方向音痴

 松葉先輩と桃瀬先輩。ついでに私の兄も。素人目に見ても、結構レベルの高いサッカープレーヤーだったと思う。


 けれど山吹先輩は、頭一つ抜けていた。それどころか二つも三つも抜けていたと思う。


 グラウンドの中でのあの人は、本当に凄かった。もうひたすらに凄かったんだからこう言うしかない。あの人があまりにも圧倒的なもので、サッカーってスポーツはかなり簡単なんじゃないかと思ってしまったくらい。


 ボールは取られない。ドリブルなんか一人だけバスケットボールでもしているんじゃないかと思うくらい早くて滑らか。バスを出したら必ず通るし、シュートを打ったら百発百中。若干の思い出補正はあるかもしれないけれど、当たらずも遠からずだったんだから。


 しかし、それはあくまで小学時代の話。同年代の中で一騎当千状態のあの人がいざ進級いざ新しいチームとなるとどうなるのか。勝手に心配したりしたけれど、そんなもの杞憂だったと直ぐに思い知らされた。


 新天地でのあの人は、小学生時代と何も変わらなかった。


 やっぱりボールは取られない。やっぱりドリブルはバスケットボールのドリブルみたいで、やっぱりパスは全部通すし、やっぱりシュートは百発百中だった。


 小学時代より年長者との体格の差が顕著になる環境下でも、何も変わらなかった。自分より体の大きな先輩達に一歩も臆さず、完全に手玉に取ってしまっていた。入団して二日目には、一年生の中で唯一のスタメン組として紅白戦に先発出場していた。悔しい! ズルい! 頑張れ! ビブスに身を包んだ松葉先輩達が思い思いに声援を送っていた事、良く覚えています。


 私もその一人でした。凄いな、カッコいいなって、素直にそう思えたから、素直にそう叫んでいました。


 山吹先輩とみなさんの滑り出しは順調。これから先に期待しかない。


 そんな風に浮かれていた私達は、周囲の視線に気が付けませんでした。


 私達の知らぬ間に、山吹先輩への悪感情を溜め込んでいる方が何人かいらっしゃったそうな。それ自体は致しかたないのかもしれない。誰だって自分の居場所を取られたり、新参者に大きな顔をされては面白くないでしょうから。


 けれど、そこで止まれない人達が、悪意を形にしてしまった。


 中学一年生の山吹奏太先輩の身に降りかかった出来事を簡潔に言い表すならば、聞き慣れた一言で事足りる。


 出る杭は打たれる。


 獅子奮迅の活躍を見せる後輩を良く思わなかった先輩達によるイジメが、私達の目の届かぬ所で始まっていた。


* * *


「スパイクを隠した事あるって言ってたな。あと落書きもしたとか。脛当てをゴミ箱に捨てた事もあるとか言ってたっけ。あと」

「もういいです」


 店内の喧騒が遠い。松葉先輩の言葉以外、何も耳に入って来ない。頭が重くてくらくらする。さっきまで美味しい物ばかりを通していた喉にはザラザラとした何かが絡み付いているみたいで、不快感が止め処ない。


「じゃあ省くけど、奏太の身に起きたのはそういう、行き過ぎてないけど鬱陶しいどころじゃない嫌がらせの数々だったと」

「知らなかった……だ、だって山吹先輩……そんな素振り一度も……」

「見せなかったね。俺も修も気付かなかったくらいだもんなー。よく隠し通したもんだよ奏太のヤツ。実行犯のヤツらもな」

「そっち褒めてどうするんですか……!」

「いや実際大したもんだよ。周囲の誰にも悟らせなかったんだから。越えちゃいけないラインをわかってたんだろうな。なかなか悪知恵働くヤツがいたらしい。そもそもそんなクソダセェ真似すんなって話だけど」


