「影のように実体のない身体を持って生まれた少年」の話②

 その父は、僕への母の態度に対して口出しはしなかった。

 母が僕にかまうことをやめさせようとはしなかった。


 僕は父からすれば、もう死んだ人間とはいえ、妻と他の男との間にできた子どもだ。

 内心苦々しく思っていたかもしれない。

 それに、見えてもさわることのできない子どもを育てるなんて、普通でない、異常な行為だ。

 自分の家で実体のない子どもが成長していくのは、父には気味の悪いことだっただろう。

 それでも、父は母の気持ちを大切にした。

 僕と二人きりのときはほとんど会話をすることもなかったが、母と父と僕と、三人でいるときは、母と一緒に僕と遊ぶこともよくあった。

 そういうとき、僕たちはきっと、本当の家族、普通の子どもがいる家族みたいだった。


 両親は、僕の存在を他の人間からひた隠しにして育てた。

 人に知られてもよいことにはならないと思ったんだろう。


 僕は、自力で動き回れるようになってからも母のそばから離れようとはしなかったらしく、そのために、母はずっと家の中にいた。

 そして、僕が物心ついてからは、決して家の外に出てはいけない、人目に触れてはいけないと、両親は毎日のように僕に言い聞かせた。


 でも――だからこそか。


 外の世界は、僕にとって憧れだった。

 いつか家の外に出てみたい。本やテレビの中に出てくる、学校、公園、遊園地、山や海……そういう所に、一度でいいから行ってみたい。

 その思いを胸に抱きながら、よくガラス戸に貼りついては、そこから見える外の景色を眺めていた。


 僕の家はアパートの一階の部屋だったが、窓やガラス戸のカーテンはいつも閉められていた。

 僕は自分でカーテンを開けられないから、両親もとりあえずそれで安心してたんだろう。

 でも、カーテンを動かさなくても、カーテンとガラス戸の隙間に目を入れれば外を見ることはできた。

 両親の目を盗んでこっそり外の景色を見る。

 長い間、それが僕と外の世界との唯一の接点だった。


 時折、家の前の道を人が通ることがある。

 そういうときは、人に姿を見られてはいけないといつも言われていたから、慌ててカーテンのうしろに引っ込んだ。

 そのたびに言いようのない気持ちを味わった。

 特に、どこかに遊びに行くんだろう子どもたちの笑い声が、家の前を通り過ぎていくときなんかは。


 でも、そんな僕にも、実は、外の世界にたった一人だけ知り合いがいた。

 もちろんそれは両親には内緒だった。

 その知り合いは、小学校の三、四年生くらい、当時の僕とちょうど同じくらいの歳の男の子だった。

 その子が家の前を通ったとき、隠れるのが遅れて、うっかり姿を見られてしまって。

 それからというもの、男の子は家の前を通って僕と顔を合わせるたびに、僕に笑いかけたり手を振ったりしてくれた。

 男の子が家の前を通る時間はいつもだいたい決まっていたから――その子はランドセルを背負っていたし、たぶん、学校の帰り道だったんだろう。

 僕は、その時間になるとガラス戸の所へ行って、男の子が来るのを楽しみに待つようになった。


 何を話すわけでもなく、お互いの顔を見て、笑いかけたり手を振ったりする、ただそれだけなんだが、それだけのことが、僕にはうれしかった。

 男の子は、僕のことを普通の子どもだと思っていたらしい。

 僕の体がカーテンをすり抜けてるのが見えてなかったのか、あるいは、気づきながら、そんなのは見間違いだと思っていたのかもしれない。


 その子と知り合ってから、家の外に出たいという気持ちはますます強くなっていった。

 外の世界に行って、普通の子どものように、あの子がいつも遊んでいる場所で、自分も一緒に遊びたい――。



 そんなある日、いつものように家の前にやってきた男の子が、僕に向かって手招きしたんだ。


 出てきなよ、と。

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