優しい枷

「修ー。カラオケ行こー?」

「行こうぜ行こうぜー」

「ごめん、今日は勘弁」

「えー?」

「修来てくれないのー?」

「試験対策しなきゃだからね」

「真面目かよー」

「かよかよー」

「その為の部活休止期間なんだから。みんなも疎かにしたらマズいんじゃないの?」

「世知辛い現実を突き付けるのやめてよ修くーん」

「あたしは諦めてるもーん」

「俺は諦めてないの。試験終わったら行こうよ、打ち上げも兼ねて。それまではごめんって事で」

「うーん、しゃーなし」

「じゃあ試験終わったら行こうね!」

「それでいいよ」

「じゃあ今日はあたしらだけで行くかー!」

「行くかー! じゃあねー!」

「ほどほどにね」

「あーい!」


 浮かれているなあ。全ての部活動が活動停止となるこういう時でないとカレンダーの擦り合わせが難しい人がいるのも事実だし、わからないでもないけど。


 月曜日。土日を挟んでしまったからか、体育祭終了直後から中間考査一週間前に突入という過密日程だからか、結構な盛り上がりをみせた一大イベントの余韻などとうに霧散済み。放課後の教室は緩やかな倦怠感に包まれていた。


 今日よりサッカー部はもちろん、全ての部活動は全休止。職員室にも入室禁止となる。俺達生徒以上に、教職員の方々こそこの過密日程の被害者なのではなかろうかと思う次第。頑張りましょう、お互いに。


「さて……」


 くるりと教室を見渡す。恐らく進路関係の諸々だろうが、六組の担任、やっちゃんに呼び出されている千華。親父さんの所で作業に使う機械のレクチャーをお願いしているらしい元気。ホームルームが終わると同時にふらりと出て行った美優。お気に入りのマンガの新刊まとめ買いに行くんだと宣言していた奏太の四人がいない。帰りは夏菜と……じゃなさそうだな。


「夏菜?」

「修ちゃん……あの……ちょっと寄り道しなきゃだから……先に……」


 謙之介、だろうね。昨日の今日で、本当にアクション起こしたんだな。


「じゃあ先に帰ってるよ」

「うん……じゃあ……」

「ああ」


 小さく手を振り教室を後にした背の高い女の子は、無理矢理な笑顔を貼り付けていた。不安になるのも緊張するのもわかる。何か気の利いた言葉でもと思ったが、あまり出しゃばり過ぎてもいけないか。だから精々祈っておくよ。頑張れ、どっちも。ってね。


「さて……」

「帰んのー?」

「ちょっと寄り道してからね」

「俺も行くー」

「部室にスパイク取りに行くだけなんだけど?」

「じゃあいいやー。じゃなー」

「ああ」


 その場の思い付きじゃない。土曜の練習時、部活休止になる前にスパイクを持ち帰るつもりで見事に忘れてきたのを今思い出しただけだ。


 一年時からの友人に別れを告げ、ノックが必須な職員室にて部室棟とサッカー部室の鍵を借り、部室棟へ向かう。運動部の部室はどれも、校舎に隣接された部室棟にある。部活動をウリの一つにしてるならこれくらいなきゃ格好付かなくね? くらいのノリのお偉いさん達の意向により数年前に建てたんだとやっちゃんが教えてくれた。お陰様で助かってます。


「よし……」


 部室内、桃瀬と書かれたロッカーからスパイクケースを確保。桃瀬なんて名字なんだからピンクのスパイクにしようぜ! なんて悪ノリしてきた面々の意見を全スルーして買った、真っ白なスパイク。軽いし、何よりフィット感がいい、お気に入りだ。とはいえ、二年も履いてるからか流石に痛んできた。夏の大会前に新調しようかな。これの後継モデルなんかいいかも。