 当然楽しい話ではない。誰だって眉を顰めてしまうだろう不快な話だ。それなのに松葉先輩は、少しも表情を崩さない。


「でもどうして……」

「ん?」

「山吹先輩は……誰にも話さなかったんでしょうか……」


 監督さんやコーチの方々に言うのが正解。もちろん、両親を始めとした先輩を取り囲む大人達にでも。それに、頼りになる仲間が同じチームにいたじゃないですか。何も自分一人で解決しようとしなくてもいいのに。


「俺達に言わなかった理由ならわかるよ。なんとなくね」

「それは?」

「俺達が知ったら、当然俺達は怒るじゃん?」

「でしょうね」


 先頭切って松葉先輩が怒鳴り散らして、普段控えめな桃瀬先輩も怖い顔して突っ込んで行くでしょうね。浅葱先輩達だって黙ってないでしょう。ついでにうちのアレも。


「そ、絶対ケンカになる。俺と謙之介なんて奏太にちょっかい出したヤツら真っ先に殴りに行くだろうし、修もあれで血の気多い所あるし、ブレーキ役は務めちゃくれねーだろうな。で、本当にケンカになったとしたらさ、チームに入ったばかりの俺達はその後どうなると思う?」

「その後……」


 最悪チームをやめる事になるでしょうね。そこまで行かずとも、チーム内に松葉先輩達の居場所は……。


「あ」

「……俺達さ、結構いい感じだったんだよ。先輩達と早々に打ち解けて、普通に友達になれたんだよ。修や謙之介なんて、チーム辞めた今でもつるんだりしてるし」


 まだ何も言っていないのに、私が何かに気付いた前提で言葉を進めている。


「そりゃあいきなり全員となんて事はなかったけどさ、長い付き合いになりそう、この人達となら上手くやってけそうって、そんな話をしてたんよ」

「……山吹先輩もその場に?」

「いた」

「じゃあ……じゃあ……」

「うん。奏太はさ、奏太なりのやり方で、俺や修や謙之介が楽しく過ごせるようにしてくれたんだよ。何一つカッコ良くねえけど」


 そう呟いて、松葉先輩は力なく笑った。


「大人達に打ち明けるって選択肢は奏太的に無しだったろうな。即解決したとしてもチーム内が気不味くなるのは避けられないし」

「そんな事……あの人が気にしなくても」

「気にしちゃうんだよ奏太は。なまじっかみんなに頼られるからか、自分より周りの事ばっか見てるからな。いーっつもそうだ。しなくていい損を自分からしに行って、それでも笑ってんだよ」


 一人寂しそうにしている人を一人にしておけない。イジメられてる人がいたら絶対助ける。口ではなんだかんだ言いながら、困っている人を放っておけない。


 優しくて、頼もしくて、やっぱり優しくて。そういう人でしたね、あの人は。


「ほんとバカだよなーあいつ。どの口で俺の事バカ呼ばわりしてんだって話だよ」

「ですね……」


 本当にしょうもない。けれど。本当にあの人らしい。


「ふう……」


 あ。なんか語り切った感出してる。まだですよ、まだ。聞きたい事はまだまだあるんですから。


「その……どうして松葉先輩は山吹先輩の一件を知ってるんですか?」

「あーそれ。俺がチーム辞める少し前にさ、先輩達が奏太の話してゲラゲラ笑ってんのがたまたま耳に入ってんだ。とことん盗み聞きしたった」

「それを聞いて……松葉先輩は?」

「全員ブン殴った」

「そう……ですか……」

「ごめん、嘘」

「へ?」

「泣いて謝っても許さねえ。とことん痛い目合わせてやる。奏太にしたのと同じ事全部してやる。みんなの前で洗いざらいブチ撒けさせてやる。奏太の前で土下座させてやろうとも思ったよ。ふーっ……」


 熱くなる自分を冷ますように麦茶を一気飲みして、松葉先輩は続ける。

 

「けどさ、俺がそんな事したら奏太はなんて言うんだろう。つーかなんで俺達に何も言わなかったんだろうって考え出したらさ、答えっぽいものにあっさり行き着いてさ。ああ、奏太らしいなって思ったら何も出来なくなっちゃった。いやー超悔しかったし超ムカついたわー。イライラ発散したくてとりあえず自分殴ったっけ。あれは痛かった」

