第11話「海誓山盟」

見つかるわけないって、わかってた。


わかってたけど、走らずにはいられなかった。


もしかしたら、運命的な何かで、偶然鉢合わせることだってあるじゃないか…、そんな無謀な賭けに出た俺は、会えなく大爆死した。


もう走ってすらいない。ゆっくりと歩きながら、必死に辺りを見回す。最初は近くの幽霊にも情報を聞いていたのだが、しつこい俺にやがて煙たがられるようになり、気がつくとほとんどの幽霊が俺を避け始めていた。


もう誰も味方してくれない、だなんて妄想を抱きつつも、唯一味方してくれるであろう存在を思い出し、俺は携帯を開いた。


見ると既に10件を超える電話の通知が来ていた。


そしてまさにその瞬間に電話がかかる。反射的に電話に出ると、


「…全く、何で誓太は携帯を携帯している意味が無いんだろうね」

「…すまん」

「とにかく、今どこ?」


その時、初めて俺は自分の場所を知ろうとした。がむしゃらに走りすぎて、信号しか周りに気にする要素が無かったからだ。


俺が後ろを向くと、そこには天にそびえ立つ塔があった。


新設された3つ目の、東京の電波塔だった。


「…おっけ、入り口近くで大人しく待機してな」


電話越しの研の声は、怒っているよりも呆れている方に近い気がした。しかしよくよく考えると、盟子が大きくなった姿を見たことはないのだから、闇雲に探していても見過ごしていたかも知れない。


これは俺に一方的に非があるな、と、みんなから怒られる覚悟をこっそりと決めていた。






結果として、相太に怒鳴られる程度で済んだ。相太もどちらかというと犬の甘噛みのようなもので、他の皆からは同情の念が醸し出されていた。今回はそれにありがたくあやかっておく。


「…とにかく、もう勝手な行いをするな」

「どこの先生だよ」

「うっせーな口を挟むな!」


俺がボソッと言うと相太が噛み付いてきた。


「俺たちは仲間だろ。少しは頼れよ」


思わぬ横槍が入った。俺の中で、相太の評価が跳ね上がる。


しかし満足げに頷く相太を見ると、どうやらカッコいい言葉を言った自分に酔っているらしい。さっき噛み付いてきたのはこれを言いたいからか。残念ながら評価は半減した。


「…でも、方法が見つからない」

「馬鹿、それをみんなで今から考えるんだろ」


相太が軽く小突いた。その横で捺実がうんうんと頷き、倉之助と研も笑みを浮かべている。


…うん、やっぱり、こいつらと俺は親友だ。そう再確認できた。


「だが実際どうすればいいんだかな…」


結局何も思いついていない相太に、思わず笑いが漏れる。


「…あのさ」


その時、倉之助が手を挙げた。皆が倉之助に目線を向ける。


「未来視すれば、もしかしたらわかるかもしれないけど…」

「…そうか!その手があったか!」


相太が倉之助を指差して叫ぶ。突然上げた声に通行人がギョッとして振り向くが、相太はそれに構いもせずにまくし立てた。


「もし、俺らがこの後盟子に会えるっていう未来が存在するなら、倉之助の未来視を使ってその場所がどこだかわかるってことだ!そうだろ?」

「そうだけど…」


唾を飛ばして話しかけてくるので腕で顔をかばいながら、倉之助は続きを話した。


「もし会えない未来なら、そこで悲しい結果になるし、別の未来が見えたら、会えるのか会えないのかもわからないし…」


そう言って倉之助は俺を伺った。しかし、その言葉は俺を揺るがさない。


「どうせ手段が無いんだ、何も情報が得られなくても一から考え直せばいい。…それに俺は、盟子に会えるって信じてる。会えない未来なんか無いと確信してる。だから、見てくれ」


決意のこもった俺の顔に押されたのか、倉之助は未来視の準備を始めた。目を瞑って特定の力を加えることで、倉之助は未来を見ることができる。外から見るとただ眠っているように見えるので、カモフラージュすることもできる(需要なし)。


