猫を被れない猫

 中間テスト二日前。ホームルームを終えたばかり、喧騒止まぬ放課後の廊下を、アホとバカの声が駆け抜ける。


「ほ、ほんとにこはるん? あのこはるんなの?」

「この子が? いやいや嘘だろ。あのちんちくりんなねこちゃんがこんなに」

「ねこって呼ばないでください!」

「ああ本物だわ。このキレ方はねこちゃんだわ」

「だから……!」

「マジか……全然わかんなかった……このあたしが見抜けないなんてーっ!」


 大袈裟にうんうん頷く元気と、悔しそうに頭を抱え蠢く千華。リアクションでさえうるさいのな、お前ら。


 先日はマスクをしていたから尚更だったろうが、仮にマスクを外していたとしても、千華には見抜けなかったのではないだろうか。じーっくり観察するとあの頃の面影が見えなくはないが、それでもだ。それくらい、記憶との齟齬が激しいのだ。


 いつでもニコニコ笑顔。あっちにパタパタこっちにパタパタ。根っこは生真面目なんだけど、なんとも落ち着きのない、ちょっと天然気味なおてんば姫。それが俺らの記憶の中のねこちゃん。


「大袈裟じゃないですかね……」


 そんなねこちゃんがなあ……まさか過ぎるだろうよ……。


「こ、こんなに大きくなって……あたしの目を盗んでこんなに……!」

「マジで久し振りだなー! なんだなんだ、一層可愛くなったじゃんかー!」

「ど、どうも……です……」


 照れているのか気圧されているのか、前のめりな歳上二人への反応は薄い。それどころかマイペースに言葉を並べる二人に困惑しているようにも見える。っていうか元気、この子と背丈変わらねえじゃん。今言ったらキレそうだし自重するかな。


 赤嶺小春ちゃん。小春ちゃんとかこはるんとかねこちゃんなんて愛称で、俺ら全員が可愛がっていた女の子。


 昨日久し振りに会ったぞって話をバカとアホにしたら会いたい会いたい騒ぐもんで、謙之介経由で時間作ってもらったんだ。ん? なんでねこちゃんかって? 赤嶺小春を平仮名に直してみれば直ぐにわかるよ。


「何を気にしてんだか知らんけど、昔みたいにタメ口でいいんだぞ?」

「や……もう子供じゃないですから……」


 確かに、その実り方は子供のそれではないわな。美優には及ばないサイズかもしれないが、まだ発展途上だと考えると胸がああ違う違う。夢が膨らむな。未来は明るいぞお。


「奏太ー? 何考えてんのかなー?」

「いてててて。なんでもねえよ」


 比較対象として出勤してもらった美優に脇腹を抓られた。エスパーか己は。


「言うて俺らもまだ子供だと思うんだけどな」

「それでも……あの頃とは違いますから……私も皆さんも……」


 自分を囲む高校三年生の皆さんを順番に観察するねこちゃんの目は、とても友好的なそれには見えない。あの頃とは違うって言っても、そうも警戒する必要なくね?


「ふーん。ま、なんでもいいけど」

「なんでもいくない!」

「あ? まだいたのか、ちんちくりん国代表のアホパツキンさん」

「元気ほんとあたしに遠慮ないよね!? って、そんなのはどうでもよくて!」


 ボロクソ言われる事に定評のあるアホが、腕を組んでねこちゃんの前に仁王立ち。なんだ、後輩いびりか?


「じーっ……」

「な、なんですか……?」

「……童顔!」

「はい? ど、何?」

「眼鏡!」

「掛けてますけど……」

「ツインテ!」

「昔からですけど……」

「そしてこの……乳!」

「ほわっ!?」


 あ! あのアホ! ねこちゃんの胸掴みやがった! 制服越しにグニグニしてやがる! おいこら何やってんだ! 死ぬほど羨ましいぞそこ代われ!


「ロリ顔で! 眼鏡で! ツインテで! 巨乳!? はあ!? こはるん最強かよ!?」

「ど、どこ触ってるんですか!?」

「うるさーい! けしからん! 実にけしからんよ! っていうか! なんであたしの周りはみんな発育いい子ちゃんばっかなんだー! 世の中不公平過ぎない!?」


 妹分の乳を揉みしだきながら、不公平という言葉を体現する側にいるアホが叫ぶ。もうなんなんだよこの絵面は。


「と、とにかく手離してください!」

「うるさいうるさーい! そりゃああたしはめちゃんこ頭良くてスーパーでハイパーでウルトラな医者になる女だし!? 世界一可愛いし!? 羨ましくなんかないんだけどね!? 高一に嫉妬なんて全然してな」

「ほいっ」

「ひんらけろね……」


 あまりにも鬱陶しい千華に業を煮やしたらしい美優が千華の脇腹を軽くくすぐると、途端に千華は崩折れた。


「わ、わきばらやめへ……」

「じゃあ静かにしなさい。嫌がってるのわからない? あんまり聞き分け悪いと本気出しちゃうよ? あたしが満足するまで。それでもいい? 今のはそういうフリなんだよね? どうなの? ほら、ちゃんと答えて?」

「ご、ごべんらしゃいみゆさま」

「ごめんじゃ何もわからないよ? ねえ、あたしにどうして欲しいの? ん?」


 千華の両脇腹に手を添え脅す美優様、超良い笑顔。君、なかなかなドSよね。それにしても千華の脇腹のクソザコっぷりは異常。ちょいと指先でつつくだけでふにゃーんってなっちまうんだもんよ。大変だなあ、明確な弱点があると。


