5
次の日、城の向こうから軽い発砲音が聞こえてきた。
ちょうど昼の配給を貰っているところだったから、暖かいスープを渡してくれた人に何の音かを尋ねた。
「今日は祭典があるんだよ。この前お生まれになったお姫様のお祝いパレードさ」
その人は「幸せのお裾分け」と、焼き菓子をいくつかくれた。僕を待っていてくれた紅に駆け寄ると、「私も貰ったわよ」と上着のポケットを叩いた。
「私もパレード見に行きたいわ。向こうにいた時、姉さんたちの仕事の手伝いでしか行けたことないもの」
「僕は、楽しそうな音楽しか聞いたことないよ。……例えば何があるの?」
「うーん、そうねえ……、食べ物を売ってる店が並んだり、綺麗な衣装を着た人たちが街中を踊り回ったり、翠の言う通り、音楽隊なんてのもいたわね。昔はサーカスも来てたらしいわよ」
紅はまるで蒼を見つめている時のような表情をしていた。紅の話を聞いても、一回も見たことがない僕にはパレードというものの素晴らしさは想像できなかった。手に持ったスープを啜り、その暖かさにほっと一息つく。最近日を追うごとに寒くなってきて、寝る時に窓をぼろ板で塞がなくてはならなかった。
紅の話に耳を傾けながらホームについた頃には、城の向こうから聞こえてくる音は楽器の音へと変わっていた。音は風に乗ってやってくるので、よく聞こえたり聞こえなくなったりした。
ホームの一角の、風があまり当たらない所でスープを飲んでいると、シュウが近寄ってきた。その傍には当たり前のように蒼がいて、紅が慌てて髪を撫でつけたのを僕は見た。
「まだおはようと言っていなかったかな」
「うん。おはよう、シュウ」
「おはよう、蒼も」
紅は蒼に今気付いたかのような口調で言った。蒼はいつもと変わらぬ調子で「おはよう」と返した。シュウは肉団子をかじり始めた僕を見ながら、「ちょっと話があるんだ」と小声で切り出した。
「今日、私と街へ行ってみないか」
つまりは、パレードを見に行かないかということだった。
僕は喜んで頷いたし、紅も蒼も同じだった。
「あと紫も連れて行こう。さぁ、早く支度をしなさい。パレードが終ってしまってからでは遅いだろう」
結局のところパレードが何か分からなかったが、僕は急いで肉団子をほおばってまだ暖かいスープを飲み込んだ。すでに食べ終えていた蒼は「紫を呼びに行ってきます」とその場を離れる。シュウは「忘れ物がないようにな」と念を押した。それに僕は苦笑いで答えた。僕らは忘れるような物は持っていなかったし、忘れてもまた取りに戻ってこればいいのだから。
***
五人でこっそりとホームを抜け出して、崖に申し訳程度に備え付けられている木の階段を上った。長い間雨風に曝されたであろう階段は、体重をかけるたびに低い悲鳴を上げていた。壊れないかが心配だったが、ここを降りたとき同様、何とか耐えているようだった。
門扉の前まで来ると、僕が中に入る時にもいた門番がいた。服装は少し違ったけれど、帽子とコートの間から見える目はあの時と同じだった。
僕たちがぞろぞろと階段から上がってくるのを見て目を丸くしていたが、シュウが声を掛けるとはっとして門扉を開いた。
「全員、ですか」
「そうだ。宜しく頼む」
シュウはそんな会話を、呆れたような顔をしている門番とした。
どうやら、本当に僕たちは鉄柵の外へ出ることを許されたようだ。
門番は短いハサミのような物を持ってきて、それで僕たちの腕に付いている腕輪を切り始めた。がちんと高い音を出して、それは簡単に地面に落ちた。門番は四つの腕輪を大切に木箱に仕舞いこみ、代わりにシュウに小さな紙切れを渡す。シュウはそれを一瞥して、ローブのポケットから重たそうな布の袋を取り出して門番の手に握らせた。
「では、お気を付けて」
門番はそう言うと、再び【スラム街】を監視し始めた。僕たちはそんな彼を見ることはなかった。なぜなら耳には楽しげな音楽が、目には色とりどりの衣装や装飾品が飛び込んできたのだから。風に漂ってくる美味しそうな匂いも、僕の心を躍らせるには十分だった。
今にも走り出しそうな紫の首根っこを捕まえつつ、シュウは騒がしい方へ進みだした。似たような、でも庭付きの広々とした家の間をすり抜けていくにつれ、人の数も多くなってきた。誰もが目の前の光景に見入っているのか、僕たちの存在に気付いてはいないようだった。僕たちは彼らに比べれば酷い格好をしていたから、それはそれでありがたかった。
僕たちはシュウから離れないようにしながら、右へ左へと視線を動かす。紅の言っていた通り、そこはまるで夢の世界だった。【スラム街】の中の赤茶色い風景とは違い、すべてが目の痛くなるような強い色で覆われているのだから。路上に並ぶ屋台には様々な食べ物が並んでいて、聞いたこともない言葉が活気よく飛び交っている。その近くを大きなスカートを揺らしながら踊る女性たちは、手に持った籠からたくさんの花びらを空に撒いている。それを両手で叩くように捕まえて、なくさないようポケットに捻りこんだ。他にもたくさんの物を見たが、言葉を学び足りていない僕には表現することができなかった。