しばらく時間が経った後、


「…視えた、」


目を開いた倉之助はただ一言、そう言った。


倉之助の真剣な表情からは、どちらなのかは判別出来なかったが、誰も何も言わずに倉之助の次の言葉を待った。


「…良かった、今日はちゃんとコントロール出来てる。しっかりと視えた。みんなで1人の女子の元に集まってるのを」

「…その女子が、盟子?」


耐えきれずに、先に相太が口を開いた。倉之助は首を縦にも横にも振らなかった。


「わからない。何せ俺らは盟子の成長した顔を知らないから…。でも、俺らが他のようであんな場所に集まっているわけがないから、十中八九当たりだとは思うけど…」

「…あんな場所って?」


今度は捺実が口を開いた。倉之助は、捺実をちらりと見、俺もちらりと見て、そして天を仰いだ。


「…あそこだった。景色の中の建物からして」


皆が一斉に上を向いた。まさか空の中であるはずがないと思いながら見上げると、


「…まさか、あそこにいるのか…?」


考えられるのは、そこしかない。


「あのカラフルなネオンの光の建物。あれが見えた」


倉之助がそう言ってその建物を指差すが、誰もそちらに目を向けない。



…あそこに、いるのか。




…全く、





高いところにも限度ってもんがあるだろ。





——高いところを探してみてよ。



いつかの盟子の言葉を思い出しながら、俺は目の前にそびえ立つ、最長の電波塔を見上げていた。


「…うし!行くか!」

「行くって、まさか何も考えずに?」


捺実が声をかけるのを無視し、相太は走り出した。


「ねぇ、まだ空いてる?」


「最終会場時刻が10時まで、最終入場は9時だから…、ギリギリっちゃギリギリだな」


捺実が聞くと、いち早く携帯で情報を調べていた研が答えた。


入り口を通って中に入ると、既に相太が受付に相談していた。


「大丈夫ですよね!?まだギリギリセーフですもんね!」


どちらかというと声の大きさで受付を打ち負かし、きっちりとチケット5枚を手に入れて相太が帰ってきた。ちょっとした迷惑客である。


「ちょ、お前それ値段バカにならないって…」

「カードで買った。使うことないって親に猛反発させられたけど、ごり押して手に入れてよかった。まぁ多分破産だから、強制的に止められると思うけどな」


ほらよ、と相太はチケットを1枚取り出し、俺に渡した。


「…お前ってあれだよな、行動力がありすぎて突然飛び抜けるよな」

「飛び抜けるって?」

「俺らの発想を」


それは褒められていることにカウントしていいのか、と相太はどう反応すればいいのか困った様子だ。しかしすぐにそんなことは忘れ、「ほら、さっさと行くぞ」と先に駆け出した。


すぐに係員に注意されているの相太を見ながら、捺実が「やっぱ誰にも渡したくないよね」と呟いた。


「…?それはどういう…」


俺の質問は華麗にスルーされ、捺実も歩き出した。そして研、倉之助が続く。


——ねぇ、もしかするとさ、

——もしかすると?


