第8話「束の間の休息」

「…ねぇ、最近読んだ本でね…」

「…うん?」

「よく自分の家に連れ込むカップルがいるんだけど、その誰も彼もがね、最終的にエッチなことしてるんだよねー」

「…は?」

「やっぱり、それが普通なのかな?」

「ちょちょちょちょちょっと待て!俺たちにナニ求めてんだよ!」

「でもこれが普通じゃ…」

「てかそんな本なんで読んでんだよ!」

「お母さんが勧めてきた」

「何やってんのお母さん…!いいか、その本の中の世界のカップルは誰だ?」

「誰だ、って…、フツーの高校生カップルだったり、社会人だったり」

「そうだ、彼らは大人あるいは大人に最も近い人達だ。それに比べて俺らは何だ?小学生だぞ小学生!何でいきなりそんな…、そういうことになるんだよ!」

「え、じゃあ何?誓太はそういうことしたくないの?」

「だっかっら、そういうことを小学生の俺に聞くんじゃない!小学生の男子どもは『ブラジャーとかパンツが何たらかんたら』って言わせておけばいいんだよ!その程度で止めさせとけばいいんだよ!俺を含めてだ!」

「あっ、なんだ〜、誓太もそういうこと考えてんじゃ〜ん、誓太のスケベ〜」

「盟子が言い出したことだろォ!?」

「でも、流石にキスもしていないのはどうかと思うよ私」

「それは…、世間の小学生カップルがキスするのが普通だとかは知らないぞ」

「けっこう聞くけどなぁ…、じゃあやってみる?」

「…!?」

「…やっぱやめとこ」

「うぉい!期待させといてなんだ!」

「期待してたのー?エロい〜」

「キスは別にエロくない!てかさっきから何がしたいんだ!」

「こういう類の話でからかってる」

「それ男子としてはハンパなく影響強いからやめろ!」

「まぁ、キスはしたいときにするからねー、環境作り頑張って」

「全部丸投げかよ!」






目が覚めた。


「…」


おととい、俺は盟子の夢を見た。あの時はまさに盟子が死ぬ瞬間だったので、涙を流しながら起きたが…。


…いや、今回の夢は何なんだ。


あれはごく普通にどっちかの家で遊んでる時の会話だ。そんな訳で、俺と盟子は手を繋いだりしただけでキスなど一度もしたことがない。


やっぱり盟子のことを探しているから、自発的に夢を見てしまうのか?いや、でも何故か昨日は盟子の夢を見なかった。何か関連があるのか、メッセージが込められてたりしているのか…。


色々と思考を巡らしたが、結局は考えることを諦めた。夢は不確かで曖昧なものだ。深く考えたところであまり得はない。



というか、それよりも腹が重い。何かが上に乗っている。



首だけ持ち上げて自分の身体を見ると、そこには相太が俺の腹を枕にして寝ていた。何だお前。


そこで朧げながら昨夜のことを思い出す。そうか、確か昨日の出来事を俺が話してからそのまま寝ちゃったんだっけ…。


ということは、相太は無意識のうちに枕を求め、俺の腹を見つけたというわけか。恐るべし安眠への執着心である。


ふと周りを見ると、どうやら俺以外には誰も起きていないようだ。倉之助はあぐらをかいて座ったまま、研は猫のように丸まって、捺実は卓袱台に頭を乗せて寝ている。4人の安定した深い寝息はちょっとやそっとでは起きないことを示している感じがする。


