赤嶺謙之介の特別な一日
俺の名前は赤嶺謙之介。七月十三日産まれ、十七歳。血液型はA型。身長172センチ。体重72キロ。趣味は筋トレとカラオケ。特技はサッカー。好物はホタルイカの沖漬としシシャモとプロテインとチョコレート。最近のマイブームは泣きメロ漁り。川崎市立川ノ宮高校三年五組在籍。出席番号は一番。産まれも育ちも神奈川県川崎市。平凡なサラリーマンの父親と平凡なOLの母親と、尋常じゃない可愛さを持つ妹と、全く懐いてくれる様子のない飼い猫と、家族五人で二階建ての一軒家に暮らしている、何の変哲もない男子高校生だ。
俺には二つの悩みがある。一つは俺の妹、小春の反抗期だ。
挨拶はぞんざい、声を掛ければ心底鬱陶しそうな表情になる。洗濯物を一緒に洗おうとするとゴミを見るような見られた上、無理、と一言添えてくる。かつてはお兄ちゃんお兄ちゃんとベタベタ懐いていたのに、最近はねえとかちょっととか、最早人扱いされていないような有様。そのくせあの団地に住むあいつらには超懐いてる様子。小春にとっちゃ兄貴分姉貴分に当たる連中だからわからなくはないんだが、だったら俺にもさあ……。
反抗期とは誰しも通る道だ。こんな日が来るとは理解してはいたが、これは堪える。一刻も早くこの苦しい期間を抜け、俺にだって屈託のない笑顔を向けてくれる小春が戻って来て欲しい。
二つ目の悩みは、俺の好きな人の事だ。
俺には好きな人がいる。幼い頃からずっとずっと好きな人が。うちの妹とタメを張れるくらいに可愛い、世界で唯一の存在だ。
その子は川ノ宮高校の三年六組に在籍している。誰もが羨む高身長の持ち主だが、元来の内気な性格もあってか、どうしたって周囲の視線を集めてしまう身体的特徴を好ましく思っていない様子だ。いつか面と向かって、そんな君も素敵だよとか言ってみたい。どうやら本人は無自覚っぽいが、非常にスタイルが良い。無自覚エロス、良い響きだと思わないか?
趣味はスイーツ巡り、特技は炊事洗濯家事全般。特に料理に関しては同年代の女子が持つスキルレベルを遥かに逸脱しているらしい。あくまであの子と同じ団地に住む人物達の意見であるが。
先に言ったように内気な子で、人見知りの気もある。しかしながら非社交的という事もなく、それどころか自身の性格を改善するべく、他者へと積極的に関わろうとしているらしい。真面目で一生懸命な子なのだ。
所作の一つ一つが麗しく、時々幼くもある行動や言動の数々は愛嬌に満ちている。長い黒髪を靡かせ微笑む姿は、地球上に存在するどんな言葉であっても表現出来ようもないほど、ただただ素晴らしい。実は本当に天使なのかもしれないな、うんうん。
その子の名は、白藤夏菜。深窓の令嬢を彷彿とさせる可憐な名前は、あの子に良く似合っている。本当に素敵だと思う。
約一月前の話だが、かくかくしかじかを経て、白藤に告白をした。結果、見事に轟沈。こうなる事は理解出来ていた。だって白藤には、好きな男がいるから。俺が白藤を想う何年も前からずっと片思いをしている男が。なんつー幸せ者だよそいつは。ほんと羨ましいぜ、あのバカチビ。
どうしても負けたくないのに、どうしたって勝ち目のない戦いを強いられているこの状況を打破するにはどうしたら良いのか。それが俺の、二つ目の悩みだ。
そのヒントを掴むべく、今日も俺は行動を起こしている。あわよくば、白藤の気持ちだって掴めればいいなとか、打算的な事を超考えながら。
そして今正に、ビシッとキメる所なのである。よし……行くぞ……!
「たたっ! おたんたたんじょびおめめっおめでろんしりゃふぢ!」
「う、うん……?」
噛んだ。みっともないくらい噛んだ。白藤も困った顔してるじゃないか。でも仕方ないんだよ! 白藤を前にすると緊張しちまうんだからしょうがないだろ! だって、白藤が可愛いから! 超可愛いから! まともに顔見て話すなんて出来るわけねーだろ!
