第9話「恋人、親友、そして家族」

クソ田舎に住む俺らにとって、遊び場という概念は無かった。俺らの頃には公園なんてものは無かったし、ゲームセンターなどあるはずもなかった。


サッカーやバスケがしたかったら、学校に残ってグラウンドや体育館に行く。ただし先着順だ。公衆の体育館は無いし、中学、高校の体育館はそれぞれ部活で使い、部活が終わったら町のスポーツチームだとかが使用する。


それ以外の遊び、例えば鬼ごっこだとか、かくれんぼなどをする時は、学校に残らず、外に出て行った。特に決められた区域では無く、ざっくりとここからここまでで鬼ごっこ、だとかと決めていた。学校の外での解釈は、自分の家と他人の土地、道、そして山中ぐらいしか無かった。車通りなどあるほうが稀で、自転車に気をつけていれば、どこで遊んでいても心配は無い。


要は、俺らが住んでいる町自体が、遊び場だったのだ。


そして、邦雄町の遊びは少しばかり過酷だった。


まず隠れる場所が多すぎる。山の中を除いたところで正直意味はない。…いや、マシにはなるだろうが。だが町中でさえも、周りを見渡すだけで、隠れられるポイントは山ほど見つかる。そのポイントの8割を把握していなければ、かくれんぼで誰も見つけられずに日が暮れるという悲しいオチを迎えることとなる。


そして、逃走パターンが多すぎる。道が入り乱れているわけではない。このクソ田舎で育っていれば、多少の段差、塀の上などをよじ登ったり飛び越えることは楽勝だ。だから実際のところ行き止まりなどない。だからここに置いて鬼ごっことは、体力と読みのゲームと化すのだ。


つまり、遊びが全体的にハイスペックなのだ。レベルが高すぎて、1日に1ゲームしか出来ないことがあったほどだ。


このハイレベルの鬼ごっこorかくれんぼにて重要なのは、やはり相手の癖の把握だろう。



だから、癖のわかりやすい盟子はすぐに見つかり、捕まっていた。



「盟子みーっけ」

「あ、」


俺が見上げる先には、木の上に登っていた盟子の姿があった。


「なんだ誓太か。昨日よりも倍の時間がかかってるよー」

「この町に一体何本の木があると思ってんだよ!」


落ちないように、俺は必死に木によじ登る。木登りは苦手な方だ。それに比べ、盟子はまるで猿のごとくスルスルと木をよじ登る(ただしそんなこと言うと当然のごとく怒られる)。


中心となる木の幹に背中をもたれながら、盟子は俺のよじ登ってくる光景をのんびりと眺めている。


「…悠長に見やがって…」

「ほら、早く早く〜」

「言うねぇこんちくしょう」


少しでも油断すると真っ逆さまだ。何とか意地で盟子が乗っている隣の枝にしがみつく。


すごーい、と盟子がパチパチと手を叩く。普段なら可愛いその仕草は、今回だけは神経を逆撫でする。


「コンニャロ…」


言い返す言葉は完全に負けを認めてる捨て台詞だ。盟子に勝ったことなど数えるほどしかない。くそ、忌々しい。


「タッチ」


手を伸ばして盟子の肩を触る。実はこれはかくれんぼではなく鬼ごっこだ。


「でも何で、いっつも誓太に見つかるんだろ〜」

「ワンパターンなんだよ、盟子が。いっつも木の上にしかいないじゃないか」


俺の突っ込みにそうなの?と盟子は驚いた顔をする。無意識かよ。


「何でいつも木の上にいるんだよ」

「えー、だって高いところ好きだもん」


そういえば、盟子はいつも木の上では遠くの方を見つめてる。『6人組』で活動する前は、学校の屋上でいつものんびりと風景を眺めていたらしい。


「こうやって眺めてると…何か落ち着く」

「それはあれか、世界の頂点に立った気がするとかか?」

「何でそんなダークサイドの発想なの」


クスクスと盟子が笑う。その時に片手を口に当てるのだが、俺としては木の上で片手を離すのが怖くてとても見てられない。今も俺の両手はがっしりと枝を掴んでいる。


「理由はないの。でも落ち着く。辛い時とかこうやって気を紛らわせてた」

「なるほど、じゃあ家出とかしたらとりあえず木の上を探せば見つかるな」

「ちょっと、何で家出する前提なのよー」

「いっつも夜まで家に帰らないからだろ!」


全く、と俺は膨れたが、すぐにプッと吹き出してしまう。釣られて盟子も笑った。


「そういえば、次私が鬼でしょ?近くにいていいの?」

「は?いや今回は増やし鬼だって言ったじゃん」


増やし鬼とは、逃走者が鬼に捕まったら、鬼はそのままで逃走者が鬼となる、まるでゾンビのようなシステムである。


「…あれ、そうだっけ」

「お前話聞いてなかったろ」

「あれ、でも腰に紐つけてないじゃん」

「今回はただの増やし鬼!本当に聞いてねぇな!」


腰に紐、というのは、増やし鬼では終盤に逃走者が不利になるということで加えた独自のルールだ。最初に決めた鬼以外、全員腰に紐をつけ、その逃走者が捕まって鬼となっても、その人に捕まらずにその紐を引き抜けば、一度だけ逃走者へと復活するというシステムだ。ハイリスクなだけあって、皆のやる気を奮い立たせたが、あまりにも鬼畜なため、復活を試みた人が全て鬼となったことから別名「ミイラ取り鬼ごっこ」となってしまった。


