第10話 特許

その年もあとひと月で終わろうとしていたある休刊日、中谷はどこへも行かず部屋に閉じこもって本を読んでいた。

中谷は、炬燵の中で本の人物になりきって手を握り締めた。


「ごめんください」

めったに人が訪れたことのない中谷のアパートの戸をノックする者がいた。

中谷はガス屋の集金だと思って、財布を棚から取ると立ち上がってドアを開けた。


するとそこには、堀江が買物袋を手にいっぱい下げて立っていた。

「中谷さん、休んでるところ悪いと思ったんだけど、ちょっと話したいことがあってさ。上がってもいい」


そう聞くまでもなくすでにクツを脱いで板の間に一歩踏み込んでいた。

「おお寒、やっぱり炬燵はいいね」

堀江は図々しく炬燵に足を突っ込むと、買物袋からビールやらウイスキー、それにつまみを所せましと炬燵の上に広げた。


中谷は断りようもなく、数冊の本を片付けた。

堀江はすかさずその一冊を取り上げ、

「なになに、M下K之助伝。難しそうな本読んでるんだねえ、中谷さん」


中谷はそれを堀江の手からひったくるように取り上げると、ソソクサと本棚へ閉まって堀江の顔を見つめた。

「そんなに怖い顔で見ないで下さいよ。

中谷さんにあっちゃかなわねえや。まあ、ビールでも飲みながら話しましょうや」


そう言うと堀江は、缶ビールの栓を二つ開けて一つを中谷の前に差し出し、自分の分を半分ほど一気に飲んだ。


「あーうめえ。

実はね中谷さん。私、前からあなたはこんな仕事いつまでもしているようなお方とは思ってなかったですよ」


残りのビールを一気に飲み干してから、中谷の顔を覗き込んだ。

「それで」

中谷はぶっきらぼうに言うと、自分も缶ビールを一口飲んだ。

「実は私の知り合いにこういう奴がいてね」


堀江は胸ポケットからたて書きの薄汚れた名刺を一枚取り出して、中谷の前に置いた。


「実はこのおやじ、大変な発明家でね。特許いくつも持ってんのよ。

この住所で今でもおやじ一人でプレス加工やってんだけど、何しろこのおやじ、自動車の部品なんか作ってんだけど、注文くると、図面なんか自分で描いちゃって大手の会社もびっくりするような物作っちゃうのよ。

ある人から言われて、そういうの特許申請するようにしてるんだけど、今まで随分と親会社に貢いじゃったみたいなのよ。


俺、ここの生まれでさあ。ガキの頃から知ってんだけど、変わったおやじで結婚しなかったのよ。もっとも、する暇もなかったらしいけど。

それで、この間、俺実家に顔出したら、このおやじもう年だから、後継ぎが欲しいって言ってんのよ」


そこまで話すと、もう一本ビールの栓を開けた。


「なんとか言ってよ、中谷さん」

「、、、、、」

「俺さあ。あんな汚ねえおやじの跡継ぎなんか成りてがねえって言ったんだけど、興味のあるやつがいたら、紹介してくれって言われてきたの」


「、、、、。プレスの部品って、一体どんなもんなの」

中谷はおもむろに口を開いた。

「俺も良く分からないんだけど、何しろ、自動車のエンジンの一部に使われているらしいんだって。

今持っている特許はもう、降りてて、結構価値があるみたいよ。

何しろ外国のメーカーからも問い合わせが入るらしくて困ってるって言ってたよ」


堀江は今度はウイスキーのボトルに手をやり、勝手に台所に立ってグラスを二つ持ってきた。


「面白い話でしょ。今度、休みとって二人で行ってみない?

ここからだと電車で一時間くらいかな」


中谷はそのおやじの姿と、最近読んだ本の主人公を心の中でダブらせてみた。

その本の主人公も特許王と呼ばれるほど、多くの発明をして、現在の不動の地位を築き上げた。

もしかしたらそのおやじも、、、、。


まさか、と思いながらも、跡継ぎが欲しいという話と特許のことを聞いてしまった中谷は、そのおやじに出会うところから既に空想が始まっていた。

二人はその日、いつの間にか意気投合し、酔っぱらったまま朝刊の時間を迎えた。

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