第3話

「ただーいま」

「おかえり。お母さんいまちょうどお茶してたんだけど、菊はおやつ食べる?」

「いいね。今日のおやつは何?」

「今日はね、すぐそこの蒼山で買ってきた、お饅頭」

「大好き!食べる!」

「手だけ洗ってらっしゃいな。お母さん横取りしないから」


 はーい、と返して鞄を置く。中には図書館で借りてきた、思い出の一冊。またあとでね、と口には出さずに声をかけ、菊枝きくえは洗面所へ足を向けた。


 菊枝が覚えているのは壁一面の書架の前で遊んでもらったことと、小さな本を片手に物語を聞かせてもらったこと。それから何年ぶりかに再会した大叔父は、安らかな顔で、白木の棺に横たえられていた。それまでに誰も見送ったことがないわけではなかったけれども、数えるほども会ったことがあるかどうか、といった程度の大叔父の死は、現実感がなかった。

 両親の会話で大叔父の家が処分されたこと、それに伴い蔵書も各地の図書館などに寄贈されたことを聞いても、特に寂しさなどを感じることもなく、ただ、そうなのか、と心にしまっただけだった。

 それから3年。思い出したのは、たまたまだった。

 そこそこの倍率で合格した隣町の高校は、少しばかり偏差値が高いおかげか、自由な校風との謳い文句に相違ない、それまでの学校生活に比べれば自由すぎるくらいの心地がした。

 数え上げるのも困難なほどに乱立するクラブ活動は、強制もされないが、制限もない。菊枝は前後の席の友人たちからの誘いもあり、オリエンテーリング部と幻想小説研究会に入った。ちなみに、創作に関わるクラブ活動は、部員がなくなって休眠状態の部も含めれば両手でも足りないほどにあるらしい。

 そんなわけで朝と放課後、休日はオリエンテーリング部、昼休みは幻想小説研究会の部室に入り浸る日々を過ごすうち、文化祭が近づいてきた。幻想小説研究会では春夏秋冬の年4回部誌を発行しているが、文化祭に合わせて発行する夏の部誌は、予め決まった3つのテーマのうち1つに沿った作品を集めることになっている。ローテーションで選ばれた今年のテーマは、「思い出の作品へのオマージュ」。

 友人に誘われて入部したものの、生憎と美術全般に疎い上に、小説も読書家の友人たちに比べればさほど読んでいるとは言えない。はて、どうしたものか。数日悩むうちに、ふと、大叔父のことを思い出した。

 それからが大変だった。まず、大叔父がいつも読み聞かせてくれた本のタイトルがわからない。タイトルがわかったところで、大叔父亡き後のその本の行方がわからない。

 四苦八苦しつつ探してみればなんのことはない、家から2番目に近い図書館の書庫にしまいこまれていたのだった。


(ほんっとーに、見つかってよかった)


 席について半分に割った饅頭を頬張りながら、菊枝は思う。

 探す過程で図書館の検索システムOPACを使えるようになったことや、同じようにタイトルのわからない本を探すべく先人たちが苦労した記録などが集められているwebサイトレファレンス協同データベースを知ったことなど、本題以外の収穫もあったものの、これで見つからなかった時のことはあまり想像したくない。

 夏の部誌だけは参加必須というルールさえなければここまで悩まなかったのに、とそのルールを定めたであろう見知らぬ先輩に恨み言のひとつやふたつ、ぶつけたい心地がする。


「菊、そんな顰めっ面してどうしたの。美味しくない?それとも、学校で何かあった?」

「ううん。お饅頭は美味しいし、悩みも解決したんだけど、ちょっと恨み節な気分なの」

「まあまあお茶でも飲んで落ち着きなさいな」

「ん。……って、母さんこれ熱い‼︎」

「せっかくだしと思って淹れ直したのよ」


 これでも使いなさいな、と渡された小さい布巾で湯呑みを包み、ふうふうと息を吹きかけて、ゆっくりと茶を啜る。今日のお茶は焙じ茶らしい。口の中に残る饅頭の甘みが、ふわりと解ける。

 恨み節はさておき、やっと思い出の本と再会できたのだ。返却期限は2週間後だし、部誌の〆切は3週間後だ。今日ばかりはゆっくり読んでも許されるだろう。

 おおよそ10年ぶりの物語を楽しみに、菊枝は半分残った饅頭を手に取った。


《終》

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図書館暮らし。 ritsuca @zx1683

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