「話ぐらい聞けや」

「えへへー」

「えへへーじゃないよ」


まるで漫才みたいな会話を交わしていた、その時、


「おいこら!何サボってんだ!」


下から声がかかる。見おろすと、そこには研が仁王立ちしていた。


「早く相太を捕まえろ!ったく、すぐ仕事をしまいとするんだから…」

「お前、相太を捕まえられないだけだろ、責任転嫁するな」

「んだとこらっ!」


俺が突っ込むと、研は怒って木を蹴り始めた。少ししか揺れなかったが、木の上が苦手な俺には充分すぎる恐怖だった。


「ばかやろっ、何やってんだ落ちるだろ!」

「早く落ちて加われ!」

「無茶言うな!病院行きだわ!」


あまりの怖さに悲鳴を上げる俺を見て、盟子は爆笑していた。こいつ…泣くほど笑ってやがる。


「まぁでも、もし私が理由も言わずにいなくなったら、高いところを探してみてよ」


盟子はそう言ったが、俺は「ああ!?聞こえねぇ!!」と聞き返した、そしてまた悲鳴を上げる。


それを見てまた、盟子は腹筋が痛くなるほど笑っていた。






…今度はくだらない夢を見た。


朝起きると、まず初めにそう思った。


苦手な木登りした挙句、研に揺らされて悲鳴を上げる昔話など、コア過ぎて思い出話にもならねぇ。


にしても…、と俺は隣で寝ている研を見下ろす。今日の夢で無性にムカついてきた。のんびりと寝やがってこのやろう。


しかし、本当に萌恵沙が来た時にだけ、盟子の夢を見ている…、やはり萌恵沙が影響を与えているのか?となると、もしかしたら萌恵沙は…、


「…何かの能力者、だったりするのか?」


その人の記憶を夢に出す…、ならば記憶喚起、といったところか?単純に考えるとそうなるが…。


「…だとしたら何故今まで会わなかった…?」


能力者同士は引かれ合う、師匠がそう言ったのだから間違いない。だとしたら小学生の時点で既に出会っているはずだ。しかも、この町に小学校は1つしかないから、同じ小学校だったということになる。


「…例外か?」


——何事にも例外はある、誰が言った言葉だったか…、あ、師匠か。だが、例外と言ったらきりがない。まずは常識に当てはめ、最終手段として例外を取る…、確か師匠はそう言っていたが、


(どこまで当てはめたら『常識外』って判定できるんだよ…)


中学の頃、誰かが計算に関する画期的な方法を見つけたと騒いだことがある。だがそいつが意気揚々とクラス一の秀才に見せに行くと、秀才は直ぐにその方法で求められないパターンを見出し、指摘した。もしあの時、秀才が間違いを見つけられなかったら、そいつは自信満々にその方法を使い、いつか転んでいただろう。そして俺らも、それが正しいのだと思い続けていたのだろう。


要は、ある事柄に関して1つでも誤りを見つければ、それは「偽」であると言える。しかし誤りを見つけられなかった場合、それが「正」であると言い切れるかと言うと、そうではないのだ。まだ誤りを見つけていないのかもしれない。そう考えると100%とは言えない。


もし数学のように、計算して一致するから「正」と言い切れるのなら話は楽なのだが、残念ながら世の中はそうやって出来ていない。


(…これを言い出したらきりがないぞ、本当に)


あやふやな状態で、俺らは生きている。全てを上手くいくと断言できて行動する奴らの気が知れない。


とにかく、この件についてはもうやめだ。考えるだけで時間を浪費する。


すっかり目が覚めてしまったので、気晴らしに散歩することにした。そしてついでに最後にやり残した要件も済ませようと、外履きを履く。


と、それとは別にもう1つ、やり残した要件を思い出した。


(師匠に会うの、忘れてた…)


昨日は帰りに寄ろうと思っていたが、盟子を取るか4人を取るかで悩んでいたため、すっかり忘れてしまった。ここ最近衝撃的なことがあり過ぎて、脳が上手く働かなかったとも言える。


しまったな、と俺は苦悶の表情を浮かべる。師匠はこういうことはとかくうるさいのだ。「師匠の身体の調子を考えて、もう1日過ぎるのを待ちました」とでも言っておこうか…。