萌恵沙との会話を思い出す。この様子は、もしや、


「…もしかしちゃったのかなぁ」


萌恵沙の洞察力に感心しながら、俺は最後尾で歩き出した。






平日だからか既に客はほとんど帰っており、外の景色を楽しんでいる人がちらほらいるだけだった。


「倉之助、どこに視えた?」


俺が振り向いて聞くと、倉之助は言いにくそうに答える。


「…ここの上」

「上?上って確か、特別展望台のはずだけど…」


捺実が近くにあった案内板を見ながら言う。相太は「流石にそんな金は…」と狼狽えた。


しかし、倉之助はそれを否定した。


「そこじゃない。この展望台の、上」

「この展望台の…?」


意味を理解できずに、皆それを復唱した。と、その瞬間、


「…そうか!」


研が閃いたのか、顔を上げて倉之助を見た。


「どういうことだ?全くわからん」

「えーと、そうだな、なんて言えばいいんだか…」


相太の問いに研は頭を抱える。やがてまとまったのか再び口を開いた。


「…この電波塔は、何というか、やや円錐気味の長い縦棒に、円盤を上から途中まで差し込んだような構造だろ?」


本来なら電波塔ならただ縦に長いだけでいいのだが、展望台として観光客を集める為に、飛び出た円盤状のゾーンを作った。恐らくそれのことを指しているのだろう。


「それが、どうなんだ?」

「えーとだな、つまり」


研は捺実の見ていた案内板に近づく。外から見た簡単な絵で全体像がわかるものだ。


「ここ」


そう言って研が指差したのは、円盤の上。…つまり、on the 今俺らがいる展望台。


「…そこか!」


納得がいった。倉之助が真上と言いながら、特別展望台のことでないということが。


「ここなら、少し階段を登れば…」

「いや流石にここは立ち入り禁止じゃない?そのまま突っ込んだら地上に送り返されるんじゃ…」


捺実に止められて、焦っている自分に気づく。「…すまん、落ち着こう」と、今すぐに動きたい衝動から何とか踏みとどまった。


しかしそんな俺の行動とは裏腹に、相太はダッシュでその場から離れた。しかもあろうことか近くの係員にである。


「ちょ、相太!?」


捺実が追おうとするが、——相太が手振りだけで止めた。


「ねぇお兄さん!」


相太は、まるで中学生のような声のテンションで話しかける。それに釣られて係員も「なんだい?」と子供に相手をする態度をとった。


「ここの上に行くにはどうしたらいいの?」

「ここの上?特別展望台なら、別のチケットがいるけれども…」

「違う違う」


チャイチャイと手を横に振った相太は、声のトーンを変えずに続けた。


「ここの真上!この展望台の上に登ってみたいんだ。だってそうすれば窓も邪魔にならないでしょ?」


登る、という表現で係員は理解したようだ。困ったような顔で相太を諭す。


「そこは危ないから立ち入り禁止なんだ」

「えー、でも柵ぐらいはあるでしょ?」

「あってもダメ。乗り越えちゃうかもしれないし、風に飛ばされちゃうかもしれないだろ?」


一体何がしたいのか、一同が相太の様子をハラハラしながら、しかし何か理由があるのだと期待しながら見つめる。


「いいもん、じゃあこっそり行っちゃうもん」


遂に拗ねた素振りを見せた相太。係員は苦笑して続ける。


「それは無理だな」

「何でよ。掃除とか点検とかしなきゃいけないんだから、行けなくはないでしょ?」

「まず第1、そこは階段でしか登れない。エレベーターじゃ無理なんだ。それにその階段の入り口は常に監視してる人がいる」


その時、相太の目つきが変わった。



……かかった。



階段でしか登れない、…真。監視してる人がいる、…真。



「階段も見回りに来る人がいるし、ドアも鍵がかかってる」



見回りに来る人がいる、…真。鍵がかかってる、…真。



「鍵なんか開けちゃえばいいじゃん」

「鍵ってあれだよ?差し込んで捻るタイプ。トイレの鍵みたいに、回すだけじゃないんだよ」



鍵のタイプ……、




偽。




「…ちぇ、何だよ。隙がねぇな」

「あったら大変だよ。何せこの高さだからね。さ、早く親御さんのところに行きな」


係員に背中を押されてその場から離れさせられるも、相太は係員に余裕の顔を向けていた。



…調子に乗ってないこと言わなきゃ良かったのに。



「おい相太、一体何して…」

「扉の鍵は容易に外せる。外じゃなくて中からかけられるタイプだ」


突然まくし立てる相太に、唖然とする皆。


「無謀だったけど…、ちょっとカマかけたら案外上手くいって驚いてる」

「カマって…、あ、お前まさか」


研が何か気が付いて指をさした。何か気づくのはいつも研である。


「あの質問責め…、能力使ってたな」


研の言葉に、皆バッと相太を振り向いた。その勢いに相太がたじろぐ。


「そうか…いやでも確かに無謀だ」

「余計なこと言うな」


俺のコメントに相太は苦笑いして肩をどついた。実際、運頼みの作戦である。


とりあえず、と相太が報告する。


「あそこに行くなら階段でしかない。多分一般人立ち入り禁止だから、階段の前には見張りがいるし、階段も見回りの人もいる。厄介なのはそこだな…」

「いや、大丈夫だ、ナイスファインプレーだ」


俺はそう言って相太の肩を叩いた。ぽかんとしていた相太は、満足げに笑い、…照れ隠しで「あったりめぇだろ」とまた肩をどついた。


「よし、行くぞ」

「行くって、結局また何も考えずに?」


捺実がまた止めようとするも、今度は俺が捺実に話しかけた。


「占い、まだ好調か?」

「え?」


突拍子のない発言に、捺実が目を丸くする。


「昨日の方が良かったけど…、今日も調子はいい。日頃と比べて」

「よし、じゃあ階段の見回りと鉢合わせしないタイミングを占ってくれ」

「何そのピンポイントな注文!?そ、それはちょっと厳しいんじゃ、」


泡を食って反論する捺実だが、


「捺実、」


相太の一言で、騒いでいた声を止めた。


「出来るよ、きっと」


相太の言葉を聞き、しばし考えてから、捺実はプッと吹いた。


「そこで『絶対』って言わない辺り、相太らしいよね」

「だって責任負いそうだもん」

「負わせるわよ、強制的に」

「何だよ、意味ねぇじゃねーか。…じゃあ」


相太はニカッと笑って訂正した。


「出来るよ。『絶対』」

「…全く」


笑っているような泣いているような、捺実はそんな表情をした。


「…外しても、知らないからね」


そう言って捺実は俺を睨み、倉之助のように目を瞑って占いを開始した。無声音で何かを口走り、集中して、集中して、集中して…。


「…時間ないよ、今から30秒後、扉を抜けなきゃ」

「よし、こっちだ」


先に扉を確認したらしい。研は先導して走り出した。


やがて人が2人立っている扉の前に来る。その2人は不審そうに5人を見た。


「…ここはどうするの」

「任せて」


俺はそう言って、ピコピコハンマーを取り出す。ますます警備の2人が不審感を醸し出した。


「…本来の使用用途じゃないんだけどな」

そう言って俺は2人に歩み寄り、…唐突に跪いて、ピコピコハンマーを床に振り下ろした。


突然の挙動に2人は警戒するが、…その姿勢のまま、2人は固まった。


「10秒で戻るぞ、走れ!」


俺の掛け声で一斉にダッシュした。2人の脇を駆け抜けるが、


「…すげぇ、ピクリとも動かねぇ」


相太が感心したようにそう言った。


4人には見えていないだろうが、今、この2人の魂が半分出ているのだ。


ピコピコハンマーの霊力は、主に憑依した幽霊を引き剥がすもの。その力を、萌恵沙にぶつけた時以上に極限まで高めると、幽霊だけでなく生きている人物にも影響を与える。流石に殺すまでには到達しないが、師匠なら本体と魂を完全に引き剥がすことぐらいは用意だろう。そしてまだ半人前の俺の場合、一時的に魂を半分引き剥がし、そして元に戻る。魂が抜けている間の時間は記憶が無いため、上手くいけば証拠は何も残らない。だから、この力を前方の範囲に放出したのだ。


