モテる女と犬と猫
「え、えっとここはね……こうやって……こうすると……」
「あ、ああ……なるほど……ありっ、ありがとござましゅ……」
「どどっ、どっ! どういたまして……」
硬いなんてもんじゃないな二人共。っていうか、今の本当に理解出来たのか? なんか納得してる風だけど。確かめてみようか。
「なあ、ちゃんと理解出来たのか?」
「おうバッチリだ。問題ない」
「あ、ああそう……」
いやいや問題しかないだろう。俺と話す時は淀みないくせに、向かいの女の子と言葉を交わす時のお前は不審者にしか見えないんだぞ。自覚しろと言っても無意味なんだろうけれど。
「露骨過ぎるし……」
「本当に頭に入ってんのかよそれ……」
半ば呆れたような美優と奏太の囁きは、緊張と高揚の板挟みの影響が表に出ているのか、なんとも妙ちきりんな笑顔に多量の汗を貼り付けている謙之介には届いていないらしい。なんだろう、胃の痛みを堪えて働く社畜ソウルを感じるのは。社畜適正高め説あるな。やはり犬か。
中間テスト初日を三日後に控えた放課後。学校から自転車で五分圏内のサイゼに集合というか、呼び出されたというか。
「そ、その……勢い任せに勉強会を提案したら……まさかのオッケーもらえて……け、けど! ふた、二人きりとか無理! 死ぬ! 助けてくれ! 頼むっ!」
って文言に引っ張り出された格好だ。つい数日前にもこんな事があったが、俺達は便利グッズか何かと勘違いされているのではないだろうか。いやまあ、嫌なら来ていないけれど。そもそも。
「あの、あのね? 謙ちゃんとね、お勉強会しようってなったの……なったんだけど……その……えっと……みんなも……」
背の高い幼馴染が発信した、こんなにも控えめなSOSを受信してしまえば、ね。
ああいう話の後だ、どうしたって多少の気不味さは拭えない。それでも距離を置かず、積極的に関わろうとしているのは、とにかく仲良くなりたい。ちゃんと話せるようになりたいという、これ以上ない意思表示だ。それを無下になんて俺達に出来るわけがないわけで。
奏太、俺、謙之介の順にソファ側に腰を下ろし、奏太の向かいに美優、謙之介の向かいに夏菜という席割り。夏菜の隣に座るようそれとなく謙之介に勧めたら泣きそうな顔されたのでこう落ち着いた。
「夏菜、ちょっと休憩しよ。ん」
「うん」
ん、の中に込められていた、ドリンクお代わり行こを読み取った夏菜が美優に続いて席を立つ。二人の背中を追うだけの余裕はないのか、左隣に座る男は大きな溜息を一つ溢すだけだった。
「ふーっ……き、緊張する……」
「俺らも休憩すっか」
「だね。とりあえず謙之介は汗拭こう」
「おう……なんか悪いな……修も奏太も……」
「何が?」
「その……色々……」
「悪いと思うなら俺達挟まなくても目を見て話せるくらいレベルアップしてくれ」
「う……」
「そーそ。つーかアガり過ぎだろ。昔より悪化してねえか、夏菜恐怖症」
「恐怖症とか言うな! っていうか、元気のバカは良いとして、東雲はどうしたんだ? 来るもんだとばかり思ってたわ」
先日の事もあるからだろうか、謙之介的には千華がいた方が良かったのだろう。それは理解出来るんだけど、こういう会だとちょっとね……。
「勉強会するからって言った上であんたは来るなって釘刺しといた」
「いやいや浅葱さん酷くないそれ」
「冗談。勉強会に千華呼んでみなよ。空気重くなってやり辛くなるだけだから」
オレンジジュースを片手に戻った美優が、苦笑を浮かべながら代弁してくれた。
「空気読めないアホなのは知ってるけどよ、そんなに酷いのか?」
「酷い。雰囲気と集中力がガチ過ぎてこっちが引いちゃうの」
「ああ……酷いってそういう……」
「一度やり始めると声掛けても聞こえてないしずっとブツブツ喋ってるし。怖いくらいだよ、あの集中力は」
「そういやただのアホじゃないんだったな……忘れてた……」
千華の体質の事そのものを知っている謙之介だけに、あっさり得心がいったらしい。
