僕らが捨てた国から、馬車で二日ほど進んだ所の森の中。

木の根っこやら石ころを車輪が踏みつけるたびに、馬車は大きく揺れた。「舌は噛むなよ」と笑ったアイラスは、次の揺れで舌を噛んだ。

深い森の中の道のない道を迷いなく進む馬車の前に、古びた洋館が現れた。井戸と馬小屋が傍にある、二階建ての建物だった。壁には蔦が走り、窓には戸板が張られ、屋根は陥没していて……、とてもじゃないが人が住んでいるとは思えなかった。


「今日からここがボウズらの家だ」


そう言って馬車から降ろされた。

アイラスはシュウにごてごてとした鍵を渡し、馬を小屋に戻しに行ってしまった。シュウは鍵を持って、今にも倒れそうな扉の前に立った。鍵なんて使わなくても蹴れば開きそうだったが、シュウはそっと鍵を開け扉を押した。


「凄い……、これも魔術の一つなんですか?」

「まあ、そうなるな」


蒼が目を丸くするもの納得がいった。

朽ち果てそうな外観とは違い、その内側は簡素な別荘といったところだった。家全体が扉を入ってすぐの広い応接間から見渡せるような内装で、一階には扉が見えるだけで四つ、二階には左右三つずつあった。細かな装飾のなされた階段の手すりや窓枠は美しく磨き上げられており、敷き詰められた緋色のカーペットには塵一つなかった。


「お帰り、シュウさん」


二階の部屋の一つから、人が出てきた。

その人は目も髪も肌も色素が薄い、どことなく不思議な雰囲気を持つ――、年齢的には僕らとそう変わらなさそうな少年だった。眠たそうな目を擦りつつふらふらと僕らの横を通り過ぎ、玄関の右側にある扉を開けた。シュウがローブを脱いで目の前の大きなソファーに腰掛けるのと同時に、白い人がポットといくつかのカップを持って戻ってきた。


「座って。紅茶、入れるから」


そう、静かに言った。

言われるままぎこちなくソファーに座ると、みんなに甘い香りのする紅茶を出してくれた。その紅茶を注ぐ右手に、シュウがしていたのと同じような緋色の石がはめ込まれた指輪をしているのに気が付いた。そういえば、アイラスもごつごつとした指輪をしていたかもしれない。

白い人は僕の隣に腰を下ろして、愛用らしき使い込まれたカップに自分の分を入れ、ふと思い出したように口を開いた。


「ハク、です。多分、君たちの先輩、になるのかな」


紅茶に白い砂のようなものを大量に入れながら途切れ途切れに言って、持っていた紅茶を一気に飲み干した。紫がそれを見て紅茶を口に含んだが、相当熱かったのか口元を押さえていた。


「ここに来たのはお前だけか? ラドルファスはどうした」

「先月、死にました。多分、老衰」


ハクは二杯目の紅茶を注ぎ始めた。僕が飲み終わったことにも気付いたのか、空になったコップに並々と注いでくれた。

シュウはといえばハクの言葉に相当驚いたらしく、手袋を取りながら中に入ってきたアイラスを無言で睨んだ。


「なんだよ……、言うの忘れてただけじゃねえか」


バツが悪そうなアイラスを睨み続けながら、シュウは口から飛び出しそうな言葉を必死に抑えているようにも見えた。大きく息をして、紅茶を全て喉に流し込んだ。


「……ラドルファスからどこまで学んだ」

「多分、教われるものは全て。あと、師の得意だったものを」

「ダイジョブだって、ラドルは仕事が速い。心配なら、シュウよ、お前の傍に置いとけ。そんなに沢山、面倒見きれんだろ」


と僕たちを見て言った。

ラドルファスという人の名が出てきた時点で何がなんだか分からなかったが、シュウと同じようなことをしている人がいるというのが、何となく分かった。そしてその弟子がハクなのだ、と。

シュウとアイラスの口論はまだ続いていたが、当の本人であろうハクが僕たちを二階へと引っ張った。一つずつ部屋を与えてくれ、服を洗うからと着替えまで用意してくれた。


「うーん、これは……新しいのを買った方が、いいかも」


ハクは僕たちから渡されたボロボロの服を見て呟いた。今まであんまり気にしたことがなかったけど、日に透かされるとその布の薄さがよく分かる。紅だけがその言葉に心配そうな顔をしていると、


「この服、大事なものだった?」


そう、紅に目線を合わせて聞いた。


「あ……、ううん、そこまで大事って訳じゃないの……もう……ボロボロだし……」

「ああ……、この色が良いんだね」

「! そう、私、赤色が好きなの」


紅の返事にハクは穏やかに笑って、そしてまだ言い争っていたアイラスをシュウから引き離し、足早に出て行ってしまった。どうやら早速買い物に行ったらしい。数時間かけて最寄りの街まで出かけたハクとアイラスは、大量の布と丈夫な革靴と食べ物を馬車に積んで帰ってきた。もちろん、紅にはワンピース用の鮮やかな赤い布地を。

慣れた手さばきで一枚の布から動きやすそうなワンピースを創り出すと、その襟元に赤色と緑色の糸ですいすいと魔法のように花を咲かせていく。


「すごい! すごいわ! これ、本当に私なんかが着ても良いの?」

「もちろん」

「ほんと? 本当に?! 信じられない!」


紅は終始とんでもなく興奮していて、そわそわとハクの周りをチョウチョのように飛び回っては紫に冷やかされていた。

後で知ったのだが、ハクは幼い顔立ちをしているものの、僕らよりも十歳ほど年上とのことだった。灰色っぽいと思っていた瞳はよくよく見ると青みがかっていて、「お星さまみたいできれいだね」と言うと、ハクは困ったように笑っていた。






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