第9話 柳薫という女子生徒

 結局その日は午後七時になっても危険予知は放送されなかった。

「今日はありがとう」

 すっかり夜が更けてしまった中で彼女はそう言った。勇気を振り絞って「夕飯も一緒に食べる?」と聞いてみたが、「今日は大丈夫」と言われた後だった。

「一日付き合ってくれてありがとう。楽しかった」

「いや、僕も楽しかったよ・・・・・・ありがとう・・・・・・」

「何よその『物足りない』みたいな感じ」

「・・・・・・電車。危ないなって思って」

「ああ、うん、それも大丈夫。タクシーで帰るから」

 タクシーを使ったところで、はたまた電車をつかったところで、危険予知が放送されるのは変わらないのだろう。被害に遭う人が減るのは間違いないが、彼女自身が被害に遭うのはどうやったって避けられない。

 ーー「もう少し一緒に居た方が良いと思う」

 言おうとして、一度止めてしまった言葉だった。こんな台詞が言えるのであれば、僕は女たらしになれるだろう。そんな俗めいたことを思ってしまった。

「心配してくれてありがとう。また学校でね」

 そんな僕の心中を察したのだろうか。早々に会話を切り上げタクシーを捕まえ、無表情で僕に手を振って去って行った。気恥ずかしいながらも手を振り、時任さんが乗ったタクシーが見えなくなるまでその場で手を振り続けた。

 こんなことくらいしか僕には出来ないのか。 嫌が応にも昔の記憶が思い起こされ、やるせない気持ちになった。

 そうだ、ジムに行こう。

 こんな遅い時間からジムに行ったことはなかったが、それでも、何かをしていないといけない気持ちになっていた。

 僕はまだ、彼女に何もしてあげられていない。 


 *


 時任さんは教室でいつも友達と話している。授業と授業の合間もそうだし、昼休みもだ。休日と同じくほとんど無表情だけど、時折嬉しそうな表情を見せる時がある。

 同じクラスと言っても、ほとんど喋ったことがない女子の学校生活など、意識的にちらちらみないと把握出来ないことが多かった。

「おい君島、話聞いてるか」

「ああ、うん」

 隣の席の有明(ありあけ)がしゃべりかけてくる。

「その時に俺は言ったわけだよ。『あのコンビニのクリスピーチキンは旨辛味なので先輩は止めた方が良いですよ』って。そのときに先輩がなんて言ったと思う?」

「ああ、うん」

「そう! 『ああ、うん』って言ったんだ。あの先輩が俺の話を聞いてくれたんだよ!」

 なぜだか奇跡的に話がかみ合ってるなとぼんやり思いながら、時任さんの方をちらちら見る。

 時任さんが話しているのはいつも同じ人だった。時任さんの隣の席に位置する女子だ。名前が正直思い出せないけど、大柄でショートヘアで、日焼けで肌が褐色になっている彼女のことは印象に残っていた。ソフトボール部のピッチャーだった気がする。

「その後も先輩はなんて言ってきたと思う?」

「ああ、うん」

「そう! ずっとその言葉を繰り返したんだ。これまでずっと無反応だったのにな・・・・・・! こりゃあ、頑張って野球部を続けてきた甲斐があったってもんだぜ」

「ああ、うん。・・・・・・野球部?」

 野球部ということは、ソフトボール部と近い位置に居るのでは。

「ごめん有明君、一つ質問して良い?」話しの腰を折るとはわかってはいたものの、かまわず言葉を紡ぐ。「時任さんの傍にいる女子って誰だっけ」

「おいおい今七月だぞ! しかも柳(やなぎ)さんのことを知らないなんて正気か!」

「柳さん・・・・・・聞いたことあるような無いような」

「ソフトボール部のピッチャーで有名な柳薫(かおる)さんだよ! 万年初戦敗退の滝東高校を中部大会まで引っ張っていった勝利の女神だ」

「女神って言葉を使う人初めて見たよ」

「重要なのはそこじゃねえ!」

 有明君が尚もあーだこーだ言うのを傍目に、僕はぼーっと女子二人の様子を見ていた。正に天真爛漫という言葉が似合う柳さんの前では、時任さんも微笑みを浮かべていた。なんだか安心しているような、そんな表情だ。僕の前ではこんな表情見せていたっけなと思うが、そもそも繋がりが出来てまだ数日の分際では何も言えなかった。

「・・・・・・柳さんは、時任さんと知り合ってどれくらいなんだろう」

「あー、あの二人大分前から仲が良かったなあ。少なくとも一年前に入学したときに既に仲が良かったと思うぜ」

「入学当初から柳さんのことを見てたの?」

「そ、そうだよ! 何か悪いか!」

「いーや、何も」

 そうこうしている間にも視線の先に居る二人は楽しそうに話していた。有明君の話が正しければ、柳さんは一年以上前から時任さんに接しているらしいーー

 チャイムが鳴った今この瞬間にーー

 尚も時任さんと喋る柳さんを見てーー

 ふと、疑問に思った。

 柳さんは、時任さんが抱えている悩みを知っているのだろうか。

 彼女が抱えている悩みを知っているのなら、毎日明るく話しかけるなんて出来ないはずだ。少なくとも僕には出来ない。表面上は明るく振るまっても、時任さんの身に降りかかる危険を常に意識しなければならないから。

 柳さんは無理をして明るく振る舞っているのだろうか。確かにそれも時任さんを救えるかもしれない手立てだろう。

 だが、もし、そうではなくーー

 柳さんが時任さんの性質を知らないとしたらーー

 ーー「平日は登下校の時が多いわね」

 時任さんはこう言っていた。

 彼女の身に降りかかる災厄にしてはあまりにも都合が良すぎる設定。

 その要因は、時任さん以外にあるのではないか。

 ーー危険予知を毎日聞く人物がいるのならば、その逆も然りなのではないだろうか。

 気づくと視線の先の二人に向かって走り出していた。いきなり近寄ってきた僕に対して二人はびくりと反応する。時任さんは僕とわかってホッとした表情を見せたが、柳さんは時任さんの前にかばうように立ちふさがった。「どうしたの、君島君」

 怒気を孕んだ口調で柳さんは言う。

 好都合だ、と僕は思った。

「昼休み、校舎の裏で話し合おう」

「はあ? どういう・・・・・・」

 そうこうしているうちに担任の先生が教室に入ってきた。不愉快な表情を僕に見せながら、柳さんは渋々席に戻る。

 それで良い。

 昼休みの時間でも足りないくらい、柳さんとは話したかったから。

「・・・・・・どういうことだ、君島ぁ」

 近くの席で殺気を帯びた視線を向けてくる有明君は無視することにした。

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