「そ、そうですか……」

「けど、奏太はもっとだ。死ぬほどイラ付いて、死ぬほど悔しかったろうな」


 何も解決できず、何も好転せず。そのままみんなとお別れ。悔しくないわけがない。


「でも……」

「ん?」

「何もサッカーそのものをやめる事はなかったんじゃ……他のチームや部活でやるとか、そういう話はしなかったんですか?」

「したけど聞く耳持たずだった」

「そんな……」

「勿体ないって思っちゃうよね。とはいえ、奏太のスタンスの限界はあの辺だったのかもね」

「スタンス?」

「奏太はさ、上手くなりたいとか活躍したいとかじゃなくて、楽しむ事に拘ってたから。多分、俺らとサッカーやれてるだけで満足だったんじゃねえかな」


 どこか照れたように笑う松葉先輩。多分なんて予防線張ってますけど、それは不要だと思いますよ。


「神奈川で一番になるだプロになるだ日本代表になるだの言ってたけど、そんなもんあいつにとっちゃついでのおまけでしかないんだよ。誰かを蹴落として蹴落とされて。汚い手を使ってまでピッチにしがみ付く。そんなの、あいつがやりたい事じゃなかったんだ」


 ごめん。俺には向いてないみたい。


 いつかの言葉が、ようやく腑に落ちた気がする。大分言葉を削っているけれど、嘘じゃなかった。


 あの人は、こう言うしかなかったんだ。


「ま、全部予想でしかないけど」

「……凄いですね」

「何が?」

「そんなにも色んな事がわかっちゃう松葉先輩が、です」

「まーな! 俺スゲーんだから!」


 ニーッと歯を見せる笑うこの人と、桃瀬先輩と。いつも見守ってくれている浅葱先輩、東雲先輩、白藤先輩。可哀想だからうちのアレも入れてあげるとして。


 この人達がいればそれで良かったんだ、山吹先輩は。


 だったらそれを言えって話ですけど。


 けれど、それが全部でしょうか? 本当にもう、ピッチに未練はないのでしょうか?


「なーに考え込んでんの?」

「いえ……というか、みなさんは山吹先輩に聞かなかったんですか?」

「もちろん聞いたけど、飽きたから以外何も言ってくれなかったよ。嘘だってのはすぐわかったけど、それ以上の追求はやめた」

「どうして?」

「嘘だって俺達にバレてる事を理解してて、それでも隠し通したいって言うならそれでいいやって。奏太がそれでいいならって。ぜーんぜん納得はしてないけど」


 なんで? おかしいじゃないですか。聞けばいいじゃないですか。本当は知りたいんでしょう? なら、どうにかして聞き出せば良かったのに。みんなで山吹先輩を守ってあげればいいのに。そうしたらもっと違っていたかもしれないのに。


 とは言えなかった。そうしたい衝動を飲み込んで過ごしてきたこの人に。どんな形であれ、望まぬ結果であれ、山吹先輩に自分の居場所を守られてしまったこの人に、そんな事言えるわけがない。


