冷静と平静と情熱と興奮の真ん中くらい
「お前らか……」
まだ熱気の冷めない校庭から離れた水飲み場に、謙ちゃんはいた。こっち側は人が少なくて静かだなあ。
「とりあえず睨むのどうかと思うんだけど」
「昔は可愛かったのにすっかり目付き悪くなっちゃったよねー」
「こ、こんにちは……」
「……何の用だ?」
うわわ……見るからに鬱陶しそうな顔してるよ……。
「あ、謙之介見っけ。行こ」
って言われるまま、千華ちゃんも私も美優ちゃんに付いて来ちゃったけど……何を話すつもりなんだろう?
「や、特にないけど」
「え、ないの!?」
「そ、そうなの……?」
何か用があるから追い掛けたんじゃないの? 美優ちゃん、わざわざ嫌味とか言いに行く子でもないし。何考えてるんだろ?
「浅葱にも移ったんじゃねえの。隣のアホのアホが」
「あーそれはあるかも」
「え!? アホって移るの!? っていうか誰がアホだ誰が!」
「で、もう行っていいか?」
「待った。そういえば聞きたい事あったんだった」
「痴呆始まったか?」
「バカ。今日さ、どうだった?」
「何が?」
「久し振りにあいつらと全力でやり合って」
「……負けて悔しい。それだけだ」
そうなんだ……そうだよね……でもなんというか……その割には……。
「も一つ。大人しく流しとけば良かったのに、どうして賭けに拘ったの?」
「ノリだよノリ」
「それだけ?」
「それだけだ」
「ふーん」
「もういいだろ?」
「素直に言えば良かったのに」
「は?」
「あいつらと全力で張り合いたかった、ってさ」
「何でそうなるんだよ」
「顔」
「は?」
「楽しかったんでしょ?」
そう。私達に声を掛けられた時こそ露骨に鬱陶しそうな表情作ったけど、今の謙ちゃん……笑ってるの。
あの時はそれどころじゃなかったから意識出来なかったけど、改めて振り返ってみると、全力疾走しながら笑ってたなって。謙ちゃんも、元ちゃんも。
そうそう、いつもこんな感じだった。練習後のジュースを賭けて競争したり、リフティング勝負したり。いっつもあの二人はそんな事ばっか。程々にしろよーって、大人達によくよく怒られてたっけ。
今日私達が見た光景は、あの頃、毎日のように見ていた光景そのまんまだったね。
「……そんなんじゃねえよ」
「不器用な謙之介らしいけどさ、男のツンデレとか需要ないよ?」
「バカ言ってんな。ほんと、そんなんじゃねえって」
まだ汗だらけの顔が、また少し柔らかくなったように見えた。
「ならそういう事にしといてあげる」
「何で上からなんだ……」
「とりあえずお疲れ。見てて楽しかったよ」
「嫌味か」
「受け取り方はおまかせで」
「あっそ」
「うんうん! まあ五組も頑張ったけど、このあたしがいる六組に敵うはずな」
「じゃあ行くわ」
「ん」
「聞ーけーよーぉ!」
「うっせえなあ……ああそうだ。多分お前らまだ知らないだろうから言っとくわ。今年からうちの高校に俺のいも」
「いた! あ、謙之介もいるじゃん! おーい!」
「う……喧しいのが来やがった……」
何か言おうとした謙ちゃんを遮る溌剌な声の主が、駆け足で割り込んで来た。
「おう謙之介! また俺に勝てなかった気分はどうだ!?」
「こいつ殴っていいか?」
「いいよー!」
「バレないようにやんなよ」
「だ、ダメだからっ!」
「三発くらいなら大目に見てやるぞ」
「俺達で目隠し作ろうか」
「奏ちゃんも修ちゃんも乗っからないの!」
遅れてやって来た奏ちゃんも、普段こういうのはやんわり止める側の修ちゃんまでノリノリだ。二人も、楽しかったんだね。
「ってそんなのどうでもいいんだよ! 夏菜、喉大丈夫か?」
「え? あーうん、大丈夫。ちょっと痛いけど……あはは……」
「痛めてんじゃねえか。応援頼むとは言ったけどよ、がむしゃらに叫び過ぎなんだよ」
「聞こえてたの?」
「あんだけ叫んでたらそりゃあな」
「そ、そうなんだ……」
聞こえてた……届いてた……やった……!