結果として、そんな言い訳は必要なかった。


「おい」

「はいっ!?」


数メートル歩いたぐらいの時、突然後ろから声がかかった。


振り向くとそこには、


「し、師匠…!?」

「の、生霊じゃ」


例の天狗顔に怯えるも、よくよく見ると身体は透けていた。


「もう外には出ぬと言ったはずじゃが」

「あ、ああ、そうでしたよ、ね…」


師匠のことを考えていた時にドンピシャで遭遇してしまい、俺は動揺を隠せないでいる。まずい、このままじゃバレる。


「あの、身体の調子は?」

「話を逸らしたところで何になる」


あ、もう手遅れだ。考えていた言い訳はどこかに吹っ飛んでいき、諦めて俺は白状する。


「…すみません、すっかり忘れてました」

「…」

「あの、ちょっと衝撃的なことがありすぎて、心の整理?がつかなく…、なのかな。考える余裕が無かった、というか…」

「それを先に言えば信じてやったものを」


先に言ってよ!という主張は流石に口に出せず、「すみません」と頭を下げた。


「…しかし、今回は何も全て誓太が悪いわけではないからの、大目に見る」

「え?」


それは一体どういう…、と誓太が聞こうとする前に、師匠は答えを明かした。


「昨日、森の精霊がワシに顔を出してきた」

「!!」

精霊が、直接師匠を…?確かに直接会いに行けとは言ったがあれは冗談半分で、正直に言って、あのチキンの精霊にそんな勇気が…。


「…言っていなかったかの。ワシと精霊とは何十年もの付き合いなのじゃ」

「は!?」


あまりの驚きに俺は文字通り固まってしまう。師匠はそのまま話を続けた。


「ワシも、東京からこの地に来た身じゃ。まだ20歳の頃だったかのぅ…。前にも言ったかもしれぬが、ワシやお前のような霊視や、お前の友達のような未来視、瞬間記憶などの能力者は、やはり特定の場所に引きつけられるようじゃ。その場所の1つが、ここ邦雄町。ここで、ワシは暮らすことを決めたのじゃ…」


ここまで話し、突然師匠は何かに気づいた表情をする。


「余計なことを話してしまった…、もう時間がない。ワシの話などしている暇はないのじゃ」

「え、時間が無いって…、師匠まだ調子が優れないんですか?」

「いや、こうやって生霊を送るまでは回復した。奴のおかげでな」

「奴、って…」


師匠が奴という人などいたっけ…?首を傾げる俺に、師匠はさらに追い討ちをかけた。


「だから、精霊じゃ。森の精霊」

「はぁ!?」


さっきよりも大きな声を上げてしまう俺に、師匠は顔をしかめた。


「うるさい。何時だと思っとるんじゃ」

「あ、…すみません」

「奴は頑固で意気地なしだが、責任感だけはある。悪いことをしてしまった、ということはどこか思っていたのじゃろう。だがそれを認めたくは無かった。奴と話してわかったじゃろうが」

「あ、はい。…って、精霊から全部聞いたんですか!?」

「もちろん」


途端、俺の顔が赤くなった。もしかして精霊にぶちまけてしまったアレも知られてるんじゃ…。


「今回は誓太を褒めにゃならん。盟子への愛が、精霊の心を突き動かしたのじゃからな」

「あああやっぱりぃ!?」


ダメだ、あの時は感情が昂ぶってたから言えたものの、師匠の前では恥ずかしい以外の何物でもない。


「…いかん、また話が脱線しとる。…とにかく、言うことだけ言うぞ」


師匠は真っ直ぐと俺を見て、伝えた。


「精霊に癒してもらい、ワシは当分大丈夫じゃ。だから成人したらまた訪ねてこい。もちろんそれまでの間にここに来た時も近況報告を欠かすことは許さぬ」


師匠、なんだかんだ言って無駄なこと言ってるじゃありませんか…、と心の中で呟く。


「そして、盟子のことじゃが…、全て任せる」


…え、


「ちょ、待ってください。流石にこればかりは師匠に助言をしてもらわないと…」

「ワシが無駄なことをして余計撹乱するだけじゃ。よいか、人探しは、その人をこの世で一番想っている人物が有効なのじゃ。だから誓太の考えるままに行動せい。それに昨日遊んでいたからには、計画はある程度立っているのじゃろう?」


う、遊んだことまでバレてる。内心ドギマギしながら、俺はコクリと頷いた。


すると、師匠は今まで見たことのない、優しい笑顔を向けた。あまりの驚きに俺が腰を抜かしそうになるほどだ。


「それでは、頼んだぞ」


そう言って、師匠の生霊は消えてしまった。


消えて無くなった空間は、俺は腑抜けたようにぽかんと見つめていた。


師匠はいつも、言いたいことだけ言って、そのくせ自分が面白いことは余計なことまで言って…、正直思春期近い小6の頃は、盟子の死も相まって心底鬱陶しかった。



だけれど、師匠の「頼んだぞ」は、いつ聞いても、その五字だけで勇気をくれた。



再びトボトボと歩き出し、目的地へと向かう。


着いたのは、元々俺の家だったところだ。ところどころ改修工事がされており、今は別の人が住んでいる。


俺は家から誰も出てこないことを祈り、庭に立ち入った。そして一番奥まで歩く。空き巣は奇跡的にこの町では少ないので、防犯は緩い方だ。


ここだ。換気をするための、汚れた白い箱。俺は躊躇いなくその下に手を突っ込んだ。指先が何かを捉える。よかった、まだ誰にも見つかってなかったのだと安堵した。


音を立てないようにそれを掴んで引きずり出す。出てきたのは金属製のお菓子の缶だ。ところどころ錆びており、汚らしいがそんなことは無視してさっさと敷地内から脱出する。

そのまま駆け足で相太の祖父母の家に戻り、庭の水道を借りて、缶の汚れを洗い流した。水道を止めて家の中の様子を見ると、まだ誰も起きていないようである。


俺は無駄に注意を払って、その箱を開けた。心配せずともその缶は蓋を開き、中身も無事だった。



水色の、白い花がついたヘアピンだった。



当たり前だが、俺が使うものではない。捺実のものでもない。これは、俺が真剣に考えて選び、結局買った後にダサいかもしれないと不安になったもの。


あの日、…山が崩れた日に、盟子に送るプレゼントだったものだ。


盟子の特徴は、水色のヘアピンぐらいしか無いかもしれない。他にはショートカットで小顔なくらいか。だから、俺にとって盟子の水色のヘアピンは、盟子を示すものとしてとても重要な役割を果たしていたのだ。


