ。忙しいのなんてみんな同じだからな。結局のところ、俺の怠慢でしかねーの。


 だがしかーし! 高校生活もあと数ヶ月。大学進学なんて可能性をハナっから弾いているくせに将来の事をなーんも考えていなかった俺には、うだうだしている時間などこれっぽっちも残されていないのだ。


 だから動いた。そして頼った。昔から身近にいて、俺の可能性を広げられる人を。


「おー君かー! 田島さんが連れてきたって子はー!」

「随分と若い子が来たもんだ」

「可愛い顔してる子ねー」

「田島さんと同じ団地の子なんだってな!」


 団地からチャリで三十分弱。神奈川県と東京都の県境にほど近い、大きな雑居ビルの三階にて、たくさんの大人に囲まれている。何も知らないまま飛び込んだ未知の世界だってのに、不思議と緊張はなかった。


「はい! たーじ……じゃなかった! 田島さんの紹介で来ました! 東雲朝陽っていいます! よろしくお願いします!」 


 爪先を揃え背筋を伸ばして、勢いよく頭を下げる。第一印象は大切だ。ピシッとしとかんと。


 下げた頭の中を、ある人の言葉が駆け抜ける。


「いいだろう、先方には話を通しておこう。お前さんの事だ、どうせ具体的な事なんて何も考えてなかったのだろう? お前さんらしいが、もうちゃらんぽらんなままではいられないとわかっているのだろう? なら動きなさい。モノに出来るか否かはそれからの事。ただ、そんなに甘い世界じゃないと心しておけ。いいね? それと、まあお前さんなら心配いらないだろうが、挨拶はしっかりとするように」


 うん。俺なりにちゃんと挨拶出来てるって思うよ。帰ったら報告するから。


 俺と同じ団地で暮らすとあるおじさんの親友が、多くの役者さんを世に排出してきた劇団の座長をやっている事は俺ら団地民の中では有名な話。甘えない理由も頼らない理由もねえなって、そう思った。人間、少々厚かましいくらいでいいのだ。多分。


「元気いいねー。やっぱ若い子はこうでなくっちゃ!」

「っていうかあなたイケメンねー!」

「でしょう!? 顔には自信あります! 人間性にも自信あります!」

「おおー言うねー!」

「自信ないのは財布の重さだけです!」

「んな事デカイ声で言われても」

「はは、面白い子連れてきたなー」

「いい笑顔するわねーあなた」

「よく言われます!」

「よく言われてんのかい」

「ほんとかよー!?」

「声も大きい。気に入った!」


 おっし。好感触っ。ここまではいい感じいい感じー!


「久し振りの若い子だなあ」

「高校三年生って言うと、あたしの娘と同い年だわ」

「そう考えるとほんとに若いなあ……怖いくらい若いなあ……」

「怖いくらいって何だよ」

「やいのやいの言いなさんな。ようこそ、劇団赤い羽へ。東雲朝陽くん」

「よろしくお願いします!」


 白色混じりの髭を貯えた団長さんの朗らかな笑顔に負けじとにっこり笑顔で返し、もう一度お辞儀。


 劇団赤い羽。歴史あるこの劇団が、スタートラインだ。


「初めての事でわからない事だらけだと思うけど、そのうち慣れると思うから」

「はい! 色々勉強させてください!」

「やる気満々だなあ。眩しいなー」

「あんたはもうちょいやる気出そうね」

「へーへー」


 ぱっと見だけど、若い方で二十代前半の方から上は六十代くらいの方まで。揃いも揃ってフランクな方ばかり。もっと厳格なな環境なのかなとか身構えていたんだけど、そんな事もなさそうだな。


 いや、違う。みなさんの本気が見れるのは、こんな穏やかムードの中じゃねえんだ。立つべき場所に立った時、みなさんのすげぇ所が見られるんだ。揃いも揃って一癖も二癖もある方々なんだろうなあ……おいおい、なんかワクワクすんなあ!?


