大丈夫!

 うちの高校のクラス対抗リレーは、至ってシンプルなルールだ。


 100メートルのトラックを一周して、次の走者にバトンパス。それをクラスの全員、四十人分。正に総力戦、って感じ。奇をてらった競技が少ないうちの体育祭に於いては、選抜リレーに並んで注目度の高い種目だ。


 一年生も盛り上がってた。二年生だって凄く盛り上がってた。なら、三年生は? 気にしながら入場すると、途端に歓声が上がった。


「凄い盛り上がりだ……」


 なんかこう、ぐわー! って感じの盛り上がり方してる。体育祭って、例年こんなに盛り上がってたっけ?


 次の種目開始を告げる校内放送が響いて、三年一組から六組までの第一走者達がスタートラインの前に立つと、その盛り上がりも更にヒートアップ。こ、こんな空気の中走らなきゃいけないの……?


「夏菜、大丈夫?」

「う、うん……」


 少し前に並んでいた美優ちゃんが、わざわざ声を掛けに来てくれた。私より先に走る美優ちゃんに、緊張の色は見えない。


 うちのクラスのプランは、なるべく前に行け、らしい。誰かが付け足したダビスタ風に言うとって注釈はよくわからなかったけど、常に上位をキープし続けよう、って事らしい。


 それを考慮して、男の子も女の子も足の速い子もそうでもない子も、バランス良く配置。私の出番は前半。足の遅い私をカバーするように、足の速い男の子が後続に配置されている。こんな感じで、何度見返してみても穴のない、凄くいいオーダーが組めたと思う。あとはもう、頑張るだけっ。


「何をそんなに真剣になってるかは聞かない。でも、無茶しちゃダメだよ?」

「……私、何も言ってないよ?」

「顔見ればわかるって。ま、お互いがんばろうね。じゃあお先」


 ぽんぽんと私の肩を叩いて、軽い足取りで自分の場所へと戻って行った。凄いや、なんでもお見通しだ。ありがとう美優ちゃん。少し体が軽くなった気がするよ。


 きっと、一番後ろの方に並んでるみんなにも、いろいろお見通しなんだろうな。


 心配されてるのはわかってる。頼って欲しいと思ってる事も。けどごめんね。これは、私だけの事だから。


 スターターを務める先生がピストルを空に向けて構え、六人の第一走者達が身構える。数拍置いて、良く晴れた五月の空に、乾いた炸裂音が響くと同時に土を蹴って走り出す六人の三年生。全員を送り出すようにそこら中から大きな歓声が上がった。


「おーみんなはええー!」

「がんばれー!」


 どのクラスも一番手に足の速い人を配置したらしく、六人ほとんど横一線。早速ハイレベルな争いになってる。出来れば私の出番までに少しでも差を付けてくれるとありがたいな……。


 そんな願いも虚しく、常に三位が四位かという、中位争いに終始する私達六組。クラスメイト達のがんばれコールがどんどん大きくなる中。


「美優ー!」

「がんばれ美優ー!」

「頼むぞ浅葱ー!」

「美優先輩素敵ですー!」


 美優ちゃんの出番になった。このクラスの女子の中でも屈指のスピードを誇る美優ちゃんに掛かる期待は大きいのか、一際大きな声援がクラスメイトからは勿論、ギャラリーの皆さんからも。美優ちゃん、男の子には勿論女の子にも人気だから。学年関係なくね。


 前の走者が近付くのを見てゆっくり走り出した美優ちゃんの手に、バトンが収まった。途端に急加速。ほぼ同時にバトンを取った隣の男の子と並んでスタートを切った。


「わ! 美優ちゃん速ーい!」


 知ってはいたんだけど、全力で走る美優ちゃんを見るのが久し振り過ぎて純粋に驚いちゃった。隣を走る男の子も結構足速いように見えるのに全然負けてないもん。


「やーっぱやるなああいつ!」

「元ちゃん!」


 キャーキャー叫びながら美優ちゃんを応援してたら、いつの間にか元ちゃんが隣に立っていた。


「美優ー! 抜かれんなよー!」


 元ちゃんの大きな声が聞こえたのか、綺麗なフォームで走る美優ちゃんが、チラリとこっちを見たような気がした。すると、なんだか急に、美優ちゃんの様子がおかしくなった。


「み、美優ちゃん? なんか走り方が……」


 しっかり腕を振って走っていたさっきまでとは全然違うフォームになっちゃった。バトンを持つ右手はそんなに変わってないんだけど、何故か左腕は胸元に固定しているというか。とにかく、まるで動かしていないの。当然、スピードも落ちちゃう。隣を走ってた子にも抜かれちゃった。