あの日の数日前、自分が選んだヘアピンを盟子がつけてくれるという妄想に取り憑かれて、そのまま買った。そんなことがバレたら、多分暫くは白い目で見られてたかもしれない…。


盟子が亡くなり、このヘアピンを持ち続けるのは、小学生の俺にはかなり酷だった。だからこの地に隠し、盟子の供養と理由をつけて苦しみから逃れようとした。その時は家を売ってしまうことは知らなかったから、安直な所に隠し、新たな住民に見つかるかもしれないとビクビクしながら、しかし取りにも行けずに今日まで何も出来ずにいた。



でも、俺はもう、大人になる。

苦しみから解放されて生きていくことが出来ないことぐらい、とっくに解ってる。

だから、俺は、



俺は自分のリュックを開き、ヘアピンを入れたままの缶を中に収めた。そして、ゆっくりとファスナーを閉じる。



俺は、盟子を忘れない為にも、これを大事にする。






「「「「ありがとうございました!」」」」


相太以外の4人が、相太の祖父母に頭を下げた。


「いいのよ〜、楽しんでもらえたなら私は充分」

「久々に賑やかな我が家にしてくれたからの」


相太の祖父母は笑顔でそう言ってくれる。この寛大さには本当に頭が上がらない。


「ま、また5人だけで行くときは使っていいんだぞ!あはははは」


まるで自分の手柄のように踏ん反り返る相太。…いや、こいつはダメだ。


「じゃ、相太はここに残ってね。荷物は持ってくよ」

「ちょっと待て!なんでそういう雰囲気になってる!」

「だってそっち側だし」

「どっち側だ!」


やいのやいのと騒ぎ始める俺と相太を、3人や相太の祖父母が微笑ましく眺めていた。その視線を気に入らないらしく、「なんなんだよお前ら!」と相太は叫んだ。


そして相太の祖父母が、視界から消えてしまうまで手を振ってくれて、捺実がずっと両手で大きく手を振り返していた。しかし都会と違く視界が開けているので、かなり遠くでも姿が見えるので、やっとの事で死角に入ると、捺実は「疲れた〜」と両手をぶらんと下げた。


丁度そのタイミングで、萌恵沙が上から降りてくる。


「おはよ」

「あ、おはよう萌恵沙さん」

「え、萌恵沙ちゃんいるの?見せてよー」

「ダメ。誰かに見られたらどうするの」


捺実の頼みを断ると、捺実は口を尖らせた。


「いーじゃん。どうせみんな誓太がそーゆー体質って知ってるんだし」

「長い間この地から離れてただろ。それに可視化とか実体化をするって宣言してから人前でしたのは昨日が初めてだし」

「昨日が?じゃあ私たちが最初じゃん」

「まぁ、友人の特権?」


ニヤッと笑って言うも、「それで誤魔化したつもり?」と捺実に睨まれたので視線をそらす。


「で、どこ行ってたの?」


俺が無駄に朝早く起きてから今まで、萌恵沙は一度も姿を見せなかった。置いていってしまうのではないかと心配していた程だ。


「特に何も?そこら辺をぶらぶらしてた。この町に来れるのが多分最後になるんでしょ?だから見ておこうと思って」

「ま、上手くいったらね」

「住所手に入れたんなら勝ったも同然よ」

「おいおい、いつから勝ち負けが存在している」


萌恵沙さんは話せば話すほど、元の性格をさらけ出している。割とフレンドリーだったり、人をからかうのが楽しかったり、自分の気持ちに正直だったり…。多分、2日目に1人で逃げ出して、長い間帰って来なかった間に何かが吹っ切れたのだろう。


「それとね…、実は…」

「うん?」


言いにくそうな表情で萌恵沙は続ける。


「その…お墓にも行った」

「お墓…って、行けたのか?」


確か萌恵沙は最初、墓地は嫌な雰囲気を感じ取り近づけなかったはずだ。


「何か思い出せるかもしれないし…、それにあそこにちゃんと行って、それでもう心残りを無くしておきたかったから」


そういうことか、と納得する。萌恵沙の性格の情報に「自分のことはけじめをつける」を加えておく。


「まぁ、結局思い出せなかったんだけどね」


呆れたように萌恵沙は笑う。…その笑顔に何となく既視感を覚える。


…そうか、盟子の顔か。


赤の他人である萌恵沙に盟子を重ねてしまうとは…、やはり何か深い関係があるのか。だが、俺もはっきりとはしない。結局、同じような笑顔を萌恵沙に見せただけとなった。


「あ、そういえば気になってたんだけど…、新幹線の中って、誰かに取り憑いてないと置いてかれたりしない?ほら、新幹線って速いし」

「あ、それは平気。何故か幽霊にも物理演算が適用できるんだよね…。同じ速度で走る乗り物の中でジャンプしたら、同じ場所に着地するっていうのと同じような感じ…空気かな?」


