「儀礼の前に」


 鳴り響く鐘の音が正午を告げていた。


 城門から飛び立つ鳥を見上げて、中庭に立っていたミーティアは、儀礼用のドレスに身を包んだ己の胸へと手を当てる。


 息子の生誕を祝い、未来を言祝ぐ儀。


 王家にとって何十年ぶりかになる告霊の儀は、快晴の下で行う事が出来そうだ。

 澄んだ青空を見上げながら、満足した様子で笑ったあと、ミーティアは踵を返す。


 堂々と王女は歩く、控えていた侍女が頭を下げた。

 



 ◇ ◇ ◇




 大広間では既に、告霊の儀の支度が済んでいた。

 中央には白い花々に飾り立てられた揺籠が置かれ、使用人も王族も皆、それを囲うようにして立っている。


 執事長に抱かれたセシルが、ステンドグラスから落ちる光の粒を掴もうと両手をばたつかせていた。

 ミーティアが近付けば、セシルはご機嫌になって笑い声を上げる。


「ローグエル、ありがとう」

「はい、ミーティアさま。

 ……このような善き日に立ち会える事、私は嬉しく思います」


 まだ始まってもいないというのに、執事長は瞳を潤ませている。

 この人が大袈裟なのはミーティアが子どもの頃からだ、彼女は微笑を浮かべつつ、執事長の腕からセシルを抱き上げる。


 そして、自らの腕の中で笑う我が子へと、ミーティアは語りかけた。


「セシル、本当に今日は善い日だわ。

 天気も良いし、風も気持ち良い、ここにはあなたのことを愛しく思う人しかいない」


 母の言葉を分かっているわけでもないだろうが、セシルは喜びを露わに声を上げる。

 そうね、と相槌を打ちながら、ミーティアは揺籠の方へと向かった。


「今日のことは、母がちゃんと覚えておきますからね。

 お前が忘れてしまっても、何度でも聞かせてあげましょう」



 飾られた揺籠へと下ろす、泣くかと思ったが、セシルはご機嫌なまま敷かれたお気に入りの布を握って遊び始める。

 お利口な息子の頭を一撫でして、囁く。


「世界で一番、綺麗なひとがセシルを言祝いでくれるのよ」


 ──ミーティアの声と共に、大扉は開かれた。


 参列した者たちの眼差しが一斉に、扉の方へ向けられる。

 ミーティアは銀色の瞳を細め人知れず、ああと呟いた。


「なんて、美しいの……」



 ステンドグラスから落ちた陽光を受けて、金色の髪が輝いている。

 ひだまりのような長寿族の巫女が、柔らかな笑みを湛えてそこにいた。




 ◇ ◇ ◇




 胸が張り裂けそうなほどの緊張が、フィナを襲っていた。


 何度も暗記した段取りを頭の中で繰り返す、大広間へ入って、まずは王へと一礼だ。

 ……大丈夫、出来た。

 レテランド王の穏和な笑顔と、アルバスからの頷きで、少しだけ緊張が解れる。


 前へと向き直り、揺籠の傍らに立つミーティアへと一礼、彼女の方も滑らかに礼。

 フィナはお守りである古い手帳をぎゅっと握りながら、止めていた歩みを再開した。


 儀礼用に作られた服は、手触りの良い滑らかな生地で、袖が軽やかに揺れて凄く綺麗。

 フィナが手作りしたヴェールの方も見劣りすることなく、きらきらと輝きを纏って揺れている。


 陽光に照らされた道を歩きながら、一歩一歩、揺籠へと近付いていく。


 フィナは内心を占めていた緊張が、徐々にわくわくとしたものに変わっていくのを感じていた。

 セシルの顔を見るのはこれが初めてだ、親友の子はどんな顔をしているのだろう。


 ずっと会ってみたいと思っていたのが叶うのである……まさかそれが告霊の儀で、執り行う巫女側で見ることになるとは思っていなかったけれど。


 走り出さないように我慢しながらフィナは歩いて、そっと揺籠の中を覗き込んだ。



「……わぁ」


 揺籠の中には、小さな小さな命がいた。


 フィナが思わず漏らしてしまった声に、ミーティアが肩を震わせている。

 使用人たちも微笑む気配に、はっとしてフィナは表情を取り繕った。


 身内ばかりの儀礼だからか、誰も咎めては来ない。

 今の自分は巫女だ、とフィナは己に言い聞かせ──。


「あ、ぅ?」


 揺籠を覗いた拍子に、長い髪が落ちて。

 まるで光の雫を掴むように伸ばされたセシルの手が、金髪を掴んだ。


 吃驚して目を丸くしたフィナを見上げたセシルが笑い声を上げる。

 きゃぁっと、手先で髪を掴んで遊ばれて、フィナも思わず笑顔になった。


「……セシルさま」


 名前を呼んでみる、母親によく似た銀色の、邪気など一つもない瞳がフィナを見上げている。


 段取りにはないことだ、けれど。

 きっとお母さんならこうするだろうと思いながら、フィナはセシルに語り掛けた。


「生まれてきてくれて、ありがとうございます。

 あなたの生きる世界は、とても美しいですよ」



 応えるように赤子の笑い声が響き渡り。

 こうして、告霊の儀は始まった。




 

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