第14話 堀江
三週間近くが経ち、営業所は暮れの一番忙しい時期を迎えた。
あの時以来、堀江は中谷の前に現れなかった。
「堀江さん、長期休暇ですか」
誰かが所長に尋ねた。
所長は忙しくチラシを新聞に挟む手作業を繰り返し、沈黙した。
中谷は背中の龍に尋ねた。
(堀江は一体どこは行ったんだ。あのおやじから何の連絡もないじゃないか)
今までは何を質問しても答えてくれた背中の龍は、機嫌が悪いらしく、眠ったまま動こうともしない。
(おい、起きろ。何とか返事してくれ。俺はどうすればいいんだ)
「堀江はなあ、寮の荷物まとめてトンズラしたよ。
営業所の前借も踏み倒しやがった。誰かこの中で堀江に金貸した奴いねえだろうね。所長が明日、警察に被害届出すから」
店長が一層手を早く動かしながら怒鳴った。
中谷は何も言わず、黙々とチラシを入れた。
次の日、夕刊の帰り、いつもの公衆電話からおやじの名刺の電話番号に電話をした。
どうせ出ないとわかっていても、かけずにはいられなかった。
何度も掛けた電話番号は、中谷の記憶に切り傷のように痛みを伴って残った。
営業所長に帰ると、中谷はバイクを置いて、その足で駅へ向かって走った。
工場の前へ立った中谷は、ガラス戸に手をかけてみた。
カギはかかっておらず、ガラガラとむなしい音をたてて開いた。
所狭しと置かれていた機械や製品が嘘のように消えていた。
油で汚れたコンクリートの土間には中谷が配っている古新聞の切れ端が散らばっていた。
中谷は中に入り、その切れ端を敷いて土間に座り込んだ。
何時間が過ぎたろう。
(もしかしたら堀江とおやじが笑いながら帰ってくるんじゃないか)
背中の龍に聞いてみた。
ガラガラとガラス戸が開いた。
「堀江さん!」
思わず叫んだ。
「あんた誰だね。そんなとこ座り込んで。
堀江さんならだいぶ前に引き払ったよ。二週間だけ倉庫に使わしてくれって言うから貸したんだよ。あんた堀江さんの知り合いかい」
「堀江さん、どこ行ったんです?」
「知らないねえ。あたしも知り合いの紹介で仕方なしに貸したんだが、何しろ強引な人でねえ。ちょっと荷物を置かしてもらうだけでいいってんで承知したら、ドカドカといろんなもの運び込んで、その上いろんな人間が来て夜遅くまで騒がしいから近所から苦情は出るわで、えらい迷惑したよ。
あんたそんな処で座り込まれちゃ困るよ。
来年早々この建物は取り壊すんだ。長居は無用。早く出てっておくれ」
家主らしい太ったおやじは、こう捲し立てた後、中谷を追い出しにかかった。
外へ出ると師走の風が下から吹き付け、中谷はジャンパーのポケットへ両手を突っ込み縮みあがった。
口の中がカラカラと乾いて唾が出てこない。
(オーイ、堀江さーん。俺を置いてかないでくれー)
涙が両目から溢れ出ると、乾いた唇を濡らしていった。
(堀江、おやじ、俺を裏切ったら、この龍が何をするかわからないぞ)
電車の中で中谷は、吸った息を吐きだせないまま呟いた。
周りの人間がマネキン人形のように無表情なまま停止していた。すべての乗客の目が中谷を見た。
(きっと探し出してやる。そしたら、お前があいつらを俺の替わりに殺してくれ)
中谷は背中の龍を起こそうとして、ドアに背中を二度三度ドンドンと叩きつけてみた。
(お前はもうお終いだ。これ以上、無理して立ち上がろうったって駄目だよ。
私もお前のような負け犬に取りついたのが間違いだった。もう私のことは放っておいてくれないか)
中谷はその言葉を聞き終えると再び背中を強くドアに叩きつけた。
アパートに戻ると飯も食わずに布団を被って眠った。
ひたすら眠りたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます