正直者は賭け事に向かない
「謙之介」
「んあ? なんだ、修か」
「ちょっといいか?」
「ツラ貸せって? おーこわ。一体何をするつもりなんだか」
「いいから」
「わかってるからせっつくな。で、後ろの五人は……まあ勝手に付いてくるんだろうな。いいけどよ。行くか」
「ああ」
三年五組の教室に入るのは、今日が初めて。けど事態が事態だから、ポジティブな感想は出て来なかった。これ以上悪目立ちする前に早く離れた方がいいって思ったくらい。知らない人が多いのは苦手だから……。
修ちゃんというか、私達みんなが会いたかった人の後に付いて行くと、屋上立ち入り禁止の看板が置かれた屋上前の踊り場で足を止めた。
「で、何の用だ?」
「何の用だじゃねえ!」
「そーだそーだ! 何を勝手にヘアーデスマッチ企画しちゃってんの!?」
「相変わらずうるせぇなあバカアホコンビは」
「バカでアホなのは千華だけだ!」
「バカでアホなのは元気だから!」
「なんだとー!?」
「なんだとー!?」
「なんでお前らが小競り合い始めんだよ……」
「元気と千華、マジで黙ってて。ねえ謙之介? どういうつもりなの?」
「どうもこうもねえよ、浅葱。もう知ってんだろ?」
「だからそんなバカな話になった理由を話せって言ってんの」
おっかねえなあと呟きながら壁に背中を預ける、体格の良い同級生。茶色に染まった短髪とつり目が特徴的な、
同じ高校に通い始めるずっと前から縁のある、かなり長い付き合いの男の子なんだけど……どうやら私は好かれていないみたいで、昔からあまり目を合わせてくれない。特別仲が悪いって事もないと思ってるんだけど……私みたいな弱虫は嫌いなのかな……。
「理由も何もねえ。俺らは今年で最期の体育祭だし、何か賭けるかー? なんて話を面白半分にダチとツイッターでしてたらちょっと盛り上がっちまっただけだっつの」
「結局あんたの所為じゃん」
「最後まで聞けって。言っとくが俺はマジで賭け事なんてするつもりなかったからな? 互いにくだらねえ冗談言いながら暇潰ししてただけだ。いいね付けたヤツらももち理解してた。けど、やりとりを見た誰かが勝手に拡散して、気付けば話に尾ひれが付いてたうえに確定事項みたいにされてたって話だ。気が早いにも程があるだろ。つーか、俺らの会話を逐一リツイートしたそのバカの所為だろ、こうも話が広がってんのは」
「そうなのか……」
「まあキッカケが俺であるのは間違いないし、そこは申し訳ないと思ってるよ」
「なあ、その最初に拡散したってヤツは誰なんだ?」
ここまで沈黙を守っていた奏ちゃんが口を開いた。少し遠慮気味に感じるのは、多分気の所為じゃない。
「ちょっと待て……最初にリツイートしたのは……ん?」
「どした?」
「これ、東雲じゃね?」
「ほえ? あたし? うーん……あ! ほんとだ! あたしだ!」
「お前かよ!」
「お前かよ!」
元ちゃんと奏ちゃんのシンクロしたツッコミが校舎に響いた。学校全体に聞こえてそうなくらいのボリュームだ。
「千華……」
「だ、だって! なんか凄い話してるなーって! もう決まってる話なのかなーみんなに報せないとなーって思ったから目に止まるようにしただけだもん! っていうかあれ全部冗談だったの!? 本当だと思ってテンパって一人で大騒ぎしちゃったよ!」
「結果的に盛り上げてんのお前じゃねぇか!」
「アホ!」
「アホ!」
「アホ……」
「あうぅ……」
謙ちゃんの的確なツッコミと、奏ちゃん元ちゃん美優ちゃんのアホアホ攻勢に涙目でちっちゃくなっちゃう千華ちゃん。なんかもう、千華ちゃんらしいとしか言えないや。ついった? っていうのは私はやってないけど、後で見せてもらおう。機械苦手で……。
「まあいい。勝手に盛り上がってる連中には悪いが、全剃り賭けるとかくだらねえし、暴力と変わんねえ。こんな話は無しだ」
「そうだな……」
心底安堵したように肯定して、ようやく修ちゃんは少し笑った。そうだよね。こんなのおかしいもんね。
「それに、どうせうちのクラスが勝つんだ。負け戦を押し付けても可哀想だもんな」
「ねえよ。俺らのクラスが勝つに決まってんだろ」
「いやいやどう考えても五組だわ」
「いやいやいやねーわ」
「いやいやいやいや間違いねーわ」
「いやいやいやいやいや」
「いやいやいやいやいやいや」
「落ち着きなって、謙ちゃん元ちゃん」
「お笑いコンビみたいに言うなよ!」
「ほんとやめてくれよ浅葱……ああ、ならよ、折角だし何か賭けるか? もちろん坊主だなんて大仰なもんじゃなくてよ、俺らの間だけの細やかなもんにしようぜ。どうだ?」
あ、あれれ? 丸く収まったと思ったのに、変な方向に話が行っちゃってる?