結局他愛のない話に戻り、バスに乗り込んだ。その間、俺が萌恵沙の問いに答えるたびに「ケチケチ」と捺実がずっと愚痴っていた。






「何!?それは本当かね!?」

「そうだ。私の目に狂いはない」

「だったら呑気に報告せんで、直接伝えんか!ええい、もうワシの周りはどいつもこいつも…」

「…申し訳なかった」

「くよくよするな!…とりあえず電話じゃ。早く伝えるべきことじゃ」


しかし電話をかけると、「お掛けになった電話番号は、現在使われていないか、電波の届かない所に…」と機械音で答えられた。


「そうじゃ、もう使っていないのじゃった…」


だが携帯の番号は知らない。引っ越し先の電話番号も聞いていない。どうすべきか…、


「…待て、確か友達の祖父母の家に…」


だとしたらそこから繋げられる。急いでそこに電話を掛けようとするも、


「…いや、流石にもういないじゃろう」


既に外は日が暮れていた。こうなってしまうと、家に着くのを待つしかない。


「くっ、仕方ない」


そう言って、誓太の師匠は、相太の祖父母の家の電話に掛けた。そしてどうにかして誓太と連絡を取る方法を伝え、実行してもらう。


——誓太、まだその子を親に会わせるな。そのままじゃと、上手くいかぬ。


誓太が小学生の頃は、いくらでも念じて伝えることが出来たが、東京と田舎の距離の差に加え、体力の衰えもある。


自分が年寄りだということを、久々に強く恨んだ。


「…まだ間に合うじゃろうか…」


そう呟いたのは、誓太達がマンションのとある一室のドアをノックした、まさにその瞬間だった。






「おいこら起きろ」


俺がアホみたいな顔で寝ている相太を蹴り起こす。既に新幹線は減速しており、周りの乗客のほとんどが席を立って出口の方に並んでいる。


「何だこいつ、全然起きねぇ…」

「誓太の蹴りが甘いのよ。ちょっとどいて」


俺が呆れてると、横から捺実が入ってくる。そして相太の手を取り、それを振り上げた時、やっとの事で相太の目がうっすらと開いた。だが捺実はそれに構わず、


「いってぇ!?」


思いっきり相太の膝に振り下ろした。たまらず相太が悲鳴をあげる。


「ちょ、何やってんだよ捺実!」

「いつまでも起きないあんたが悪い。文句言われても私は知らないわよ」

「限度があるだろ!ったく、これ腫れそう…」


手をさする相太に、俺は哀れみの目線を向けた。


相太、多分捺実はただ単に振り下ろしたかっただけかもしれないぞ。


全員が席を立ったのは、既に他の人が新幹線から降りた後だった。慌てて俺らも降りる。その間何故か萌恵沙は俺の頭の上に乗っかっていた。幽霊なので重みはないのだが、違和感はあって落ち着かない。


「動きたくなかったら誰かの身体の中に入ればいいのに…」

「自由に身体を動かしたいもん」

「動いてねーじゃん」


人の波の中に入り、移動して改札を抜ける。東京駅の混み具合は異常だ。今が春休みであるだけあって、床が陥没するんじゃないかと疑うほどだ。彼らがどこかから来たのか帰ってきたのかは知らないが、どっちにしろ東京ならば混雑の理由になるだろう。


そして、改札を抜けてもその波は止まらない。JRも席に座れないのはもちろん、近くのおっさんの加齢臭が近くで匂うほどだ。萌恵沙は暑苦しいと、電車の上に座っているらしい。


1人だけ楽しやがって、と内心で愚痴るも、相手は幽霊である。後で虚しくなっていた。


「なぁ誓太、とりあえずどこに集合するか?」

「え?あー、じゃとりあえず萌恵沙さんのお母さんの最寄り駅にするか」


まず、俺らの荷物が邪魔になるので、一度家に帰ってすぐに集合する、という算段である。


最寄り駅は、新設された第3の電波塔が見える区である。市の方に住んでいる俺らには遠いが、萌恵沙の為なので気にも留めない。


萌恵沙はとりあえず俺についてくることにしたようだ。乗り換えの為に俺がまず一抜けする。


「あーあ、もう捺実達と別れなきゃいけないのか〜」


萌恵沙が心底がっかりしたかのようにそう言った。


「悲しいの?」

「悲しいに決まってるじゃない。幽霊として彷徨い続けてから、ずっと何もかもが面白くなかったんだから…。久しぶりにこうやって他の人と遊んで、…本当に楽しいときは時間が早く進むんだね」