「急にどうしちゃったんだろ……あ」


 ああ……わかっちゃった。美優ちゃんが何を気にしてるのか。なんで胸元を腕で抑えているのか。チラチラとこっち……というか、元ちゃんに視線を向けている理由も。


「おいおい見るからにスピード落ちたぞ!? なにやってんだー! しっかりしろー!」


 お前の所為だお前の! 元ちゃんに注がれるクラスメイト達の視線が、そう言っているのがわかった。美優ちゃん、大きいから。全力で走ったらその……アレだから……。


 怒り以上にわかり易く滲む恥ずかしさに耐えながら走りぬいて、ようやく次の走者にバトンを渡し終えた美優ちゃんが戻って来た。


「どうしたんだよ美優!? どこか痛めたのか!? 大丈夫か!?」

「……覚えてなさいよ……」

「は? 覚えてろ? なんの話を」

「元気、黙っとけ」

「お疲れ美優。その……ナイスラン」

「うっさい……」

「いやいやさっきから」

「いいから!」

「ほら、後ろ行くぞ」

「ほんとなんなんだよ!? あー夏菜! 頑張れよー!」


 元ちゃんを止めるべく参上した奏ちゃんと修ちゃんに引き摺られて元ちゃん退場。奏ちゃん修ちゃん、ナイス。


「はあ……意識しちゃった自分が恥ずかしい……ごめんね夏菜……」

「う、ううん……頑張ったね……」

「あと任せたから……」

「うん! 任せてっ!」


 元ちゃんに頑張れって言われて、美優ちゃんにあと任せたって言われたんだ。やるっきゃない! 


 美優ちゃんの次の男子が盛り返し、後続も見事に続いた結果、うちのクラスは三位に浮上。いい流れだ。


「よしっ……!」


 そんないい流れで、私の出番だ。多分というか絶対、前の二人を抜くのは無理。ならせめて抜かれないよう、差を広げられないようにしなきゃ。


「夏菜!」


 普段から仲良くしてくれる女の子がテイクオーバーゾーン前で私を呼んだ。うん、ちゃんと準備してるよ。ゆっくりゆっくり速度を上げて、左手でバトンを……掴んだ!


「ふっ!」


 右手にバトンを持ち替えて、しっかり前を見て、私に出せる全力で手足を動かす。立ち上がりは凄くいい感じ。前を走る男子の背中が少しずつ遠くなっていくのが焦燥感を煽るけど、慌てちゃダメ。全力以上を出すなんて欲張らず、慌てず、私に出せる全力を最後まで継続。これでいいの。


「はあ! はあ! はあっ!」


 息が上がる。美優ちゃんみたいに風を切り裂くようなスピードなんて全然出せていないのに、多分美優ちゃんに負けないくらいもう疲れちゃってる。同じくらいカッコよく走れなくてもいいから、せめてもう少しタフだったらいいのに。こんな、無駄に大きな体なんだから、どこかに予備のエネルギータンクみたいなのがあればいいのに。


 こんな今更な事を考えてられるのは、緊張していない証拠。いい感じだ。


「夏菜ー!」

「頑張ってー!」

「いい感じだぞー!」

「そのままそのままー!」

「行けー! 夏菜行けーっ!」


 不思議だなあ。こんなに騒がしい会場の中でも、あの五人の声だけは鮮明に聞こえる。おかしいよね、こんなの。


「うん……!」


 横見る余裕はないからこれだけに留めて、しっかり前を向く。よしっ、次の走者が私を待ってるのが見えた。あとちょっとだ。最後まで頑張れ、私っ!


「白藤ー! ここここ!」


 はいっ。見えてます。大丈夫です。


 なんとか抜かされずに三位のまま、テイクオーバーゾーンに突入。伸ばされた左手に向けてバトンを伸ばす。もうちょっと……あとちょっと……! よし、届いた!


 と、思ったのに。


「あ!」

「お、おい!」


 コーンって、間抜けな音がした。どこから? 私の手から滑り落ちた、バトンから。


「あ、わ、わわ……!」

「白藤落ち着け! 拾って拾って!」

「は、はい!」


 言われるがままにバトンに飛び付いて、すっかり足を止めちゃった次の男の子に手渡した。


「これっ!」

「ああ!」

「あ、あの! ごめんな……さ……い……」


 最後まで聞いてもらえなかった。まだレース中だから当然だ。私がモタモタしている間に二人に抜かれたみたいで、五位になっちゃった。


「走り終わった人は早くコースから出て!」

「は、はい……」


 スターターを務めていた先生に促され、クラスのみんなが待つ方へ。


「うう……」


 差し出された左手に届いたと思いスピードも、気持ちも緩めてしまった。誰の目から見ても明らかな私のミスだ。まずは謝らないと。もう今となってはそれしか出来ない。でもきっと、みんなが私に失望してる。何してるんだ。余計な事しやがって。本当にトロイヤツだ。そう思っているんだろうなと思うと、怖くて仕方がない。逃げ出したいくらいだ。