「ご、ごめんね小春ちゃん……千華ちゃん、久し振りに小春ちゃんに会えて浮かれてるみたいで……」

「それにしては恨みがましい視線を向けられているような……」

「そ、そんな事ないよ! だよね、千華ちゃん!?」

「属性強い……乳デカい……ずるい……」

「千華ー?」

「な、なんへもはいれすみゆしゃま」


 相変わらずへたばったままの千華の肩に顎を載せた美優様の手が蠢くと、途端に軟体動物になる千華。何事だよこの光景は。


「よろしい。っていうか、うちに入学してたんならもっと早く言ってよねー謙之介」

「体育祭の後言おうと思ったんだけど元気に邪魔されたんだよ」

「いや、他にもいくらでもチャンスあっただろうが。俺の所為みたいに言うなや」

「いいじゃねえか。こうして顔合わせる機会出来たんだからよ」

「まあいいけどねー」

「っていうか、本当に久し振りだね、小春ちゃん。五年振りくらいじゃないかな?」

「そうなりますね」


 そっか、最後に会ってからそんなになるのか。最後に会った日の事は、今でもよく覚えてる。


「だよね。本当、驚くほど可愛くなったなあ……あの小春ちゃんがなあ」

「おいこら修。それは昔の小春が可愛くなかったって意味で」

「ウザい。マジキモい。黙ってて」

「ぐっ……!」

「シスコン犬自重しろ」

「うるせえぞ元気! 俺はシスコンでも犬でもねえ!」


 そうそう。謙之介のヤツ、ねこちゃんを溺愛するあまり、本人から煙たがられてんだったな。怒らせない程度にねこちゃんの事をみんなで揶揄ってたらマジギレした謙之介が怒鳴り込んで来て大暴れとか、一度や二度どころじゃなかったっけ。その度にねこちゃんがごめんなさいして、謙之介にごめんなさいさせてたっけか。微笑ましくて好きだったわ、あの光景。


「っていうかねこちゃんさ」

「小春ですっ!」

「この前、そこで美優様に辱めを受けているアホとぶつかったよね?」

「は、はい……完全に私の不注意でした……ごめんなさい……深く反省しています……」


 深々と頭を下げる小春ちゃん。いやいや真面目かよ。


「責めてるんじゃなくて、あの時言ってくれれば良かったのにーって話。私、駄犬の妹のねこですって」

「だーかーらー!」

「だーかーらー!」


 おお、兄妹で同じリアクションしとる。


「その、直ぐにみなさんだって気が付いたんですけれど……言い出し辛くて……」

「ふーん」


 言い出し辛かった、ねえ。正直に言ってくれてもいいのに。俺達に会う事そのものが嫌だった。そうなんじゃないの?


 だって、今もイヤイヤ感消えてねえもん。謙之介がオッケーしちゃったから渋々来ました感も全開だし。嫌われたもんだなあ、俺達。っていうか、俺か。


 この五年、俺らがこの子と疎遠だったのって、俺の所為なんだろうし。


「そ、そうら……こはるんさ……」

「何? またセクハラ発言したら」

「ち、違います美優様! そのような事は決して! 一つ質問があるだけですマム!」

「許す。申せ」

「ははっ! この前ぶつかった時の状況的にさ、こはるんってアニ」

「ふんっ!」

「めんふぅ!?」


 シュッと、一陣の風が駆け抜けたと思ったら。


「な、なんのお話ですかー東雲先輩ー? あまり突飛な話はしない方が良いかと思うのですけれど」

「ん!? ほふぅ!?」


 千華の口が塞がっていた。物理的に、ねこちゃんの手によって。いやいや、なんなの今の早業。縮地かな?


「ね、ねこちゃん?」

「その呼び方やめてください。なんですか?」

「なんですかじゃなくて……そのアホが気に食わないのはわかったけど、そろそろ解放してあげないと、ねこちゃん殺人犯になっちゃうよ?」

「だから……はい? 殺人犯? えっと……あ! ご、ごめんなさいっ!」

「ふぎゃ!」


 慌てて解放された千華はそのまま床にキス。お前が横槍入れると面倒になりそうだからしばらくそうしてろ。


「ねえ、奏太」


 床で伸びてるアホにねこちゃん達の意識が向いてる所を狙ってか、修が距離を詰めてきた。わざわざ俺だけに声を掛ける辺り、ねこちゃんの奇行の理由には想像が付いているらしい。


「ん?」

「もしかして」

「もしかするな、多分」

「だよね」


 ねこちゃんが何かを隠そうとしているのは明白。先日のねこちゃんの行動。鞄に詰めていた物。今日のねこちゃんの行動。それらを混ぜ混ぜすると、一つの仮説が形を成す。恐らく、その何かって言うのは……。


「あ、あのっ! 桃瀬先輩!」

「俺?」

「東雲先輩!」

「あぅ」

「それと……山吹先輩……」

「ん?」

「その……えっと……せ、先日の事でお話したい事がありまして……その……良ければこの後、お時間いいですか?」


 奇行を働いたばかりの自分へ集まる視線など御構いなしな妹分から放課後デートのお誘いを受け、俺は思う。


 この兄妹、行動似過ぎでしょ。

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