もはや犯罪じみたこの行為に、後に話すと相太は「俺よりもタチが悪い」と酷評した。


「…そのまま走って、ちょうどいいから!」


扉を閉めてすぐに捺実が声を上げる。すぐさま階段を上るが、


「…ちょっと待て、どこまで上がればいいんだ?」


相太がそう言って速度を落とした。「止まらないで!」と捺実が鋭く叫んだので再び走り出したが、捺実は俺を振り返って心配そうな目線を送る。


「…どう?」

「わからない…、最初もう一回やってみるか。確か扉の近くに構造の図があったから…」

「その必要はない」


その時、研が声を上げた。見ると走る速度が遅いからか倉之助の脇に抱えられている。


「その図なら僕が瞬間記憶しといた。それにあの図って不親切だから、写真撮ってチラチラ見ながらじゃないと無理そうだし」

「…助かるぜ!」


これほど研が頼もしく見えたことはない。思わず声をかけると、研は満更でもない表情を浮かべた。


どうやら倉之助に登った階段の数を数えてもらっているらしく、それと並行して、研は記憶の中で登る階段の数を数えているようだ。


「…解けた、今何個?」


倉之助が答えると、「あと3回だ」と研が俺に声をかけた。続けて俺が先頭を走る相太に同じことを復唱した。相太がこちらを振り向かずにOKのサインを出す。


やがて、例の扉に到達した。


大丈夫かな、だなんてことは言わない。どっちにしろ100%ではないのだ。


だったらむしろ、気は楽な方である。


「行くぞ、」


それだけ言って、俺は扉を開けた。






一周して探さないといけないと思っていたが、それは杞憂に終わった。何故なら、


目線の先に、既に誰かが座っていたからだ。


「…いた、」

「えっ、早っ」


俺の呟きに思わず声を上げる相太。


「…でも確認しなきゃ、人違いの可能性もあるし」

「…そうだね、じゃ、誓太が行ってきて」

「え?」


捺実に背中を突き飛ばされて、振り向く。捺実は輝かしい笑顔を浮かべ、こう言った。


「もし盟子なら、まず誓太と2人っきりで話しておいで」



…全く、こいつらは、



どいつもこいつも、主人公を引き立てる登場人物みたいな態度をとりやがる。




「———ありがと」




俺は背を向けて、座っている女性に走って近づいた。






盟子は、俺の恋人。



俺は、盟子の恋人だった人。



今でも想ってくれないかなぁなんて、少し情けないことを想像している。



盟子の未練も、6人組のことである前に俺のことだったらもっと、とおこがましい。



それでも一途の期待を胸に、俺は今———、






「っばぁ!!」

「うわっ!?」


突然、女性が振り返って、俺の前に躍り出た。心底驚いた俺は堪らず尻餅をつく。


「はははっ!驚いた驚いた!」

「な、な、」


目の前で笑い転げる女性を見ながら、俺は口をパクパクとさせる。


「あー、何でわかったかって思ってる?そりゃあ、下で大きなエネルギーを放出してたらねぇ、誰でも気づくよ」


あれか、と俺は警備員2人の魂を半分出したことを思い出した。


「誓太ってガバガバなんだから…、全く、……本当に……」


女性は笑いながら、———そのまま涙をポロポロと零し始めた。笑い声が徐々に泣き声へと変わり、それが完全に移行した瞬間、



「…!!」



俺は、女性に抱きつかれていた。



幽霊だから、感覚はない。それでも女性は、必死に座り込んでる俺に抱きついてくる。


「会いたかった……!」


自分の中で、何が起きているのかわからなかった。安堵、驚き、嬉しさ、悲しさ、そこまでの感情は掴めたが、それ以外に混ざりこんでくるものがわからない。こんがらがって、説明できなくて、混乱しかけたが、


