微笑みの咲く場所
「その日からだよ。おはようの挨拶に始まって、一日の出来事を報告するようになったのは。今日まで一日も欠かしてねえんじゃねえかな。初めは驚いたけど、数日したら当たり前の光景になってたっけ。それはいいんだけど、アレを続けた所為なのか、今じゃただのナルシストめいた痛いヤツになっちまったんだよなあ……まったく、どこで道を間違えたんだか……ねこちゃん聞いてる?」
「……う……」
「う?」
う、嘘つき! 大した話じゃないって言ってたのに! 重っ! 重い! 重いですって! 稍重どころじゃないですよ激重プンプン丸ですよ! 微笑みながらする話じゃないでしょ! おっ、ゴリゴリくん当たったーもう一本食えるじゃん儲け儲けー。くらいの細やかな幸せ的エピソードかと思ってたのに! ちょっとコンビニ行ってくる感の切り出し方でなんてヘビィなヤツぶち込んでくれやがったんですか!?
特に明言された記憶はないですけれど知ってはいましたよ!? 東雲先輩のお母様は幼い頃に亡くなっていて、以降山吹先輩のお宅で生活をするようになった事は! それを明言され突き付けられただけで色々シンドイのにその上更になんつーパンチを! なんつーパンチをっ! よくも知らないフリしなきゃ案件増やしてくれやがりましたね! ええええ聞きたかったですよ感謝ですよありがとうございますですよ!
っていうか! これからどうするんですか!? 今の私、東雲先輩の顔見たら泣く自信しかないですよ!? 私の涙腺クソザコなんですよ!? 今だってなんか泣きそうになってるんですからね!?
って言いたい! 無理!
「ねこちゃーん? どした?」
「や、その……人に歴史ありだなあと……」
「そんな大仰なもんじゃない。誰にだってある、大きくなる為の通過点の一つでしょ」
はい嘘ー! 誰にだってこんなヘビィなエピソードがあってたまるかですわよ! 山吹先輩自身がヘビィなエピソード抱えているからってそんな言い方……あっ、思い出しちゃった。うわ、しんど……。
「う、ぅう……!」
「なんでえずいてんの? 体調でも」
「えずいてませんし悪くありません! ちょっと半ベソになってるだけですっ!」
「そ、そう……よくわかんねえ子だなあ……」
よくわからないのはあなたでしょあなた! 東雲先輩も! なんかめっちゃヤバい記憶力の事とか先輩のご両親の事とか一人暮らしがどうとか! わからない事だらけですよこっちは!
「……ん?」
ご両親? あれ? ちょっと待って。今日聞いたお話も含めて、東雲先輩のお母様周りの話ならちょいちょいと聞いた覚えがあるんですけれど、私知らないんです。東雲先輩のお父様の事、何も。
育ての親と言えるのだろう山吹先輩のお父様が東雲先輩の実の父親ではない事は知って……え? あれ? どうなんだろう? もしかするともしかして、東雲先輩と山吹先輩が腹違いの兄妹である可能性も……?
「どったの?」
自身で認められるほどに挙動不審な私を案じてか、こちらの顔を覗き込む山吹先輩。さてどうしよう。気遣わしそうな表情を浮かべているこの人に聞いてしまっても……けれどなんか……うーん……好奇心は猫を殺すなんて言葉もありますし……って! 誰が猫ですか誰が! うがーっ! 行ったれてやんでぇばーろちくしょー!
