大きな看板娘の小さな冒険

「いらっしゃいませ。あ、こんばんは」

「二人ね」

「はーい。二名様入りまーす」


 常連のおじさん二人をテーブル席に通して、おしぼりとお水を用意。テーブルはもう拭いた。大丈夫。問題なしっ。


「久し振りに来たら、今日はふじのやの看板娘がいる日だったか!」

「いい日に来たな」

「だな!」

「か、看板娘だなんて……」

「照れる事ねーべ」


 照れてる以上に、私には似合わないって思っちゃって。そういう可愛らしい愛称は、私みたいなデカ女には似合わないもん。こんな事口に出したらまた怒られちゃうから、そう思うだけにしとかないと。


「すっかりエプロン姿が様になったなあ」

「なあなあ、ここ座ってお酌してくれよ! な? な!?」

「えと……そういうのはごめんなさい……」

「つれねえなあ夏菜ちゃーん」

「おいおいやめとけやめとけ!」

「そうそう!」

「夏菜ちゃんに手出そうものならこの店出禁じゃ済まなくなるぞー!」

「大将と女将さんに骨までバラされちまうぞー」

「がははは! ふじのやの次の新メニューは決まりだな!」

「お、おっかない事言わないでくださいっ」

「冗談だっての!」

「そーそ。夏菜ちゃんも、そんなマジな顔しないでくれよなー」

「あ、ははは……あの、ご注文は……」

「生一つともつ煮お願い」

「俺も生。あとなんこつ揚げもー」

「は、はい……お願いしまーす」


 多少はこういう絡まれ方に慣れたつもりだし、冗談だってわかっていても、どうしても身構えちゃう。常連さん、みんないい人なんだけどね。


 ふじのや。私の住む団地から歩いて三分くらいのところにある、私のおじいちゃんとおばあちゃんと、時々お母さんとで切り盛りする和食屋さん。私が産まれるずーっと前から続いているお店なの。昼は定食中心で、夜はお酒とおつまみ中心。常連さんも多くて、仕事帰りのみなさんがよく足を運んでくれている。ご贔屓にしてくださってありがとうございますありがとうございます。


 このお店で私は、週に何回かお手伝いをしているの。今日は私のお母さんが所用で出かけているから、その代打。


 お料理の修行にもなるし、人と話すのも、目を合わせるのだって苦手な私には、人見知り克服の修行にもなる。願ったり叶ったりだと思うから、積極的にお手伝いするようにしてる。お小遣いも貰えるし。


 ガラガラって音を立てて扉が開いた。土曜日の夜となるとお客さんの入りがいいなあ。もっと回転よくするように頑張らないと!


