第11話 町工場
「次の駅ですよ」
堀江は中谷を肘で軽く突くと、ニヤッと笑い、
「おやじ、やってる?
この間ちょっと話した人連れてきたよ。いい人だろ」
町工場が立ち並ぶ角の小さな下田屋の一軒家のガラス戸を開けると、十畳くらいのコンクリートの土間に、所狭しとプレスの部品と機会が置かれていた。
新聞配達の区域にプレス金型を作っている工場があるが、もう少し整然としていたような気がする。
しかし中谷にとってはいつもは脇役の自分が、今日は舞台の主役としてこの場に立っているのだ、という思いが迫ってくる。
汚い舞台ではあるが、それがかえって、次なる舞台展開を想像させる力を与えた。
日本の企業は、みなこのような汚い町工場から世界へと躍進していったのだ。
今、俺が立っているこの場所も、そうなる可能性は充分にある筈だ。
いつか俺も、実業界の主役になってやる。
中谷は、今までに雇ってくれた新聞屋の所長の顔、同僚の顔、学校時代の教師やクラスメイトの顔が、羨望のまなざしで自分のことを見つめている場面が浮かんだ。
「おやじ、手を休めて、ちゃんと挨拶しろよ」
プレス機の前に座って、ナッパ服を着た油まみれの背の小さい、いかにも貧弱なおやじが中谷に向かってペコンと頭を下げた。
そして近づいて来て、名刺を一枚胸ポケットから取り出し中谷に渡した。
「このおやじが大したもんなんだよ。
おやじ、特許のおりたのを持って来て見せてやんなよ」
堀江がそう言うと、おやじは少し煩わしそうな顔をして奥の畳敷きの休憩室になっている部屋に入っていった。
堀江は段ボールに入った部品を一つつかんで中谷に見せると、
「これがすごいらしいよ。俺もどの辺が特許か分かんねえんだけど、とにかくすごいのよ」
しばらくすると、おやじがお盆にお茶とせんべいの入った器を乗せて出てきた。
隅にある油まみれの机の上には、中谷の配っているのと同じ新聞が無造作に広げてあった。
おやじはその上に、お盆を置くと、
「どうぞ」
と二人に茶をすすめた。
堀江は湯呑を取り上げると、
「おやじ、特許の証書は?」
「ちょっと待ってくださいよ」
再びおやじは奥の部屋へと消えた。
堀江は小声で中谷の耳元でささやいた。
「何しろ、世界的な発明だって言われてるもんで鼻が高いのよ」
おやじは面倒くさそうに黒い鞄を抱え込んで部屋から出てくると、二人の前に三枚の特許の証書を取り出し、中谷に手渡した。
中谷が初めて見る表彰状のような証書を手に取り、一枚一枚眺めると、そこには確かに特許庁の大きな角印が押されていた。
二枚は実用新案第、、、号 もう一枚には、特許第一号 と書かれてあった。
「おやじ、これ売っちゃうんだって?」
堀江が尋ねた。
「だって売らないと年越せないんだよ。涙のんで売るしかないよ」
情けない声が中谷の耳に入った。
「いったい、いくらで売るんですか」
「いや、大した額じゃ買ってくれないんですよ。足元見て」
「おやじ、いくらあれば年越せんのよ」
堀江が聞いた。
「三百万もあれば何とか大丈夫だと思うよ」
おやじの頼りなげな声がプレス機に反射したように部屋に妙に響き渡った。
「中谷さんがもし出してくれたら、この特許、中谷さんにあげて、工場跡継いでもらってもいい?」
「そりゃ、あいつら大企業の連中に売るよりよっぽどいいけど、、、、」
「大丈夫、心配すんなよ、おやじ。この人はタダの人じゃないんだ。
来週中には用立ててくれるから安心しな」
「本当ですか!中谷さん」
中谷は一瞬当惑したが、おやじの涙ぐんだ眼を見て何も言えなかった。
「それじゃ来週又来るから、書類の手続きしておいてね」
おやじは頭がコンクリートの土間にくっつく程、腰を曲げて二人に頭を下げた。
「ちょっと待ってよ、堀江さん。俺だってそんな大金用意できるか分からないよ」
「そう、それは残念だ。じゃ、他の奴にあたるしかねえな。
おやじ、悪かったな。中谷さんがダメじゃ俺にはどうにもならねえよ。何とか知り合いあいで金出してくれるのいないの」
「何とかします、中谷さん。すみませんでした。変なお願いしちゃって」
「いいって事よ、気にすんなおやじ。じゃ俺たち帰るから、まあ体に気をつけてな」
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