…1つだけ、わかったことがある。それだけで、充分だ。



「……よかった、盟子」



伸ばしていたらしい盟子の黒髪を、触れられないが指で梳きながら、俺は優しくそう声をかけた。盟子の泣きじゃくる声は、しばらくの間止むことはなかった。






鉄骨だか何だかわからないところに座り、俺と盟子は肩を並べて話す。声のトーンは昔付き合っていた頃と変わらず、楽しみつつ懐かしい気分で、俺はその時間を過ごしていた。


「髪、伸ばしてたんだ」

「小学校まではショートカットって決めてたの。中学から伸ばしていって、ロングデビューする予定だった。何となく、ロングの方が大人っぽい気がするんだよね」

「うん…優しいお姉さんって感じ」

「褒めても何も出ないよ〜。私が嬉しいだけ」


無邪気に笑う盟子に、俺は改めて目を向けた。


小顔で、ロングヘアーで、大人っぽい顔。…やべぇドストライクだ。ドキドキしてまともに見れない。


昔付き合ってた頃は普通に話してたのに、何でだ、と、会話を続けながら必死にあの時の冷静さを思い出していた。


「…人の中に入るって、不思議な感じだった」

「あー、萌恵沙さんのことね」

「目の前で誓太くん達が動き回ってるのに、私の意思で行動できなくて…、もどかしかった」


となると、意識干渉の失敗で起きてしまった融合では、ベースは萌恵沙だったのだろう。予想通り、盟子は盟子自身で考えることしか出来なかったのだ。


「寝てる時に意識を割り込ませてたんだけど…、気づいた?ただ私がいる、ってだけ一生懸命伝えてたから、どんな夢見てたのかはわからないけど」

「うん、変な夢ばっか見た」

「変な夢ー!?ひっどーい、私がいる夢が変な夢って…」

「だってさ…、俺のダサダサの告白とか、鬼ごっこで逃げた捺実を追って木に登ってたら、研に木を揺すられて落ちそうになった夢とかだぞ」

「…なるほど」

「いや、そうすんなり納得させられたらそれはそれで困るんだけど」


深妙な顔をしていた盟子だったが、結局「告白の件は私が嬉しかったからOK」とまとめた。いや、盟子が良くても俺が良くないんだよなぁ。


「ねぇ、見て見て。この髪凄くサラサラしてない?」


盟子はそう言って髪を少し上に掲げる。指から滑り落ちるように髪が流れるのに、一瞬見とれてしまう。


「ねー聞いてる?」

「あー、うん、すげぇサラサラだな、いいんじゃないの?」

「何かちょっと薄っぺらい。髪がサラサラしている良さがわかってないでしょ」


痛いところを突かれるも、内心で仕方ないだろ、と反発する。確かに無いよりかはあった方がいいとは思うが、…俺は女子じゃないからわからないのだ。


「俺は男子だ、って思ってるでしょ、そんなこと言ってたらすぐ女の子にフラれちゃうよ。相手のことを考えとかないと」

「心の中見るな!」


思わずそう返すと、盟子は「見るまでもないよ」とキャッキャと嬉しそうに笑った。


「どーせ誓太くんはロングヘアーが好みなんでしょー」


盟子の指摘に思わずギクリとする。動きを一瞬止めたのを見逃さず、やっぱりね、と盟子は勝手に確信している。


「や、でも当時はショートカットの方が好きだったかもしれない…」

「小学生でそんな好み確立してないでしょ。大丈夫、そんなことで嫌いにならないから」


別に盟子が好みじゃないわけではないということを必死に弁明したつもりだが、それも読まれてる。ホッとしたが少し複雑な気持ちである。


「…しかし髪なんて伸びるのか、知らなかった」

「でもやっぱり死んじゃってるからか、耐久性が低いよ。簡単に千切れちゃうの、ほら」


そう言って盟子は自分の髪を、まるで小枝を取り除くように簡単に千切った。


「萌恵沙ちゃんもこうやって髪を調節してたよ。私は自分の身体動かせなかったから、萌恵沙ちゃんの身体から抜け出せた時、髪が異様に長かったけど。どっかのテレビから出てくるんじゃないかってくらい」


さっき千切っておいたんだ、と盟子は少し照れた様子で言った。俺としては、髪を千切るという概念が存在してなかったので、盟子の話を少し慄きながら聞いているので、あまり一緒になって笑えず、恐らく微妙な顔で頷いているのだろう。


「だからヘアピンもね、さっき外しておいた。何かの拍子に髪が千切れちゃいそうだったから」


ふと、最初に盟子を見た時に、まだ俺は盟子と確信していなかったなと思い出した。多分ヘアピンが無かったからだ。


「…そうかぁ、じゃあどうしようかな…」

「えっ?」


俺のぼやきに盟子が反応する。


「いや、その、…盟子が死んじゃった日、誕生日だったろ。みんなでプレゼント持ち寄ってたんだけど、その時の俺のプレゼント、会えるかもしれないってわかったから持ってきたんだ。…ヘアピンなんだけど」


そう言って、俺は持っていたヘアピンを見せた。盟子がそれをしげしげと眺める。


「当時はダサいとか言われたらどうしようかと思ってたんだけど…、どうかな」

「…それは、自分でもダサいって思ってた物をあげようとしてたってこと?」

「違うわ!単に女子の好みがわからなかっただけだわ!俺はちゃんと喜んでもらえそうなやつを選んだけど、不安に駆られて…」


指摘を受けて慌てて言い返すと、盟子は「冗談よ冗談」と笑って諌めた。くそ、何か弄ばれている気がするぞ。


「それつけてみたいなぁ」


急に、盟子はヘアピンに興味を持ち始めた。それはそれで嬉しいので、不服な部分は無かったことにする。


「どうにかしてよ」

「…なんだその雑なお願いは」

「そのヘアピンに何かそれなりのおまじないかけてさ、幽霊にも付けられるように出来ない?」

「おまじないって、魔法じゃないんだから…」


突っ込むべきところは突っ込んでおいて、俺は後ろを振り向きながら呟く。


「…もうそろそろ頃合いかな、」


そして盟子に視線を戻し、こう続けた。


「盟子本体を実体化すれば、ヘアピンも付けられるよ。それと、あいつらにも見えるようなる」

「ほんと!?捺実ちゃんと相太くんと倉之助くんと話せるの!?やった!」

「研も入れてあげなよ」


苦笑した俺だが、ふと違和感を感じる。


…そうか、今の俺らならその立場は研じゃなくて相太なんだ。けど盟子の記憶では相太はまだ引っ込み思案で、研がやんちゃしてた頃で止まってる。そう思うと少し悲しくなるが、その気持ちは表に出さず、俺はハケを取り出した。


