「王女の頼み事」


「私が二人を呼んだのはね、息子の……セシルの告霊の儀に協力してほしいからなの」


 真剣な表情で告げられたミーティアの言葉に、フィナが息を呑んだのを詩人は感じた。

 ミーティアはそういえば、と思い至ったような顔をしながら続ける。


「私と夫の間に男児が産まれたのは知ってるわよね?

 ……ソウヤは王家宛に詩をくれた筈だし」


 詩人は肯定の意を示すため頷く。

 半年前、国王からの依頼で娘の出産祝いに言祝ぎの詩を書いて欲しいと頼まれたとき、一作品書き起こした覚えがあった。

 言い添えるようにフィナが言う。


「私も読んだ記憶があります。

 お祝いの品と一緒に贈りましたから」

「掛け布をくれたわよね、今じゃセシルのお気に入りよ、本当にありがとう」


 ミーティアの笑みにフィナは良かった、と安心したように微笑んだ。

 その様子を横目に、詩人は腕を組んで思案する。


 思えば、この八年で王家としたやりとりはそれのみだ。

 手紙のやりとりくらいは定期的にしてもよかった、のかもしれない。


 詩人はフィナと二人だけの生活があれば満足だから、仕事以外で他人と関わることに気を回してこなかった。

 そしてフィナは長寿族である、人の一年と彼女の一年の感覚はあまりにも違う。

 この八年間だってフィナからしてみれば瞬きと同じことだろう。

 

 幼馴染から何年も連絡がなかったら心配だ、ということが詩人には良く分からなかったのだ。


 登城なんて面倒だ、という考えも少しくらいは改めたほうが良いのかもしれない。

 幼馴染たちや王室のことは嫌いではないし、何よりこうしてミーティアと再会したフィナが幸福そうにしている。

 彼女の笑顔が見られるなら、多少面倒に感じることでもやる価値はあると詩人は思う。


 思案げな夫の様子に気付いたフィナは首を傾げたが、今はそっとしておくことにしてミーティアに問い掛けた。


「たしか告霊の儀は、王家に生まれた新しい子の名を精霊に告げる儀式ですよね?