 その代わり、これくらいは言わせて欲しいです。


「……面倒臭い話ですね」

「ほんとほんと! めんどくせえったらねえわこんなの!」


 そう言うと、何かが弾けたようにからからと笑い始めた。釣られるように、私の口角も上がっている事に気が付いた。


 そろそろ潮時にした方が良さそうだけど、もうちょっとだけいっちゃおう。


「そういえば、松葉先輩が山吹先輩の一件を聞いたのはチームを辞める少し前って話でしたけど、もしかして辞めたのって」

「ああ違う違う。話聞いた後も続けるつもりだったよ」

「じゃあどうして?」

「えー? それ言わせるー?」

「き、聞いちゃダメでしたか……ごめんなさい……」

「そんなマジに構えなくていいから! あーもう! 俺がやめた理由はこれ!」


 吹っ切れたように声を荒げ、頭頂部に手を乗せている。えっと……これは……。


「ヘディングのし過ぎで薄毛の進行が」

「なわけあるか! 身長だよ身長! 中一でその悩み抱えたらお先真っ暗過ぎて泣けるわ! 急に尖ったボケぶっ込んで来ないでくれる!?」

「ご、ごめんなさい!」


 すいません、ボケじゃないんです。真面目に考えた結果そうなんだろうと思ったんですすいませんすいません。


「ったく……俺、小五の夏頃から身長の伸びが止まっちまってさ。奏太も修も謙之介もグングンデカくなってくのに俺だけ変わんないんだぜ? マジでシンドかったわ。それでも俺ならなんとかなるって思ってやってたんだけどなかなかなあ……」

「キーパーですもんね……」

「うん……ああ、ちょうどその時期に、サッカー以外に本格的にやりたい事見つけたんだ。決め手はそれかなー」

「それは?」

「ん!」


 ニッコリ笑って、自分の着ている作業着の襟を摘んでみせた。


「大工さん?」

「そ! やっぱ俺はこれだなーって、そう思ったんだー。そっからはあっという間よ。ちゃーっとチームやめて親父達に頼んで色々勉強させてもらって、今に至ると」

「サッカーやめるの反対されませんでした?」

「親父達は別に。好きな事やれーってさ。一番喧しかったのは奏太だったなー」

「山吹先輩が?」

「勿体ないだの身長なんか気にすんなだとキレ気味で突っ掛かってくるからうるせぇのなんの。自分が辞める時は聞く耳持たなかったくせによー。何も言わないよう気使って逆ギレした俺を褒めて欲しいくらいだ」

「逆ギレはしたんですね……」

「それくらい可愛いもんだって。知らないフリも楽じゃねえの」

「そういうものですか」


 そうか、これから私も、知らないフリをしなくてはならなくなったのか。ちゃんと出来るかな……。


「おーい元気ー!」

「はーい!?」


 まだまだ聞きたい事だらけな私を制止するように響いた大きな声。声の方向に目を向けると、自分酔ってます感全開のお客さんが二人と、その二人を介護している方がお一人見えた。松葉先輩が入店した際に絡んでいた常連さん達だ。


