「きみと話す、きみと眠る」


『夢で会えたらなんて言わないで

 全部叶えてみせるから

 そのときは 今みたいに 笑ってみせて』



 ◇ ◇ ◇



 詩人が目覚めると、いつも通り隣の寝台は既に空だった。


 詩人がフィナより先に起きる朝なんて滅多にない、今日も重たく怠い体を引きずって部屋を出る。


 ──登城した日から二週間が経ち、王室からは告霊の儀に関する手紙が二通届いた。


 一通は日取りに関して、二ヶ月後に王城の大広間で執り行うとの旨。

 用意された準備期間は想定していたより長く、ミーティアによる配慮が感じられる。


 もう一通は儀の段取りと内容に関して……といっても伝統的な儀礼である為、流れは殆ど決められている。

 手紙に書かれている内容をそのまま覚えれば良いだけだ。

 貰えた準備期間の割に、詩人たちが用意すべきことは少ないように思えた。


 だが、フィナには何やら考えがあるようで。 

 良い布が必要だと言って、両手いっぱいに布地を抱えて帰ってきた昨日の妻の姿を思い出しながら、詩人は階段を降りた。



 居間に入ると、フィナが台所で朝食の用意をしてくれている。

 焼けたパンの匂いを嗅ぎながら、詩人は彼女を驚かせないよう、視界に入る位置から近付いた。


「おはようございます、あなた」


 詩人の姿を見た瞬間、咲く笑顔。

 彼女の笑顔に釣られて詩人の表情も緩む。


 二人で食卓にパンとスープを運ぶ。

 いつも通り静かで、和やかな朝食の時間がゆったりと過ぎて行った。




「告霊の儀で身に付けるヴェールを、せっかくだから自分で作ろうと思って」


 食後の紅茶を飲みながら、フィナは詩人に昨日の行動の意味を説明してくれた。


 ……フィナの母親は長寿族の長、巫女として王国の祭事に関わっていた存在だ。

 幼い頃フィナは母親に、長寿族の巫女が何らかの儀礼を執り行う際には、特別な衣装とヴェールを身に付けると教わった。

 


「流石に一式は作れないから、衣装自体はお城から借りることになるんですけど。

 ヴェールの作り方はお母さんから教わったことがあるから」


「婚礼の時に付けたヴェールほど難しいものでもないし……台本だけ覚えて何も準備しないのは、いやだなと思ったんです」


 フィナの言葉を聞き終えた詩人は、肯定する為に頷いた。

 彼女なりに一生懸命、セシルのために動こうとしているようだ。

 自分も気合いを入れて筆を取らねばなるまい、と詩人は心に決める。



 フィナが喋り終えたことで、満ちた静寂の中、詩人は婚礼か、と思い返した。


 数多ある記憶の中から、花嫁衣装を着たフィナの姿が鮮明に浮かんでくる。


 あれは彼女が自分の妻となった日であり、王城で過ごした最後の日。

 妹のようにも思っていた幼馴染の女の子が、大人の女性に成長し、美しい花嫁となって目の前に立っている現実を前にして、目眩を起こし倒れかけたのを良く覚えている。


 それくらい、衝撃的だったのだ。

 元より美しいひとなのは分かっていたけど、あの日ばかりは天から舞い降りてきたのかな、なんて本気で思った。

 彼女が自分を選んでくれた事が嬉しくて堪らなくて。

 間違いなく、詩人が人として一番の幸せを掴んだ日の記憶。

 

 思考を思い出に一瞬で塗り潰され放心した詩人に、現在の妻が声を掛ける。


「いま、何か思い出していたでしょう?」


 我に返った詩人がフィナを見れば、彼女は可笑しそうに笑った。

 赤い瞳がきらきらしている、薄い唇から目が離せなくなる、金色に縁取られた彼女に実態があるのか触れて確かめてみたくなる。


 何故、こんなにも綺麗なのだろう。


 子どもの頃、薄暗い図書室で初めて会った時からずっとそう。

 彼女は穢れを知らぬどころか、年を重ねる度に透明さを増していく。


 微笑まれる度に心臓が痛いのは、フィナの指先が詩人の魂に触れているからだ。

 