「あの! ですね!」
「はい?」
「一つ! 質問が! ですね!」
「はあ」
「その! 東雲先輩の! お」
「こはるんお待たせー! いやーなんか知らないけどベッドの下に滑り込んじゃっててさー! これこれ! めちゃ魔女ラシドの劇場版セット! ちっちゃい頃に児童館のビンゴ大会で当てたヤツだった! 欲しい!? ん? どったのその顔? 他の猫のおしりの匂いを嗅いでみたら想像以上にキツくて口半開きになってる猫みたいな顔してるよ?」
「誰が猫ですかおしりの匂いなんて嗅ぐわけないでしょうバカ言わないでくださいというか空気読んでくださいほんとマジでそういう所ですよ」
「辛辣!? でもなんかごめん! よくわかんないけどほんとごめん!」
「けれど……先輩にも色々あったんですね……よく頑張りました……」
「んが!? ほががー!?」
そうそう。多少空気読めないくらいでなんですか。この人は頑張った。なんか知らないけれど色々な事を頑張った。今くらい、優しくしてあげないと。
「色々大変だったでしょう……」
「ねこちゃん、母性に目覚める」
「そんなんじゃありませんっ!」
「ほ、ほーた!? こはるんひなにはなひたろ!?」
「お前の恥ずかしい話」
「ほわ!? な、なに!? ろんらはなひじたにょ!?」
「さーな。お出来のよろしいお頭でお考えになってくださいませ」
「うわキモっ」
「ねこちゃーん? もっと強く抱き締めてあげていいよー」
言われるまでもない。本当に涙が出そうになるのを誤魔化すように、綺麗な金髪お姉さんを抱き締める。華奢な体だなあ……ちょっとの事で折れてしまいそうなくらいだ……。
「ほ!? もがっ!? お、おっはひ……つふされりゅ……んご……」
「あそうだ。東雲先輩、私とライン交換しましょう。なんかもう面倒臭いんで、山吹先輩から聞いといてくださいね」
「な、なんくゎ……あたひのあつかひ……ざつ……ぁ……」
* * *
「おい千華。お前最近太ったんじゃないか? って事でその生姜焼きは俺が」
「太ってないから! 余計なお世話だから! って! 普通に人の皿から取ろうとすんなバカ元気!」
「こら、千華ちゃん元ちゃんはいつまでやってるの。まだお代わりあるからやめなさい」
「ほんと!? わーいわーい!」
「なんで俺まで怒られてんだ……」
「あーおいし。どうして夏菜の手が生み出す物はこんなに美味しいの? はー堪らない。こんな幸せテイストに胃袋掴まれちゃったんだからこれから毎朝夏菜にお味噌汁作ってもらうしかないよね」
「毎朝お味噌汁? 美優ちゃん、朝はパン派でしょ?」
「本人に意味伝わってねえとか。クソだせぇフられ方してんなー美優」
「これから意味教えた上で口説き直せばいいだけだもんねー」
「修ちゃん修ちゃん。二人は何の話をしてるの?」
「気にしなくて大丈夫だよ。超くだらない話だから」
「くだらないとか酷くない? 冷たい子になっちゃったなあ修は……あたし悲しい」
「そのまま静かに悲しんでてどうぞ。夏菜、お代わりお願い」
「はーい! 他にお代わりの人ー?」
「お代わり! 大盛り!」
「俺も! 超大盛り!」
「やっぱあたしハイパー大盛りで!」
「やっぱウルトラ大盛りで頼むわ!」
「張り合うなよアホ共」
「はいはい順番ねー。小春ちゃんも、遠慮しないでいいんだよー? あれ? 小春ちゃん、どうかした?」
うるさい。超うるさい。マジうるさい。
「いえいえー! 本当に美味しいなーって! あー! 私もお代わりお願いしてもいいですかー!?」
小言の一つでも言いたい真面目マインドを押し留め、無理矢理流れに乗る。思う事はたくさんありますけれど、これがここの当たり前なんでしょう。ならばいちいち小言挟んで空気汚すのは無粋。みなさんだって常識人。この場以外ではちゃんとしていますもんね。ですよね、東雲先輩に松葉先輩?