いやほんと美優の言う通り、実際怖いよ。異常だもん、勉強時の千華の集中力は。特に医療関係の本捲ってる時なんて声掛けたって聞こえないだろうし、物理的に邪魔しようものなら本気で怒らせてしまうだろうね。いつでも底抜けに明るい千華からは想像出来ないような無表情で分厚い本を捲り、時々付箋を貼ったり書き込んだりを高速でやり続けるあの姿を見たら、そんな無粋な真似を仕出かそうって意欲さえ消え去ると思うけど。
「あいつがいると勉強どころじゃないからな。そのくせいざ休憩になるとアホみてえに騒ぐし。反動かなんかなのかね」
「アホだからだね、うんうん」
「恐るべしアホだな……」
「みんなアホアホ言い過ぎだよ……」
「そうだぞお前ら。良くないぞそう言うの」
遅れて戻った夏菜の呟きを受けての高速手のひら返しに保護者トリオ、イラっ。謙之介、夏菜に手綱握られてる感ないか? やはり謙之介は犬之介か。
「清々しい手のひら返しだな、わんわん之介」
「犬じゃねえから!」
「そーだよ奏太。犬に失礼じゃん」
「お前らほんと遠慮ないのな!」
「デカイ声出さないの。そういや元気は? またおじさんとこ?」
「そうなの! テスト前だから控えた方がいいよって言ったのにっ」
頬を膨らませる夏菜。この反応の速さよ。美優は別に、夏菜に向けて言っていたわけではないのに。
「そうなのか……」
謙之介の表情に差した影に気付くわけもなく、夏菜は続ける。
「そしたら元ちゃん、お仕事終わったら……私に勉強見てもらえば問題ないじゃんって……ま、まったくっ! 元ちゃんってば自分勝手過ぎだよねっ!」
「あーうん……相変わらずだね……」
「ほんとほんと! 全然変わらないんだから……ほんとにもう……元ちゃんは……」
本当、相変わらず情け容赦もないんだから。
「まーた夏菜頼って……しょうもねえなああのバカチビは」
「奏ちゃん言い方! 良くないよ!? みんなバカバカ言うけど、元ちゃんは小学校から一度も赤点取った事ないんだよ! だからそんなにバカじゃないの! 人よりほんのちょっと色々ルーズでおバカなだけなの! ちょっとだけ!」
「夏菜も大概酷いよな……」
「な、何が?」
「なんでもねー。つーか、テストを目前に控えた放課後タイムを四人から強奪した謙之介くん。何か面白い話をしてくださいっていうかしろ。ほれ」
器用なくせに、随分と不器用に優しい事するんだね、奏太。もうちょっと上手く話切り替えられたでしょ。
「雑過ぎて寧ろ清々しいまであるフリだな。面白い話ってもなあ……」
「わ、私も聞きたいな……謙ちゃんの面白い話……」
「面白い話面白い話超面白い話面白い話面白い話みんなが笑顔になる面白い話面白い話面白い話抱腹絶倒間違いなしな面白い話面白い話面白い話……」
「そこまで求めちゃねえから目血走らせんのやめい」
夏菜なりに頑張っての踏み込みなんだろうけど、その追い込み方は鬼の所業だよ。謙之介ショート寸前になっちゃったじゃないか。
「あーっと……面白い話ってか、クラスで話題になってる案件があるんだが……」
「案件とは?」
「それが…………いや、やっぱ違う話にする。ちょい待ち」
「待っても出て来そうじゃねえからそれでいいや。どうぞ」
「って言ってもだな……」
「寧ろ変に予防線張られてるから気になってしょうがない。はよ」
「……じゃあ言うけどよ……」
困ったように彷徨っていた謙之介の視線が、美優に向いた。
「浅葱さ」
「んー?」
「うちのクラスの馬場に告られたってマジ?」
「うわ……」
「や、何こいつマジないわ、みたいなリアクションやめてくれない?」
そう言われても、美優の目は細められたままである。
「それが面白い話の第一候補として浮かぶあんたの頭どうなってんの?」
「難しいフリを俺にした奏太が悪いんだよ」
「すげぇ無理矢理な責任転嫁だな……っていうかその話知らね。マジなの?」
「……マジだけど……」
「ふーん」
美優のそういう話は散々聞いてきたからか、興味無さげに答えながらスマホを弄る奏太。美優の不機嫌メーター上昇の気配、ちゃんと汲み取れているか?