「ここで心残りは残しとくなよ。案件が増えるから」

「何よその言い方〜!」


萌恵沙が頬を膨らませて俺を殴ってきた。もちろん痛みなどない。


「あんたは楽しくなかったって言うの〜!?」

「何でそうなるんだよ。そうじゃなくて、何かやり残したことがあったら済ませておけってこと」

「やり残したこと?うーん…」


萌恵沙はふわふわと浮かびながら顎に手を添えて考え始める。その仕草に、一瞬俺はどきっとした。


こいつ、盟子と癖が似てやがる。


「…あー、全員あだ名で呼んでみたいな」

「あだ名か、そういやそんなの無かったな」


俺たちの中であだ名で呼ぶことは特にない。学校ではそれなりにあるらしいが。相太は初日に「そうちゃんって呼んでネ」と言ってスベり、残念ながらあだ名で呼ばれていない。自業自得か?捺実は周りの女子から「なっちゃん」と言われているらしい。研はあろうことか「研ちゃん」であり、本人はそれについて不満を隠せないでいる。倉之助は「くらのっち」とこれまた意外で、ノリのいいクラスメイトの女子につけられたらしい。おかげで女子に連呼され、こっちは抵抗するのも疲れたので流してると言っている。男子は気を使って名前で呼んでくれるらしいが、イケてるメンツの男子は遠慮なく使うとも聞いた。

そのことを伝えると萌恵沙は苦しそうにお腹を抑えながら爆笑した。


「ハハハハハ…、え、じ、じゃあ、せせ誓太は?」

「落ち着けよ」


笑いが収まらず、言いにくそうに俺に話を振ってくるので突っ込む。


「…俺もあんまりないな。たまに『誓ちゃん』って言われるけど、日常的には言われないし…」

「つまんな」

「つまんないって言った?ねぇ今つまんないって言った?」

「えーじゃあ相太君と誓太の考えなきゃ…」

「そうちゃんで呼んでやれよ。あと何で俺だけ呼び捨てなんだよ」


萌恵沙と会話すると、こっちが突っ込むばかりで、正直疲れる。それに対し萌恵沙の方は無頓着なのかマイペースなのか、こちら側の疲労などまるで気づかない。


「うーん…、ん?」


何かに気づいたかのように、萌恵沙は誓太に聞く。


「そういえばなっちゃんも、4人に対してはあだ名使ってないよね?」


なっちゃんで既に決定していることに、萌恵沙の物事の迅速さを感じ取れる。行動的な彼女は、もし俺と付き合うとしても俺がついていけそうになさそうだ…、いや待て、何故俺はその前提で話を進めている?


ねーちょっと聞いてる?と萌恵沙が急かす。ハッと我に返り、質問が何だったかを思い出し、少し間をおいて答える。


「えーっと、…そうだ。捺実はね、自分のポリシー、って言うのかな?彼女は常日頃、自分の中で強い信念を持って生きてきてる。その中の1つでね…」



私、あだ名は付き合ってる彼氏にだけするつもり。

何故かって?しっかりと特別扱いだってことを区別したいからよー。

それに昔から好きな人を自分だけしか知らない名前で呼ぶのって憧れてたのよねぇ。

え?彼氏いないだろって?おう歯を食いしばれ。



「へー、割とメルヘンチックなところもあるのね」

「メルヘンチックって…、他に言い方無いの…?」

「じゃあ、夢見るお姫様」

「あんま変わってねぇじゃねーか」

「で、結局殴られたの?」

「殴られたのは相太。まぁ殴ると言っても小突かれただけだけどね〜」

「…ねぇ、もしかするとさ、」

「もしかすると?」






電車の扉が閉まり、動き出す。階段に消えていく誓太を見送りながら、捺実は小さく手を振っていた。


そして誓太の姿が消えると、ふっとため息をつく。


「…辛いよね、誓太は」

「誓太だけじゃねぇよ。辛いのは」


捺実の後ろで、相太が呟いた。


「ここにいる俺ら、みんなが辛い」


手すりに若干ぶら下がっている研は力が抜けているかのようにぶらぶらし、倉之助はドアにもたれて目を閉じている。


「一番辛いのは確かに誓太だけど、俺らは盟子と親友だったんだ」

「…うん、そうだよね。ごめん」

「いや、謝れってわけじゃないんだが…」


少し言葉に詰まり、最終的に相太も謝った。


「ごめん、俺が弱音を吐いただけだ」

「弱音、か。相太にしては珍しいよね」

「まぁ、そうかもしれないな」


相太はいつものような元気を見せず、静かにそう答えた。


それはきっと、電車内だからではない。相太に限らず、捺実、研、倉之助、それぞれが少しずつ気を重くしている。


盟子のことでだ。


会いたいとは言った。それに嘘はない。


しかし、会った時、真っ直ぐと盟子を見ることが出来るだろうか?


盟子を失ったあの日、誰もが泣いた。特に誓太は恋人なだけあって激しく泣いた。その後もズルズルと引きずり、東京に来た直後の中学一年生の時は苦労したと言う。


だが、この4人は、その悲しみから抜け出していたのだ。


もちろん忘れ去った訳ではない。ただ、1人で歩く時に憂鬱になったり、毎日のように枕を濡らしたり、そういうことが無くなっていた。



『慣れ』てしまったのだ。



中学で新しい友達と親しくなり、高校受験も成功し、更には大学も自らの進みたい道の架け橋となる所に合格した。——まるで普通の少年少女のように。


あの時感じた、底知れぬ悲しさはどこに行ったのか。もう生きる希望のほとんどを失ったのではないかと疑うほど萎んだ自分の心は、どこに行ったのか。


あの惨劇を体感しただなんて素振りを全く見せず、今日まで、しかも順調に生きてきた。友達と、…他の4人とバカ話をし、笑い合う。

側から見たら、まるで最初から5人組だったかのように。


その事実は、今思い返すと本当に信じることが出来ない。



俺は、僕は、私は、——悲しみに打ちひしがれる事のない自分は、本当に盟子の親友だったのだろうか?