「はーいどうぞー! おかずもまだあるからね!」
「ねこちゃんよく食うねー。夏菜に負けてないんじゃない?」
「その言い方だと私が食い意地張ってる子みたいになっちゃうから!」
「事実だろ」
「いいんだよー夏菜ー。ただでさえ良く食べるのに甘い物は別腹って自分に言い聞かせて罪を重ねていく夏菜も超可愛いんだから」
「美優ちゃんのいじわる!」
「罪って表現はどうなの……何かで見たけど、甘い物は別腹って一概には嘘だと言えないらしいよ。その辺どうなの、医者志望の東雲さん」
「別腹はあると思うよ! 別腹って所によっては感覚特異性満腹感なんてカッコいい名前付けられてるんだけどね、その辺りの話をするには満腹中枢と摂食中枢の話とかしなきゃだね! えっとえっとー」
「あれ? 小春ちゃんきゅうり苦手なの?」
「うわ、本当に猫みたいじゃん。ぴょーんと飛び跳ねてみせてよー」
「好き嫌いは良くないぞーねこちゃん。好き嫌いしてると大きくなれないんだぞー」
「好き嫌い一切ない元気くんが言うとすっごく説得力があって大変よろしいですね」
「ケンカ売ってんのか奏太コラ!」
「もうっ、大きな声出さないの」
「なんで誰も聞いてくれないの!? 言い出しっぺの修まで!」
「長くなりそうだからもういいかなって」
「酷っ!? ちゃんと解説したげようと思ったのにー!」
「カリカリすんなよ。元気の生姜焼きやるから」
「なんで奏太が決めてんだ!?」
「もうお腹いっぱいだからいらないもーん! ふーんだ!」
「あ、そうだ。冷蔵庫にシュークリームあるんだった。千華ちゃん食べる?」
「食べるぅー!」
「別腹、あったね」
「ねー」
いやほんと、いつ食べ物を口に運んでいるんですかってくらい。マナーも何もあったもんじゃないですけれど……。
「いいなあ……」
そう思わずにはいられない。
温かい。羨ましい。無理矢理座らされたお誕生日席から広がるその光景は、オタクっぽく言えば尊くて、オタクっぽくなく言っても尊い、そんな一枚絵。
「何か言った?」
「小春ちゃん?」
左手側に座る桃瀬先輩と右手側に座る白藤先輩に聞こえてしまったらしく、笑顔のままにこちらを覗き込んでいる。
「いえ、みなさん楽しそうだなと思いまして」
だからですかね。邪魔をしてはいけないなって、そう思ってしまうんです。
「うんうんっ。楽しいよね! みんなでご飯!」
「はい」
数年の溝なんてなんのその。みなさん、私に良くしてくれる。いつかみたいに、妹分として扱ってくれる。それが嬉しい。
自分がオタクになってしまったりと、大なり小なり変化はありますけれど、みなさんと仲良くなりたい、近くにいたい。私だって、そういう思いがあります。
「もう少しくらいはボリューム落として欲しい所だけどね」
「うるさいのはそこのバカとアホだけだろ」
「バカ言うな!」
「アホ言うな!」
「ほんとほんと。マナーって物がなってないんだよねー」
「とか言いながら俺の皿に箸伸ばしてるお前もかなりのモンだけどな」
「てへへ」
「美優ちゃん、照れる所じゃないでしょ」
けれど。やっぱり違うんだなあ。
この人達は私にとって、凄く近くて、凄く遠い人達。改めて思い知らされたような、そんな気分。
それでも。気落ちは疎か、悪い気分にさえならないのは、さてどうしてでしょうね。
* * *
すっかり日の落ちた川原町団地に、湿った風が吹き抜ける。私がバス待ちをしているこの大通りを向かいに渡ると、多摩川が目の前に広がっているからでしょう。この辺りに吹く風はいつだって湿り気を帯びているんです。でも少し……この風……泣いています。はい、言いたかっただけです。
「大丈夫?」
「はい?」
ふわっとした問い掛けが、お隣に佇む山吹先輩からとんできた。気にしなくていいのに、わざわざ見送りに来てくれたんです。
「自分疲れてます感が全身から滲み出てるからさ」
「心地の良い疲労感、ってヤツですね」
「千華に片付け手伝わされてたら良い思い出ばかりじゃなかったかもね」
「あたしがこはるんにそんな事させるわけないじゃん!」
ノータイムな否定は山吹先輩のお隣から。甘味も食してホクホク顔の東雲先輩だ。
「いやお前、手伝ってくらいの事言ってたじゃんか」
「言ってないですぅー! 言い掛けただけですぅー! だからノーカンですぅー!」
「それのどこがノーカンなんだアホ。戻ったら残り片してから寝ろよ」
「わーかってるって! そうそうこはるん! ちゃんとDVD持った!?」
「持ちました。改めてありがとうございました、東雲先輩」
「堅苦しいお礼なんていいんだよー! あたしとこはるんの仲じゃんかー!」
「赤の他人じゃねえか」
「こはるんはあたしの友達で妹分ですぅー! ねーこはるん!?」
「え? そうなんですか?」
「えっ……え、あ……違う……の……?」
「冗談です! 冗談ですからガチヘコみやめてくださいごめんなさい!」
「ヘコんでないし! わかってたし! あたしマジわかったしー!」
とか言いながら視線泳ぎまくりな東雲先輩可愛い。ちょっと浅葱先輩の真似をしてみました。あの人、ジャブ感覚でこれくらいの事言いそうじゃないですか?
