バイバイのスケジュール

「じゃあ直ぐ行くからー!」


 玄関の前で喚き、それぞれの部屋へと消えていく四人の幼馴染に手を振る千華。ファミレスで喋り倒し、カラオケで散々歌い倒したにも関わらず、まだエネルギーを持て余しているらしい。クラス会で全部消化してこいよな。


「はー喉痛ーい。叫び過ぎちゃった」

「いいからはよ鍵」

「わーかってるって! えーっとえーっと……ほいさ!」


 朝よりずっと膨らんだスクールバッグから五本の鍵と、これでもかとカラフルなキーホルダーが引っ掛かったキーリングを取り出した。ごちゃごちゃジャラジャラと鬱陶しいその中から、濃いめの黄色と薄い赤色のキーホルダーと無理矢理束ねてある鍵を手に取り鍵穴にがちゃり。綺麗に印字された山吹。如何にも女の子が書いたような丸っこい字で東雲。表札に二つの名字の記された家の扉を開けた。


「ただいまー!」

「ただいま」

「あり、お母さんいない?」


 玄関を開けると直ぐに短い内階段があり、中程にリビングがある。母さんはいつもここでダラーっとテレビを見ているのだが、今夜はお出掛けしているらしい。ちなみにリビングの奥、扉一枚隔てた小さな部屋が俺の部屋だ。


「買い物かなんかだろ」

「かねー。着替えて来るー」


 スキップ混じりでリビングから飛び出し、内階段を更に上がった先にある自室へ千華か消えていくのを見て、自分の部屋へと俺も滑り込んだ。


 詳しい事はよくわからないのだがこの家は、メゾネットタイプと言われる造りをしているらしい。大人四人が住まうには若干手狭な感じかな。俺の家でっけー! そして面白えー! なんて、昔は自慢して回ってたんだけど、慣れちゃうとどうにもなあ。


「ねーねー聞いてよママ! 今日始業式だったんだけどね、たーじいの予想が当たっちゃってさ!」


 自室にて着替え、さて行きますかと踏み出す予定だった足が、リビングから聞こえてきた声に押し留められた。


 今この瞬間は、千華にとって大切な時間なんだ。邪魔したくない。普段は隣で聞いたりしてるんだけど、なんか今日はね。


「それでね、あたしも美優も夏菜も修も元気も奏太もみーんな同じクラスになっちゃったの! こんなの小学校三年の時以来だよ! クラスメイトも楽しい子達ばっかでさ! めっちゃ良いクラスになりそうだよー!」


 嬉しい楽しいを抑えきれず前のめりになっているだろう千華の声に相槌を打つ声は聞こえない。それでも千華は、今日の出来事の報告をやめない。


「さっきまでサイゼでご飯したりカラオケ行ったりしてたの! 超楽しかったー! あーそうだ忘れてた! あたし達の担任がなんと……やっちゃんになったんだよー! ビックリだよねー!」


 なんだかキリなさそうだな。ここらでお邪魔しちゃうかと決め込み、リビングへ通じるドアを開いた。


「ご機嫌なのはいいが近所迷惑だぞ」

「これくらいならへーきへーき!」


 平気なもんか。と言っても聞く耳持ってくれそうじゃない。目がキラキラしてるもん、こいつ。


 ちょっとさ、そいつになんとか言ってやってよ。そういうの、母親の仕事じゃない?


「でね! これから修んとこであたし達だけでお祝いするの! プチクラス会みたいな! って事で行ってくるね! 帰って来たらまた話聞いてね! ほら行くよ奏太! チンタラしないっ!」


 ラフな格好に変身済みの千華は、脇目も振らずにリビングを飛び出して行った。それでも高校三年生かよ。もう少しどころじゃないくらいしゃんとして欲しいんだが。


「ねえ?」


 返事はない。千華は修の部屋へとダッシュ中。母親は多分買い物。父親は仕事。リビングには、俺一人だけ。


「直ぐ帰って来るから」


 でも、一人じゃない。だから俺は言う。あいつも言う。みんなが言う。


 楽しんでおいで!


 ママ。あいつにそう呼ばれているあの人は、長い金髪を靡かせ豪快に笑い、いつだって俺達の背中を押してくれるから。


 まだ小学生だった頃に千華が作った、不恰好な写真立ての中から。


 * * *


 修の部屋はデカい。収納棚やテレビ等々の家具が多いし、結構な数のマンガやゲームがあるにも関わらず、大人数名が余裕で入れるだけの空間がある。修が伸び伸び出来るようにと修パパ修ママが、俺らが中学校に上がった辺りで大改装したんだったかな。分乗マンションならではのパワープレーが云々とか言ってたのをなんとなく記憶している。


 それからかな。修の部屋に六人集まる機会が増えたのは。前までは大抵俺んとこか元気のとこだったから。


「あー喉いてー」

「元ちゃん大丈夫? のど飴持って来ようか?」

「そいつは放っといていいよー夏菜ー」

「そうそう。普段からバカうるせーんだから、喉痛めてボリューム出ないくらいがちょうどいいんだよ」

「少しは労われよ!」

「好き放題騒いだ結果だろ。自業自得だ。っていうか俺の部屋で騒がないでくれ」

「空気読めよくらいマイク独占してたもんねー元気。あたし達だってもっと歌いたかったのに!」


 修の部屋、ベッド上では千華と美優がゴロゴロと足を伸ばし、そのサイドフレームには部屋の主が背中を預けている。元気がフローリングにどっかりと座り込み、その隣には座布団を敷いて座る夏菜。俺はといえば、受験対策グッズが目に付く勉強机を独占中。


