「レテランドの綺羅星」
『──君の願いを叶えよう
全てを見せ 全てを贈ろう
君が愛するこの世界で
僕が人である為に』
◇ ◇ ◇
四肢をばたつかせて泣く赤子の元へ、歩み寄る母親がいた。
レテランド王国の中心、王城の一室で母親は赤子を抱き上げる。
ぴたりと止んだ泣き声に、彼女は愛しい我が子の額に頬を寄せた。
「母はここにおりますよ、セシル」
体を揺らしながら名を呼び、語り掛ければ、赤子は寝息を立て始める。
母親は眦を下げ、寝顔を見守った。
「失礼致します、ミーティア様」
──寝台の上にそっとセシルを寝かせたところで、控えめなノックと共に部屋へ入ってきた侍女が、囁くように彼女の名を呼んだ。
レテランドの王女ミーティアは、母親から王族の顔になって振り返る。
信頼のおける者の一人であるその侍女は、眠ったばかりのセシルに配慮をして、囁き声のまま告げた。
「……先程、馬車が到着した、と。
お客様がいらっしゃられたようです」
「分かりました、行きます。
セシルをお願いね、マレーズ」
ミーティアが微笑みを向ければ、侍女もまた心底から嬉しそうに笑う。
王女は部屋の外へと足を向けた。
◇ ◇ ◇
「……あなた、起きて」
控えめに体を揺らされて、詩人は閉じていた目を開けた。
馬車の中、だ……と自分のいる場所を認識して、遅れながら覚醒した頭が動き出す。
そうだフィナと王城に向かっているところだった、どうやら彼女の肩を借りて暫く寝てしまっていたらしい。
もたれていた頭を上げて、疲れてはいないかと、フィナの左肩をさする。
意図が伝わったようで、彼女は大丈夫ですよと微笑した。
「もう王城の中庭ですよ、ほらあの庭園、懐かしいでしょう?」
小窓の向こうを指差し、心なしかはしゃいだ様子でフィナが言う。
頷き返しながら、詩人は外套の襟を正して背筋を伸ばす。
二人の右胸には、レテランド王室の縁者であることを示す星の徽章が輝いていた。
馬車を降りた詩人は、振り返ってフィナの方へ手を差し出す。
彼の右手に左手を重ね、彼女は軽やかに中庭へと降りた。
二人の見上げる先には白亜の城、レテランドの旗が靡く下で、使用人たちがずらりと並んでいる。
全員が、二人を出迎える為にそこにいた。
使用人たちは皆、一斉に頭を下げる。
「フィナ様、ソウヤ様、お帰りなさいませ。
お待ち申し上げておりました」
深々と頭を下げた一人、壮年の執事長が、二人に対して口を開く。
フィナはちらと夫の方を伺って、頷かれたのを確認してから、執事長に語り掛けた。
「どうか頭を上げてください、私たちはもう王族扱いではないのだから。
執事長、いえ……ローグエルさん」
フィナの言葉に、ゆっくりと顔を上げた執事長は、目を潤ませながら二人の顔を交互に見つめた。
「いいえ……私共にとってあなた方は、いつまでも我が最愛なる王家、綺羅星のひとつにございます」
「本当に、またお会い出来てよかった」
涙ながらに言われて、フィナと詩人は顔を見合わせてから、執事長に微笑みを返す。
喋れない詩人の分まで、思いを込めてフィナは言った。
「本当にありがとう、ローグエルさん、皆さん……ただいま帰りました」
微笑んだ彼女の隣で、詩人も深く頷いた。
城の中へと続く大扉が使用人たちの手によって開かれる、溢れ出した懐かしい輝きの中へ、二人は足を踏み入れた。
「ミーティア様がお待ちです、ごゆるりとご歓談を」
執事長の案内で通された客室では、既に王女ミーティアが座っていた。
銀色の髪を一つに結い纏め、落ち着いた色のドレスに身を包んだ彼女は……当然のことではあるのだが、詩人の記憶にあるよりも更に大人になっていた。
堂々とした振る舞いはそのままに、美しさと迫力が増している。
フィナも同じように感じたらしく息を呑んだあと、そっと王女の名を呼んだ。
「ミーティアさま」
「フィナ……」
呼び声に耳を傾ける、その姿は幼い頃と同じで、フィナはほっと息を吐く。
ミーティアは笑みを浮かべて、二人に向かいの席に座る様に促した。
「フィナ、ソウヤ、久しぶりね。
元気そうでよかったわ、ここ数年は私的な手紙のやりとりもなかったから」
苦笑混じりに告げられたミーティアの言葉に、フィナは頭を下げた。