「ねこちゃんのそういう冗談、初めて聞くかもしんない」
「そうですかね?」
「うん」
「確かに! こはるん真面目ちゃん過ぎるところあるからなー! 良い傾向だと思うよーお姉さんは!」
「そ、そうですかね……」
「うんうん!」
「ま、少なくとも俺らには遠慮も何も必要ないってこった」
「そーそー! そんな感じの事が言いたかった! やるじゃん奏太!」
「何も考えてねーだろお前は」
「はあ!? 超考えてるから! なんなら夏休み入ってからこはるんと遊びに行く所とか考えてるくらいだもん!」
「文脈もクソもねえ辺りやっぱアホなんだなって」
「アホじゃないですぅー! アホって言う方がアホなんですぅー!」
「今言ってんじゃん自分で」
「……ほんとだ!? あれ!?」
「っ……はは……」
「あ! こはるん笑ってる!」
「へ?」
言われて、自らの頬に触れて、ようやく気が付いた。まるで無口無表情キャラみたいな仕草をしてしまいましたが、笑わないキャラとかではないですよ? ギャグアニメとか見てゲラゲラ笑うタイプなので。
「えと……何か気に触ったり……」
「違う違う全然違う! 元から可愛いこはるんだけどさー、笑うと超可愛いなって! 知ってたけど! こはるんマジ天使ー!」
「おっと」
遠慮も何もないセクハラハグを受け止める。今日だけで何度胸を触られた事でしょうか。
「はー楽しかったー! 久々にこはるん来てくれたんだもんなー! 楽しかったなー!」
「私もです。楽しかったですし……濃い一日でした……」
「ふーん」
「そかそか!」
私の返答がお気に召したのか、山吹先輩は口の端を上げて微笑み、東雲先輩は目を弓なりにしていらっしゃる。
「あいつらも楽しそうだったよ。特に夏菜はご機嫌だったなー」
「あと美優も! 超機嫌良かったよねー」
「だな」
「浅葱先輩が?」
「そう見えないでしょ?」
「普段通りに見えましたね……」
「あれで喜んでたんだよー。改めてねこちゃんの事を大分気に入ったらしい。オモチャにされないよう頑張ってね」
「怖い事言わないでください……!」
「ま、相手が本当に嫌がるような事するヤツじゃないからそこは安心して」
「そーそ! そういうのやるのあたしと元気にだけだから!」
「少し捻れた信頼関係ですね……」
けれど、いいですね。そう思える、そう言える関係。素敵です。本当に。
「ねーね! 夏休み入ったらどっか遊び行こうよ! ねっ!?」
「私で良ければ」
「良いに決まってるじゃーん! 海でも行く!? プールのある遊園地とかもいいなー! あ! みんなでバーベキュー行きたくない!? あと夏祭りも! 花火とかもしたいよねー!」
「お前受験生だろ」
「ちゃんと勉強してるもん! 進路も大分絞れたし! それにさー高校最後の夏休みだよ? 満喫したいじゃん! 来年からは海外だし、遊びまくれる夏なんて今年くらいかもかもだし! だから」
「ちょ、ちょっと待ってください……」
「ほえ?」
華奢な両肩に手を置いて、東雲先輩を押し返す。くりくりっとした二つの目の主は、何に動揺しているのかこの子はとか考えているのでしょうか。
「来年から海外? それは一体……?」
「ありり? こはるんには言ってなかったっけ? あたし、海外の大学行くの! 医療系のめちゃ凄いとこ!」
「……初耳です……」
「そーだったっけ? とにかくそういう感じ! 色々調べた甲斐あってようやく志望校固まりそうでさー! やっちゃんには遅えよ早くしろって言われてるけどねー!」
「そ、そうなんですか……」
「こはるんどしたー?」
「いえ……少し驚いただけです……」
嘘。少しなんてものじゃない。東雲先輩の肩から両手を離したら、そのまま倒れ伏してしまうんじゃないかくらい全身の筋肉が頼りなくなっている。
だって、見てしまったんだもん。あんなにも暖かくて穏やかな、この人達にとって当たり前な、この人達を作り上げてきた光景を。
あの光景を、この日々を手放す? どうしてそんな決断が出来るのですか? それでいいのですか? 寂しく……ないですか?