「夏菜!」

「修ちゃん……」

「ほら、こっち」


 怖気付いてどこにも踏み出せないでいる私の手を、修ちゃんが掴んだ。


「大丈夫」

「え?」

「大丈夫だから」

「何が大丈夫なの……?」

「何も心配しなくていい。大丈夫だから」


 根拠らしい根拠は何も口にしないで、大丈夫とだけ言ってくれる。なんで? 私の所為でクラスが不利になってるのに。負けたら絶対私の所為なのに。


「おい夏菜!」

「げ、元ちゃん……」


 修ちゃんに引き摺られるように歩いていると、いつの間にか目の前に元ちゃんがいた。元ちゃんを囲むように奏ちゃんに美優ちゃんに千華ちゃんも。


「凄いじゃんか!」

「ふぇ?」

「今日の夏菜、今までで一番速かったんじゃないか!? そうだよな!?」

「そうだな」

「だね」

「うんうん!」

「この前の練習より確実に速かったな」

「な? な!?」


 奏ちゃんも美優ちゃんも千華ちゃんも修ちゃんも。揃いも揃って頷いてる。クラスのみんなも。みんなみんな、怒っているようには見えなかった。


「まあなんだ……バトンは失敗しちまった。それは事実だな」

「……ごめんなさい……」

「けど! そんなのなんでもねえってくらいの走りだったぞ! 言っとくがお世辞じゃねえからな!? 俺がそういうの嫌いなの、よく知ってるだろ?」

「うん……知ってる……」


 褒められるのは大好きだけど、お世辞を言うのも言われるのも大嫌い。昔からそういう子だもんね、元ちゃんは。


「夏菜は充分頑張ったよ。それに、クラスのみんなも充分頑張ってくれてる」

「修ちゃん……」

「この分ならまだまだどうにでも出来るわな」

「奏ちゃん……」

「そうそう! 何も気にする事ないんだよ? なんたってまだ、このあたしが控えてるんだから!」

「千華ちゃん……」

「あんたはクラス屈指の鈍足でしょ」

「い、言うなー!」

「ま、とりあえずお疲れ、夏菜。そんな顔しなくていいよ。あとはみんなに任せよ?」

「美優ちゃん……」


 みんな優しいなあ……昔からこうだ。私が何かヘマしたりポカしたりしても、それぞれの言葉と表情で、私を励ましてくれる。怒ってくれる時だってそう。みんな違う怒り方で、ちゃんと怒ってくれる。


「そもそもさ、何も気にする事ねえんだぞ? なんたってよ」

「うお!?」

「っと」

「俺らがいるんだからよ!」


 両隣に立つ奏ちゃんと修ちゃんを無理矢理屈ませ肩を組んで、元ちゃんはニッと笑った。小さな頃から全然変わらない、勝気な笑顔だ。


「絶対勝つに決まってんだろ! なあ!?」

「ま、なんとかなるだろ」

「ああ、いけるさ」


 元ちゃんに促されて奏ちゃんと修ちゃんが続く。無理矢理言わされているようには、全然見えなかった。


「うん……そうだね……」

「つーかよ、悪い事したと思うのなら下向いたり謝って回る以外に、やるべき事あると思わないか?」

「元ちゃん……」

「ん?」

「……うん……すーっ…………六組ー! 頑張れー! 頑張れー!」

「そうそう! そういうのそういうの!」


 にひーっと歯を見せて、元ちゃんは笑ってくれた。大正解だったみたい。


 そうだ。私にはもう、これくらいしか出来ない。なら少しでも、本当にちょびっとでもいい。力になれると思う事をしなきゃ。


「うん! 頑張れー! みんな頑張れー!」


 こんなに大きな声出したの、久し振りだ。なんか少しだけ気持ちがいい。変なの。


「その調子で応援頼むぞー夏菜!」

「うんっ!」

「ぜってー勝つからなー!」

「が、頑張って!」

「おう!」


 そう言うと、美優ちゃんを除いたみんなは、自分の持ち場へと戻っていった。みんなに背を向けて一生懸命応援を……と思ったんだけど。歓声に混じって聞こえた声が、私の動きを止めた。


「ぜってー負けるわけにいかねえな……!」

「だな」

「ああ」


 元ちゃんと奏ちゃんと修ちゃんの、気合の入った声だ。絶対そう。私が聞き違えるわけがないもん。


 もちろん自分達の為に勝ちたい。謙ちゃんとの賭けもあるかも。けど、それだけじゃない。私にはわかる。


 優しい元ちゃん達には、どうしたって負けたくない理由が、つい数十秒前に出来たんだ。


「聞こえた?」


 隣にいてくれた美優ちゃんも聞こえたのか、私に尋ねてきた。


「うん」

「あいつらに任せとけば大丈夫だよ」

「うんっ」


 ほんと、頼もしくてカッコいい、自慢の幼馴染達だ。


 後はもう、応援するだけだ。


「何そのガチな雰囲気。そんな気張らなくても大丈夫! あたしに任せて!」

「お前はコケなきゃ百点だ。ファイト」

「なんだとー!?」


 ……応援するだけだっ!

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