「もしかして不安だったのか? 俺らが勝てないんじゃないかってよ」
「それは……その……」
「ちゃんと言ったろ? 絶対勝つってよ」
ニッと、歯を見せて笑う元ちゃんにはわからないんだろうなあ。信頼はしてるけど、それでも心配がやめられない、私の気持ちは。
「うん……言った……」
「言う通りになったろ?」
「だね……」
「見ててどうだった!?」
「えと……凄かった……元ちゃん達もクラスのみんなも……」
「だろだろー!? へへ……!」
元ちゃん達ばかり褒められてたけど、その前を走ってたみんなも本当に凄かった。あの状況をひっくり返しちゃったんだもん。
「それにしてもだ、やーっぱ千華を修の前に置いたのは名采配だったな」
「で、でっしょー? あたしの頑張りあってこその」
「あのへっぽこ走法のお陰でドラマティックな展開になったし!」
「うんうん全部あたしのお陰……って! どういう意味だっ!?」
「そのまんまの意味」
「ムーカーツークー!」
「相変わらず元気だなあお前ら……もう行くからな」
「あーっと待て待て!」
「何だよ」
「あの話! 忘れてねえだろうな!?」
「……忘れてねえよ……」
あの話って……ああ、あの賭けの事だ。
「ちょうど俺らしかいねえし、今教えろ」
「……今じゃなきゃダメか?」
「ダメ!」
「せめてお前一人に」
「こいつらだって当事者だろ」
「う……」
見るからに狼狽する謙ちゃん。さっきまでとは違う、変な汗が出ているように見える。
「あーっと……」
「俺達は別に……」
「そういうのは……」
美優ちゃん奏ちゃん修ちゃんの保護者トリオも困った顔してる。謙ちゃんに気を使ってるのかな?
「いやいや、自分から持ち掛けた勝負に負けておいてそれはねーだろ」
「く……ぅ……」
「約束破んのはどうなんだー?」
「う、う……」
「はっきりしろよなー」
「うぅ……!」
「ったく……男らしくねえヤツだなぁ……」
「……だーもうっ! わかった! わかった言うよ!」
私、見逃さなかったよ? 吹っ切れたように大声を上げる謙ちゃんを見て、ニヤッと笑う元ちゃんを。こうやって煽ればこうなるって確信してた顔だ。謙ちゃん、男らしいとからしくないとか、昔からそういうワードに弱かったから……。
「ちょ、ちょっと謙之介」
「待て待て落ち着け」
「元気はああ言ってるけど俺達は」
「俺も男だ! 言い出しっぺの俺が約束反故にするわけにいかねえ! 男らしく言うぞ! ああ言ってやる! 言ってやるとも!」
力強く叫ぶ謙ちゃん。元ちゃん千華ちゃんワクワク、奏ちゃん修ちゃん美優ちゃんアワアワな中。
「し、白藤! いや! 白藤夏菜さん!」
顔を真っ赤にした謙ちゃんが、私を呼んで、私の目を見た。
「は、はひ!?」
「俺……俺……!」
なんだかすっごく真剣な表情をしてるんだけど……な、何が起こるんだろう……。
「その……あの……!」
「け、謙ちゃん? どうし」
「俺っ! 白藤さんの事がずっと好きでした! 俺と付き合ってください!」
「……ふぇ?」
間抜けな声が出ちゃった。だって、だってこんなの……え? えっ?
「あ、あの……謙ちゃん? その」
「色々聞きたい事があるのはわかってます! けどそういう事なんです! 嘘とかじゃないんです! もしも今日のリレーで俺達が勝っていたら修か奏太か浅葱に白藤さんとの仲を取り持つようお願いするつもりでした! だから言えませんでした! 姑息な男だと思われた事でしょう!」
「う……」
「けど本当なんです! 本気なんです!」
「は、はわ……ぁ……」
「返事! もらってもいいですか!?」
へ、返事? 返事っていうのはつまりそういう事であってだから私に求められているのはそういう物であってだから私は謙ちゃんに……どう言えばいいの!?
「えっ……と……げ……」
いけない。また、元ちゃんを頼ろうとしちゃった。そんなのダメ。これは私の事なんだから。声掛けるのも目で訴えるのも態度に滲ませるのもダメ。
謙ちゃんはきっと全部を私だけに伝えてくれたんだから、私だって謙ちゃんだけに伝えなきゃいけない。こんな事初めてだからなんて、言い訳にもならない。
「あ、あの……」
緊張する。驚きが大きいけど、色んな意味での嬉しさもあって、胸のドキドキが収まらない。こういうドキドキは、今まで知らなかった。
「聞かせてください!」
でも。
「……ごめんなさい……」
私には、こういう言葉しか言えません。
「ごめんなさい……」
「……だよな……」
一気に暗くなる謙ちゃんの表情に、胸の中がざわつく。
「え、えっと……」
「頑張って言葉選ぼうとしなくていい。やっぱり優しいな、白藤は」
「そんな……」
違うよ。私みたいなのは、ただの優柔不断って言うんだよ……。
「折角だ。聞かせて欲しいんだけどさ……」
「何かな……?」
「その……俺みたいな姑息で卑怯で器の小さな男は嫌いですか!?」
「うぇ!? け、謙ちゃんは姑息でも卑怯でも器小さくもないよ!?」
急に大きい声出すのやめて!? ビックリしちゃうから! あと敬語も!
「じゃあ教えてください! どういった男性が好みなんですか!?」
「えと……えっと……」
「そ、そうだな! せめて好みのタイプくらいは教えてやれよ! な!?」
ここまで傍観してるだけだった元ちゃんが口を挟んだ。元ちゃんまで慌てているみたいで、こっちも余計に慌てちゃうよ……!