「いらっしゃいませー。あ!」


 暖簾をくぐって来たのは、新規のお客さんと言えばお客さんなんだけど、ちょっと特殊なお客さんだった。


「おう夏菜! 今日来てたのか!」


 私の幼馴染。元ちゃんだった。お仕事終わってそのまま来たのか、大きな鞄を肩に掛けている。


「うん。元ちゃん一人?」

「まだ細かい作業してるみたいだし、今日は俺だけだな」

「そうなんだ。座って座って!」

「さんきゅ。えーっと今日は何食うかなーっと……あ……やっちまった……」

「その顔は……お財布?」

「事務所に置いてきちまった。親父に回収しといてもらうかー」

「まったく……いつも言ってるでしょ? 忘れ物してないかちゃんとチェックしてから事務所を」

「わーかったわかった! 悪かったよ! 次から気を付けるから小言は無しで頼む!」

「頼まれてもダメ! 元ちゃんのわかったがわかってた事なんてないし、次から気を付けるって言って気を付けた事ないもん! だからこれからは」

「なあじーちゃんばーちゃんよ! 俺も手伝うから終わったら」

「好きなもん食わせてやるから静かに手伝っとくれ」

「皿割るんじゃないよ」

「おうよ! さあやるぞー!」

「ちょっと元ちゃん! まだ話は」

「後で聞くって! お! いらっしゃいませー! そっちの席にお願いしまーす! 新規さん三名ねー!」


 まったく……私がお説教しようとするといつもこうして逃げちゃうんだから。おじいちゃんとおばあちゃんも、せめて私が話し終わるまで待っててくれたらいいのにっ。


「相変わらずの夫婦漫才っぷりだなー夏菜ちゃんと元気は」

「め!? めおっ!?」


 な、何を言っているんですかお客さんっ! わた、私と元ちゃんはそんな……でもでもっ。その……いい響きだと思うというか……憧れて……ます……あぅ……。


「そんなんじゃないっすよー。次は何飲みます? 同じでいい?」

「はぐらかすなって元気よぉ」

「売り上げに超貢献してくれたら突っ込んだ話しますって事で。それまで何も言わないっすよー俺は」

「言ったな!?」

「この店から酒がなくなっても文句は聞かねえからな!」

「ええええ、好きなだけやっちゃってください。今のうちに財布預かっときましょか?」

「ちゃっかりしてんなあこのガキ!」

「元気も飲め飲め! 払いは気にすんな!」

「成人したらその財布空になるまで飲ませてもらうんで、それまでお預けって事で一つ。ばーちゃーん! 生二つねー!」


 いやはや凄いなあ……今日みたいに時々手伝ってくれる事が年に何回かあるくらいなのに、どうしてこんなに手慣れてるというか、いくら顔見知りとは言え、どうして普通にお話出来るんだろう。誰とでも仲良くなれちゃう元ちゃんらしいといえばそれまでなんだけど……やっぱ凄いなあ。誰にだって出来る事じゃないと思うもん。


「ほら! ボーッとしてないで皿下げる!」

「は、はい! あれ? 私の方が先輩……」

「夏菜!」

「わかってますっ!」


 私の上司か先輩かくらい上からな元ちゃんとお店と厨房を行ったり来たりを繰り返す事、二時間と少し。あっという間に夜十時。私と元ちゃんは、お仕事おしまいの時間だ。


「うし、終わりっ! あー腹減ったー!」


 確か元ちゃん、今朝七時からおじさんの所でお仕事してたと思うんだけど、一度も疲れたって言ってない。本当にタフだなあ。


「おじいちゃん、これいいの?」

「お前さん達のだ」

「ありがと。えーっと……よしっ」


 おじいちゃんが気を利かせて、おかずを仕込んでおいてくれた。お客さんの注文を捌きながら、元ちゃん大満足間違いなしなラインナップを用意してくれるなんて手際がいいとかってレベルの話じゃないよね。こういう所も勉強させてもらわないと。


「はい元ちゃん」

「さんきゅ! おーやっぱこれこれ!」


 お昼のメニューにも載せていない、ご飯お味噌汁揚げ物お魚お惣菜あれもこれもてんこ盛りな元ちゃん用定食と、元ちゃんセットよりご飯と揚げ物の分量をかなり減らしてお野菜系を増やした私専用定食を用意して、元ちゃんの向かいに座る。まだお客さんがいるとはいえ、こうして二人だけで一つのテーブルを囲むのは随分久し振りだし……ちょっと緊張しちゃう……。


「もっと食わなくていいのか? 俺のより全然少ないじゃんか」

「来る前に少し食べて来たから」

「んかんか。食おうぜ。いただきまーす!」

「いただきます」


 しっかり手を合わせていただきます。周りのお客さん達が私達を見てヒソヒソ言ってるの、気の所為じゃないよね……なんか恥ずかしいなあ……。


「やっぱうめぇなあ……ここで食うメシがお袋のメシと並んで最強だ……」

「うんうんっ」

「だよなあ……ああもう、何食っても美味いわ……染みる……」

「元ちゃん、仕事帰りのサラリーマンさんみたいな事言ってるね」

「おっさん扱いすんな。いや、まあ……ほんと少しだけど、気持ちがわかるようになってきてはいるけど……」

「おじさんの所で働き始めたから?」

「それはあるなー」

「そうなんだ」


 元ちゃんのお父さんは、大工さんで社長さん。元ちゃんは毎週末、時々平日も、お父さんが経営する工務店さんで荷揚げとか荷降ろしとかの手伝いをしているの。ほとんど雑用みたいなもんだとは元ちゃん本人の談。最近は若い大工さんの数が減ってるから貴重な戦力になってるというのも元ちゃん談。