「え、えっと……どうもありがとう……謙ちゃん……」
あ、可愛い。ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイマジヤバイマジ可愛い。テンパる俺を気遣うかのような微笑みがもーほんとアレ。アレ。今ここで叫びたいくらいだ。
「そ、それで……こっ、これを……」
緊張と高揚の板挟みとケンカしながらどうにかこうにか後ろ手に持っていた物を白藤の眼前に運ぶ。
「えと……私に?」
「ど、どぞう……」
「じゃあ……はいっ。いただきました……」
「は、はひ……お渡しちまひた……」
赤を基調としたラッピングの施された箱を受け取ると、また少し表情が柔らかくなる白藤。あーも、付き合いてえなあ。
「開けていい?」
「も、もち!」
「じゃあ…………わ! これ知ってる! すっごい有名なプリンだ! しかも三つも! すごいすごーい!」
あ、天使。超天使絶対天使。何このリアクションの可愛さ。あーも、結婚してえなあ。
初めは指輪。次にネックレス等々がプレゼント候補に浮かんだ。しかしこの辺りを白藤が付けるのを見た事がないし、プレゼントした事により無理に身に付けるような真似はさせたくなかったから弾いた。女の子、誕生日プレゼント、喜ぶ物、でググったら、恋人でもない人物に俺が候補に挙げた物を渡したらドン引きされる可能性激大だと判明したから回避したとかじゃないぞ? ほんとだぞ?
「ありがとう謙ちゃん! すっごく嬉しい! 本当にありがとうっ!」
「どどどーいたまってぇ」
甘味の詰まった小瓶はお気に召してくれたらしい。やったぜ。嬉し過ぎて舌が回らねえ。誰か助けて。
「謙之介くーん日本語でお願いしまーす」
「う、うるしぇバカ! 元気のバーカ!」
反射的に言い返してしまった。お前に言われなくてもカミカミな自覚はあるんだバカ。
「夏菜のツボを的確に突くとは……謙之介のくせにやるじゃん」
「超美味しそーじゃん! っていうか一つもらっでっ!? 嘘に決まってんじゃんバカ奏太! 何でデコピンすんの!?」
「まるで嘘に聞こえねえからだよドアホ」
「こんなオシャレなプリンがあるんだね」
「ふーん……」
白藤と同じ団地に住まう面々と俺の妹が白藤の前に並んだ三つの小瓶を見てや銘々な反応を見せる。贈り物の品評をされているみたいでなんかソワソワするな……。
白藤の前にあるのは、俺からの贈り物だけではない。白藤夏菜という女の子のツボを抑えつつ、ここにいる面々それぞれの個性の光る贈り物がズラリと並んでいる。この歓待っぷりの理由は何か。簡単だ。世界が待ちに待っていた一日、それだけ。
七夕なんぞついでのオマケ。本日、七月七日。白藤夏菜の誕生日なのだ。
白藤のお爺さんお婆さんが切り盛りしてるお店、ふじのやさんにて、白藤夏菜生誕祭なう。平時なら仕事終わりのサラリーマン達で賑わっているだろう時間帯だが、孫の誕生日だから、という実に清々しい理由により夕方より閉店。まさかの貸し借り状態である。白藤の誕生日なんだから当たり前の応対だとは思うが、こうも潔くやってのける白藤のお爺さんお婆さん超カッコいい。今は席を外しているが、後でしっかり挨拶しとかんと。
「ヘナチョコワンワン之介が渡したからこれで全員かなー」
「誰がヘナチョコワンワンだ誰が!」
「だって今の謙之介、尻尾ブンブン振ってる犬にしか見えないんだもん」
うちの高校屈指のモテ女の言葉を聞いてうんうん頷く河原町団地の面々。それはお前らの目がどうかしてるだけだろ……。
「じゃあ……ん?」
「はい……」
俺の妹へ向け意味深な目配せを奏太が送ると、早足でふじのやの厨房へ入っていく小春。何故だか俺の目には、小春が照れているように見えるのだが。
というか。最近の小春、河原町団地の野郎連中、特に奏太との距離が異様に近いように見える。これはつまり……アレか……奏太がサッカーやめてからのモヤモヤが解消した、って事かな! それで小春はこんなに懐いているんだな。うんうん、良い傾向じゃないか。あんまりベタベタされ過ぎるのは兄的には困りものだけど。あいつらなら心配無用だとは思うのだが、何せ小春は可愛いから。間違いが起きないとも言い切れないし。
「わ! 何々!?」
「ちょーっと目瞑ってようねー夏菜ー」
ゆらゆらりと白藤の背後に回った浅葱が、両手で白藤の目を覆ってしまった。や、何それ後ろから抱き付いてるみたい。超羨ましいぞ浅葱美優……!
あたふたする白藤(可愛い)を他所に企画側の準備は進む。小春が冷蔵庫から持ってきた物を見て大体察したけど……そんなの用意してたの、俺聞いてないんだけど?