「……ん?」


 今、誰かの話し声が聞こえた気がする。当然うちの部室内じゃない。そもそも解錠したのが俺である以上、誰かが棟内にいるはずがない。まさか……心霊の類? ないか。ないよ。ないよね? とりあえず物音を抑え、聞き耳を立ててみる。美優や奏太達が時々やってるバトルロイヤルゲーム染みた事やってるな俺。あの二人、勝手に人の部屋占領しておいて、俺が物音立てると怒るんだよね。聞こえないから静かにしろって。ほんと理不尽。もう慣れっこだけど。


「……かな?」

「そういうのは……」


 耳を澄ますと、何かを問い掛ける男性の声と、落ち着き払った声を出す女性の声が窓の外から聞こえてきた。


「どうしてもダメかな。俺と付き合うの」

「その……ごめんなさい……」


 ああ、そういう……部活動休止中ならここに来る生徒も教師も基本いない。来るのは俺みたいな一部の例外くらいだろうし、込み入った話をするにはうってつけか。


「そっか…………そもそもさ、好きな人っているの?」


 仮説を一つ。女子Aさんへと男子Bくんがアタックしたものの、見事にAさんにフラれてしまった。しかしBくんは諦められない。って事で外堀埋めて圧を掛けていこう。そんな具合だろうか? もしこの仮説が正しかったとしたら、悪手も悪手だと思うんだけど。


「どうかな……っていうか言う必要ある?」


 露骨に不機嫌な声出してるなあAさん。そりゃそうだよね。っていうか、自然に盗み聞きしてる俺ってどうなんだ。用事も済んだし、退散するとしよう。お邪魔にならないようにね。


「怒らないでよ。てっきり、桃瀬か山吹の事が好きなんだとばかり思ってたんだけど。あと、一応松葉も」


 ドアノブに向け伸ばした手が急ブレーキ。その名字を持つ人間が三人出て来るんだから、人違いでも気の所為でも自惚れでも勘違いでもないのだろう。


「なんでそうなるの……あいつらはただの幼馴染だって言ってるじゃん……」


 イライラ増量を隠そうともしな……ん? 幼馴染? その名字の三人と幼馴染? まさか……いや絶対そうだよ。っていうか良く聞けば、この声に聞き覚えがあり過ぎるじゃないか。窓の向こうにいるAさん、苗字がAから始まる子だよ。間違いない。


「本当に? そういう関係じゃないの?」

「そう言ってるでしょ……」

「本当の本当に?」

「そうだってば……同じ団地で育った幼馴染ってだけだって……」

「ふーん…………言っちゃえばみんなは、家族みたいなもんなんだね」


 こっちがハラハラしてしまう言葉の交換の中、その言葉だけ、Aさんは拾わなかった。


「部外者にはよくわかんないけど……なんだろう、まだ諦めなくてもいいのかなって思えてきたよ」

「え、えぇ……?」


 なんでどうして? 何処かにポジティブになれる要素あった?


「だからさ、前向きに考え直してくれると嬉しいな」

「はあ……」

「じゃあ帰るわ。時間取らせちゃってごめんね。あそうだ! 今度うちの試合見に来てよ! カッコいい所見せるから!」

「や、あたしは」

「じゃあまた明日!」

「あーうん……また明日……」


 小気味良く土を蹴る音が遠去かっていく。あのゴリゴリなゴリ押しに加え、気落ちしている感を微塵も感じさせないBくんのメンタルの強さは何事なんだ。少しでいいから謙之介に分けてやって欲しいくらいだ。