 実際いい働きをしているって、元ちゃんのお父さんが遠回しに教えてくれた事があったっけ。よくバカだアホだと言われる元ちゃんだけど、こういう覚えは凄く早いんだから。元ちゃん凄いんだからっ。


「それによーここにいると超実感出来ねえか? 大人って大変だよなあって」

「そう?」

「例えばほら、さっきのおっちゃん達。俺と夏菜が夫婦漫才でどうとか言ってたあの人達だよ。あの人達さあ……おい夏菜? 聞いてっか?」

「う、うんうん! 聞いてる聞いてるっ!」


 びっくりしたぁ……私と元ちゃんが……め、夫婦とか……言い出すんだもん……後ろに漫才って付いたけど、びっくりしちゃうのはしちゃうもん……。


「ほら、店の酒すっからかんにしてやるって息巻いてたのにさ、明日も仕事だからって帰っちゃったじゃんか?  明日日曜だってのになあ」

「そういえば……」

「それ言い出したらじいちゃんばあちゃんもだけどさ」

「確かに……」

「やっぱ楽じゃねえんだろうなあ、大人ってのはさ」

「だね……」

「……そういやあんまこういう話した事なかったけどよ、夏菜は将来どうしたいんだ?」

「将来?」

「夢というか、目標みたいな?」


 確かに。こんな話するの、もう何年振りかな。昔はそれこそ毎日のようにそんな話をしてた気がするのに。大きくなっちゃうと、そういう話するのってなんか恥ずかしいし、難しくなっちゃうよね。


「うーんと……えーっと……先に元ちゃんの教えて?」

「なんで?」

「あんまりまとまってないから……元ちゃんが言い終わるまでに考えとくから」

「んかんか」

「それで、元ちゃんは何かあるの? 夢とか目標みたいなの」

「大工!」


 即答だ。昔なら迷わずサッカー選手って言ってた場面なんだけどなあ。


「おじさんの所継ぐの?」

「いや、親父の跡継ぐとかそういうのはそんなに考えなくてよ、単純に楽しいからこの先もやりてえなって。そりゃ親父の力になれたら言うことねえけどな」

「どう楽しいの?」

「なんつーのかな……何もない所から何かを作るあの感じがさ、すっげぇ好きなんだ。すげぇ! かっけぇ! ってさ、ガキの頃からずっと思ってたもんよ。今はまだ荷物の積み降ろしや搬入くらいしかさせてもらえねえけどさ、俺もいつかはああなりたいって、最近超思うんだわ……」


 おじさんの仕事場にちょこちょこ付いてって、職人の皆さんに休憩のお茶渡して回ったり、あれは何これは何って聞いて回ったりしてたもんね。楽しい所行こうぜって言う元ちゃんに引っ張られたらおじさんの仕事場でしたって事が日常茶飯事だったっけ。


「じゃあ大学は?」

「行ってる時間が勿体ねぇから行かない。必要な勉強は自分でするつもり。それに、親父やみんなの仕事っぷりを間近で見てた方が技術盗めるしな」

「いろいろ考えてるんだね……」

「まーな! それで、夏菜はどうするんだ?」

「私は……わからないや……」

「ここ継ぐとか?」

「そういう気持ちはあるけど……やっぱりまだわからないよ……」

「んー、ほんとに何もないか? どんな小さな事でもいいんだぞ?」

「えっと……一応ね、高校卒業までに叶えたい目標があるの」

「お? どんなんだ!?」

「その……今はまだ言えないというか……その時じゃないというか……」

「ケチくせーなあ! 教えてくれてもいいじゃんかよー!」

「ま、まだ言うのは無理だから! でもでも、そのうち言うから……必ず……」

「んかんか。なら、夏菜が教えてくれるの待ってるからな! ほれ、冷める前に食っちまおうぜ!」

「うん……」


 もうこの話題は飽きたのか、凄い勢いでご飯を掻き込み始めちゃった。よかった。これ以上追求されたら……困っちゃうから。


 私、決めたの。ヘナチョコなのはもう、終わりにするんだって。先に進むんだって。


 こうして決心出来たのは、千華ちゃんのお陰。


 あと一年もしないうちに、千華ちゃんは遠くに行っちゃう。本当は嫌なんだけど、千華ちゃんが決めた事だから私は応援する。少しでも気持ち良く、何も思い残す事もなく、広い世界に羽ばたいて欲しい。


