第13話 過去

第五章


 時任茜。

 中学生の頃、僕が手を伸ばしたけど届かなかった女性だった。結果僕はジム通いに勤しむことになり、百合さんは僕に興味関心を持ち始め、時任茜はそれ以降学校に顔を出すことはなかった。

 本当に、いつの間にか、いなくなっていたんだ。

 先生からはある日淡々と「お家の事情で転校することになりました」とだけ伝えられ、別れを惜しむ暇さえ与えられなかった。

 僕のせいで時任茜は姿を消してしまった。

 そう思うとやりきれなくて、何かをやらなければと思って・・・・・・ジムに通う日々が続いた。

 時任茜のような目に遭う人たちを今度こそは助けられるようにーー

 そして、いつか時任茜にもう一度ーー

「・・・・・・茜、さん?」

「そうだよー茜さんだよー久しぶりー」

 そう、思っていたのに。

 目の前には、『いとも簡単に』彼女が居た。 意味がわからなかった。

 そもそも彼女は何故ここにいるんだろう。

「ーー僕の前に姿を現さないのはてっきり茜さんが僕を許してくれないから。もしかして今、君島はそんなこと思ってたりするー?」

 思わず息をのんだ。冷や汗が止まらない。彼女の笑顔が何を意味しているのか全くわからない。彼女は今更何をしに僕の前に現れたんだ。

「ちょ、あんた、大丈夫! むちゃくちゃ顔色悪いけど!」

「柳さんの言う通りだ! なんかお前、おかしいぞ!」

 有明君と柳さんが心配をしてくれるけれど、悠長に返している余裕はなかった。

「何を・・・・・・」トラウマという精神的苦痛をかいくぐりながら、何とか言葉にする。「何を、しにきたの?」

「えー何その言い方ー悲しいなーっと」

 尚もニタニタ笑いながら彼女はゆっくりと屋上を沿うように歩く。

「私ね、君島のこと、ずっと見てたの」

 気分も含め、飛び跳ねるように歩みを進める。

「私を救えなかった君島がどういう気持ちを抱いて生活しているのか、ずっと見てたの。晴れの日も雨の日も雪の日も、ずっと。それが私の楽しみだったの」

 何を言っているのかわからない。

 柳さんも有明君も同じ気持ちだろう。

 そんな僕らをあざ笑うかのように「アハハ」と声を響かせる。

「ねえ君島。あの日、なんで私は屋上から飛び降りたんだと思うー? 危険予知が放送される中、私が自殺しようとしてーー結局生きている理由、わかるー?」

 待ってくれ。

 彼女は何かとんでもないことを言おうとしているのではないか。

 彼女が何を苦にして自殺を図ったのかなんてことは考えたことが無かった。

 でも、もしかして、違うのか。

 何かが原因で自殺を図ったのではなく、自殺を図ることによって生まれる何かを目的にしていたのか?

 ーーそういえば、何故だ。

 ーー何故彼女は、屋上に僕を呼び出したんだ?


「私を救えなかった君島が無駄に苦しんでる様子を、どうしてもみたかったの!」


 平然と、彼女は、そう言いのけた。

 何を、言っているんだ。

 彼女はーーいや、この女は、何をーー

「あぁっ、その顔、その顔よ、その顔がみたかったの」

 この女は、何がしたいんだ?

 そう思ったが最後、時任茜に対して懐疑心しか向けることしか出来なかった。

 全ての始まりはこの女からだった。

 始まってしまったのは全て僕のせいだと思っていた。

 でも、もし、それが僕のせいでなかったら。 この女のせいだとしたら・・・・・・!

「さあさあお立ち会いー、最後の大立ち回りだよー。よってらっしゃい見てらっしゃい!」

「意味がわからーー」

 全てを言い切る前に、意味がわかってしまった。

 屋上へとつながる扉を開けて、時任百合さんが現れた。


 *


 時任さんは見るからにぼろぼろだった。神が整えられておらず、制服はしわだらけだ。うつむいてしまっているが、一瞬見えた時任さんの顔には隈があった。眠れていないのだろう。

 こんな状態になりながら、何故、制服に着替えさせられてまでこの場に居るのか。

「百合ちゃん!」

 時任さんの顔をみた瞬間、柳さんが駆けだした。

 そんな柳さんを見てびくりと肩をふるわせた時任さんはーーこともあろうか時任茜の背後に隠れる。

「百合ちゃ」

「やめてやめて来ないで来ないで私に近づかないで駄目なのもう駄目なの私は誰の近くに居ちゃ駄目なのやめてやめてやめてやめてやめて」

 ぞっとするほど青ざめた表情で百合さんはつぶやいた。

 駆けだしていた柳さんも足をとめてしまう。「なあなあ、ちょっとやばいんじゃ」

 いつもポジティブに物事を考える有明君でさえ不安がっていた。思わず僕も「ちょっとどころじゃないよ」と言いながら冷や汗を流していた。

 そんな僕らの不安など露知らず、時任茜は「アハハハハ」と笑い声をまき散らす。

「百合ちゃんはねー、貧乏神なんだよー」

 血の繋がりすらある相手に向けて平然とこう言いのける神経が信じられなかった。

「百合ちゃんはね、小さい頃から『危険予知に巻き込まれやすい』性質をもっていたの。私のお父さんお母さんだけじゃなく、百合ちゃんのお父さんお母さんも怖がってたんだー」

 背後に時任さんがいることなど意に介さずくるくると回りながら、言葉を紡ぐ。

 思えば屋上に来てからずっとだ。

 ずっとこの女は、笑っている。

「そんな百合ちゃんをみてね、私はこう思ったの。『ああ、うらやましいなあ。私も百合ちゃんと同じように怖がられたいなあ』って」

 ひとしきり回った時任茜は、時任さんの両肩をがっしり掴み、ニタリと笑った。

「でね、思いついたの! 百合ちゃんが貧乏神なら、私は疫病神になろうって! 百合ちゃんを利用してでも、誰を犠牲にしてでも、危険予知を放送させ続ける存在になろうって、そう願って、行動したの!」

 その一言は、僕にある光景を思い出させた。 中学校の屋上。

 『生徒が自殺をはかる』という危険予知が放送された。 

 誰を犠牲にしてでもーー

 それは、時任茜自身も含まれているということかーー

「狂ってる・・・・・・」

「けっこーけっこーこけこっこー。欲望のまま生きれれば、それが一番良いじゃない! だからね・・・・・・」

 ちょいちょいと手招きをし始めた。

 その相手は有明君だった。

「ねえ君、欲望のまま生きたいと思わない?」

「え、ああ、まあ、そうだなあ」

「答えなくていいよ、有明君!」平然と対応する有明君に衝撃を覚えた。

「え? いやでも、話しかけてくれてるのに無視は駄目だろ、無視は」

 けれども彼は尚も平然と言いのける。

 そういう優しいところが彼の良いところだけど、今の場面ではその行動は単なる『お人好し』にまで成り下がってしまうのではと思った。

「そうだよねー。そしたらさ」言いながら時任茜は制服のボタンを外し始めた。「私と、良いことしない?」

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