「近況報告すらまともに出来ず、申し訳ありません……外の生活に慣れ始めてから私も夫も気が抜けてしまって」
「良い、気にしないで。
伝達役からソウヤの仕事ぶりは聞いていたし……」
ミーティアは柔らかな笑みをフィナに向けてから、詩人へと視線を移す。
「あなたが元気なら、フィナだって元気でいるに決まっていると思っていたから。
そうでしょう、レテランドの詩人さん?」
問い掛けに返ってくるのは無言の頷き。
ミーティアは満足げな表情を浮かべながら、紅茶に口をつける。
「二人に手紙を書いたのは私なの。
頼みたいことがあって……顔が見たかったというほうが大きいけれど。
だって八年ぶりだものね、私たち」
「……もう、そんなに経つんですね」
目を丸くしながら呟いたフィナに、ミーティアは暦くらいちゃんと見なさいな、と笑顔のまま嗜める。
「お互い、ただの少女ではいられなくなったわね、フィナ。
……最も、あなたたちの時はまるで止まっているようだけれど」
「私たちも、私たちなりに色々なことを経験しましたよ。
見た目は確かに変わっていないかもしれませんが」
フィナが詩人の方へ目を向けて、楽しげに笑う、そんな彼女の瞳を夜色が見つめ返す。
慈しみを向け合う夫婦を見て、ミーティアは眩しそうに目を細めた。
「なら聞かせて頂戴な、二人の今までの話を……お城の外はどうだった?」
ミーティアの問い掛けに、フィナはぱっと咲くような笑顔を浮かべて、詩人の方を伺う。
詩人が一度頷き返せば、フィナは楽しそうに今まで夫婦に起きた数々の出来事を、ミーティアに語って聞かせ始めた。
はしゃぐフィナの話を、詩人とミーティアは穏やかに聞く、子どもの頃と同じように。
「ふふ、お兄様がこの場にいないのが残念でならないわ。
……もうすぐ会談が終わるだろうから、お父様とお兄様にも是非、挨拶して行ってね」
「もちろんです、アルバス様と我が王にも、話したいことがたくさんあって……!」
思い出話にも一段落ついて、フィナは自分の胸に手を当て、幸福そうに微笑みながらミーティアに言った。
「本当に、ありがとうございます。
ミーティア様からのお手紙がなかったら、私たちはもう十年くらいぼんやり過ごしていた気がするので」
「ある程度は仕方ないと思うわ、私たちとあなたたちじゃ時間の感覚が違うもの。
……でもこれを機に私個人から、定期的に城への招待状を出してみるのも面白そうね」
悪戯っぽくミーティアは詩人に笑いかける、登城なんて面倒だから暫く辞めてくれ、と彼の顔には書いてあったが、フィナは心底から嬉しそうに笑っていた。
ミーティアは可笑しそうに笑ったあと、一呼吸を置いて表情を改める。
「さて、忘れる前に仕事の話をしておきましょうか」
「……はい、ミーティア様」
背筋を伸ばしたフィナの横で、詩人はいつも通り眠たげな眼のまま、ミーティアのことを見ていた。
◇ ◇ ◇
「フィナとソウヤが城に来ているそうですよ、父上」
レテランドの王は、傍から聞こえて来た息子の声に目を開けた。
……先程まで行われていた、貴族諸侯らとの会談は終わり、親子だけの空間となった謁見の間に王の声が響く。
「そうか、二人が帰ってきたか。
あの門出の日から八年と少し……ミーティアが我慢出来なくなったかな?」
「その通りのようで。
……登城要請の主目的は一応、二人に告霊の儀への協力を持ちかける為らしいですが」
王は娘の顔を思い浮かべて笑った、寂しがりやな少女ではもうないと思ったが、やはりあの二人は娘にとって一等特別なのだ。
それは今、傍に立つ息子にとっても同じ。
「アルバス、二人と話して来なさい。
積もる話もあるだろう」
「父上も同じでしょう、積もる話があるのは。私はその後で構いません」
玉座から見上げれば、自分の若い頃にそっくりな息子が朗らかに笑っていた。
王は胸に下げた星の意匠を撫でながら、そうかと頷く。
「では、お前の言葉に甘えるとしよう。
此処であの子らを待とうではないか、王として……そして何より、父として」
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