第3話 左の頬に傷痕が




 とても懐かしい夢を見ました。とても小さな頃の記憶。


 この頃の私はとてもやんちゃで、暇さえあれば辺りを駆け回る元気いっぱいな女の子だったそうです。そして夢の内容はいつも決まっています。公園の木に登って降りられなくなった仔猫を助けようとする夢。そこには小さな私と幼なじみの男の子が居ました。どんな顔をしていたかはっきりと思い出せないのですが、とても優しい子でした。

 何時も一緒に遊んでいた私と男の子は、通りかかった公園で仔猫の鳴き声に気付きます。男の子は大人を呼んでこようと再三にわたって私を説得しようとしますが、私は聞く耳を持たず三メートル程ある枝の辺りまで仔猫を助けようとよじ登りました。ですが、何時も決まってあと少しの所で滑り落ちます。そして薄れゆく意識の中で男の子の泣き声が響きわたっていました。


 時々この夢を見ます。五歳の頃の出来事だったそうですが、夢で見るくらいこの事だけは憶えていました。後で知った事ですが、一緒にいた男の子は私を受け止めようとして足を骨折する大怪我を負ったそうです。そして私も頭を強く打って意識不明の重体だったそうです。

 幸い一週間程で意識を取り戻し、後遺症もなく退院する事が出来たのですが、左の頬に切り傷の跡が残りました。

 そしてあの男の子も…… 私の前から居なくなっていました。


「ふぁああああ〜…… うーっ…… また見ちゃった」

 気怠く朝を迎えた私は、さっと顔を洗いました。ふっかふかのタオルで顔を拭いた後、鏡の中の私を静観します。

「あの子には悪い事しちゃったなぁ……」何度か母親に男の子が姿を見せなくなった理由について尋ねた事もあります。ですがその都度切ない表情ではぐらかす母を見てるうちに、いつしか私は尋ねるのを止めました。


 いつもと変わらない顔…… 当たり前の様に居座る左頬の傷痕。化粧で簡単に隠れる程に目立たなくはなりましたが、地元の子達は皆知っています。最近ではもう無くなりましたが、当時は”この傷”のお陰で、からかわれたり、いじめられたりと悪夢の様な日々を送りました。その頃からでしょうか…… 私はすっかり臆病になり、人付き合いを避ける子供になっていました。そして時を同じくして、両親の仲も音をたてるように崩れ始めていました。


「おはよう」

「おはよう、朝御飯済ませちゃってね」

心美ここみはぁ?」

「とっくに部活動に行ったわよ」

「精が出ますなぁ」

胡桃くるみ、お母さんそろそろ仕事に向かうから、出掛ける時は戸締りよろしくね」

「ふぁふぁったぁ〜」

「口に物を入れながら喋らない!全く……

 休みだからって何時までもダラダラしないの!解った? 」

「りょーかぃーでアリマス!」

 左手にトーストを持ちながら敬礼をする私を、呆れたように横目で見て母親は会社に向かいました。


 ──その後、我が家は両親が離婚し、私と一つ歳下の妹と母親の三人暮らしです。母は離婚後あの街を離れ、私達を連れて実家の両親の元へと戻りました。跡継ぎだった叔父を病気で亡くしていた祖父母は大層喜び、私達を暖かく迎え入れてくれました。

 祖父母はすでに他界してしまいましたが、家業の造り酒屋は母が継いで元気に切り盛りしています。私は興味が無いのですが、妹はお爺ちゃん子で酒蔵にちょくちょく通っていたので、母親の後を継ぐ気でいるみたいです。ですから私は変な気負いも無く、ゆる〜い”困ったちゃん”へと育った訳で……


「うわぁぁぁあああ」

 人様に見せられる状況ではありませんね。ベッドの上でゴロゴロ悶えてる女子高生の絵面なんて。哀しくて悔しくて切なくて…… 色々と夢を見ていました……

 ”彼”とドライブ。まあ、当然ですね。

 ”彼”とデート。常に乗る度デートですが。

 ”彼”とお泊まり。これ以外とハードル低いですね。すぐに実行出来そう。

 ”彼”に彼氏を乗せて彼の実家へ…… ここまでくると何が何だか訳わかりませんね。


 そりゃあね、解ってますよ…… 相手は自動車ですし…… 所詮は消耗品なのです。普通の人が車にかける愛情とは『ラブ』ではなく『ライク』が圧倒的多数なのです。ですから、もうだいぶ割り切れる様になりました。何時までも「哀しい顔は 似合わないよ、さあ笑って」なんて声をかけられるのを待ってるような夢見る少女じゃいられないんですよ!

 …………でもね、欲しかったなぁ。彼は中々のイケメンさんでしたし、若者ならぬ”若物”ですよ!まだ新しかったですしね。はぁ……

「うにゃああああ…… 」

 再びベッドの上でドタバタ悶えていると、インターフォンが来客を告げました。

「胡桃ぃ?」

 少し開けた窓の向こうから聞き覚えのある声が……

「はにゃ?」

 どうやら相方は、私に気遣い無用の様です。



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