「やっほ、起きた?」


突如頭の上がひやりと冷たくなった。俺の前に萌恵沙がひょいと顔を出す。上下逆さまだ。


「…何で頭の上に乗っている」

「気分」


よっ、と萌恵沙は頭を上に戻し、俺の頭から降りた。同時に冷たさが消える。よく「霊に触れると冷たく感じる」と言うが、実はあれは事実だ。詳しい原理は説明はできないのだが、イメージで話をするならば、死体は死んだ状態なので温もりを失っている。その状態で幽霊となっている為、体温(体内)は生きている人間の体温に比べて低いのだ。ただし幽霊と実在する人間とは、触れられない等の不干渉状態にあるので、それほど冷たくは感じない。さらに言えば幽霊と実在する人間が重なった所は、現実の世界と幽霊の世界のどちらでも、又はどちらでもない世界となるので、どちらの世界の原理と同じとは限らない…、と、だんだんとややこしくなったので、ここら辺で打ち切っておこう。


「ちょっと、こっち来てくれる?」


萌恵沙がちょいちょいと手招きし、外に出て行く。ちょ、相太が頭を乗せてるんだけど、と思うが、よくよく考えたら相太だ。気にする必要はない。遠慮なく頭を押しのけて立ち上がった。相太は思いっきり頭を動かされたが、起きる気配は一切なかった。


「ふあ〜あ…」


欠伸をしながら外に出ると、冷たい空気が肌を刺した。「寒っ」と思わず両の二の腕をさする。


「あ、泣いてる〜」

「これは欠伸だ。てかそのからかい方は完全に小学生のだぞ」


欠伸をしたら何故か涙が出る。それを知っているはずなのに、周りは「泣いた泣いた〜」と言ってくるのだから、全く訳がわからない。


「だって私は小学生で人間辞めちゃったもん」


萌恵沙が謎の方向でいじけたが、尚もからかう表情で言葉を重ねた。


「でも夜中にみんなで泣いてたよ〜」

「えっ」

「写真撮っておきたかったな、みんな泣きながら寝ちゃってさ」

「…チッ」


何故か小学生レベルに負けた気分だ。「やーいやーい」と萌恵沙が周りで突いてくるので鬱陶しいことこの上ない。


「うっさいな、そんなことだけなら戻らせてもらうぞ。こっちは眠いんだよ」

「あ、待ってごめんごめん」


慌てたように萌恵沙が手の平返しをするのがどこかおかしい。その滑稽な様子に免じて戻ってきてやる。


外は真っ暗で、とても起きる時間とは思えない。山に囲まれているお陰で、ここ邦雄町は日の出の時間が遅い。正月のテレビで初日の出が何だとか言っている時は、こっちは少しずつ明るくなっているのを見て「まだかな〜」と言っている。


その空が、日の出の位置だけ少し明るくなった時、萌恵沙は口を開いた。


「…私ね、なんか変な気分なの」

「…変とは、」


少し明るくなっている空の方向を見ながら、萌恵沙は恥ずかしそうに顔を下に向ける。


「なーんか意識しちゃってんだよね〜」

「意識?」

「そりゃあ、まぁ、同年代で私のことが視えるから特別意識があるのかもしれないけど…」


萌恵沙はちらりと俺の方を見る。


「…意識しちゃうの」

「…はぁ」

「『はぁ』!?『はぁ』って言った!?」


突然萌恵沙の顔が憤怒の表情へと変わった。その豹変ぶりに思わず身じろぎしてしまう。


「あんたねぇ、人の感情動かしておいて…」

「ちょ、待て!萌恵沙さんが今それを言ったところで何になるんだ!」

「知らないわよ!知らないうちに意識しちゃってんだから!」

「何で俺を意識するんだよ!霊視以外に何の理由があるんだ!?」


俺の咄嗟の抵抗に今にも掴みかかりそうだった萌恵沙がピタリと止まる。


「…何で?」

「わかんねぇのかよ!」


ぐぬぬ、と萌恵沙が苦痛の表情を浮かべる。必死に何か捻り出そうとしているようだが、


「…あれ、考えれば考えるほどどうでもよくなってきた…」

「何なんだよ一体!」


突っ込みすぎて流石に疲れてきた頃、「誓太ー?」と捺実の声がした。


「起きてんのなら洗濯物取ってきてくんない?」

「…別にいいけど、何故?」

「合計7人分の朝食作らなきゃいけないから、倉之助と2人でやらないと。こいつらは起きないし、起きても役に立たないし」


そう言って捺実は何か「ふんっ」と気張る声を出す。と同時に「グエッ」と相太のうめき声が聞こえた。俺が手荒にどけても起きなかった相太が起きたとは、どれほど力を込めたのだろうか。