盟子を失ったのに、その事実を思い出す度に辛い気持ちになるのに、何故こうも自分はのうのうと生きていられるのか?



いつの間にか、4人の中で会話が消えていた。彼らは以心伝心というわけでもないのに、同じ疑念を抱いていた。


この疑念を持ったのは、このクソ田舎旅行計画を発案した時。彼らはその疑念に今まで悩まされており、そして今まで気づかなかった自分を憎んでいた。






「ただいま!」


誓太がそう言って玄関の扉を開き、荷物を自分の部屋に持ち運ぶ。


「あらあら、晩御飯まで一緒じゃなかったの?」

「うん。そうなんだけど、結局みんな大きな荷物が邪魔でさ。一度置いてから行こうってなった」

「店、混んでるわよ。遅くなっちゃったなら」

「大丈夫大丈夫、穴場ならいくらでも知ってるから」


台所から聞こえてくる母の声に、誓太も声を張り上げて答える。


誓太は最低限の荷物だけ持って、再び玄関に向かった。


「お金足りてる?」

「充分あるよ。そんじゃいってきます!」


誓太は少しの時間も惜しむように玄関を開け、少し前に降りた最寄り駅に向かった。


「全く、親の気持ちも考えずに」


誓太の母親はそう言ってクスリと笑った。親として、早く誓太を抱きしめたいくらい迎えてあげたいのだが(そんな事をすると嫌われるのでしない)、帰ってきても疲れてすぐに熟睡するだろう。


可愛い子には旅をさせよ、って言うから、何も言わずに送り出すのが親の務めだったり。あ、可愛いって言ったらあの子拗ねるわ。



俺は俺の仕事をしている。いつまでも子供扱いすんな。俺はもう大人だ。



誓太が中学二年生の後半、ちょうど反抗期の期間に、母親に向けられた言葉だ。本当にこの頃は言うことを聞かず、そして受験を過ぎるとまるで嘘みたいに、中学一年生の頃のように素直になった。先生もママ友も、そして夫も口を揃えて、中学生はグレる時期で、我慢が出来ずに反抗的で、感情的で、自分の思い通りにいかないとあからさまに態度に出ると言った。要は多分誰もが通る道なのだろう。


つまりは、その頃に子供の本音が聞けるのだ。今まで遠慮や我慢をして、親に伝えることが無かった。



俺はもう大人だ。



中学生がこれを言うと、大抵の人は強がっているか、根拠もなく勘違いしていると言うだろう。だが、誓太には根拠があった。


お祓い屋としての、仕事だ。


誓太の師匠は、時々向こうに住んでいた時に何度か話を聞いたのだが、呑み込みが異常に早いとのことだ。まさに天性だ、と賞賛された。誓太の前でこれを言うと調子に乗るから言わないが、親としては誇りに思ってほしいと頼まれ、実際言われなくても誇りに思っていただろう。


おかげで誓太は師匠がいなくてもある程度の仕事はこなせているようだ。本人曰く「手を出していいやつといけないやつの境界がわかる」とのこと。無駄に疲れずに、効率的に、誓太は働いていた。これが誓太の根拠だったのだろう。