「ねーねー! 彼女とかいる!?」


 お? ど定番来たな? もしかして俺に一目惚れでもしたのかなこのお姉様は。ないか。どっちでもいいが、正しい事をを伝えねえとな。


「います!」

「そうなんだー」

「はい! 世界一可愛い女の子と付き合ってます!」


 わざとらしく胸を張ってそう言うと、愉快なみなさんの表情が、とっても愉快な事になった。


 曲者たちから一本取った。してやったり。なんちって。


* * *


「先に言っておくが、調子に乗ったり露骨に落ち込んだりする事のないように。鬱陶しいから」

「わーかってますって。それでそれで?」

「褒めていたよ、皆が。本当に良い物を持っていると」

「だろー!? そうだろそうだろー!? へっへっへっへー!」

「調子に乗るなと言ったろう……」

「調子になんか乗ってないよ! 素直に喜んでるだけだもん!」

「物はいいようだなあ……ま、お前さんが上手くやれているようで、紹介したこちらも鼻が高いよ」

「でしょでしょー!? これからもっとビッグになるから期待しててくれー!」

「それを調子に乗ってると言うんだバカ者」

「そんなんじゃないよぉたーじい。俺はいつも通りだってばぁー」

「確かに、いつも通りに鬱陶しいなあ。それと、たーじいと呼ぶなといつも言っとろうが。何度言えばわかるんだお前さんは」


 たーじい。そう俺らに呼ばれているおじさんは、頬杖をつきながら煮卵を口に放り込んだ。お行儀悪くなーい?


「だってたーじいってば、全体的におじいちゃん臭いんだもん。言葉使いとか雰囲気とかその他諸々まで」

「失礼な。こんなにもイケイケなダンディを捕まえて何を言うか」

「ほら! そういうとこ! 今時のイケてる人はダンディなんて言わねーの! あとイケイケも!」

「そ、そうなのか?」

「早速自信なくなっちゃってるんじゃん!」

「や、テレビを見ないから……流行りのトレンドに疎いのは事実なのでな……」


 真面目腐って考え込むたーじいのおじいちゃんっぷりがヤバい。つーか流行りのトレンドって意味被ってね? そういうとこだよそういうとこ!


 たーじいこと、田島のおじちゃん。俺らと同じ団地に住んでる、人柄が良くて面倒見が良くて頼りになる、みんなの兄貴っていうか、みんなのおじいちゃんっていうか。この団地の良心っつーか、川原町団地のみんなにとって、ちょっと特別な存在なんだよな、この愉快なおじさんは。俺や玲たちはもちろん、俺らの親連中もお世話になってるんだぜー。俺に至っては、先月から通い始めた劇団を紹介してもらっちゃったりしてるし。


 社会の厳しさも知らず、経済力もなんもねえクソガキが一人でノックしても絶対に開けてくれないドアを、あっさりと開けてくれた。本当に感謝してる。


 お陰様で、毎日がより楽しくなった。いやさ、ほんとに楽しいんだわ、皆さんと稽古すんの。バイトとの掛け持ちなもんで寝る時間は減ったし家にいられる時間も減った。でも、毎日新しい何かに触れられるって確かな実感が堪らないんだよなーマジで。


「ってそんな話はいい。さっきの話だ。朝陽はよくやっているし、非常に良い物を持っていると劇団の面々が言っていたのは事実だよ。気さくな連中だが、私の顔を立てる為に人様を無為に持ち上げたりするような真似をする面々ではないからな。正しい評価なのだろう」


 劇団所属の仲良しさんと飲みに行った席で聞いたらしい俺の評価をこうしてポロリしちゃう、うっかり屋な若おじいちゃん。


 けど、聞けて良かったと思っている。芝居のいろはもなんもわからない。見よう見まねで皆さんの後に続くのがやっと。軽口叩いてみせたけど、上手くやれてる自信なんて、何一つなかったから。


「そっかぁ……」

「浮かれるのは構わんが、彼らの真骨頂が見られるのはあの場所ではないと理解する事だな。浮かれているとあっという間に置いてけぼりにされてしまうぞ」


 うん、わかる。わかるよ。心配してくれてありがとう。ほんと優しいんだから。


「わかってるよ、たーじい」

「だからたーじいはやめろと言うに」

「タージイ! オジジ!」

「おじじはやめようかおじじは」

「デモニアウヨー?」

「だよなーエミー?」

「ニアウ!」


 堅苦しい話に退屈さを感じたのか、俺の恩人ともすっかり仲良しエミーちゃん、キラキラ笑顔で乱入。にっこり顔可愛すぎる。あーほんと、アレ。好き。


「そんなの似合わなくていい……っていうか……」

「なんだそれは?」

「んー?」

「ンー?」

「それだそれ。その、見せ付けるように組まれた腕はなんだと聞いているんだ」

「ああ、なんだそんな事? んなもん、俺とエミーがラブラブだからこうしてるに決まってんじゃんか。なー?」

「ナー!」

「んふー!」

「ンフー!」


 側頭部と側頭部をごっつんこ。空いてる手でピースしてみたら真似っこでピースしよったよエミーちゃん。いやいや滅茶苦茶可愛いなあ……何をどうしたらこんなに可愛くなれるんだ人間って……不思議だ……。