「だから今年の夏は超遊んどきたいんだよねー! みんなも受験だし毎日ってわけにはいかないだろーけどいろんな事したいなー!」
「……どうして……ですか?」
どうして行ってしまうのですか? どうして引き止めないんですか? 自分の発した言葉には二つの意味があり、二方向へのベクトルがあった。
「そりゃあ学べる事が多いからね!」
それを拾ったのは東雲先輩。山吹先輩は何も言わず、穏やかに微笑むばかり。
「それに、あっちに行った方があたしの目標により近付けそうだからさー」
「目標?」
食い付いたのは私じゃなく、山吹先輩だった。もしかして……東雲先輩の目標とやらの中身を知らない? 山吹先輩でさえ? もしそれが本当ならば、誰にも話していないのではないだろうか?
「そ! あ! 聞き出そうとしても無駄だかんね! 内緒だから!」
「あっそ」
「なになにー? そんなに知りたいのー?」
「そうは言ってねえ。つーか、どうせ教えるつもりねえんだろ?」
「まーねー!」
愉快そうに笑う東雲先輩からは、絶対に言わないという意思が。苦笑を浮かべる山吹先輩からは、絶対に聞き出せないという諦めのようなものが透けて見えるようだった。
「あ! バス来たよこはるん!」
え? もう来ちゃったんですか? まだ話したい事が……あれ? あるのかな? ある気がするんだけれど……どうにも脳内が忙しなくてまとまらない。まだ聞きたい事があったはず。絶対ある。どうにも聞き辛くてずっと飲み込んでいたものが。
「もっと話したかったけど仕方ない! 次はもっとゆっくり遊ぼうね! とりあえずこはるん水着買っといてよ! 水着買えばどっか行くしかなくなるし!」
「水着ですか……」
どうも抵抗あるんですよね、水着って。中学時代、水泳の授業が男女混合だったんですけど、周囲の同級生達よりもその……胸が大きめだったもので……男子からジロジロと見られる事ばかりで……胸でっか! とか面と向かって言われた事もあったりで……それ以降ちょっと……。
「あたしも買うから! あたしに似合うような超セクシーなヤツ!」
「はっ」
「あ! 鼻で! 鼻で笑ったな奏太!?」
「いんやあべっつにー」
「笑ってんじゃんかー! ムカつくー!」
東雲先輩のポカポカパンチを両手でひょいひょいっと捌く様はまるで大人と子供。完全に遊んでますね。
「無理にこいつに付き合う事ないからねーねこちゃん。っていうか甘やかさないでね」
「あたしが甘やかす側でしょ!?」
「お前はお前でねこちゃん振り回しまくるんじゃねーぞ。もうすぐ期末もあるんだしよ」
「わーかってるって! こはるんさえ良かったら! ね!?」
「考えておきますね」
「うんうん!」
眩しい笑顔がバスのヘッドライトに照らされて、停車場前に白と青でカラーリングされたバスが滑り込み、乗車口を開けた。
「じゃあまたね!」
「気を付けてね」
「はい……」
二人の笑顔に見送られ、ステップに足を乗せた所で。
「山吹先輩!」
「ほい?」
不意に思い出した。山吹先輩に聞きたかった事を。
「先輩は……あの……えと…………」
「うん?」
「……やらないんですか……」
「何を?」
「サッカー……もうやらないんですか?」
山吹先輩がチームを辞めた理由を知った。じゃあ、その後は?
