「寄り添う形」


 『世界の裏側も 一番星までの道順も

 知ってみたいと笑うんだろう きみは』

 


 ◇ ◇ ◇



 告霊の儀まであと半月、といったところでヴェール作りは終わった。


 レテランドを象徴する赤色の生地に金糸の刺繍が繊細に施されたヴェールを箱にしまって、付ける日が楽しみだなぁとフィナは笑顔を浮かべる。

 母の教えを思い出しながら作業をするのは楽しかった、フィナは満足だ。

 

 詩人の方も滞りなく祝いの言葉を書き上げたようだし、あとはフィナが段取りを覚えれば良いだけ。

 正直それが一番、緊張する。


「……お母さんは凄かったんだなぁ」


 どさりとソファに横になって、フィナは今は亡き母を思った。

 何をするにもてきぱきとして、失敗しているところも慌てているところも見たことがない、そんな母は流石、長寿族の長だと思う。


 フィナが産まれてすぐ父が亡くなって、母は集落の皆と協力しながら娘を育てた。

 その集落も今はもうない、フィナを育てくれた長寿族たちは皆、既に使命を果たして亡くなっている。


 フィナと家族を繋ぐものは思い出だけ、寂しいことだけれど、不思議と悲しくはないのだった。


 母から巫女としての教育を受けて育ったフィナではあるが、実際に儀式の場に立つのは初めてである。


 母を失って城に来てからは普通の子どもとして育てられていた。

 だから巫女として仕事をすることはないんだろうとすら思っていたのだ。

 正直に言えば、自信がない。


 フィナがいつも明るく元気でいられるのは、己が表に立つ機会がないからだ。

 どちらかと言えば裏方、常日頃から責任を伴う仕事をしている夫を支える側に徹している、自分自身が人前に立ったり、仕事を請け負うなんて考えもしてこなかったのである。

 経験したことのない種類の緊張で、珍しくフィナは弱っていた。


 いつまでもしょぼくれたままではいられない、フィナは長い間落ち込んでいたり、うじうじとしていることが嫌いだ。


 こんな時は、とフィナは起き上がる。

 己の気持ちを切り替えるのは得意だ、その為に紅茶を淹れて、居間からテラスへと向かった。




 ◇ ◇ ◇




 テラスに置かれた椅子に座って、古い手帳を読む時間が、フィナはお気に入りだ。

 そうしている間は、例えどんな心境でも穏やかに落ち着くことが出来る。


 フィナは指先で並ぶ文字をなぞった、昔から彼は字が上手い。

 まだ詩人が少年だった頃に使っていたもの、作品とも呼べないような走り書きから、未熟で青臭い詩がびっしりと書き込まれたその手帳が、フィナの宝物でありお守りだ。


 青臭くても拙くても、フィナにとっては愛しくて、勇気をくれる言葉たち。


 フィナが出会った頃から、詩人はあまり騒がしくしない性質で、口数は少なかった。

 だが興味のあることに対してはお喋りで、ふわふわと光を纏いながら喋り続ける彼を眺めている時間は楽しかったものだ。


 大人になるにつれて身に宿す力が強まると、彼の口数は更に減って。

 詩を書き始めたのはその頃だと思う。


 そして純粋な少年が詩人となるしかなくなった時、彼はフィナを選んで声を捨てた。


 フィナにとって彼の書いた詩を読むことは、いつかのお喋りを聞いていたときの延長なのだ。

 詩の中でだけは素直で、饒舌で、辛い時も嬉しい時も、彼は詩を書いていた。


 子どもの頃から肌身離さず持っていたこの手帳を、彼が渡してきたのは婚礼の日の夜。

 読んで良いと預けたくせに、フィナが書かれた詩を読み上げると照れてしまうのだから面白い人である。



 詩人は今までに幾つか、フィナに対して詩を書いてくれた。

 喋ることができず、声で気持ちを伝えられない彼なりの愛情表現だ。

 フィナは詩を贈られる度に、涙を堪えて必死になる。


 彼が詩を介してしか愛を伝えられない理由を、フィナはちゃんと分かっていた。

 分かっているからこそ、彼がフィナを考えて行動してくれた事が泣くほど嬉しいのだ。


 抱き合って唇を重ねて分かること、詩に込められた想いを紐解くことで分かること。 


 フィナにだけ向けられる詩人の感情が言葉になって、胸に染み入る瞬間が、好きで好きで堪らない。



 古い手帳を撫でる、今使っている手帳も、書くところがなくなったらくれるんだろう。

 宝物がどんどん増えて、フィナの手の中を埋めていく、持ちきれなくなったら二人で持とう、こんなに幸せなことはない。


 これはあの人の心そのものだ。

 預けられた大切なものを、フィナは抱きしめる。


 ──告霊の儀でも肌身離さず持っていよう、この手帳があれば大丈夫だ。

 フィナは上手くやれる、母のように。


 言葉の海の中へと、弱気は溶け消えていった。


 書斎の窓の方を見上げてみれば、いつもと同じように机に向かって筆を走らせ続けているのだろう夫の姿が見えるようだ。


 穏やかな日、幸せな時間、進み続ける時の流れを少しだけ遅くしてくれる人。


 そばに居ない時でも寄り添ってくれるあの人のように、生きていきたいと思った。

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