「…わかった。でも先に、その、お前の、あれ…」

「私の下着?わかった〜取っとくね〜」


だから人が言いにくいことをいけしゃあしゃあと、と俺は怒るような困るような複雑な顔をする。横から萌恵沙が何やら面白いものを見つけた顔をしているが、見て見ぬ振りをする。


しかし…、


(最初は何とも思わなかったが、今はなんだか萌恵沙さんと盟子を、朧げながら重ねてしまう…)


何か共通点でもあるのだろうか、だが俺はまだ萌恵沙さんのことはよく知らない…。


そういえば、ここに来て盟子の夢ばかり見ていたが、何故か見なかったおとといには、萌恵沙さんはいなかったな…。もしかすると、本当に心の中で気がつかないうちに重ね合わせていたりしているのか…。


何なんだ、一体…。


一度深い思考に入り込んだ俺は、萌恵沙の呼びかけが聞こえず、捺実が肩を押すまで思考を止めなかった。






俺たちが邦雄町に戻ってから、ずっと萌恵沙の親族を探したり、盟子を探したりと、最初の計画から完全に逸脱していた。強いて言うなら、倉之助は実家に話に行き、研は別荘(?)として片付け等をしたが、それっきりである。


だから、もう邦雄町には大きな用がなくなった今、少しばかり遊んでも悪くないと思ってる。


「うへ〜、気持ち悪い、私には無理だわこれ…」

「無理すんな」


倉之助はそう言って、捺実が見ているプラスチックの入れ物の中から1つ、…名前は忘れたがゲジゲジみたいにウネウネして気持ち悪いやつ…を釣り針の先につける。


「ま、昼食が取れるんだからいいじゃん」

「あんたは何もやってないから気楽でいいわね!」


のんびりとしている研に向かって捺実は怒鳴りつけた。研は澄ました顔で足をパタパタさせる。…正確には、靴を脱いで、川に足をつけているのだ。


そう、俺らは川に来ている。しかも良くも悪くもここはクソ田舎。東京とは比べものにもならないほどの水の純度。よくテレビで、「見てください!川底が見えますよ!」だなんてリポーターが興奮しているのを見るが、俺らはそれを幼稚園児の頃から常に側にあったので、中学生の頃は何が凄いのかわからなかった。


「よっ」


倉之助は慣れた手つきで釣竿を振り、遠目のところに釣り針をポチャ、と入れる。


「…ねぇ、釣りについてよく知らないんだけど、」


捺実が倉之助の横で覗き込んで尋ねる。


「あれで何が釣れるの…?」

「まぁ、少し大きめの小魚かな?俺も詳しくは知らないけど…。んで、その小魚をまた釣り針につけて、今度は大きいのを釣る」

「え、何その方法!プロみたい!」

「いや、どっかの番組でやってたから真似してみただけ」


それなら俺も見覚えがあった。バラエティ番組で釣り好きな芸能人が…、いやちょっと待てよ?それ海じゃなかったっけな?…川で釣れるのか?