 だから、千華ちゃんと少しの間のお別れをする前に、ずっと私の背中を押してくれていた千華ちゃんの期待に応えたい。何より、私自身の為に。


 千華ちゃんが旅立つまでに、元ちゃんに伝える。必ず。どんな結果になろうとも。怖がるのは、もうお終いにするの。


 これが、高校三年生、白藤夏菜の目標。こっちも受験も、なんとかするんだからっ。


「なあなあそーいやさ」

「なあに?」

「謙之介から聞いたか? 賭けの中身」

「ううんなんにも。元ちゃんも?」

「おう。もう来週が体育祭本番だってのになーんで何も言ってこないかね。何考えてんだろうなー」

「ね」


 そうなの。もう一週間と少しで体育祭なの。だから最近は体育祭の練習ばっか。入退場の段取り確認したり走ったり走ったり走ったり。多分、成果は出てると思う。前よりも少し、ほんと少しにだけ足が速くなったような気が……するような……。


「このままじゃ賭け事として成立しねえってのによ……まあ俺らが勝ったら罰ゲーム必ずやらせっけど」

「元ちゃん厳しいね」

「厳しくなんてねーって! そもそもあいつが言い出しっぺなんだから当然だろ!」

「そ、そうかなあ……」

「そうそう。言いたい事あるならサクッと言えよなーサクッと。だらしねぇ」

「う……」

「ま、あいつはやると言ったらやるヤツだし、ほんとにまだ何も決まってないだけなんだろうよ。ん? どした?」

「ううん……ちょっと食べ過ぎちゃったかなって……」

「ならそれ食っていいか!?」

「どうぞどうぞ……」

「さんきゅ!」


 ごめん、嘘言っちゃった。元ちゃんの言葉がザクッと刺さって痛かったの。


 でもそうだよね。言いたい事があるなら言わなきゃだよね。十年以上も言えず終いの私なんてだらしないの極みだよね……。


 だからね、そういう弱っちい私自身を脱却したいの、私は。だったら、卒業までとか悠長な事言ってる場合じゃないのでは? なら……ならっ!


「あ、あのね?」

「んー?」

「えと……今度の体育祭のクラス対抗リレーで謙ちゃんのクラスに勝ったらね……元ちゃんに聞いて欲しい事があるの……」

「そうなんか?」

「うん……」


 い、言った! ほんとに言っちゃった! 勢いって凄い! 


 これでもう、後戻り出来なくなっちゃった。けどこれでいい。これくらい追い込まないと、ヘナチョコな私はまた逃げちゃうから。


 この体育祭で、必ず。もしも謙ちゃんのクラスに負けた時は……ううん、負けない。絶対勝つもん。絶対だもん。


「なんかよくわかんねぇけど、しっかりばっちり聞く用意しとくぞ。うちのクラスが勝つに決まってるからな」


 元ちゃんが勝つって言ったんだから、絶対勝つ。


 だから、その時は来る。十年以上溜め込んだものを、元ちゃんにぶつける瞬間が。


「だ……だね……」


 わ……わわわわ……! なんか急に緊張してきた……! まだ本番前なのに! 


「今日の夏菜の顔は随分と忙しいなあ」

「しょ、しょうかにゃ!?」

「夏菜のリアル顔文字検定一級持ちの俺でも判別難しい表情がチラホラあるし。何がどうなってんだー?」

「えと……は、早く食べて帰ろ! 明日も学校だし!」

「明日日曜だぞ?」

「う、うう……」

「なんだ、食い過ぎか? トイレなら早めに」

「そんなんじゃないもんっ!」

「うお!?」

「うぬーっ……!」


 なんか緊張が変な方向に行っちゃってる気がするけど、もう決めた! あとはやり切るだけ!


 決戦は五月初旬の金曜日! それまで特訓だ! 色々と!

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