「乗った! じゃあうちのクラスが勝ったら……そうだなあ…………よし決めた! お前の好きな子教えろ!」
「はあ!? お、おま!」
「好きな子いなけりゃ好みのタイプって言おうと思ったんだが、その反応はどうやら……惚れてる子がいるらしいな!」
「う……!」
元ちゃんの推理は当たっているみたいで、謙ちゃんの顔が真っ赤になっちゃった。すっごくカッコよくなった謙ちゃんだけど、そういう照れた顔は昔と変わらないね。
「つーかお前、昔からその手の話になると決まってコソコソ逃げてたよなあ?」
「そりゃ回避するだろうよ……あ……」
元ちゃんに詰め寄られてタジタジな謙ちゃんが逃げるように目を逸らすと、私の視線とぶつかった。
「う……ぅ……」
そう思った途端に逸らされちゃった。そ、そんなに私の事嫌いなのかな……。
「それもこの体育祭でおしまいだ! なあ、それでいいだろ!?」
「あたしさんせーい!」
「お前らは!?」
「いやあ……」
「なんていうか……」
「ねえ……」
ノリノリで肯定した千華ちゃんを尻目に、困ったようにそわそわし始める奏ちゃん修ちゃん美優ちゃん。よくよく私達の親とか知り合いとかに、保護者トリオなんて呼ばれている三人はいったいどうしたのかな?
「なんだよはっきりしねーなー。夏菜はどうだ!?」
「え? わ、私は……えっと……」
「んー?」
「あの……い、いいと思う……」
そう呟いた途端、謙ちゃんがこっち見た。あ、あわわ……やっぱりもっと優しい何かにした方が良かったのかな……っていうかこうなる前に止めるべきだったのかな……私、また何か間違えちゃったのかな……。
「賛成三票に曖昧三票って事で、負けたら好きな子暴露に決まりだ!」
「マ、マジか……」
「あれれー? 何でそんな深刻そうな顔してるのかなー?」
「謙之介くんはーあたし達に勝つんじゃなかったでしたっけー?」
「このバカアホコンビ殴りてぇ……!」
「まあまあ、勝てばいいだけの話だろ。んで、お前が勝ったらどうすんだ?」
「……少し時間くれ……決まったら言うから……」
「それでいいぞ!」
「ああ……じゃあ……」
囁くみたいにそう言うと、頼りない足取りで元来た道を引き返して行った。すれ違う瞬間にまた目が合ったけど、やっぱり直ぐに逸らされちゃった。私が賛成した事、怒ってるのかな……。
「なんなんだあいつ? なあ?」
「はあ……」
「はあ……」
「はあ……」
「なに溜息付いてんだお前ら。便秘か?」
「いや……」
「まあ……」
「戻ろ……」
「だな! つーか夏菜」
「え?」
「どうした?」
「ど、どうしたって?」
「なんか不安な事でもあるのか?」
「……どうしてそう思うの?」
「夏菜はな、大体の事が顔に書いてあるんだよ」
「そ、そうなの?」
「ああ。ま、正しく読めるのは俺とこいつらくらいだけどな」
得意げにそう言うと、子供の頃から変わらない、ニッとした笑顔を作った。
元ちゃんは変わらないなあ。直ぐに気付いてくれるし、直ぐに手を差し伸べてくれる。
「その……不安というか……ちょっとわからない事があって……」
「俺らの出番は?」
「だ、だいじょぶ……自分で考えるから……」
「んか。けど」
「苦しくなったり辛くなったら迷わず言え。遠慮なんかしたらデコピンしちゃうからな。だよね」
「わかってんじゃねーか」
「うん……わかる……」
小さい頃からずっとこうだもん。いつだって元ちゃんとみんなが、私の事守ってくれたもん。そして、いつだって思ってた。甘えてばかりじゃいけないんだって。
けど現実は、今でも甘えてばかりで、本当に伝えたい事も伝えられないまま。もう少しカッコ良い高校生になってる予定だったんだけどなあ……。
「とりあえず戻ろうぜ! 休み時間終わっちまう! ほっ!」
ぴょーんとジャンプして階段を飛び降りると、みんなを待たずに教室へ行っちゃった。廊下は走っちゃダメっ。
「ほんと元気良過ぎだよねー元気は」
「名が体を表し過ぎなのか体が名を表し過ぎなのかどっちなんだろうな?」
「どっちでもいいからもう少しくらい大人しくして欲しいかな」
「もう少しじゃ大して変わんないでしょ、あのバカは」
「元ちゃんは何も変わらないと思うよ。だって、元ちゃんだもん」
「だねー」
「だよなあ……」
「だろうね……」
「だよね……」
千華ちゃん以外は溜息混じりなんだけど、私はわかってる。元ちゃんはあのままがいいって、みんながそう思ってるって。
ああいう元ちゃんだからみんなとずっと一緒にいられたし、ああいう元ちゃんだからこそ私は……な、なんでもないっ!
「は、はわわ……!」
「夏菜?」
「よ、よくわからないけど!」
「っと。急にどうした?」
「体育祭! 頑張ろうね! 絶対頑張ろうね!」
「頑張るー!」
「ま、勝負事でわざわざ負けに行くヤツなんかいねぇよな」
「坊主がかかってなくても頑張るさ」
「やれるだけねー」
「うんっ!」
なんかよくわからない事になったけど、頑張らないと! よくわからない事をよくわかる為にも頑張らないと!
体育祭は、もう直ぐだ!
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