そして、捺実らを手招きして呼び出す。


「もうちょっとのんびりしていれば良かったのに」


そう言う捺実も、研や相太や倉之助も、早く盟子と面会したいとうずうずしているのは丸わかりである。そんなみんなを、盟子はふわふわしながら観察していた。


「うっわ〜、倉之助くん、無茶苦茶痩せてない?ていうかムキムキじゃない?相太くんもキャラ違うし、それよりも研くんの身長あまり伸びてないし」


一通り観察し終えた盟子は、俺の前まで戻って来て、「じゃあ、よろしく」と言った。


何気なく頷きかけて、……ハケを取る手が止まった。川で遊んだ後、盟子が見つかる可能性が出てきたことを報告した時の考えが蘇ったのだ。


俺は、盟子に成仏してほしい、しかし、皆は盟子と一緒に居たいと言うだろう。——それが盟子にとって苦痛になるはずだ。


しかし、そんなことを考えても、俺は、


盟子が、「どうしたの?」と首を傾げ、「早く早く」と笑顔で言った。



——この笑顔に頼ってしまう俺は、本当にどうしようもない、力無い存在だ。






倉之助がムキムキになった。ついでに無口に。


研がやけに大人しくなった。そのくせ口調は腹立つ。


相太が明るくなった。イライラするほどに。


捺実はたくましくなった。もし夫がいたら尻に敷いてそうな。


俺は少し感情的になった。その方が人間らしいと言われた。


盟子は一通り、みんなの変化について述べた。萌恵沙の中にいたとしても、たった数日間でよく見ているなと舌を巻いた。


そう言うと盟子は照れたように笑ったが、すぐに泣き始めてしまった。変わってしまったのは自分のせいだと、そう口にした。


それでも、今のみんなが良いと、泣きながら盟子は笑った。それにつられ、捺実が泣き出した。男どもも、少し涙目になっている。


楽しいような、悲しいような、…でもずっとこのままでいたいような、そんな気持ちをみんな、持っていたと思う。だから、まだ盟子の未練は聞けずにいた。



未練を果たせば、盟子は消える。



なのに、



「…そろそろ、行かなきゃ」

「えっ」


突然の盟子の呟きに、皆が驚きの目を向ける。まだ1時間も話していない。俺らなら、もっと、…それこそ一日中話せるはずなのに、



盟子は、もう終わりだと言った。



「…ゆっくりしていこうよ、時間が迫っているわけじゃないから、」

「時間ならいつ来てもおかしくないでしょ」


盟子はそう言って、俺らが入ってきた扉を指差す。


「外側から鍵閉めたの、いつバレるかわからないじゃない。バレたら10分も経たずに係員が来ると思う」


鍵を閉めていたのかと、俺は相太に目を向けた。相太は肩をすくめて理由を話す。


「もし開けられて俺らがいるのバレたら、すぐさま連れていかれるだろ?それだったら鍵がかかっている方が、時間を稼げると思ってさ」


真っ当な理由なので、俺は相太に感謝の意を述べた。「いいってことよ」と相太が手を振る。


俺は盟子に目線を向き直し、盟子を引き留めようとするが、


「…それでも、まだバレてないんだから、大丈夫じゃ、」

「誓太くんがそれを言わないで」


突然の拒絶に、呆気に取られる。


「…俺が、何で」

「幽霊として長居することが苦痛ってことぐらいわかるもん、だって私自身が幽霊だから」


それ以上に、と盟子が誓太を見つめた。その目は、


「私が長くここにいると、みんなが駄目になっちゃう」



何度も見てきた、俺を諭す目だった。



「…駄目になるって、どういう、」

「とぼけないで」


盟子の声が鋭くなった。その声に刺されたような気がして、思わず口をつぐむ。


「自分に関係がある人がなくなったら、悲しむのは当然だけど、それをいつまでも引きずったら駄目なこと、私知っているの。私は、萌恵沙ちゃんの中で、沢山の人を見てきたから。


…それくらい、誓太くんもわかってるでしょ」


わからない、とは言わせない顔だった。俺は何も言い返せずに俯く。


すると、盟子が俺の肩に手をかけてきた。


「…ごめん、責めるつもりはなかったの。ただ…」


バツの悪そうな顔で、盟子は一息に言った。




「私の未練を、果たすためなの」




「盟子の…未練…?」


俺がそう呟き、皆が盟子に注目する。


「…ごめん、まず1つ謝らなきゃいけないことがあるの」


盟子はそう言って立ち上がり、皆へと目線を向けた。


「さっきからずっと、みんなの意識を覗いてたの。でも安心して、幽霊の状態だと強すぎるってわかってたから、極限まで力を小さくしてから調節したから、みんなには影響はないよ」