俺が疑問に抱いていると、「ヘェ〜」と感心していた捺実は突然血相を変えた。


「ちょっと待て!それじゃその気持ち悪いやつが釣った魚の中にいるってことじゃない!」

「いや、これで釣ってんだから当たり前だろ」

「ダメ!食欲が削げ落ちる!餌を何か別のに変えて!」


捺実の猛烈な抗議により、餌は倉之助が持っている中で「これはセーフ」と指名されたものとなった。寿司でよく見るいくらに似た魚の卵らしい(実際に鮭の卵なのかもしれないが、生臭いので食指は動かないが)。


「これ、どこか別の川の釣り場であったやつだからな…。あそこの魚みたいなやつしか食わないかもしれないぞ」


この川の魚って誰がいたっけ、と倉之助は悩む素ぶりを見せた。どっちにしても確実性は薄そうだ。


しかし、そう思っている側から、


バシャバシャッ!


「うおおお!いいぞこの魚!昼食で1人分に足りるだろ!」


相太が持ってきた魚を掲げた。その顔は誇らしげだったが、


「ちょ、相太!何であんた釣らないで直で捕獲してるのよ!」

「うっせー、釣りなんて悠長に待つようなことが俺に出来ると思うか!?俺にとっちゃこれが一番手っ取り早いわ!」


これはこれで道理である。


「安心しろ、俺と倉之助で腹一杯にしてやるからなー」


そう言って相太は捕まえた魚を自分のバケツに放り込む。そして再び川の中に入っていった。意気揚々とじゃぶじゃぶと音を立てながら川の中を進む相太の背中に、懇願するように倉之助が声をかける。


「荒らさないで…釣れない…」






「…楽しそうだね」

「うん。…いや、これを楽しいの一括りで済ませるには何が違う気がするけど…」


相太が魚を素手で捕まえるのを見て、捺実も興味をそそられたのか、捕獲に参加していた。さらに「うるさいから本が読めない」と研まで乱入し、倉之助は釣りを諦め、結局一緒になって魚を鷲掴みにしている。


「うん、まぁ、楽しいでいいんだろうな」


みんな心の底から笑顔なら楽しい…、そういうことだろう。多分。


4人の様子をぼーっと見ていた俺に、横で浮いている萌恵沙が、4人に聞こえないことをいいことに声を上げる。


「羨ましいな〜、だって小学生の頃からでしょ?ずっと交流が深いなんて…」

「いや、同じクソ田舎だってこともあるし…」

「だって私、幽霊状態でずっと東京見てきたけど、どいつもこいつも上辺だけの関係だったわよ。上司にペコペコする連中とか、金持ちにひっついて遊び呆ける女とか、後は自慢したいだけで恋人になる男女とか…、あっ、待って、女はそうでも男は単に気持ちよくなりたいだけかも…」