 いつの間にか、この配置が当たり前になっていた。もっと言えば、何かあってもなくてもここに足を運ぶのも。


「あーそーいえば千華さ、やっちゃんと何話してたの?」


 元気弄りは既に飽きたらしい美優が、露骨な話題転換を促した。そういえばそんな事もあったな。クラス会が盛り上がり過ぎた所為かすっかり忘れてたわ。


「ほえ? あたし?」

「ほら、ホームルーム終わった後」

「あーあれかー。ちょっと進路の話しただけ。二年の最後に書いた進路調査票が大雑把過ぎて進路指導の先生が頭痛めてるんだってさ。そんなの知らないってのー」

「ふーん。学年主席も大変だねー」

「まーね。っていうか……アレだね!」

「アレ?」

「ほら、あたしって頭良過ぎるじゃん? しかもしかも、世界で一番可愛いじゃん? なんてーか、罪な女だなってててててててひはひひはひひはひ! なんへほっへはふねるの!?」

「ムカついたから」

「ほっへはのひちゃう! のひちゃうかりゃー! ひょっほみぅー!」

「つーかミスコンで美優に負け続けてる千華が世界で一番可愛いとはこれ如何に?」

「ほ、ほれをひうなー!」


 やーっぱ進路の話だったのか。修の予感通り、美優の言う通り。学年主席様となると色々あるんだな、やっぱり。そんな肩書きに縁がないもんで、こいつの苦労はさっぱり想像出来ない。


 美優に頬を抓られ涙目になっている、自称世界一可愛い女の子。こんなにもアホで間抜けでへっぽな東雲千華だが、学年主席と言うのは本当だ。だってこいつ、異能力者だもん。なんて中二病っぽく言ってみたが、本当に当たらずも遠からずなのだ。


 カメラアイ。という能力がある。瞬間記憶能力とでも言った方がイメージしやすいか。


 目で見たもの全てをカメラで撮影した写真のように何年にも渡って脳内に保存し、必要な時に引き出す事の出来る能力らしい。


 こういった能力を持つ人間は自閉症だったり、何かしらの障害等を持っているケースが非常に多いらしいのだが、千華の身にはそういった事象は確認出来ていない。至って元気な健常者。十年以上も通院し、検査し続けてもらった上での結論だ。


 膨大な情報の全てを管理統制、自由自在に閲覧可能。仮に何かしら間違ったもの、覚えたくないものを目で見てしまった場合、それらを否定し打ち消す為の材料を頭に叩き込み、不要なデータを記憶の底へと沈め、検索上位に顔を出さぬよう優先度を落とし、脳と心の安寧を得るべく日夜努力をしているらしい。


 こんなにも勢い一つで生きてます感全開のヤツだが、自身の体質と向き合い、最大限活かす為の努力を惜しまない。脳も強いのかもしれないが、それ以上に心がタフ。多少の事じゃめげないへこたれない、ひたむきに頑張れる。東雲千華は、そういうヤツだ。


 その能力俺も欲しい。なんで千華だけと、何度嫉妬に苛まれた事か。でも、あんなにも一生懸命な姿を何年も何年も目の前で見せられ続けて、いつまでも嫉妬なんて感情一つに捕らわれてなんていられなかった。


 まあ? 側から見たらただのバカだしアホだしピーピー喧しくて痛々しいクソガキなんだけどな。取り柄といえば行動力がある事と、底抜けに明るい事くらいかな。


 でも、そういう普通さに、千華自身も、俺達だって救われてきた。俺はそう思っている。色々あったからな、色々と。


「っていうか千華、進路調査票になんて書いたの?」

「ほぇ?」


 美優に好き放題頬をこねくり回され、完全におもちゃ状態の千華に修が尋ねた。


「千華の事だから医者とだけ書いたとか?」

「ぷは! ノンノン! それは違うのだよ修くん! あたしはね、医者になるんじゃないの。スーパーな医者になるの!」

「まさか……スーパーな医者になるって書いたの?」

「うん!」

「そりゃ先生も頭痛めるよ……」

「そーお?」

「ち、千華ちゃんらしいね……」

「でしょでしょー!? 夏菜ならわかってくれるよねー!」

「ばーか」

「ばーか」

「ばーか」

「なんだとー!? ほんとになるんだからいいじゃんかー!」


 なりたいじゃなくて、なる。痛いかもしれないけど、やっぱり強いよ、こいつ。


 まだ俺達がランドセルを背負っていた頃から、千華の夢は変わらない。どうしても医者になりたい、なるんだって、ずっと言い続けていた。


 そこまで固執する理由は、未だに誰も聞いた事がない。教えてくれないんじゃない。聞いていないだけ。


「でもね、千華ちゃん? もう少し具体的に書かないとダメだよ?」

「だってほんとに何も決めてないんだもん」

「それでも」

「卒業したら海外行く事以外なーんも」

「……え?」


 夏菜の声が、震えた。慣れ親しんだ修の部屋にいる筈なのに、気味の悪い違和感を感じる。いやに肌が粟立つ。


「あれれ? 言ってなかったっけ?」


 言いたい事も聞きたい事もこれでもかとあるのに、何も言葉が出て来ない。夏菜も美優も修も元気も、初耳だったらしい。


「あたし、卒業したらそのまま海外の医療関係ごっついとこに行くから!」


 まるでなんでもない事のように千華は、未来の別れを口にした。


「まあそーゆー事だから!」


 いつものように、あっけらかんと笑いながら。

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