でも、と盟子は俯いた。


「…私の死に関しての、みんなの考えを、覗かせてもらった」


俺たちの、盟子の死に対する考え…。


盟子は、しばらく口にするのを躊躇っていたが、やがて意を決して口を開いた。


「…みんなすごいね、ほとんど一緒のことを考えてたよ。


…私の死の後に、みんなと変わらない生活を送ることに絶望してる、って…」


びくりと、俺の肩が跳ねた。それと同時に、皆も盟子から目を逸らす。


「…まず、ありがとうって言うね。そこまで私のことを親友として大事に思ってくれてたこと、凄く嬉しい。でも…」


盟子は少し苦笑いをして、こう言った。


「私が原因で、みんながみんなのことを信じれなくなるのは、少し嫌かな。


私は、みんなには普通に生活して欲しい。流石に私の存在を忘れられたくは無いけど、私のことでずっと悲しんで、生活がボロボロになるのは嫌でしょ?もちろん私も、私のせいでみんなの生活を狂わすのは嫌。…だから、みんなが普通に生活してることは、私が望んでいたことなの」


だから、自分で自分を追い込まないで。盟子は、そう言って頑張って笑顔を見せた。


その顔に俺は、——否、皆は救われた気がした。長年自分の中で苦しみを与え続けていたものを、盟子がだった数十秒で取り除いてくれたのだ。


「それに、普段通りの生活を送っていたのは、私がそれを望まないだろうと無意識に思っていたからなんじゃない?無意識のうちに、私が望む方を選んでくれた、って考えたら、すごいよね、そう思わない?」


そして、取り除くだけでなく、さらに美点を重ねた。


その姿を見て、俺は心の底から、やっぱり盟子は盟子なんだな、と思っていた。しかし、


「それと、誓太くん」


名前を呼ばれて、俺は自分の脈が速くなるのを感じた。


「まだ彼女出来てないの?」

「……は?」


突然の雑談に、思わず思考が止まる。特に何も考えず、俺はその質問に答えた。


「…出来てないよ」

「何で?新幹線の中では告白されたって言ってたじゃん」


新幹線の中…、行きの話か。確かにそういう下りはあった。


ようやく頭が回り出して、俺は当たり前のように理由を口にした。


「だって、俺は今でもずっと、盟子のことが好きなんだから…」

「ダウト」


盟子はそう言って厳しい目をした。


「私を好きでいてくれるのは物凄く嬉しい。けど、それを理由に永遠に独身でいるつもり?」

「だって、俺には…」


自分が正しいと思っていた意見を本人に打ち砕かれ、しどろもどろになる。


そんな慌てる俺の肩を、盟子はしっかりと両手で押さえた。


「私は、誓太くんのことが好きなの、知ってるでしょ。私は誓太くんが好きだからこそ、彼女、…いやお嫁さんを連れていて欲しいの」

「え、何で…」

「誓太くんって、好きの意味をくっつきたいってことしか知らないでしょ。ちょっと違うんだよ。…相手が、幸せでいて欲しい、って言う、そういう理由があるの」

「でも、俺は盟子と幸せでいるつもりで…」


言いながら、自分でも悲しくなる。声が沈み、少し目が潤んできた。


だが、そんな俺の訴えを、盟子は首を振って否定した。


「でも、私はもうこの世にいない。だから新しい道を歩きださなきゃいけないの。ほら、こういうことってよく聞くでしょ?」

「それはそうだけどさ…」

「じゃあこうする、今から3年以内に彼女作らなきゃ祟るからね」

「は!?」


突発的なアイデアに思わず目を剥く。だが盟子の表情は真剣そのものであり、盟子がする提案は絶対であることも、小学生の経験則から知っている。


「私は意識干渉っていう反則技も持っているしー、今回の萌恵沙ちゃんの件でも、脅威的だと思わない?」

「脅威すぎるだろ!盟子お前、いつの間にタチ悪くなってんだよ!」

「タチ悪いだなんて、人聞きが悪いよ。戦略的になったってことにしてよ」


そこまで真顔で話していた盟子だったが、やがてフッと顔を和らげた。


「私が誓太くんに望むことは、幸せになることだけ。だから、結婚して、家庭を築いて、その人と一生過ごすことが、私の望み。ついでに言うなら、私を特別な思い出として、忘れないことだけして欲しいな」