美優の機嫌を損ねるという後々面倒そうな代償と引き換えではあるが、先日の部活棟裏のBくんの正体が、五組の馬場くんであったと判明した。
顔見知り程度の間柄でしかないと前置きをしておくが。
バスケ部所属、高身長のイケメン。少々抜けている所有り。若干のナルシスト。お調子者なようで、典型的な体育会系の熱血漢。女子人気も高く、男子からの人望も厚い人気者。これくらいは既知している。要するに馬場くんは、学校内カーストの最上階クラスに位置しているって事。
高校は言わずもがな、中学時代、なんなら小学生時代からモテにモテた美優だから、誰かに告白された、しかもフったって言われても今更驚かないけれど、謙之介のクラスメイト達にはその限りではなかったらしいな。
っていうか、先日誰かさんに告白して玉砕して、剰えその本人を目の前にしているのにこんな話題を広げられる謙之介、斜め上な方向にメンタル突き抜けてるよなあと変に感心してしまう。告白された側も何それ知らない知らないってばかりにキョロキョロしてるし。さては俺の周り、変な人しかいないな?
「うちのクラスのヤツらが騒いでたぞ。まさか馬場が断られるなんてーってさ」
「別に……よく知らない人だし……っていうか、体育会系っていうか熱血系っていうか、あの人ってそういうタイプの人だよね?」
「気合いだなんだって二言目には言うヤツではあるな。この前の体育祭でも先頭立って大声出しまくってたし」
「そういう暑苦しい人無理。鬱陶しくて」
「そうなのか……けどお前、スポーツ好きじゃなかったっけ? それこそ昔なんて、毎日のように俺達の練習を……」
別に、誰が何を言ったわけでも、足を蹴飛ばしたりしたわけでもないのに、後に続く言葉を飲み込んでしまった。これは謙之介の気遣いか。それとも、誰かに気を使わせまいとしたものか。
「あーっと……あれ。あれよ」
微かに生じた不自然な間を繕ったのは、話題の中心、美優。
「スポーツそのものは見るのもやるのも好きなんだけど、体育会系のノリっていうか、暑苦しいのが嫌い。息苦しいんだよね。お前も一緒に熱くなれーみたいなノリ押し付けられるのとかマジ無理。スポーツに何を賭けるかも何を目的にするかも自分次第でいいじゃん。気合い気合いうるさい人も無理。気合いでなんでもどうにかなると思うなら毎日滝行でもしてればって思っちゃう」
すらすらと並べられた言葉から、嘘の香りは漂わない。実際美優は、そういうタイプを見ると一歩引いてしまう所がある。ダウナーな所あるし、その手の人とは波長が合わないのかな。そう思うと、元気と人一倍仲良しなのは奇跡みたいなものなのかな。元気も熱いヤツだからなあ……。
「お、おお……馬場も難儀なヤツを」
「何かなー謙之介くーん?」
「いえ、何も」
「で? クラスで話題って、悪い方向にでしょ? 違う?」
「や、それは」
「濁さなくていいよ。想像付くし」
「……大体そんな感じだな……」
「だよねー」
オレンジが満ちたグラスの中の氷をストローで遊ばせる姿からは、苦々しいものなど何も匂わず。いつも通りの気怠げな笑顔が浮かんでいるばかり。本当に、慣れてしまっているのだろう。
恐らくではあるが。
お高くとまっちゃってさ、何様なの。ほんとウザいわー。ちょっと顔がいいからって調子乗んないでよ。馬場くんの気持ち考えなよ。マジあり得ないわ。
スパッとお断りをした結果、こんな具合の陰口が飛び交っている事かと予想される。