「美優ーもういいぞー」
「はいはいなー。ほれっ」
「わ! ねえ美優ちゃん、今のは……あ!」
目隠しを外され、視界に飛び込んで来た物を見るや、これは何と聞くかのように全員の顔を覗き込む本日の主役。誰もがニコニコ笑う中、一歩前に出たのは小春だった。
「私と浅葱先輩とで作ったんです」
「あたしはお手伝いだけだったけどねー」
「小春ちゃんと美優ちゃんが?」
「誕生日ですから、やっぱりケーキはあった方がいいかなって思いまして」
苺やキウイを筆頭に、生クリームの上はフルーツ尽くし。フルーツの小山の真ん中には絶妙なバランスで配置された、誕生日おめでとうのプレート。何処の店で仕入れた物なのかと疑うたくなるような出来栄えの小振りなホールケーキが、そこにあった。
「ほ、ほんとにこれを? こんな凄いのを二人が?」
「ねこちゃん聞いた? 夏菜ってば、あたし達の事が信じられないってさー」
「そ、そうじゃないよ! そうじゃなくてっ! なんか……ビックリしちゃって……」
「まあ、誕生日って毎年適当な感じだもんねーあたし達」
「そうなのか?」
「それぞれがなんとなくプレゼント用意したりしなかったりしてなんとなく集まる、みたいな。そんな程度だもん」
「ふーん」
意外だ。毎年盛大に行ってるもんだとばかり思ってたわ。
「ビックリってそういうビックリじゃなくて……なんていうか……」
「嬉しい?」
「うん……嬉しい……すっごく……」
修の問い掛けに頷いて、目を細める本日の主役。あ、今の表情ヤバイ。最高です。
「小春ちゃん美優ちゃん、ありがとう……本当に凄く嬉しい……食べるのが勿体無いくらいだよ……」
「食べてもらわな作った甲斐がないから早よ食ってカロリー過剰摂取しろ。以上、ねこちゃんの気持ちを浅葱が代弁してみました」
「そ、そんな事思ってませんけど!? や、食べて欲しいとは思ってますけどね!? えと、味には自身アリです! どうか白藤先輩のペースで消化してくだされば! とにかく! お誕生日おめでとうございます白藤先輩! って事ですよ!」
「何よその雑な締め方はー」
「浅葱先輩が雑に人の心の声を捏造した所為じゃないですか!」
「ほら夏菜、あのうるさい二人の相手はほどほどにして食べてみなよ」
フォークとナイフをスッと手渡す修。気の回し方の丁寧さとタイミングも完璧とか流石かよ……こういう事を自然に出来るのもモテるポイントなんだろうなあ。
「う、うん……じゃあ……でもその前に……」
少し瞳を潤ませてさえいる主役がケーキ入刀……をする前に、スマホを取り出し様々角度から二人手製のケーキを一頻り撮影し、さて本番。
「いただきます……」
一口サイズにカットしたものにいくつかのフルーツを乗せ、ゆっくりと口へと迎え入れる様はなんかエッチ。ってそんな場合かっ。
「ん!? んんー! んー! んーん!? ん、んー!」
「いやいやわかんないわかんない」
「飲み込んでからでいいよ」
目を丸くして唸る様は、美味しいを表現するには充分過ぎた。あと可愛い。
「美味しい! 美味しいよー! これ凄くて凄いんだよー! 美味しくて凄いよ! だって凄い美味しいもん!」
「凄いと美味しいが渋滞してんぞ」
「だって凄く美味しいんだよ!? ほんとに美味しいんだから!」
美味しい甘味を口に運んだ途端語彙が貧困になっちゃう白藤可愛い。一生見てられるわマジで。
「だってさーねこちゃん」
「喜んでもらえて何よりです……良かったぁ……」
安堵のため息を吐き出す小春。白藤に食べてもらうんだからそりゃあ緊張するよな。
「あの……本当にありがとう。小春ちゃん美優ちゃん……みんなも……」
それに全員が笑顔で答えると、白藤もまた笑顔になった。
「と、とりあえず今は……この一切れだけにしとこう……かな……」
「全部食べないの?」
「毎日少しずつ食べようかなって。一日の終わりのご褒美、みたいな」
「白藤先輩の好きなようにしてください」
「じゃあこれはラップして……あの……謙ちゃんからのプレゼントもゆっくり食べさせてもらおうと思うんだけど……それでいい?」
「……え?」
いかん。上目遣いが可愛過ぎて思考停止してた。
「だから……その……」
「い、いつでも大丈夫……白藤の好きなタイミングでどうぞ……です……」
「あ、ありがとう謙ちゃん! 食べたら連絡するから!」
「お、おう……」
や、やった……白藤から連絡来る未来が確定した……やったやった……!