「なんなの……一体……」


 ほんとだね。なんというか、お疲れ様。


 Bくんの足音が聞こえなくなると、殆どの音が消え失せた。こうも物音がないと、こっそりここを出ようにも難しくて困る。開き直って堂々と行くか? いやでもなあ……。


「……それ……」


 あの子に発見された場合に降りかかるリスクや災難を洗い出しながら今後の行動を黙考していると。


「呪いの言葉なんだけどな……」


 ちょっと忘れられそうにない呟きを、両耳が拾ってしまった。


「うりゃ」

「っ!?」


 Aさんの言う所をぼんやりと推し量っていたら、ドスっとした、鈍い打撃音らしい何かが部室の壁を揺らした。あまりに唐突だったので、声を殺しきれなかった。


「え? だ、誰? 誰かいるの? ねえちょっと?」


 バレた。無理だ。これは誤魔化せない。


「まあいいか……」


 もう仕方ないやと開き直ろう。息を潜めるのはおしまい。わざとらしく上履きを鳴らして移動し、勢い良く窓を開け放ってやった。


「わ!」

「俺でした」

「修……」


 大きな目をパチパチと瞬くAさんこと、我が校屈指の人気者、浅葱美優。一人静かに教室を出たと思ったらこんな所にいたなんて。


「何してんの? あ、やっぱ言わなくていい。覗き見でしょ。もしかしたら撮影してたとか? 困ったなあ……修が覗き趣味持ってたとか……奏太は巨乳に目がないヤツになっちゃったし……昔のあんた達は可愛かったのに……今じゃこんなに痛キモいヤツになっちゃって……あたし悲しい……」

「飛躍し過ぎでしょ……スパイク取りに来たらたまたまね」

「……どっから聞いてたの?」

「お前なんか消えてしまえって美優がフった辺りから」

「反省してないと見える」

「嘘嘘痛い痛い頬抓るのやめてお願い」

「ったく……」

「てて……ごめん。悪かった」

「いいけどね……はあ……」


 壁に寄り掛かり、溜息を一つ。告白され慣れているだろう美優でもあれほどのゴリ押しは経験がないのか、全身から疲労感が滲み出ている。


「相手、俺が知ってる人?」

「言わないよ?」


 後頭部を壁に預けたまま上を向き、きょとんと首を傾げてみせる。何それ、可愛いじゃん。


「聞かないよ」

「聞いたじゃん」

「触り程度ならいいかなって」

「何、気になるの?」

「気にならない方が無理でしょ」

「そか。なら絶対教えない」

「じゃあいいや」

「そこ突っ込んで来なよー」

「いや無意味でしょ」

「そういうとこ可愛げないねー修は」

「可愛くなくて結構だよ」

「そういうとこは可愛い」

「全然わからない……」

「そういうとこもだよ。でも少しキモい」


 目を細め、悪戯っぽく微笑む美優。一部の男子諸君は、美優が時々みせるこういう表情を指して、小悪魔スマイル、だなんて技名? を付けているそうだ。全然そんな事ないんだけど、常日頃から不機嫌そうに見えるらしい美優だから、笑顔はレアなんだそうな。目まで笑っているとレア度がヤバイらしい。そんな事ないでしょと思えるのは、幼馴染の特権って事なのかな。


 別に不機嫌とかじゃなくて、昔からこういう子だよ、美優は。もっと言えば、特に最近は常時寝不足だったりするだけで。毎晩ゲームやってるかマンガ読んでるかで夜更かししてるからね。美優が結構なゲーマーである事、うちの学校の面々には知れてないんだろうな。


「最後、キモいって言いたかっただけだろ」

「事故でもなんでも修のやった事がマジキモいのは事実じゃん」

「凄い、一切反論出来ないな」

「うん。だから修はキモい。キモ可愛い」

「俺はゆるキャラか何かか」

「キモかろうとなんだろうと可愛いって言われてるうちが華だよ。覚えておくように」

「得てして息の短い宿命だからなあ……」

「そうならないよう全力でキモ可愛いを演じ続けなさい」

「随分と上から来るね」

「そりゃそうでしよ。あたしの方がお姉さんだもん」

「一日だけね」


 わざとらしく胸を張り口角を上げる美優の言う通り。十一月月の半ばに生まれた俺は、その前日に生まれた美優に、なんだか頭が上がらないというか。全然気にする間柄でもないのに、なんか自然と言う事聞いてしまうというか。美優は美優で特に俺には説教臭い所あるし。そういうお姉さんムーブするなら俺達より後に生まれた元気と千華にして欲しいんだけど。まああの二人が黙って説教なんて聞くわけないんだけど。