仮にもしも、色好い返事をしていたのならば。
なんでオッケーしてんの、マジあり得ない。いろんな男フっといて今更? 結局顔が良ければなんでもいいんでしょ。
こんな具合になるのではないだろうかと推察出来る。
どう返事をしたとしても、波風が立つのは避けられない。それを美優は理解している。事実、有る事無い事を何度となく言われてきているから。その当事者に俺達が文句の一つでもと鼻息を荒くすると、美優は言うのだ。
「放っておけばいいよ。赤の他人にどう思われてるかなんて気にするだけ時間と気力の無駄だし」
やっぱり、気怠げな笑顔で。
多少の悪口陰口など意に介さない。一切気にならないなんて事はないけれど、何の痼りも残さずスルーが出来る。当事者にだって裏のない笑顔を向け、ウイットに富んだ会話の一つくらいさらっとしてみせる。
幾年も好奇の目に晒され続け、安寧を得る為に身に付けたというか、身に付いてしまったスルースキルと言う名の処世術は、ちょっとやそっとで牙城を崩される事はないのだろうな。その辺り突き抜けている元気と千華から影響も受けている事だろうし、もはや鉄壁まであるのでは。
正直、慣れちゃいけない、慣れて欲しい事ではないんだけどね。
「気にならないのか?」
「大きな声で陰口言う困ったちゃんも結構いるから意識してなくても耳に入ってくるし、今更ね。なんだっけ、大学生の飲みサーに自分から顔出して夜な夜な男取っ替え引っ換えしてそうとか金持ちの彼氏三人くらい作って豪遊してそうとかナンパされるの期待してナイトプールに毎晩通ってそうとか社会人と夜な夜な密会して体張った営業してそうとか隠れてグラビアやったりして小遣い稼いでそうとかってのは聞いた覚えあるよ」
「ひ、酷い! 美優ちゃんはそんな事する子じゃないのにっ!」
「ああ! 許せないな!」
言ってしまえば自分アピールの部類に入るのだろうけれど、立ち上がって吠える夏菜に追従するように立ち上がった謙之介は、ただの忠犬にしか見えなくて困る。
「あー落ち着いてよ夏菜。ついでにタマも。間違えた、ポチも」
「落ち着けないよ!」
「落ち着いてるっつの! つーかタマでもポチでも酷くない!?」
「その子達はちょっとあたしが気に食わないだけで、内々であーだこーだ適当言ってるだけだから。本気で言ってるわけじゃないよ。多分ね」
「本気とか本気じゃないとかどうでもよくて、美優ちゃんがそんな風に言われてるってだけでやなの! 確かに美優ちゃんは夜更かしし過ぎは体に悪いからって言っても徹夜でゲームやってたりするし、何かあると直ぐに看板娘看板娘って揶揄ってくるし、私が甘いもの食べてる横でそれのカロリーはどれくらいでーとか空気読めない事言ったりしてくる意地悪さんだけど!」
「意地悪て」
「美優ちゃんは絶対そんな事しないもん!」
「あたしは怒ってないんだけどなー」
「美優ちゃんは我慢とか無視とか出来る子かもしれないけど、私は聞き流せないもん!」
「そっか……ありがと。夏菜のそういう優しいとこ、大好き」
「優しいとかじゃないよ……私が嫌だってだけだから……」
頬杖を付き微笑む美優が見つめる夏菜の横顔には、暗澹とした色が浮かんでいる。それが優しさじゃなかったら一体なんなんだろうと、俺は思うのだが。
「相変わらず真面目ちゃんで潔癖ちゃんだねー夏菜は。昔からちっとも変わんない」
「そ、そうかな……」