「こ、好み? 好み好み好み好み……」
「やっぱり夏菜さんより身長が高い人でないとダメなんですか!?」
「へ? あの」
「そうなのか!?」
「ふぇ!?」
「夏菜は自分より身長が高いヤツじゃないとダメなのか!?」
「あのあのそのえっと」
「どうなんだ!?」
「あっと、う、うぁ……は、ぃ……」
「そうだったのか……!」
「そう……なんですか……」
元ちゃんが目を丸くして驚いて、謙ちゃんがしゅーんとしちゃって、他のみんなはあちゃーって顔してる。
ど、どうしよう……完全に勢いに負けちゃった……そんな事ないのに……そもそも好みのタイプとか言われてもわかんないし……。
いや! うん! やっぱダメっ! 嘘は良くない! ちゃんとここで否定しておかないと! 間違えましたって言わないと!
「あの、今の」
「そう……ですか……っ……」
え、えっ? えーっ!? 謙ちゃん……泣いて……。
私!? 私の所為だよね!? だとして……どうしよう!? 泣いた事なら何度もあるけど、誰かを泣かしちゃったのなんて初めて! どうすればいいの!?
「ま、待って謙ちゃん! 今のは」
「きょ、今日はもう充分です……というか……心が保たないです……」
重症だー!? どどどどうしよう!?
「その……こんな宣言、迷惑でしかないんだろうけど……」
「な、何?」
「俺……まだ諦めてないから」
「……あの」
「じゃあ……そういう事で!」
「え!? ちょっと!?」
ついさっき散々見せつけてくれた俊足でどっか行っちゃった。まだ言えてない事あるのにー!
「け、謙ちゃん……」
ぴゅーって音を立てて、風が駆け抜けた。夏を先取りしたような暑い日なのに、妙に冷たく感じる。冷えた風に曝される事数十秒。この空気に居ても立っても居られなくなったかのように、元ちゃんが口を開いた。
「大丈夫か?」
「うん……だいじょぶ……」
「……悪かったな……」
「え?」
「こんな事になるとは思ってなくてよ……俺、知らなかったから……謙之介が夏菜をっての……言い訳でしかねぇけどさ……謙之介にも悪い事しちまったし……」
「け、元ちゃんは何も悪くないよ……」
真面目で一本気で男らしい謙ちゃんを傷付けた、私が悪いんだもん。ちゃんと謝らないと。謝って……ん? 謝る? 謝って、どうすればいいんだろう? どうすれば、いつも通りの私と謙ちゃんに戻れるのかな……。
「……とりあえず戻らないか? もう閉会式始まる頃だ」
「そだね……」
「行くか……」
「うん……」
重たい空気に抗って口火を切ってくれた修ちゃんに続いて、みんなが校庭の方に歩き始めた。私も、いつまでもボーッとしてちゃダメだ。行かないと。
「夏菜」
元ちゃんの横を通り過ぎようとしたら、小さな声で名前を呼ばれた。珍しく、覇気のない声だ。
「な、何?」
「こんな時になんだが……この前ふじのやでさ、リレーで勝ったら俺に聞いて欲しい話があるって言ってたろ? それ、俺が忘れないうちに聞かせてくれねぇか?」
ああそうそう。そんな約束してたね。リレー始まってから、頭の中から飛んじゃってたみたい。
「あーうん。えっとね……」
確か私は、今日のリレーで勝ったら元ちゃんに……。
「……あ……!」
「どうした?」
「ひぇ!? え、えっと……その話……なんだけど……」
「ん?」
「……な、なんでもない……かな……」
「なんだそりゃ?」
「上手に言えないんだけど……またいつか言った方がいい……みたいな……」
「よくわからんが、その話は今じゃない方がいいって事か?」
ブンブンと首を縦に降る。これが精一杯。言えない。とてもじゃないけど、今は言えないもん……!
「じゃあ、いつか聞かせてくれよな」
「うん……」
「おう……うし! うーっし! ちゃっちゃとめんどくせー閉会式なんて終わらせて打ち上げしようぜー! 修の部屋で!」
「飛び付くなよ暑苦しい」
「鬱陶しい……」
「照れるなよー!」
少し前を歩く奏ちゃんと修ちゃんの間に飛び込む元ちゃんは、すっかり打ち上げモードに切り替わってる。私は無理。しばらく、考え事がやめられそうにない。
結局、目標は達成出来なかった。クラスに迷惑も掛けちゃった。それに、謙ちゃんを……傷付けちゃった……。
どうすれば良かったんだろう? 間違えてばかりだった私は、もっと何が出来たんだろう?
「おーい夏菜! 早く行こうぜー!」
「は、はい!」
慌てて駆け出したけど、劇的な勝利の余韻と、たらればが止めどなく溢れる思考にサンドイッチされながら動かす足は、異様に重かった。
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