 詩人が笑い返せば、フィナの笑みは深まってまるで溶けるようで。

 己の指先も、彼女の魂に届いているのを肌で感じる。


 お互いに、深いところまで勝手に開いてしまうのだ。

 自分を作る魂の、奥底にまで触れてほしくて。



 ◇ ◇ ◇



 フィナはヴェール作り、詩人は普段通り仕事を幾つかこなして、今日は終わった。


 いつもなら篭りっぱなしの書斎から、珍しく自力で出てきて、詩人は寝台に腰掛ける。

 向かいの寝台ではフィナが髪を梳かしている、念入りな髪の手入れは彼女の日課だ。


 詩人の目線に気付いたフィナは首を傾げた。


「どうされました、あなた?」


 問い掛けに詩人は首を横に振った、別に用があるわけではなく、見ていただけ。


 こういう時、詩人はフィナの話をただ聞くことを好んでいる。

 それを知っているから、フィナは考えを巡らせて話題を探した。


「昔……あなたは私に、お父様の話をしてくれましたよね」


 唐突な問い掛けに、詩人は不思議そうにしながらも頷く。


 フィナは窓の外へと目をやった。

 夜空に浮かんだ、少し欠けた月を眺めながら話し続ける。


「あの頃の私は、悲しくなるから誰にもお母さんのことを話せなかった。

 なのに、あなたにお父様はどんな方だったのか、なんて聞いてしまって」


「親を失ったばかりなのは、あなたも同じだと分かっていたはずなのに。

 無神経なことを言ったって反省したんです、もしかしたらあなたが……」


「あなたが、泣いてしまったらどうしようって不安になって」


 月を見ていたフィナが振り返り、赤い瞳が詩人を映す。

 詩人は不思議そうな顔のまま、フィナを見つめて数度、瞬きをした。


 詩人の方にも思い当たる記憶はある。

 彼女がそんなふうに思っていたとまでは知らなかったけれど。


 フィナはあの頃のことを思い出して、おかしくなって思わず笑ってしまった。


「……でもあなたは、泣くどころか呆気らかんと「変な人だったよ」なんて。

 私、あの時ほどぽかんとしたことはないと思います」


 当時、随分大人びていた彼は単純に、思ったことを言っただけ。

 今のフィナにならそう分かる、けれど子ども時代の彼女にはかなり印象的で、記憶に残る出来事だった。


「あなたは起こったことを受け止めて、その上で気持ちを切り替えられる。

 現実に打ちのめされて止まったりなんかしない、心の強い人なんだって。

 一緒にいるなかで知りました」


「私が一人でいると、あなたが現れて。

 外の世界のことを沢山話してくれた、行きたいところや、やりたい事を一緒に探してくれて……」


「子どもの頃に約束した通り。

 あなたは一つも溢さず、私の願いを叶えてくれた」


 彼の瞳は暗いけど、彼だけの輝きが宿っていることを、フィナは知っている。

 その輝きに照らされて、今まで歩いてきたのだから。

 行ったことがない場所も、知らない価値観も、彼と共に歩いたから怖くなかった。


 楽しくて明るい、宝石のような毎日。


 ……話し続けた末に、何が言いたかったのか分からなくなって、フィナは首を傾げてしまう。

 詩人は「それは俺が聞きたいよ」とでも言いたげに苦笑する。

 話しているのはフィナだけだけど。

 確かに、二人は語らっていた。




 フィナとの結婚は、詩人の声を奪った。


 人々が暮らす外の世界で生きていく為には、詩人が持っている力は危険すぎて、制御せざるを得なかったからだ。


 彼を苦しめることになるのならと、外で暮らすのは辞めようと言ったことも、フィナにはある。


 しかし詩人は──ソウヤという名の青年は、フィナと共に外で生きていくことを躊躇わなかった。


 強大な力を抑えながら、人よりも過敏で扱いにくい体で、人と同じに生きていくこと。

 想像も出来ないような、苦痛を伴う生活になると分かっていたはずなのに。


 きみの夢、全部叶えるよ。


 詩人はフィナの為に生きると言った、己の人生の意味を見つけたように、納得しきった表情で。


 伸ばされた手を取ったあの日、フィナもまた自分の生まれた理由が分かった。

 長寿族である自分に与えられた、フィナを生かしているモノの正体が。


 彼が「人」として生きていけるようにすること。

 それこそが精霊に望まれた、フィナが命を賭して果たさねばならない使命だと。


 彼を心底から愛した日に、フィナはそれを自覚したのだ。


 だから、私がやることは一つだ。


 立ち上がったフィナが詩人の側に歩み寄れば、彼は腕を広げて彼女を迎えた。

 誘われるままに腕の中へと飛び込んで、フィナは詩人の背中に手を回す。


 大切な宝物を守るように抱きしめながら、夫が愛しくて堪らない妻は語る。

 彼という存在を証明する為の言葉を。


「あなたは人です、ソウヤ。

 私に出会ってくれた、優しい男の子」


 告げられた言葉に、詩人は安堵した。

 自分が人足り得ると言われることは、彼にとって心地のよいことだから。


 ──甘い香りのする肩に顔を埋めて、この綺麗なひとをこれから先も、どうやって守るか考える。

 ──少し痩せがちな体を抱いて、この優しい人が心の底から笑って生きていける方法を考える。



 触れて確かめてみたくて堪らない、その衝動は永い間、二人で育てあげたものだ。

 かつて少年だった詩人が、「愛と呼ぶしかない」と定義したもの。



  きみがいる限り、僕は人だ。

 あの日交わした誓いの言葉が、体の中で脈打っている。


 互いに指先で確かめる、柔らかで儚い、この世で唯一の「きみあなた」という輪郭を。

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