「そうだよ。まあ大丈夫。本気でそういう事言ってる人見つけたらあたしも黙ってないし、その時は夏菜の事頼るから。そうだなあ……ふじのやでタダ働きさせて根性叩き直すとかどう?」
「え? お、おじいちゃんとおばあちゃん、いいよって言ってくれるかな……帰ったら聞いてみるね」
「はーもう! そういうとこが可愛いんだよ夏菜はー!」
「ぅえ!? ちょっと美優ちゃん!?」
冗談の通じない素直ちゃん、夏菜の胸元目掛けて飛び込む美優。頭擦り付けながらチラチラと向かいに座る謙之介に目をやっているのは一体何アピールなんだろうか。
「やーっぱ夏菜はスタイルいいなあーうりうりーっ」
「こ、こらっ! 美優ちゃんってば!」
「その辺にしとけ。泣くぞ。謙之介が」
「俺の名前出すなよ奏太!」
「や、気使うのめんどいし、ネタにしていこうかなって。ダメか?」
「悪魔かお前は! ダメに決まってんだろ! 俺だってまだ諦めたわけじゃ……あ……」
「う……」
当事者二人の視線がぶつかり、即座に逸らされる。二人とも、顔赤過ぎ。
「せんせー謙之介くんが空気悪くするー」
「お、お前なあ……!」
「まあまあ、そう怒んなって。夏菜が小四の頃にやらかした超恥ずかしエピソード教えてやっから」
「四年生? 四年生の頃……あっ! ダメ! 絶対言ったらダメだからね奏ちゃん!」
「言ったらどうする?」
「えっと……え、えっと……お、怒る!」
「あーん! 夏菜可愛いー! 流石は今でも注射には付き添い必須な」
「どさくさに紛れて美優ちゃんも余計な事言わないっ!」
「ふにゅ……」
夏菜を中心にわちゃわちゃし始めるみんなを横目に、俺は密かに安堵していた。
「く、う……夏菜がおっぱいで……あたしを殺そうと……ふご……」
美優が、歯を見せて笑っていたから。
本当に辛い時や苦しい時、美優はこの笑顔が出来ない。元気に千華に夏菜なんかはわかりやすいけど、美優の感情の起伏はキャッチし辛いから、些細な変化やサインを見逃さないよう心掛けた結果、なんとなくわかるようになってしまったんだ。何かを邪推するだけ無意味だったのかもしれないけど、なんか安心出来た。いつも通りな美優だって。謙之介がネタ振った時はヒヤッとしたけど。昨日の出来事があったから尚更ね。
「何よ、修」
「俺がどうかした?」
「ニヤニヤしてる。なんかムカつく」
「相変わらず理不尽だね」
「笑ってるんじゃなくてニヤニヤしてるからムカつくって言ってるの。もしかして修も夏菜のおっぱい堪能したいの?」
「ちょ、ちょっと美優ちゃんっ!」
「それは俺の隣のヤツに」
「お前まで俺に振るなよ! ああそうだよ! 超羨ましいよチクショー!」
「け、謙ちゃんまで何言ってるの!?」
「男なら誰だって羨ましいと思うもんなんですよ! そうだろ修!?」
「決め付けは良くないな」
「このムッツリめ! 自分に正直になれよ! つーか修だって変わんないだろ!」
「どういう事?」
「すっとぼけんな! 大体……!」
おい。おいおい。一体何を言うつもりだ?
「お前だって」
やめろよ? 要らない事言わないでくれよ? 頼むから。な?
「きょ」
「あのっ!」
「おわっ!?」
妙にカッカする謙之介を黙らせた一声は、俺達の誰かが発した物ではなく、通路側、夏菜の背後にて肩を怒らせている女の子が発した物だった。あまりに騒々しい俺達に業を煮やしたらしいその人は、美優と夏菜と同じ川ノ宮高校の制服に身を包んでいた。高めの位置で結われたツインテールがゆらゆらと揺れ……ん? あれ?