「いろんな意味で調子に乗ってるなあお前さんは」

「だからそんな事ねえってー! あー待って。そんな事あるかも? いやないかも? わっかんねー!」

「調子ノリノリじゃないか……」


 そっち方面ではそんな事ないけどこっち方面ではそんな事あるかもかもなー! だってよ、俺と腕組んでるこの女の子さ! 奇跡的な可愛さを持つこの女の子はさ! 俺の彼女なんすよねー! そりゃさーなんかさーアガるわさー! あっはっはっはっはー!


「こらそこ。常連さんにちょっかい出さない。イチャイチャすんのも外でやってくれ。あとうるさい」


 むむっ? 俺らのイチャイチャに割って入る不届き者は誰ぞ? どこのどいつだと首を回すと、不景気なツラをぶら下げたヤツと視線がぶつかった。

 

「いやいや、俺とエミーもふじのやの常連さんだろうが。なー!?」

「ナー!」

「だからうるさいって。その辺にしとけよほんとに」

「おっかねーなーたくはー」

「オッカネーナータクマハー!」

「ちっともそんな事思ってないだろ……」


 端正な顔立ちを歪め、白藤たくがため息を一つ。自分が彼女いねえからって嫉妬かしらー? これ言ったら雰囲気悪くなりそだからやめとこ。


 白藤たく。川原町団地出身。俺らと同じ川ノ宮高校に通う、俺の幼馴染の一人だ。


 ルールを守らないヤツが苦手。他人に厳しいが、それ以上に自分に厳しい。そういう性格なもんで、俺、玲、蕗子なんかとはしょっちゅうケンカしたっけか。生真面目って言葉を人の形にしたらこうなったみたいな、めちゃんこ頑固ちゃんである。


 拓馬にはいくつか特技がある。一つは勉強。学力テストでは常にトップクラスの成績を収め続けている秀才だ。試験の二週間前から入念な準備をしなければ不安になるらしく、試験が近付くと付き合いが悪くなる。しかし、野郎オンリーじゃないよ女の子も来るよってのをチラ付かせると意外と釣れる。他校の子が来るよと添えると確保率が上昇する。彼女がいない事に劣等感を感じているらしくてさ。折角のイケメンなのにバカになりきれない堅物なもんで、いろんなチャンス逃してんよ。勿体ねえよなあ。


 もう一つの特技は料理。この特技に関しては、ヤツの家庭環境が大きく影響している。


「エミー? 俺いつも言ってるよね? ふじのやの秩序を乱すヤツは容赦なく叩き出すって。エミーも例外じゃないよ?」

「女の子に凄むなよ。そんなんだからモテねーんだぞー」

「ソウダソウダー!」

「凄んでなんか…………っていうか……そんな事…………え、あるのかな? ない……ないよな? ないよ……俺モテるし…………カッコいいってよく言われるし……ただ今は彼女いないだけだし……今はだし……」