「さて!」
「おお、なんて露骨な編集点」
「バラエティじゃねえから! 夏菜へのプレゼント渡しも終わった! って事で!」
「う、うん……じゃあ……」
ソワソワしながら席を立つ白藤。小春浅葱合作ケーキを丁寧にラップで包み、業務用の大きな冷蔵庫にしまった、と思ったら。明らかに白藤がパクパクしていた物とは別のケーキを手に戻って来た。切れ目入ってないし、そもそもあれ、チョコケーキっぽいし。
「はーいオマケの時間でーす」
「オマケの時間? そのケーキは?」
「察しが悪いぞー本日の準主役」
「準主役? 誰が?」
浅葱に投げ掛けた素直な疑問に答えたのは、全員の視線だった。ケーキを持った白藤を始め、皆が皆、俺に視線を向けている。
「……俺?」
「そういう事。ちょっと先走り気味だけどね」
「つーかお前、なんでそんな中途半端に夏菜と誕生日近いんだよ」
「そこはせめて一週間は離れとけよ。ほんと空気読めないよな。そしたら主役は夏菜一人だけだったのによー」
「お陰で夏菜が張り切っちゃったじゃんどーしてくれんの」
「夏菜にあげるケーキ今まで隠すのマジで大変だったんだからね!」
「謙ちゃん何も悪くなくないしみんなで決めた事だよね!? ちょっと早いけどお祝いしよっかって!」
藪から棒にこの言われようだが、苛立つどころか困惑が加速していくだけだ。わかるようでわからない展開を頭の中で整理していると、小春が一歩前に出た。
「その……ちょっと気が早いけど……まあ……誕生日おめでとう……」
「……つまり……」
「そういう事。言い出しっぺの白藤先輩にもみなさんにも超感謝してよね」
こ、小春……。
「そ、そんなの気にしなくていいんだから! ちょっとフライングだけど、誕生日おめでとう謙ちゃん! 謙ちゃんチョコ好きだって小春ちゃんから聞いたから作ってみたの!」
白藤ぃ……。
「べ、別に知ってたわけじゃないから。ただなんとなくそんな事言ってたような覚えがあっただけだから」
「おお、今のがリアル妹によるツンデレというものか。貴重」
「そ、そんなんじゃありません!」
「とかなんとか言いつつ顔真っ赤にしちゃうねこちゃん可愛いー」
「すっごい、リンゴかってくらい赤くなってるよ!」
「よく見とけよー夏菜。あれがブラコン特有のツンデレってヤツなんだぞー」
「べ、勉強になるね……なるの?」
「ツンデレって言うか美しき兄妹愛って事でいいんじゃないかな」
「みなさん好き放題言い過ぎじゃないですかね!?」
「誰も間違った事言ってないけどね。ああ、礼なら小春ちゃんにしてくれよ? 小春ちゃんが俺らを焚き付けなきゃ例年通りのぐだぐたバースデーで終わってたろうから」
「そ、そう……なのか……小春が……」
「別に私は何も」
「うっ……」
「……は?」
あかん。もう無理ぃ……。
「う、く……うぅ……!」
「いや! いやいや! 何泣いてんの!?」
バカお前……こんなん……嬉しいに決まってんじゃねえか……。
「泣ーかしたー泣ーかしたー!」
「ねーこちゃんがー泣ーかしたー!」
「小学生みたいな煽りやめてください! 私というかおにっ……! 兄の自爆ですよね今のは!? ああもうっ! みっともないからやめてよほんと……!」
「ごべん……ごべんらぁ……」
上なんて向けないけれど、小春が慌てながらもドン引きしているのがよくわかる。これでも昔より少しはタフな涙腺になったのに……こんな兄貴ですまねえなあ……。
「謝らなくていいから泣くのやめて食べる! 早く!」
「お……ぐすっ……おう……」
乱暴に顔を拭い、横合いから手渡されたフォークとナイフを受け取り、小春浅葱お手製の物よりサイズの大きいそれにナイフを入れ、一口。
「……うめぇ……あめぇ……」
「はい! 今度はみなさんにお礼! ほらほら!」
「お、おう…………え……っと……」
苦笑混じりで俺を見ているヤツ。ニヤニヤしながら俺を見ているヤツ。優しく微笑みながら俺を見ている人も。
揶揄い半分だったり、白藤の前でみっともない姿を曝す俺に呆れ半分だったりするんだろう。わかってる、わかってるよ。けど、それでも。
「なんだよ? 礼なら三倍返し以上からしか受け付けてねえかんな」
「タブレットとか欲しいんだよなー俺」
「俺達の誕生日当日は謙之介の財布を一日預からせてもらうとか良くない?」
「涼しい顔で鬼みたいな事言ってるよ修ちゃん!?」
「でもいいアイデアじゃん。銀行口座もあるならそっちも抑えとかないと」
「何にしてもあたし達の誕生日ガン無視は出来なくなったでしょー!」
イイヤツらだよなあ……こいつら……。
「あ……ありが……うぅ……!」
「あーもうみっともない……!」
その後しばらく。どんなに頑張っても、涙は止まってくれなかった。
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