「たかが一日、されど一日だし」

「誤差みたいなものだと思うんだけど」

「その誤差みたいな数時間に大きな隔たりがある事を理解出来ないから修はまだまだ子供なの」

「そういう無理矢理な論法で纏めようとする美優の方がよっぽど」

「何か言ったー?」

「なんでもないです」

「よろしい。ほら、行こ?」

「ああ」


 窓から部室から部室棟まで全ての施錠をしっかり確認し、ありふれたデザインのスクールカーディガンをお洒落に纏う美優と合流。


「ふふーっ」


 ふわりと揺れる前髪の下の目が妙に鋭いし上目遣いだし、口角も高め。あ、帰り道集られるパターンだ。


「ね、帰り」

「アイス?」

「んー今日はどら焼きかなー」

「仰せのままに」

「あとたい焼きも」

「太るよ?」

「要らん事言わない」

「あてっ」


 軽く脇腹を小突いて、少し前を行く美優。足取りも、口だって軽やかだが、無理がない範囲で貼り付けたものなのだと、即座にわかった。


 きっと、本当に聞かれたくなかったんだろう。先のBくんとのやり取りの、特に終盤の方を。


 呪い。それはつまり……ああいや、そうじゃない。美優の言うそれを憎々しく思っているとかそういう話じゃないんだ。


 『それ』は、言動や行動を縛り、不自由にしてしまう枷なんだ。俺にはわかる。そう感じているのは、美優だけじゃないから。


 ならば。その枷から解き放たれた時。美優はどうしたいのだろう? 俺はどうなるんだろう? あいつらはどうなるんだろう? 一体、何が変われるのだろうか?


「ね」


 両手をカーディガンのポケットに突っ込み歩く美優の声が、放課後の喧騒が遠い渡り廊下に反響した。


「ん?」

「修はさ、このままでいいの?」

「どのまま?」

「このままはこのまま」

「どう答えたらいいのやら」

「思ったままでいいから、ほら」

「……嫌……かな……」


 指すものも、真意だってわからないけど、このままで良くないと思う事ならいくつもあるから、そう答える事にした。


「そっか」


 いやはや、なんて難しい問いだ。俺以外にそんな雑な事聞いたらダメだぞ? 変な子だと思われてしまうだろうから。


「ね」

「今度は何?」

「まだ諦めちゃダメだよ?」

「何の話?」

「何かの話」

「そっか」

「うん。まだ頑張ろ?」

「……ああ……」


 美優も、ね。そうなんだろ?


 帰り道はお互い、妙に口数が少なかった。


 * * *


「私は……甘い物が好きです……よし……誤字はなし……そ、送信っ……!」

「ねえ千華。夏菜は何やってるの?」

「ワンワン之介とラインでお話中。互いの好きな食べ物の話してるみたい」

「そ、そうなんだ……」

「さっきは好きなスポーツトークしてたみたいだよー」

「答えなんてわかりきってるのにな。可愛過ぎかあいつら」

「おーみんなここにいたのかー! なあ何やって」

「お、大きな声出さないで! 今集中してるからっ!」

「いやいや、そういう夏菜の声が」

「いいからっ! 静かにしてっ!」

「は、はい……え? 何事だよ……」


 諦めたつもりはない。まったくない。頑張りたい。頑張るけど。


「えっと……最近は黒糖ロールケーキがお気に入りです……あ……わ、わかるかな……黒糖ロールケーキって言われて……写真も一緒に送った方がいいかな……いつ撮ったっけ……え、えっと……」


 今以上、困らせたくない。


 でも。だって。やっぱり。けど。俺は。


 ああ……いやだいやだ。


 こんなんだから俺は、自分が好きになれないんだ。

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