 脆い部分に触れた途端情緒不安定になっちゃうたっくん可愛いぞたっくん。


 団地から徒歩三分程度の所にある、地元じゃ名の通った居酒屋、ふじのや。老若男女問わず人気のこの店を切り盛りしているのが、拓馬の両親。


 いつも忙しそうにしているお父さんとお母さんの力になりたい。だから僕は頑張る。


 まだ俺らが小さい頃、そう言っていた拓馬が、今では本当に店を任されるくらいになってしまった。素直に凄えよなあと。


「相変わらずお堅いねー拓馬くんはー」

「ここ居酒屋だろー? 多少は大目に見てやれよなー」

「ふじのやの看板息子は堅物だあ」

「大将とは正反対だなー!」


 からからと笑いながら常連さんたちが横から割って入る。厨房の奥の方で拓馬パパが笑ってるのが見えた。お客さんたちとの距離が近いんだよね、ふじのやって。


「こ、こほんっ。看板息子はやめてください。言っておきますけど、俺はここを継ぐ気はないんで」

「マジ!?」

「ここ継ぐんだとばかり思ってたよ!」


 お? ここの常連さんらも知らんのか。俺らと両親以外には言っとらんみたいだな。


 拓馬の希望進路は、調理師専門学校。食品衛生管理うんたらだかの資格を取ったり料理の腕を磨いたりして、ゆくゆくは個人でレストランを開くのが夢なんだってさ。


 散々両親と話し合って決めた事だ。今更部外者に何言われたって道を変える事はないだろうな、この頑固者は。一度決めた事だからやり通すんだって、意地を貼って。


 不器用なヤツだと思う。けれどそれ以上にカッコいいヤツだなと思うよ。変わったヤツだけどね。


「じゃあこの店どうするの!?」

「どうって、両親はまだまだ現役ですし、問題ないでしょう。俺の穴はバイト雇って埋めますよ。なんなら、もう既に埋まってると思ってますけど。ね、ケイト?」

「はい?」


 狭い厨房の中、懸命に皿を洗うパツキンのねーちゃんが一人。唐突に話を振られたもんで驚いてる。なにそれ可愛い。好きです。でもエミーはもっと好きです。


「ケイトがここを手伝ってくれてるから助かってるよって話」

「そうですか。私も助かってます。自分の炊事能力の低さを思い知らされました。朝陽やエミーと比較して満足などしている場合ではないのだと」

「さらっと俺らの事バカにしないでくれるかな!?」

「ソウダソウダーッ!」


 俺とエミーのクレームを笑顔だけで封殺するケイトさん。なんか更に逞しくなってないかしらこのお嬢さん。


 こうなった敬意を簡単に。ケイトに拓馬を紹介。ふじのやを紹介。ふじのやの味を知る。驚く。勝手にライバル視する。潜入捜査。今ここ。


 ケイト的には社会勉強の一環らしいけど、拓馬パパママは正式にアルバイトとして使っているつもりらしく、ふっつーにバイト代出てるんだってさ。俺らが学校やらバイトやらに行ってる間はどうしたって出来ちまう暇な時間に、エミーを伴って顔出してんだってさ。何そのシフトもなんもねえ緩さ。ふじのやらしいけどさ。


「っていうか、受験が落ち着いたら由紀にここ来てもらえばいいじゃん。花嫁修行だーとか適当な事言ってさー」

「由紀はダメだ」

「なんでだよたっくん」

「たっくん言うな。その頃には人妻になってるだろう、由紀は」

「それがなんだってんだ?」

「見せ付けられてるみたいでムカつく」

「嫉妬!? ただの嫉妬じゃん! 醜っ! そんなんだからモテねえんだよ!」

「う、うるさい……うるさいバカ朝陽……バカほんとお前……違うし……」


 やべぇ。俺の幼馴染やべぇ。彼女欲しい願望を拗らせ過ぎて面倒くせえヤツになっちまってる。なーんも浮いた話がないままにここまで来てしまったからなのかね……モテねえって罪だわ。人をダメにしちまう。決してモテねえわけじゃねえんだけどなあ……。


「いやほら、アレ。そういうんじゃなくてさ、あいつらにはあいつらの生活がある、って事が言いたかったんだよ本当は」

「あーね、それは確かにあるな」


 今のはただ取り繕っただけっぽいが、言わんとする事はまあ。


 かくかくしかじかで文化祭の話題を独占したバカップル、玲と由紀。改めて本人同士で、両家の両親とも話し合い、高校を卒業したら籍を入れる事にまとまったらしい。


 ほんの数ヶ月後に来るその日を笑って迎えるべく、最近の玲は勉強ばかりしてるよ。由紀と二人三脚で。由紀と同じ大学に行くのが今の目標らしいから。クッソ恥ずかしそうに由紀に言ってたのが超面白可愛かった。録画しときゃよかったと後悔してるくらいだ。