「あの、静かにしてもらってもいいですか? あなた達物凄くうるさいです。もっと周りの迷惑とか考えて……あっ……」
苛立ちの滲んだ言葉が不自然に途切れた。スクエア型の眼鏡の向こうの瞳を大きく見開き硬直していらっしゃるご様子だが、こっちもそれどころではない。
「あの時の!」
立ち上がり、件の女の子を指差す奏太。指を刺された側は居心地悪そうに視線を彷徨わせている。
間違いない。つい先日、今日みたいに謙之介に呼び出されたミューズ川崎の中で千華と衝突したあの女の子だ。絶対そうだ。まさかまさか、うちの生徒だったとは。
「ああ、騒がしくてすいま……って、なんだ、お前か」
お前? 謙之介くん、随分と親しそうだね?
「あ、や……」
「なんだ、一人か?」
「う、ううん……友達と……」
「そっか。ん? そこの男二人、変なツラしてどうした?」
「や、その子……」
「謙之介の友達?」
「は?」
「いや、親しそうだから……」
「いやいや良く見ろよ。って、どこ行くんだお前は」
「や、その、えっと……」
「久し振りだろ? 挨拶くらいしとけよ、小春」
「……小春?」
「……小春?」
「……小春?」
「……小春?」
小春と、見るからに狼狽するその女の子を指し、謙之介は言った。その名前には聞き覚えがある。俺だけじゃなく、確実に全員が。
俺に奏太に元気に謙之介。俺達がまだ同じユニフォームを着ていた頃、頻繁に練習を見学しに来ていた美優と夏菜と千華。その三人にくっ付いて回る、一際声の大きい歳下の女の子がいた。
生真面目ってくらいしっかりした子なんだけど、ちょっとお説教臭い所があったっけ。そんなキャラなのにおっちょこちょいというか、抜けている所があって、俺達にお説教する姿はいつでも迫力なんて皆無で、ひたすらに可愛らしいものだった。
ああそれと、目を弓なりにして作る笑顔がね、凄く可愛いいんだ。良く覚えてるよ。
そんな面白い女の子がニコニコしながら俺達の後をトタトタと付いて回る姿は実に愛らしくて。それこそ本当の妹みたいに、俺達全員で可愛がっていたっけ。
ある日を境に疎遠になってしまったけれど、あの可愛らしい女の子を、俺達が忘れられるわけもない。
「まさか……小春ちゃん?」
「うっそ……」
「でも……私達の知ってる小春ちゃんはもっと……」
「あー、大分雰囲気変わったもんなーこいつ。言われなきゃなかなかわかんないかもな。昔は眼鏡も掛けてなかったし」
謙之介の言う通り、本当にわからなかった。千華の目でも見破れなくとも無理はない。それほどまでに、俺達の記憶の中の姿から掛け離れてしまっているんだから。夏菜の急激な身長増加と同等、もしくはそれ以上のインパクトだぞ、この事態は。
「マジか……あのねこちゃんがこんなに育つなんてな……」
「ね、猫って呼ばないでください奏太く……や、山吹先輩……!」
うわなんだ、山吹先輩って。似合わなすぎるフレーズだ。っていうか奏太、どこ見て育ったとか言ってんの? セクハラだよ?
「ああねこちゃんだわ、間違いないわ」
「だからその呼び方やめてください!」
胡乱なあだ名に噛み付く姿に、ようやくあの頃の面影が重なった。そうそう、ねこちゃんって呼ばれるのが嫌いだったね。よくよく奏太や元気や美優に揶揄われては謙之介に報告してたっけ。みんながねこって呼ぶーって。
「まあまあ、とりあえず挨拶くらいしとけよ。ほれ」
「え? う、うん……じゃあ……」
兄、謙之介に窘められ居住まいを正して。
「えっと……お久し振りです。赤嶺小春です。兄がいつもお世話になってます」
数年振りの再会となった赤嶺小春ちゃんは、ぺこりと頭を下げた。
「あ、あはは……」
困ったように、苦笑いを浮かべながら。
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