「いいっていいって、考え込まなくていいって!てか俺の前でそんなこと話さないでくれる!?」

「でも盟子とはそういう関係じゃないんでしょ?」

「当たり前だ!んなことわざわざ言わせるな!」


なら良かった、と萌恵沙は唐突に笑顔になった。


「私が負けた相手が、上辺だけじゃなくて」


う、と思わず固まる。…こんの、次から次へと反応に困ることを…。


「で、話戻すけど、凄い絆だよね、誓太達」

「…実はな、みんな人とは違うところがある、っていう理由もある」

「えっ何それ教えて?」


興味を惹かれたのか萌恵沙がねだると、ちょうどいいタイミングだったので「ほら」と4人を指差す。


「そこ!そこに待機してて!今占い絶好調なのっ!」


捺実が研に向かってそう指示し、素直に研がその位置に行く。


「同じ魚を揃えとかなきゃな…。見て覚えたからまぁなんとかなるだろ」

「なぁなぁ捺実!俺どこにいたらいい?」


相太が捺実に聞くと、捺実は遠くの方を指差して雑に答えた。


「あー、あっちの方に行けばなんかいい感じになる気がするわー」

「嘘つけ!能力使うまでもないわ!」


ぎゃあぎゃあ騒ぐ2人をよそに、倉之助が網を移動させる。


「こっちに置くぞー、こっちの方が1匹多い未来が見える」


4人の言動を見た萌恵沙は、指をさして俺に震えた声で尋ねた。


「…何?あれ。なんか普通の会話には出てこない単語が次々と出てきたんだけど」

「俺は霊と交流できる能力だって言ったろ?俺と同じように、あいつらも能力者なんだ」


さらっと言いのけたが、それとは対照的に萌恵沙が愕然とした表情で「嘘…?」と呟いた。


「えっと、捺実が占いだろ?んで研が瞬間記憶、倉之助が未来視、相太が一番しょぼいな。真偽判別」

「…ちょ、ちょっと、何でそんなに特殊能力を持った人がごろごろといるのよ?いや、もしかしてこの町に住んでいる、又は住んでいた人は能力者の可能性が高かったりする…?じゃあもしかして私も」

「あー残念ながらそれは無いと思う」



──なぁ師匠、何で俺らは能力者ばかりなんだ?

──能力者同士は引かれやすい。もちろん一期一会とも言うから、それは必然的でもあり、偶然的でもあるのじゃ。

──…絶対テキトーに言ったでしょ、今。

──おお、バレてしまったか。失敬失敬。

──んで、みんなと比べて相太の能力がしょぼいのはどうして?

──しょぼいと言うな。…しかしそれはやはり個人差だのう。運動が得意な人と得意じゃない人がいるのと同じことじゃ。

──それにしても、こんな人口が少ない町に、6人も能力者がいるんだなぁ。何か町自体が引きつける何かがあるの?

──土地にもそれぞれ個性がある。学力の高い人を引きつけたり、不良を引きつけたりとな。だからそう考えてもおかしくはない。

──師匠も引っ張られて来たの?

──そうじゃのう、友人とここに越して来たからのう。

──へぇ…、どうでもいいや。

──おい。



「…そっか、じゃあもし能力者だったら、小学生の時点で知り合っていたのか〜」

「そゆこと」


ちぇっ、と萌恵沙が口を尖らせる。この中にいたら楽しかったのに、とも。


「…昔はみんな違ったんだよなぁ」

「えっ何それ気になる」


俺のぼやきに鋭く反応する萌恵沙。それに俺が答えようとしたその時、


「おーい誓太!何サボってんだてめー!」


魚を鷲掴みしている相太が声をかける。


「昼飯抜くぞコラァ!」

「あーはいはいわかったわかった」


ごめん、じゃ、と言って、俺は靴と靴下を脱いで川に走った。


「たらふく食うからな!5匹は捕まえとけよ!」

「それはいくらなんでも多いだろ…」


そう言いながら川に足をつけると、皮膚を刺すような冷たさをモロに受けて「おわっつ!」と叫びながら思わずジャンプしてしまった。


流石に…ね。3月の終わりに、しかも山奥の川なんて…そりゃ冷たいよ。


俺の間抜けな動きを見たのか、遠くで萌恵沙がケラケラと爆笑していた。






釣れた魚は塩焼きに限る。そう言ったのは誰だったか。ただしひとつだけ誤りがある。


それは釣った魚じゃない。掴み取った魚だ。


「やっぱセンスが違うね!能力使ってるようじゃまだまだ」

「何よ相太、一回勝ったぐらいで勝ち誇っちゃって」


1人に3、4匹を割振れるほどの大量の魚のうち、半分以上が相太が捕まえたものだ。どうやら何か持っているらしい。


次に多く手に入れたのは倉之助だ。これは多分スキルだろう。その次に捺実、俺。一番役に立たなかったのは研である。


「全く、研に任せるんじゃなかった」

「占ってたのにことごとく逃してたからな〜、鈍臭いやつだ」

「喧しい」


捺実が肩を落とし、相太がニヤニヤとからかうのを研はそう一蹴する。


「動体視力が悪いんだよ僕は…。もっと考えるやつの方が楽」

「お前の場合覚えゲーだろうが」


やいのやいの騒いでいたが、倉之助が「早く火をつけろ」と口を挟んだので大人しく静まる。


「しかしこれは予想外だった…」


倉之助はそう呟いて釣り道具の片付けをした。餌以外の道具は実家から借りて来たらしいが、どうやら徒労に過ぎなかったらしい。餌代も損をしたと思うが、実家に置いて帰るようだ。