「こいつら潰れちまった」

「なーにやってんすか……」

「悪い悪い。盛り上がり過ぎちまった。タクシー乗せんの手貸してくれ」

「酔っ払いの介護は嫌だって言ったんすけどねー俺ー」

「元気の飯代俺が払うから。頼むよ」

「ならいいっすよ!」

「食い付きいいなおい!」

「タダ働きはしない主義なんで。ちょっと行ってくるねー!」

「は、はい……」

「よっこい……せっと!」


 譫言のように何かを囁き続けているお客さんをおんぶして、少しもフラフラする事なく店外へと行ってしまった。凄いなあ、結構体格差あるのに……。


 松葉先輩と三人の酔っ払いが店外へ消えて行く姿を眺めていると、私の前に置かれていたお盆がいきなり持ち上がった。目で追っていると、ビッグママと視線がぶつかった。


「うん、全部食べたね」

「あ、はい。ご馳走さまでした! 今日も美味しかったです!」

「うんうん。あのバカが戻ってくるまで少し手伝ってくれる?」

「はい!」


 もう上がっていいよと言われてますけど、こんなに美味しいまかないを頂いてるんですし、何もしないわけにはいきません。


 って事で、空いてるテーブルを片付けてお皿を洗って注文を受けてと、バイト中と変わらないムーブをしていたのですが。


「元気遅いねえ」

「ですね……」


 店外へ行って十分弱経つのにまだ戻って来ない。大通りからそう離れてもいないですし……何かあったのでしょうか……。


「小春ちゃん、ちょっと見てきてくれる?」

「はい!」


 ビッグマムの命を受け小春、出撃。店外へ出て左右をチェックすると、停車しているタクシーの前であーだこーだやっている一団を発見した。


「あちゃー」


 ぐでんぐでんに酔った二人が、松葉先輩にウザ絡みをしている。遠目に見てもはっきりとわかった。


「よしっ」


 もう少し聞きたい事もありますし、私も加勢しましょうか。何が出来るかわかりませんけど。けれど、見つかって遠目から絡まれるのも嫌なので忍び足でごーごー。


「いいよなあお前はー!」

「だからよー元気はよー!」

「ああもう! 今度聞きますから!」


 うーわ、なんて絵に描いたような酔っ払いですか……松葉先輩大変そう……やっぱり近寄らない方が……。


「いい加減に気付けって言ってんの俺は!」

「そうだそうだー!」


 はて、何のお話をしているのでしょうか。


「いいからさっさと乗れよお前ら」

「ちょっと待てってー」

「そーだ! これだけは言わせろ!」

「じゃあそれ聞いたらタクシー乗ってくださいね。これ以上駄々こねると俺権限でふじのや出禁にするっすよー?」

「おう上等だ! とにかく聞け!」

「耳かっぽじって聞けよー!」


 耳かっぽじってとか超久しぶりに聞きましたよ。で、何を言うんでしょうね? なんだか興味が湧いて来たのでもう少し接近……。


「夏菜ちゃんは、お前にホレてんだって!」


 はいブレーキ私ブレーキ超ブレーキウルトラ頑張って私はいストップグッジョブ小春。


「はあ?」

「ほんとだって!」

「それなのにお前と来たら小春ちゃんとイチャついてよー!」

「お悩み相談みたいなものだったんすけどねーあれ。で、話はそれだけっすね?」


 おお、超冷静。松葉先輩的には結構衝撃的な事言われてたと思うんですけど?


「おうそれだけだ!」

「それだけだ!」

「はい聞きました。って事で乗ってくださいねー。あーほら、危ないからゆっくりで」


 凄い、まるで動揺していない。酔っ払いの戯言だから聞き流してる、とか?


「よしっ、封印完了っと」

「悪いな元気」

「お安い御用っすよー。ただし、次からは気を付けてくださいね。店に迷惑掛けたらマジで出禁もあり得ますから」

「わーってるよ。その……夏菜ちゃんがどうって話も聞き流してくれや」

「わかってますよー。いつものヤツですからねー」

「いーや聞き流すな!」

「そうだそうだー!」

「もういい加減にしろてめーら! じゃあおやすみ元気。大将と女将さんには次来た時に謝るからよ」

「うーっす! 気を付けて! またのお越しをー!」


 いつも通りの溌剌した声に見送られ、酔っ払い三人を乗せたタクシーは去っていった。松葉先輩はもちろんですけど、運転手さんも大分割りを食ってますよね……今夜は美味しい物でも食べてください。


「ふーっ……」


 体力自慢の松葉先輩でも酔っ払いの相手となると無傷とはいかないのか、大きな溜息を吐き出してグッタリしている。顛末を見届けたとはいえ、一応声を掛けましょう。もう隠れる必要もないやと小走りで近付こうとして。


「知ってるよ、そんな事」


 底冷えするような声音に、足を止められた。


「お? どしたのねこちゃん!? もしかして迎えに来てくれたの!? 優しいなあ! 美優にも見習って欲しいくらいだわ!」


 さっき感じた冷たさは立ち消え、いつもの松葉元気先輩がそこにいた。その温度差に目眩がする。


「え? あ? は、はい……」

「ちょうど今タクシー行ったから! 戻ろ戻ろ! 変に動いたから腹減ったなー! なんか作ってもらうかー!」


 軽やかな足取りで店内へ消えて行く背中を、直ぐには追えなかった。


 私は何も知らない。何もわからない。頭の中で、出過ぎた言葉が浮かんでは消えていくばかり。そんな中で。


「知らないフリより……気付かないフリの方がもっと……」


 この言葉だけは、吐き出せた。


 事情はわかりませんが……松葉先輩。このままでいいんですか? 先輩は一体、どこへ向かっているのですか?

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