「こっちだ。はぐれるんじゃないぞ」
ふいに、上着の首元を引っ張られた。
ようやく自分がこの人込みの中で迷子になるところだったのに気がついた。振り向くと紫が冷やかすように笑っていて、顔が熱くなるのが自分でも分かる。シュウは心配なのか、僕の頭に手を乗せながら歩き始めた。パレードに見入っている人々の間をすり抜けて、祭りの中心である広間を出る。まだパレードは終っていないのにどうして中心街を抜けるのかが分からなかったが、シュウは黙って僕たちを押し続けた。
下流層の住居地区を抜け、裏市場と工房通りを進み、ついには城門の前に来てしまった。中央通りに国民のほとんどが集まっているのか、ここらいるのは詰まらなさそうに本を読み、時々パレードのほうを気にしている留守番だけだった。
「なあシュウ、こんな端っこに来ても意味ないぜ」
「そうだよ。ホームは反対側だし」
紫と僕が何を言ってもシュウは振り向こうとせず、とうとう出国手続きをしてしまった。傍にいた兵士が、人が出入りする小さな扉を衛る鉄格子を上げるための歯車を回し始めた。
「さぁ、行こうか」
今にも開きそうな扉の前に立ったシュウが、そのしわくちゃの手を伸ばした。
蒼は何もかも知っていたかのようにシュウの隣に駆け寄り、僕らの顔を見た。紅はそれで何かを悟ったのか固く握った手を細かく震えさせていたが、意を決したらしく歩き始めた。
紫が僕の顔を見た。
何を言いたいのか、手に取るように分かった。
「す、翠たちも早く来なさいよ! この国に未練なんてないでしょ」
震え声の紅の後ろで、地鳴りのような音を立てて鉄格子が上がりきった。それと対照的に軽く開いた木の枠に切り取られているのは、果てしなく続く青々とした風景だった。
紅の言葉がやけに耳に残り、僕は後ろを振り返って国を見た。
まだパレードは続いていて、まるで僕らなど最初からいなかったような感じがした。ホームから僕たちがいなくなっても、きっとファミリーはいつも通り寝床に付くのだろう。今までもそうだったように。
喉の奥が、きつく締め付けられた気がした。
僕は紫の袖を掴み、消え入りそうな声で「行こう」と呟いた。紫は拒まなかった。
やっとのことで決心した僕らを見て、シュウは扉の外へと歩き出した。外へ出ると、兵士が歯車を反対側に回し始める。開ける時よりもずっと早く、鉄格子は地面とぶつかった。
「すまないな、急に連れ出してしまって。しかし君たちにたくさんの魔術を教えようと思ったら、あまり時間がなくてね。……ほら、あれに乗って移動するんだ」
シュウは雨風で色あせた城壁の傍に止められている馬車を指差した。美しい毛並みの馬が二頭繋がれていて、荷台には土色の布が掛けられていた。
「どこまで移動するんですか? シュウ」
「とりあえず、私たちの隠れ家だ。さぁ行こう。もう一週間もアイラスを待たせしまったからな」
シュウが僕らを急かして言った。
馬車の荷台に乗せられて、揃いのコートを手渡された。兵士が着るような黒いコートはとても暖かかったけれど、僕たちが着るには少しばかり大きかった。御者台にはシュウよりは幾分か若そうな男――、多分さっきシュウが言っていた、一週間待ちぼうけを食らっているらしいアイラスという男が座っていた。髭は短いが伸び放題、肩近くまである髪は適当に後ろで纏められていて、シュウと似たようなローブを纏っていた。シュウが隣に座ったのを見て、大げさな態度で肩に手を回した。
「おうおう、久しいなあシュウよ。何年ぶりだ?」
「悪かったよ、悪いと思ってる」
「いっつもそれだかんなあ……。おいボウズ……おいおいおいなんだこりゃ、いっぱい連れてきたな。一人じゃなかったのか? ……まあいいか。おい、ボウズども、忘れモンはねえな? 一応言っとくが、ここには二度と帰ってこねえと思うぞ」
アイラスは仰け反るように後ろを向いて、僕たちの顔をじっと見つめてきた。蒼はどこか思いつめたように荷台の床を眺めていたので、紅が突っぱねたように答えた。
「ないわ、そんな物持ってないし」
「そりゃいいや。んじゃ、行くか」
「頼む」
アイラスは手綱を波打たせ、縮こまって生えている草を舐めていた馬たちを道なりに西へと進ませた。
僕たちは荷物のたくさん載った荷台の中で身を寄せ合いながら、刻々と遠のいていく城壁を見つめていた。風がいまだ続くパレードの音楽を、名残惜しげに届けてくれた。
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