「そんなことっ…」


盟子をその特別な思い出に収めることが難しいじゃないか…。


嘆いた様子が伝わったのか、盟子は少し不安げに続ける。


「祟られてみる?正直祟る方法知らないんだけど…」

「…何言ってんだお前、」


俺が顔を上げると、少し驚いた様子の盟子の顔が映った。


「盟子のお願いを、断れる訳ないだろ」


難題ではあるけど、と俺は苦笑する。正直、盟子以外の者と結婚するなど、今の自分では考えられない所業だ。


驚いた顔の盟子だったが、やがて吹き出し、笑顔を見せた。


「泣きながら自信満々な顔しないでよ、面白い」


そう指摘されて初めて気付く。俺って泣いていたのか。確かに目が潤んだ感覚はあったが、溢れていることには気がつかなかった。

話しながらヒートアップしているのもあるのだろうが、多分、それよりも、


「…なぁ盟子、それって…」


相太が指をさしたのは、盟子の手先だった。


「…うん、私の未練は、私のことでいつまでもうじうじしてたみんなに、大丈夫って言うこと。だってみんな仲間思いだし。…それで、今未練は果たせた」



だから、もう盟子がこの世に留まる理由はない。



既に、盟子の指が、消えかかっていた。



一体、何分間一緒にいたのだろう。本当はもっと時間を過ごしていたかったはずなのに、俺の本心からだか、少しホッとしていた自分がいた。



これで、盟子は安全に成仏出来る。



「…俺らがそっちに行くまで、待てるか?何十年とかかりそうだけど」


倉之助の言葉に、ハッと俺は振り向いた。


「申し訳ないけど、こいつは早死にさせられないから、送り込むのはだいぶ後になりそう。ね、相太」

「うるさい、こっちのセリフだ」

「僕は…どうだろうね。リスクのある道は進んでいないと思うよ」


捺実、相太、研がその後に続く。盟子は満面の笑みで答えた。


「もちろん。向こうがどんな世界か詳しくわかってないけど、いつまでも待つよ」


そのやり取りで、俺はもう一度、ホッとしていた。


なんだ、みんなも俺と同じだったんだな。…盟子が成仏する方を優先する気持ちが。

「じゃあ、誓太くんも」


盟子がこちらに目を向けると、いたずらっぽい顔を浮かべた。


「あらゆる手段で下界を見てくるからね、期限が過ぎたら祟るよ」

「何回言うんだよ、もう」

「何回でも言うよ。むしろ何回も言わないと忘れるでしょ」

「盟子の約束は忘れたことないだろ。…あ、そうだ」


俺はふと思い出して、ポケットからさっき見せたヘアピンを取り出す。


「これ、よかったら持ってって。って、持っていけるかわからないけど」

「先につけとけば良かったなぁ、そうすれば誓太くんにじっくり見てもらえてたのに」


少し後悔の色を見せながら、盟子は俺の手からヘアピンを取った。そのまま前髪につける。昔は少し横目に付けていたのだが、多分俺に見せてくれるために前にしてくれたのだろう。


「どう?」


正直言って、反応に困った。何せ盟子がただただ可愛いから、このヘアピンが似合うのとかはイマイチわからないのだ。水色なだけあって、今までの盟子の印象と被り、いつもと変わらない気がする。


捺実達は手を叩いて喜んでいたが、何も考えずに乗るのは悪いと思い、「いいんじゃないか、いつも通りで」と答えておいた。返答としては赤点な気がして、唐突に自己嫌悪に陥る。


「なーんだ、まぁ水色だしね」


盟子はさして気を悪くした様子はない。それどころか、ヘアピンに手を触れて、


「…でも私は、大切な人からもらったものを身につけてるってだけで嬉しいから、充分すぎるよ」


…ダメだ、これは惚れ直す。こんなに素晴らしい人と俺は想いあってたんだなと、不覚にも舞い上がってしまった。


盟子はえへへ、と可愛らしい顔で笑っていたが、…少しずつ顔が崩れ、泣き顔へと変わっていった。


「最後に、これだけ言わせて、…ごめんね」


この言葉を言った瞬間、盟子の姿が消える速度が速くなった気がした。優先度が低いといえ、これも未練の1つだったのだろう。


謝ることないよ、盟子は悪くない、だなんて言っても、多分盟子はそれでも、と食い下がるだろう。最後の瞬間まで、悪い悪くないの議論は続けたくない。



だから、俺は盟子に、こう言った。




「悲しいけど、憎んではない。だから、気にすんな」




盟子は、最後に笑ってくれた。涙をポロポロと落としながら。



俺も、泣いていたと思う。何しろ、視界がどんどん歪んでいくのだから。



盟子は少しずつ透明になっていき、ボヤけていたこともあってか、もう上半身しか確認できなかった。その上半身が、こっちに向かってきた気がした。



顔が、俺の顔に向かってきてる。そう自覚した時には、既に顔が重なっていた。



でも、触れたかどうかはわからなかった。



かいせいさんめい、って知ってる?私たちに、ぴったりの言葉だと思うんだ。



最後にそう聞こえたから、多分、触れることは出来たんだと、俺は思う。






いつの間にか遠のいてた五感が、少しずつ取り戻される。


最初に入ってきた情報は、聴覚だ。周りが何やら騒がしい。


脳の処理が追いついて、初めてみんなが泣いている声だとわかった。声を抑えることができた奴は、誰一人いなかった。


うるせぇな、俺が声を上げてないのに、と文句言いかけたが、その時初めて自分も声を上げていることに気づいた。それも誰よりも人一倍。


ふと、斜め下前を見ると、そこに何もないことに気づいた。


…ああ、と、俺は何度目かもわからない安堵を覚えた。






ちゃんと、持って行ってくれたんだな、









夜中に響き渡る俺たちの泣き声は、いくら大きくても地上には聞こえていないと思う。俺らの悲しさは、地上の人たちには知られることはない。


別に知らなくてもいいのだ。俺らの悲しみは、人に知らせるものなんかじゃない。俺らの傷を埋める以外の何物でもないのだから…。

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