「玲がビシッとキメてくれるかだよなああのバカップルは」

「アキラナラダイジョーブ!」

「私もそう思います」

「玲はあれで一本芯の通った子だ。将来の事も由紀の事もなんとかして見せてくれるだろうさ」


 ちゃらんぽらんなとこを散々見せて来た玲だけど、拓馬からもエミーからもケイトからもたーじいからも信頼されている。もちろん俺だって。


 やる時はやるよ、玲は。そんでいつか、めちゃデカい男になるんだ。なんかそんな気がするんだよな。


「だねー」

「玲と由紀は進学からの婚約。蕗子は服飾だったか」

「だねー」

「朝陽は芝居。拓馬は」

「たーじい?」

「わーかっとるよ。皆が皆、それぞれに自分の道を見据えている。実に良い事だ。あとは」

「そろそろ私の話題になるんだよね、たーじい」

「はぅうぁ!?」

「おぉ!?」

「ホワ!?」

「っ!?」

「おわ!?」


 この場にいた皆が皆、たーじいの背後を取っていた黒髪の女に気が付かなかった。店の戸が開いたのすら気が付かなかったんだが? 忍者か己は。


「そんな驚かなくてもいいじゃない……みんなして酷いや……」

「いや驚くわ!」

「オドロイター!」

「そりゃ驚くでしょ……」

「ちょ、ちょっと待て……動悸が……ひぃ……ひぃ……!」

「ほら見ろ! たーじい死にそうになってんぞ! たーじいがポックリ逝っちまってたら現行犯逮捕だぞ!」

「そんなの私の責任じゃないよ……私如きに命取られるたーじいが悪いんだよ……」

「理不尽ー!?」

「ダメ! タージイ! サンズノカワコエチャウ!」

「相変わらず変な日本語ばかり知ってるねエミー……今日も可愛いなあ……ふふ……」


 何笑ってんだよ怖えよどことなくサイコな雰囲気出すのやめろや。ほんとやめろよ? 俺の女に手を出すなよ!? あ! 声に出して言えばよかった! ちょっと後悔!


「ったく……いつものでいいの、?」

「ご飯大盛り。あとおしんこも。どうでもいいけどさ、おしんこって平仮名で書くとなんとなくひわ」

「言いたいことはわかったから大人しく待ってなさい」

「拓馬、下ネタ耐性なさすぎ。しかも話硬いし面白くないし。そんなんだからいつまでも彼女出来ないんだよ」

「あふっ」


 拓馬くんのメンタルに大ダメージ。拓馬くん、戦闘不能っ!


「ケイトー。拓馬使い物にならなくしちゃったから代わりにお願いー」

「わかりました。おかえりなさい、

「ただいまー」


 空いてる席に着き、にへらと笑いながらケイトに手を振る、川高の制服に身を包んだ女の名前は。川原町団地三号棟出身。俺らの幼馴染だ。ちなみに彼氏持ち。


 昔はめちゃめちゃに明るくて、団地の大人たちには天使天使言われていたヤツなのだが、なんか今は病み気味というか、病みキャラになっている。や、根は明るいし社交的だし顔可愛いしめっちゃいい子なんだよ? 今のこれもキャラ作りみたいなもんだし。何でそんなキャラになってるのかは知らんし、背景には大したドラマもないんだろうけど。どうせ最近触れたマンガだのなんだのの影響なんだろうよ。一言で言うなら、変わり者なのよ、この子。


「帰ってくるの早くね? 彼氏とデートだったんじゃねーの?」

「なんか向こうがお疲れムード出してるから早めに切り上げてきたの。あんまり引きずり回してもねー」

「イリュージョンランドでも行ってたん?」

「ううん。子作りしてた」

「…………うん?」

「ヤってたの」

「…………あ、そう?」

「うん」


 真顔で何言ってんだこの女頭イってんじゃねえのかマジでなんなんだこいつ。ほら見ろ! その手の話そのものは大好きなんだけど耐性がない拓馬くん、魂抜けそうになってんぞ! 誰か可愛い女の子さんお願い! 拓馬くんと付き合ってあげてっ!


「ところで朝陽はエミーと」

「ストーップ! 柚珠さんストーップ!」

「恥ずかしがる事ないのに。済みでも済みじゃなくても」

「済みって言い方なんか嫌!」

「あ、もしかしてエミーとケイトとさ」

「んなわけねえだろアホ! お前みたいな尻軽と一緒に」

「は? こっちは彼氏一筋なんだけど? 他の男とか興味ないし。憶測で適当な事言うそんな口は首ごと刎ね飛ばして多摩川に流してやろうか?」

「ごめんなさい本当にごめんなさいでした」


 いや怖いわ。今の柚珠だと冗談に聞こえねえわマジで。柚珠、刃物、ダメ。ゼッタイ。


「わかればよろしい。あーあ……早く子供欲しいなあ……私ね、子供が出来たら元気って名前にしようって思ってるの。私みたいに影は薄いし地味だしそのくせ性欲だけは旺盛な根暗にならないで欲しいから。あ、そういう意味では私も元気か。あはは」


