第7話 背中

「こんちわー、Y新聞でえす。集金に伺ったんですがー」


中谷は、爺さんの玄関の鍵のかかってない引戸をガラガラっと開けると、大きな声で怒鳴った。

爺さんの耳がすでにかなり遠くなっていることを知っている中谷は、もう一度大きな声で叫んだ。


「おお、君だったのか」

奥の座敷から爺さんが出てきて廊下に立った。


「ちょっと待ってくれ。今財布持ってくるから。

それでいくらだい。一万でつりあるかね」


「大丈夫ですよ!」

中谷は、この五年以上毎月繰り返される会話を台本通り進めている。


中谷の手にはつり銭と、ビール券が一枚用意されている。

爺さんが再び奥からデカいがま口を持って玄関に立つと、中谷は首尾よく一万円札を受け取り、つり銭とビール券を爺さんの両手に乗せる。

爺さんは、がま口につり銭を不器用にしまった。


「この間の絵画展行ってきたよ。あまり良く無かったねえ。

絵が生意気だよ。最近のあいつは」

「そうですかー。

ところで最近、新聞の方はちゃんと入ってますよね」


中谷は絵の話になると長くなるので、いつもこのように切り上げるのである。

「ああ、この間は一週間も全然入ってないから電話して怒ってやったんだ」


「本当にすみませんでした。もうこんな事はありませんので勘弁してください」

中谷は頭をぺコンと下げると、口から戦争体験の話が出ないうちに、クルリと背を向けて帰ろうとした。


「君、ちょっと待って」

中谷は聞こえないふりをして玄関の戸を急いで開けた。

「ちょっと待ちなさい」


爺さんが自信に満ちた強い口調で中谷の背中に声を掛けた。

そして狭い玄関の廊下から突然、茶色く日焼けしたしわだらけの両手を伸ばし、中谷の背中をがっちりとつかんだ。


中谷はいつもと違う成り行きにびっくりして、玄関の戸を開けたままその場に立ち尽くした。

「君、君の背中に大きな龍が一匹住みついてるよ。

信じられん、見事だ。

この龍は、めったにない龍なんだ。

一万人に一人いるかいないかだよ。

この龍をもっているのは」


いつもとまるで違う事を言い出した爺さんをついに気がふれたかと思った中谷は、肩に触れられたまま、更にじっとしていた。

爺さんはゆっくりと、中谷の肩から手を離すと、

「こっち向いてごらん」

と声を掛けた。


中谷はキツネにでもつままれたように振り向いた。

爺さんのごま塩頭の顔を見つめると意外にも真剣だった。


「わかるかね君。君の体には今、大きな龍が宿っているんだ。

それもただの龍じゃないぞ。

滅多な人間にこの龍は宿らないんだよ。

君は選ばれたんだ。

わかるかね。

当分の間、どんな事でも成し遂げる事ができるんだよ。

自信を持ちなさい。

大したもんだ!


この年になると、人には見えないもんが見えるようになるんだ。

大いに暴れなさい。

君はそこらの人間とはわけが違う。

大したもんだ。

何かあったら私の所に相談に来なさい。

いつでも相談に乗ってやるから」


そこまで一気に言い終えると爺さんは、クルッと背中を向け、

「ここんとこしばらくあの龍を見なかったが、全く大したもんだ」


ぶつぶつ独り言を言いながら奥の部屋へ入って行った。


中谷は恐る恐る後ずさりしながら玄関をソーっと閉めると、慌ててバイクに乗り営業所へ戻った。

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