「詩人の休息」


『人間というのは難しいものだ

 餌と太陽だけでは生きていけない』



 ◇ ◇ ◇



 ──場違いだ、と詩人は自覚していた。

 朧に輝くシャンデリア、並べられた上品な小物、ビロードの長椅子、風に揺れるカーテン、コーヒーの匂い。


 客層が落ち着いているのか、皆が雰囲気を壊したくないと思っているからなのか。

 客入りが少ないわけでもないのに、店内は静けさに満ちていた。


 蜂蜜味のフィナが気に入って利用している喫茶店の片隅で、詩人は頬杖をついている。

 目線の先、窓越しに見える通りは賑わい、立ち並ぶ店の多くに赤色に星の描かれたレテランドの国旗が揺れていた。

 ここは城下町、愛国者たちが歩く道。

 久々の外出先には、歩き慣れた大通りが選ばれた。


 詩人は書斎にこもって詩を書き上げた後、必ずフィナの為に一日中、朝から晩まで予定を空けた日を作ることにしている。

 今日がその日だ、「城下町に出かけたい」という彼女の希望に応えた結果、服屋で着せ替え人形にされて倒れそうになったので、申し訳ないが先に休憩することにした。


 折角二人の時間だったのに別行動になってしまったわけだが、フィナの方は特に不満そうでもなく、自分の服も選んでくると言って……その浮き足だった歩き方ときたら。

 彼女は今頃、満面の笑みで街を散策しているところだろう。

 

 フィナはどんな状況も楽しんで笑うひと。

 落ち込んだり不満げだったり、怒っていたりしたことは、子どもの頃から片手で数える程度しか見たことがない。


 詩人は彼女のそういうところに救われていた、自由なのに身勝手じゃなくて、芯が通っているのに柔軟なところ。

 特性的に誰かの思いやりを頼りにしてしまう場面が多い彼にとっては、生きていくために必要不可欠なひとだ。

 

 指差しで注文したコーヒーを飲みながら、詩人は目を伏せて店内に響く音を聞く。

 豆を挽く音、男女の話し声、窓を超えて微かに聞こえてくる無数の足音。


 瞼の裏で音たちは絵を描き始める、浮かんだ風景を言葉にすることだって出来る。

 そうして彼が紡いだ言葉に宿った精霊たちは、読み手の脳裏にまた絵を描くだろう──詩人の頭の中で浮かんだ風景を、そのまま。


 言葉を使って伝えられないことなんて、詩人にはなかった。

 だから意志の伝達を文章のみに限定して、自分の持つ力が真価を発揮しないように生きている。

 伝えなくて良いことまで伝わらないように、意図せず現実を歪めないように。


 彼が一言、声を出せば世界中の戦争は終わるだろう。

 だけど、同じ一言で多くの人々が死んでしまうのだ。


 誰かの為の祈りしか、詩人は書くことが出来なかった。

 それ以外を書くなんて恐ろしい、声を出して喋るなんてのは世界に対する死刑宣告に違いない。

 詩人は誰より、フィナが生きる世界が好きだ、彼女が愛するこの世界が。

 


 星の刻まれた懐中時計を見れば、フィナと合流する待ち合わせの時間が近付いていた。

 店まで来てくれるはずだから、考え事をするのはここらで辞めにしておこう。

 詩人は伏せていた瞼を開ける、そんな彼に近付く男が一人。


 長身に銀髪、グレーの背広。

 男から発せられる音で、顔を見ずとも誰なのか詩人は気が付いた。


「ああやっぱり、ソウヤじゃないか!」


 静かな店内に響く声。

 ──詩人はもう一度、懐中時計を確認した。

 待ち合わせまでにもう少し時間がある、なるほど。

 こいつと話さねばならない訳だ、苦行だな。


 当然のように隣の椅子に座った男の方を、詩人は迷惑そうに見やった。

 無気力な詩人にしてははっきりと表情に「嫌です」と書いてあったのだが、男は何にも気にせず満面の笑みだ。


 詩人のことを名前で呼んでくる、数少ない人間である男はぺらぺらと喋り始めた。


「急に声を掛けて悪かった、ソウヤ……「レテランドの詩人」よ。

 キミが大事にしてやまない孤独な時間を邪魔したのは謝るけれど、そんな嫌そうな顔をしなくても良いだろう?

 傷付いてしまうよ、しかし僕はキミの大親友であるから理解は──あーっと、コーヒーをひとつ!」


 呼び止められた店員が、かしこまりましたと離れていく。

 詩人は溜息を吐いた、一秒二秒三秒……


「溜息が長い……!!

 もしかするとキミ、僕のことが嫌いかい?

 それは一周まわって大好きにはなることはない感情かな、出来れば好かれたいんだけど、あっ、足を踏まないで、キミは僕に対してだけ雄弁だよね態度が」


 早口で喋るこの男は、名をウォルデ・リットと言った。

 仕事はレテランド王国のお役所仕事で──ほかは良く覚えていない。


「おや、そういえば彼女はいないのかい?

 キミの奥方だよ、付かず離れずにいる精霊のようなあのひとさ」


 確かこんなでもふたりくらい子どもが居た気がする。

 安産祈願を『書いた』覚えがあるのでそのはずだ。

 ウォルデは運ばれてきたコーヒーを躊躇いなく飲みだした。

 良く喋る奴は猫舌にならないのだろうか。


「姿が見えたものだから思わずね、相変わらず不思議な魅力があるなぁ、キミは。

 昼間から外出なんて何年振りだい?」


 けらけらと笑うウォルデ。

 ──見た目も地味だし声も特徴があるわけでもないのに、何故こんなにやかましく感じるのだろう。


「おっと、忘れるとこだった。

 僕も流石に用もなく親友の休憩を邪魔したりはしないさ……預かりものがあってね」


 一方的に喋り終わって満足した辺りで、ウォルデは懐に手を入れた。 

 そんなことだろうと思った、詩人は肩をすくめて、やっと本題かと目を向ける。


「ほれ、偉い人からだ、ちゃんと渡した僕を褒めてくれたまえ」


 カウンターの上に、ウォルデは一通の手紙を滑らせた。

 高級そうな封筒を手に取る、蝋に刻印されているのは──星。

 中身を見る前から色々と察した詩人は、差出人を見て項垂れる。

 確かにこれは偉い人だ、間違いない。

 横で肩を揺らして笑っている奴がいる、やかましい。

 

 「面倒臭いことになった」という気持ちを全面に出した顔で俯いていた詩人だったが、入口のドアが開いた音で背筋を伸ばす。


 からんとなる音、引き寄せられた視線の先で、金髪が日を受けて輝く。


「おっと、これ以上は本当に邪魔になるね……確かに渡したぞ、親友よ」


 そう言ってウォルデは立ち上がった。


 赤い瞳が詩人を見つけるのと同時、ウォルデは歩き出す。

 去っていくグレーの背広と、弾むように歩く彼女がすれ違った。


「お待たせしました、さっきくじで大当たりを引いて……あら、なにかありましたか?」


 こちらを伺うフィナ、釘付けになって彼女を見つめていた詩人は、いいやと首を振った。

 手紙は既に懐へと仕舞われたあと。

 窓越しにグレーの背広が去っていく、それを詩人は一瞬だけ確認して、フィナの方へと向き直った。


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