いつだっただろうか、ファミリーの一人が見知らぬ大人を連れてきた。


名前はシュウといった。

白い髭の老人には、不釣合いな名前だと思った。


西から来たというシュウは、薄汚れてはいるものの触り心地の良い黒いローブに身を包んでいて、しわの刻まれた指には綺麗な装飾がされた指輪がいくつもあった。僕たちはシュウの格好をしげしげと眺めながら、彼が普通の大人ではないことをなんとなく感じていた。

それから何日も、シュウは【スラム街】から帰らずにホームにいた。シュウが家族に捨てられてここに来たようにはどうしても思えなかったけれど「もしかしてシュウも捨てられちゃったの?」と聞くと、シュウは笑って誤魔化した。


シュウは、よく旅先の話をしてくれた。

湖に沈んだ古代都市の話だったり、氷の国に住み着く人食い鬼の話だったり、子供をさらって食べてしまう蜘蛛女の話だったり、世界を造った神様の話だったり……。すべてが僕らにとって夢物語だった。あまりにもたくさんの語をしてくれたから、そのほとんどは忘れてしまったけれど。

でも一つだけ、はっきりと覚えている話がある。

確か、シュウから聞いた最後のお話だった。

僕たちはホームの傍にある、いつもシュウが寝泊りしていた部屋に集まって寿司詰め状態で話を聞いていた。シュウは今にも朽ち果てそうなベッドに座り、笑っているのに楽しそうではない表情を浮かべて僕たちの様子を見ていた気がする。


「そうだな、今日は『神の口』の話をしてあげようか。これを聞いたのはどこだったか……。確か、ここから西にだいぶ行ったところにある国だったかな。その国はある年凶作に見舞われて――、あぁ、凶作っていうのは、天候に恵まれなくて作物が取れなくなることだ。この国では滅多にないらしいが。それで、国中の人たちが何日も何日も神様に『助けてください』って頼んだのさ。するとどうだ、神様の答えかはたまた偶然か、ある日突然地面が大きく裂けて、深い深い溝ができたそうだ。その国一番のシャーマン――シャーマンっていうのは、神様と会話ができる人のことだよ。その人が『神のお告げだ』と騒いでね、その溝は神の口と呼ばれるようになった。そうしたら、次に人間は何をしだすと思うかい。……生け贄さ。まだ幼い子供たちを、神様への贈り物だと言って、その溝にたくさんの装飾品をつけて、落としたそうだ」


シュウは僕たちに馴染みがなさそうな単語を口にするたびに、なるべく分かりやすく噛み砕いてくれた。それでも分からずに首をかしげる僕と目が合っては、くすりと口元に微笑みをたたえていた。


「かわいそう」

「どうしてそんなことするの?」

「人間ってのは追い詰められるとどうにかなってしまうのさ。どこの国でもそれだけは変わらない。そしてそこの人たちは、国中から子供がいなくなるまで、儀式を続けたそうだ」


「それで儀式は終わったの」と、先を急ぐ誰かが尋ねた。


「いいや、終わらなかったよ。それどころか、今度は若い女たちを生け贄にしたのさ。これがどういうことになるか分かってなかったのかね。若い女子供がいなくなって、次に差し出すのは若い男か老人か悩んでいる時だった、誰かがふと言ったそうだ。『神は私達に何かしてくれたか』と。その通り、いまだ神様は彼ら対してに何もしてはくれていなかった。人口が減ったせいか、食料にはある程度困らなくなったそうだがね。私たちから見たら正論だけど、その国の人たちにしてみれば神様への冒涜だったんだろう。彼は次の日には生け贄にされたそうだ。子供たちの時に金の装飾品を使い果たしてしまった人々は、しぶしぶ銀を、それがなくなれば銅を使った。そうしていつしか老人が溢れて、抵抗する生け贄を押さえつけることができなくなった頃――、神の口が震えだしたそうだ。国中が大きく揺れて、立っていることすらできなくなった。多くの建物も崩れ去り、それに巻き込まれて死んだ人もいたそうだ。今まで神様を信じていなかった人もこれには腰を抜かしてしまって、自分から神の口に飛び込んだ人間もいたらしい」


「それって、地震じゃあないの」、と誰かが言った。

地震が何か分からず反対側に首をかしげる僕を目尻で追いながら、シュウは再び口を開いた。


「あぁ、その通りだ。でも、その国には地震がほとんどなくて、神様の仕業だとしか思えなかったんだ。皮肉なものだね。……そうして、国からは人がほとんどいなくなってしまった。だけど、実は神様を信じていない人もいたんだ。彼らは生贄騒ぎが始まった頃に国を出て、外からその様子を見守っていたと聞いた。そんな彼らが国に戻り始めた頃、神の口がすっかり消え去ってしまったそうだ。まだ国に残っていた神を信じる人は、さぞかし落胆しただろうね。それと同時に雨が降り出した。ただの偶然か、それとも神様の慈悲か……、それでも残った人たちは喜んだ。『待ち望んだ雨が来た』ってね。神の口が閉じても、作物が再び採れるようになっても、国は人口がとても少なくてね、旅人を移民として受け入れ始めたんだ。私もその国に半年くらいいたんだ。そこで出会った商人に、この国のことを聞いてやってきたのさ」

「ふぅん」

「かみさまって本当にいるの?」

「ね、もっと面白い話してよ」


まだ眠りこけていない子たちが、口々にシュウに詰め寄る。シュウは髭を梳きながらくつくつと笑った。


「そうだな、面白い話はまた明日してあげよう。君たちはもう寝なければいけないだろう」

「えー」

「まだ大丈夫だよ!」

「ほらほら、蒼に怒られるのは私なのだから、さっさと寝ること。いいね」


シュウがそう言うと同時に、一緒に話に聞き入っていた蒼がはっとしてみんなを自分の部屋へと追いやり始めた。気持ちよく眠っていた子たちも同じ部屋の誰かに掴まりながら、また明日ね、おやすみと帰っていく。

よく最後まで残っていた僕と紫は、シュウに背中を押されて部屋の外へ追いやられた。

何度も「早く寝るように」と、やさしく釘をさされて。






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