 生後半年を過ぎたら行われる……」

「そう、告霊の儀を終えれば正式に王家に名を連ねることになる。

 子を民や王室の外に公表するのは、この儀式を終えた後、という伝統よ」


 答えたミーティアは、二人は実際に見たことはないだろうけど、と付け加える。


「告霊の儀は生まれてきた王家の子の将来が幸福になるよう祈り、同時にその子が生きていくことになる国の未来の繁栄を、精霊さまに希う儀式」


「レテランドが長寿族と共に生きるのは、人が精霊と繋がる術を得るため。

 告霊の儀で、長寿族の巫女を介して精霊さまに子の名を告げるのよ」


「精霊さまの加護を賜う王家の子が、一人増えました、よろしくお願いしますってね」


 ミーティアの説明は、フィナが昔聞いていたものと一致していた。

 子どもの頃、ミーティアと彼女の兄、アルバスは王家に伝わる伝統的な儀式の数々をフィナに語って聞かせてくれたものだ。

 ──自分たちは告霊の儀をもって精霊さまとの縁を繋ぎ、国の未来を守っていく者。

 彼らの使命を聞くたびに、フィナはかっこいいねと微笑んで。


 懐かしく輝かしい思い出のひとつを思い出しながら、フィナはミーティアに更に問う。


「私たちがセシル様の告霊の儀に協力するとして、一体何をすれば良いのですか?」


 ミーティアは膝上に置いていた手を組み替えて、目を伏せた。

 瞬きの間だけ、彼女は自分が王女から一人の母親に戻ることを許す。


「私はね、フィナ。

 ……告霊の儀で、あなたたちにセシルのことを言祝いでほしい」


「伝統だからとか王族だからとか関係なく、純粋にあの子を思ってくれるひとに、願ってほしいのよ」


「これから先、あの子に苦難があったとしても、あなたたちが祈ってくれるなら。

 セシルは守られると思うから」


 母親として告げられたミーティアの切実な思いに、フィナは黙した。

 王族として生きていく限り、これから先の人生は苦難の連続になるだろう。

 息子が幸せに生きれるよう、ミーティアは何だってしたいのだ。


 ……本来であれば、告霊の儀に参加する長寿族は王室付きの巫女である。

 だがミーティアはどうしても、伝統の儀式としての意味だけでなく、セシルの為に執り行われる場であってほしいのだと。


「お父様からの許可は頂いているわ。

 もちろん、無理にとは言わないけれど」

「……あなた」


 ミーティアとフィナが詩人の方を見る、思案げながらも会話を聞いていた彼は、ミーティアの瞳をただ見つめていた。

 声もなく感情の色も現れ難い彼の瞳だが、何よりも雄弁にその心を語るもの。

 目を合わせるということ、彼が誰かに心中を伝える唯一の手段。


 詩人の瞳をじっと見つめたフィナは、ミーティアに向けて口を開く。

 紡がれた言葉は彼の思考を代弁するものだった。


「……私がやることは儀礼における巫女役なのでしょうが、旦那さまに協力してもらいたい事とは何でしょう」

「ソウヤには告霊の儀で読み上げられる、祝いの言葉を書いて欲しいの。

 詩とはまた違うと思うけれど……あなたの力が宿った言葉であるのなら、それ以上の意味が伴うでしょう?」


 ミーティアは詩人に向けて言ってから、申し訳なさそうに俯く。


「あなたの力とフィナを利用したい、ってわけじゃないわ、でも。

 そういう意味だと受け取られても構わない、私はあの子のために出来ることは何だってしたい」


 言葉が重ねられていく間も、詩人の瞳は揺れ動かない。

 ただミーティアのことを見ている。

 俯いていた顔が上がり、強い意志を持った両目が詩人を見返した。


「お願い、ソウヤ。

 母親として、本気で後悔したくない」


 ミーティアの言葉を聞き届けた詩人は、フィナの方を見る。

 彼女は固唾を呑みながら、ぐっと両手を握りしめていた。

 燃えるような赤色の瞳と見つめ合って、詩人はミーティアへと目線を戻す。


 ──そして、唇だけを動かして。

 音のない、わかったという了承が、ミーティアに対して発せられた。


 無音の声は二人に伝わったようで。

 フィナは笑顔を咲かせ、ミーティアは安堵のあまり脱力して背もたれに身体を預ける。


「よかった……!

 ミーティアさま、喜んでお受けいたします、巫女としてのお仕事は初めてですが、頑張りますので」

「ありがとう、ソウヤ、フィナ。

 儀式の段取りについては、また相談しましょう」


 笑い合う二人の声に、詩人はゆっくりと目を伏せた。


 ……面倒だと思うことも、フィナが喜ぶならやる価値がある。

 それに幼馴染のために何かするというのも、まあ悪くはないだろう。

 人としての己がそう言っている、ならば正しい選択だと、詩人は思った。




 話さなければならないことを、大方話し終えたミーティアは、気遣わしげに詩人とフィナに問い掛けてきた。


「儀式の日取り、本当にこちらで決めてしまっていいの?

 実際に動いてもらうことになるのだし、二人には決める権利があるわよ」

「私や旦那さまが決めるとなると、それこそまたぼんやり八年経ってしまいそうですし。

 ……しめきり、があったほうが私も旦那さまも捗ります」

 

 フィナが冗談混じりに答える横で、詩人は反論の意を示すこともなく。

 細かいことは任せる、と言われたように感じて、ミーティアは頷いた。


「なら、日取りは追って知らせます。

 本当にありがとう、長話になってごめんなさいね」

「楽しかったですよ、ミーティアさま。

 あなたもそうでしょう?」


 フィナの呼び掛けに詩人は笑みを返す。

 ほらねとフィナが言えば、ミーティアは嬉しそうだ。


「近いうち、あなたたちとまた会う予定が出来て私も嬉しいわ。

 ……ああ、私ばっかり二人を独占していては、怒られてしまうわね」


 椅子から立ち上がったミーティアは左手で扉の方を示し、二人を促す言葉を続けた。


「お父様とお兄様に会いに行ってあげて。

 ……話せて本当によかった」

「はい、ミーティアさま。

 また一緒にお茶会をしましょうね」


 今日はこれでお開きのようだ、詩人は椅子から立ち上がる。

 フィナも立って、その場でミーティアに一礼をした。


「体には気をつけて、フィナ。

 ソウヤもちゃんと寝て、食べること」


 ミーティアは手の掛かる子どもに言い含めるように言う。

 詩人はそれに右手を適当に上げるだけで答えた、フィナが仕方ないなぁと肩を竦めながら。


「お気遣い感謝します、と旦那様も仰られています。

 ミーティアさまもお体には気をつけて」

「ふふ、ありがとう。

 ……流石のソウヤもフィナにはやっぱり敵わないのね」


 ミーティアはおかしくってたまらない、と口元に手を当てながら笑い声を上げた。

 まるで幼い頃に戻ったように、和やかに。

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