もう子供ではない。それくらい、親ならわかる。



だけど、誓太は子供じゃないが、大人でもない。



恋人を失うという経験はしたことがない。だから、誓太がどれほど悲しいかは、わかることはできない。


ただ、恋人を失っても約一年後にはいつも通り生活することはできないと、それだけはわかる。


しかし誓太は順調に育っていった。中学生よりも前の記憶を消しても、違和感が無いほど。


誓太が苦しみを乗り越えた…わけではない。乗り越えられるはずがない。心から好きだった人を失って平常でいられる人間は、その人を好きじゃなかった人だ。


では、何故か。


その答えはつい最近、ある質問で恐らく掴めた。


「ねぇ誓太、お友達と喧嘩したことはないの?」

「喧嘩?んー、ふざけて相太が捺実にしばかれたりするのはしょっちゅうだけど…、仲が一時的に悪くなる大喧嘩、って言うのは無いな」

「本当に?」

「うん。ま、それほどまでに仲がいいってことだな」


自分で言うか、と当時は呆れてたが、後で考え直すと、それは異常だったのかもしれない。


仲がいい、馬が合うとしても、相手は赤の他人。必ずどこかで行き違い、すれ違いが生じる。


だから一度や二度、大喧嘩をするのが普通なのだ。それなのに喧嘩が全く無いとは…。


全員が全員、お互いの意見を尊重し、いがみ合いが生じない可能性もあるが、中学生でそれが出来たら気持ち悪いまでもある。となると、



5人全員、喧嘩する気力もないのか。



考えると、誓太も、他の4人も、親経由で問題ごとをあまり知らされていない。つまり、与えられた物事をただ受け止め、それに流されるように生きてきたのだ。



だとしたら、誓太達が平常通り生活していたのは、ただ薄く貼り付いた「無」の仮面があったからということとなる。



そしてその仮面の下で、彼らは重い物を抱えている。





……、




……だけど、




今日の誓太の声は、どこか暗かった。


いつもの、仮面を付けた声じゃなかった。


誓太の中に押し込まれた感情が、表に出始めている。


「…お願い」


溜め込んだ感情は、外に吐き出した方が楽になる。逆に溜め込むと、次々と火薬を詰め込むような状態となり、ある出来事によって火を放たれ、爆発する。そうなるともう取り返しのつかなくなるかもしれない。



「…誓太達を、助けてあげて」



誓太の母親は、台所で1人、そう願うのであった。






辺りが既に暗くなってしまった頃、俺らはとあるマンションの中の1つの扉の前に立っていた。


「それじゃ、いくぞ」


俺はそう言って、ハケで萌恵沙を実体化する。


「準備はいい?」


母親の顔をまだ思い出せないからか、どこか不安そうな顔をしていた萌恵沙だったが、俺が確認すると、その不安を振り払うように首を振り、大きく頷いた。


「…よし」


それを確認して、俺は扉をノックする。既に入り口でアポは取っている。すぐに返事が返ってきて、鍵が開き、ゆっくりと扉は開いた。


「何でしょう…?」


その女性は、大体誓太の母親と同じ年代で、萌恵沙と同じ髪色をしており、顔のパーツも似ているようだった。少し老けて見えるのは部屋にいたからだろうか。


女性は俺たちを順番に見る。誰も見知った顔でないため、だんだんと訝しんだ顔になっていくが、萌恵沙を見て、視線の動きが止まった。


これは……ビンゴか?


俺は萌恵沙へと視線を向ける。萌恵沙は目を見開いて、その女性を見つめ、呟いた。


「お母…さん…?」


その言葉を呟いた瞬間、堰を切ったように、次々と萌恵沙は話し始めた。


「思い出した…、思い出した!全部!私が小さい頃からあの日までの出来事!お母さんの顔も、お父さんのも、親戚のも…!!」


その瞬間、相太がガッツポーズで「いよっしゃ!」と叫んだ。倉之助と研も満足そうな顔で、捺実は笑顔で手をパチパチと叩いている。


まだ状況についていけていないらしい女性、——萌恵沙の母親に向けて、興奮して上手く言葉が言えなくなってきた萌恵沙に代わって俺が話す。


「…昔、邦雄町に住んでいましたね?」

「え、何故それをご存知で…」

「俺たちも、そこで過ごしていた経験があるのです。…話を聞いてくださりますか?」


同じ町、しかもクソ田舎出身であるからか、萌恵沙の母親は素直に話を聞いてくれた。


俺は全てを話した。萌恵沙が幽霊だということから、俺がお祓い屋として活動していること、萌恵沙の記憶が曖昧だったこと、住所を萌恵沙の母親と親しい人から教えてもらったこと…、途中で捺実達が口を挟みながら、全てを話した。


「…そうなの」


話を終えると、萌恵沙の母親はそう一言呟いた。受け入れてくれたのだろう、俺は萌恵沙を前に出し、後ろに下がった。


「じゃあ後は親子だけでお願いします。俺らは外で待っているんで。もし見えなくなっちゃったら言ってくれれば」

「あ、ちょっと待って」


萌恵沙の女性が慌てて呼び止めた。


「確か町にお祓い屋の弟子がいるって聞いてたけど…」

「ああ、それ多分俺のことです。中学になる時に東京に越してきました」

「ええと、それでこの子が萌恵沙なの?」

「はい。成長してわからないかもしれませんが…」


俺がそう答えると、何か悩ましい顔で萌恵沙の母親は俺を見る。


え、何か不満でも…?


「…ええと、ごめんなさい、ちょっといいかしら?」

「はい、何でしょう」


母親は遠慮がちに、そして困ったような、申し訳ないような顔で、衝撃の一言を放った。





「この子…、うちの娘じゃないわ」





「………………は?」



口から、声が漏れ出した。


あり得ない事実を告げられ、信じられずに。


捺実も、相太も、倉之助も、研も、…そして、萌恵沙も、その場で固まり、萌恵沙の母親を見つめる。


おかしいじゃないか…?だって萌恵沙は確かにこの女性を母親と認識した。なのに違うって…。


「萌恵沙は、右目の下に目立つくらいのホクロがあるの。でもその子にはない…」


萌恵沙の母親は、残酷にも決定的な事実を述べた。


「何が起こっているかは私にはわからないわ。…後は任せてもいい?何かわかったら教えてくれたらいいから。…失礼します」


俺たちは、何も言えぬまま、閉まる扉を見つめていた。扉は閉まり、無情にも鍵を閉める音が響く。



これは一体…、どういうことか?



外で、救急車のサイレンの音が響き始めた。その音はやけに俺の耳を刺し、俺の脳内に重大なメッセージを与えたような気がした。






お前は、間違っていた、と。

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