松葉先輩の言葉を信じるならば未練はないのだと思う。けれどそれだって、山吹先輩の口から聞きたい。そうでないと……なんか嫌です。嫌なんですよ。
「どうなの奏太ー?」
東雲先輩が返答を促す。軽い調子の割に、表情におふざけ感は見えなかった。
数伯の間を置いて、真っ直ぐに私を見据るばかりだった山吹先輩がふっと破顔し、こう言った。
「運転手さん、困ってるよ?」
やっぱり……そうですよね。またも私は無粋な事を聞いてしまいましたね。本当にごめんなさい。
「……はい……今日はありがとうございました……では……」
「うん、またね」
「またねー! って奏太! 今の何!?」
東雲先輩が山吹先輩に噛み付いているのが聞こえるが、閉じ行く扉に遮られてしまった。運転手さんに軽く頭を下げ、私達の様子を見ていたお婆様にも頭を下げて、後方にある二人掛けのシートに腰を下ろす。窓の外に目を向けると、何かを喚く東雲先輩と、スマホを弄りながら完全スルーを決め込んでいるご様子の山吹先輩がそこに。
「ごめんなさい……」
届くわけもない、窓の外にいる少し歳上のお兄さん向けたメッセージ。バカ真面目だなんだ言われてるくせに、なんで面と向かって言えないんでしょう私は。
厳かに加速をしていくバスが、私とあの人達を遠ざけていく。なんでしょう、この虚無感。また明日、学校内でひょっこり顔を合わせるかもしれないって言うのにね。
「はあ……」
スマホを取り出し、何時に帰るのか迎えに行った方がいいのかなどなど過干渉かつ過保護過ぎる兄からのラインに既読を付け、帰るとだけ返信しスマホをバッグに入れようとして、手が止まった。
「お礼言わなきゃ……」
そうだ、そうでした。改めてのお礼は大事です。ではまず白藤先輩からお礼をと画面をタップしようとする私の手を、ラインの通知が止めた。どうせ兄からだろう、とりあえず既読スルーでいいやと画面上部に現れた通知欄をタップ。
「あ」
即座に既読を付けてから、如何に自分が早とちりであったか気が付いた。
同一人物からのメッセージは数件続いた。通知が収まるまでその人とのトーク画面を開きっ放しにした所為で既読済みになっている、可愛らしいスタンプに上下を挟まれた全てのメッセージを繋げると。
『うちの団地に住んでる人から夏休み中だけ知り合いのちびっこサッカー団の練習の手伝いをお願いされてんの。俺は基本全日参加、予定が合えば修と元気も手伝いに来るし、あいつらも時たま顔出すってさ。ねこちゃんも遊びに来ない?』
先の質問の答えには程遠い、夏休みのお誘いになっていた。
「……ふふ……」
なんだか……あの人らしいですね。本当、笑えるくらい、あの人らしいな。
「い、き、ま、す……」
シンプルな四文字に感嘆符を追加し送信。即座に既読が付き、キャラに合わない可愛らしいスタンプと。
『今日はありがと。気を付けて帰ってね。試験勉強はちゃんとするよーに』
年上のお兄さんらしいメッセージが。本日のお礼におやすみなさいを添えて返信。返ってきたおやすみスタンプに既読を付け、スマホを暗転させた。みなさん個々へのお礼は家に着いてからにしよう。今はちょっと、いっぱいいっぱいなんで。
胸が熱い。あんなの、問い掛けへの答えでもなんでもないのに。それでも嬉しい。あれだけでこんなに喜んでいる私自身が不思議なくらいです。普通にラインしてる事とか。そもそもこんな一日があった事とかも不思議。私自身が望んで得た結果なのに。
そうそう。不思議だった事と言えば。みなさんの部屋を後にする際、必ず言われたんです。いってらっしゃいと。あの人達にとっては当たり前の挨拶でしかないのでしょう。あそこは私の家でもなんでもないのに。おかしな話ですね。
けれど。部外者である私を受け入れ、認めてくれているような。少しだけ、みなさんにとっての特別になれたような。こんなの、そんな気分にならざるを得ませんよね。
「いってきます…………うわわ……!」
い、今のなし! やっぱ違う! っていうかなんか恥ずかしい!
あそこは私の家じゃない。けど、特別な場所。それでいいじゃないですか。これ以上ないですよ。
「お邪魔しました……また来ます……」
窓ガラスに頭を預け、外の世界に視線を預ける。見えるのは仄暗い世界ばかりだけれど、頭の中は晴れやかなまま。
とても濃くて、とてもとても長かった一日を振り返りながらの帰り道は一人きりだって言うのに、全然寂しくなかった。
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