 あははじゃねえよ笑えねえよ気不味いよ。もしも本当にお前が妊娠して子供産んで元気って名前にしちまったら、俺はどんな顔すりゃあいいんだよ。


「えーと、なんだっけ? お前の彼氏、松葉くんって言ったっけ?」

「そ。めっちゃいい人よー彼。将来建築会社興したいって言っててさ。進路もその筋で決まってるの。私は彼のお手伝いがしたいの。それでね、行く行くは実家出て、彼と二人で暮らすの。団地の分譲区画の部屋買っちゃうのもいいかも……」

「近っ! 実家近っ! 帰省楽っ!」

「いいでしょ別に。団地好きだもん私。彼もきっと好きになってくれる……ふふ……」


 惚気てんなあとは思うんだけど……愛、重くないっすか?


「アサヒトユズ、ナンノハナシー?」

「私も朝陽も、私たちの団地が好きって話。エミーもそうでしょ?」

「スキ! チョースキ!」

「そっかー」


 棒読みなそっかーである。しかしながら、ダメである。まつげピクピクしてるし口の端っこもピクピクしてるし。嬉しいが隠せてねーんだよなあ。


 全体的に不思議だし怖いしふわふわっとしたヤツだけど、家族や友人、自分に近い人間をとても大切にしている。それがちょっとわかり難かったりするだけ。


 妙ちきりんでめんどくせーヤツだけど、どうしたって嫌いになれない。おもしれ可愛い子なんよ、柚珠は。

 

「あ、そうだー拓馬ー。もう進路決まっちゃって暇してる私の友達がさ、バイト探しててさー。今度ここ連れて来ていいかなー?」

「待て柚珠。たっくんはまだ放心状態だ。もっと良質な撒き餌を用意せんと釣れないぞ」

「わかってる。その子、女の子。しかも超可愛い。料理上手。それに、彼氏いない歴イコール年齢の」

「明日から連れて来てくれなんなら今日からでもいいどんと来いばっち来い」

「じゃあ話通しとく……クッソ退屈な童貞にウザ絡みされるの間違いなけどいいお店だよって」

「あふぅ」

「一言悪口添えなきゃ気が済まないのかな柚珠さんは!?」

「あははー」

「あははじゃねえし!」

「っは……! や、やっと落ち着いた……あのな、柚珠。先から聞いておったが、あまり突飛な事を人様の前で」

「あーそうだ。たーじい。たーじいの所のお孫ちゃんさ、高い所好きだったよね?」

「そ、そうだが? それがなんだというんだ?」

「うん? ああ、別に? なんでもないよ。本当に。うん…………なんでも……ふふ……」

「怖い怖い怖い怖い怖い怖い!」

「ひ、ひええ……」

「ど、童貞ですけど……それの何がいけないと言うんですか……誰もが初めは童貞でしょ……そしたらみんな罪人じゃないか……みんなして罪を裁かれよう……ふへ……」

「たっくーん!?」

「相変わらず元気だなあ川原町団地の面々は!」

「ふじのやはこれがいいんだよなあ」

「大将おかわりー!」


 俺らを真ん中に、騒がしいの輪が広がっていく。いつもの事。いつも通りの事。いつでも好きな光景。


「アサヒトタージイ、ドーシテフルエテルー?」

「柚珠……怖いです……」


 その輪の中に、エミーとケイトがいる。それだけで、こんなにも嬉しい。


 みんなそれぞれに夢があり、行きたい場所がある。だから、この光景がいつまでもここにあるとは限らない。それは悲しい話じゃない。いや。悲しい話じゃなくしたい。


 エミーとケイトだけじゃない。俺は前に進んでいるんだ。夢に近付いてるんだぞって所を。カッコいい所を、エミーとケイトにも、みんなにも見せたい。


 何かないだろうか。わかりやすく、そういう物を形に出来る機会は。俺が足踏みしてばかりじゃねえんだと知らしめる機会は、なんかないもんかねえ?


* * *


「あの、もう一度いいですか?」

「ああ。何度でも言ってあげるよ」

「お、お願いします!」

「朝陽くん。君、主役、やってみないか?」


 これから冬だって言うのに、とんでもなくホットなチャンスが、舞い込んで来た。

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