「じゃ、組み立てるか」


いい感じに薪になりそうな木を集めて円錐のような形に立て、その下に細い枝も入れた。そして火をつけた新聞紙を入れれば万事オッケーだ。ポイントは細い枝である。


発案者は研だ。


「中学の頃、クラスでキャンプをやった時に担任が教えてくれた。他のクラスは太い薪しかぶち込んでないから、火をつけるのに苦労してたから、すげぇなって思って覚えてた」

「いやお前の場合何も思わなくても覚えてるだろ」


新聞紙はあらかじめ持参しておいたが、肝心の着火物は、


「あれ、誰かライター持ってる?」


捺実が不意に気づいて周りに問いかけた。


「誓太が新聞紙持ってきたんだから、ライター持ってるんじゃないの」

「いや、新聞紙は捨てるはずのところから漁ってきただけだし…。てか2日目の墓参りの時に相太が一っ走りして買ってきてたろ」


俺がそう答えて相太を見ると、相太は「俺かよ?」という顔で見返した。


「いや、俺はあの後、元の場所に戻したし…」

「元って、買ったんじゃないのかよ」

「そうじゃない。もともと持ってきてて『使えねぇ』って言ってたやつあるだろ?あれが元々置いてあった場所。んで、今日家出る時に確認したら無かったから、誰かもう持ってったんだとばかり…」


一番持ってそうなのはお前だけど、と相太が捺実を指差す。「いや、私がライターを誰が持ってるかって聞いたんだから、私が持ってるわけないでしょ」と捺実は呆れ顔で答えた。


「んじゃ研、お前は…」

「こいつはねぇ。第一こいつ朝飯食べ終わった後すぐ寝やがったし」


俺が口を挟むと、研も「おっしゃる通り」と答えた。いや自慢げに言うな。


「じゃあ倉之助…」

「いや知らない」


ちょうど片付けが終わってこっちに来た倉之助は即答だ。


「え、じゃあ誰が…」


相太がまるで不可解な現象を目の当たりにしたかのような表情を浮かべる。確かにあるかもしれない、消えたライター事件。規模が小さい。


「あ、でも…」


倉之助は何かを思い出したようだ。


「昨日だっけな、相太のお爺さんが…」



「なぁ、ここにあったライターが変わっておるのじゃが、新しく買ったのかの?」

「ええ。前のがもうオイルが切れていたみたいで」

「そうか、すまんかったのう。それで、これは借りていいのかの?」

「ええどうぞ。というか、相太が買ってきたものなので、ここの家のものとしていいんじゃないでしょうか」

「おお、ありがたいの。では遠慮なく…」



「…って、ライターを持っていってた」

「じゃあじいちゃんのせいかよ!絶対元の場所に置くの忘れてるよ!いつも元の場所に戻さないってばあちゃん怒ってたもん!」


マジかぁ、と相太が頭を抱える。


どうする、と残りの3人は顔を見合わせた。相太の祖父母の家に帰るよりも、コンビニに行く方が近い。一本無駄になるが、誰かがそのまま私物にすればいいだろう。


「じゃあ一っ走り行ってくるよ。まだ私だけコンビニのパシリ受けてないし」


捺実がそう言って立ち上がるが、「待て」と相太が制した。


「何よ、着火物持ってたわけ?早く言いなさいよ」

「いや持ってない。だがあるじゃないか、俺らの周りに」

「周りに…?」


捺実は疑念を持ったまま周りを見渡す。俺も周りを見るが、火を起こせそうなものなどどこにも…、


いや、まさか。


「そう、ここには石や枝がいっぱいあるではないか!まさにキャンプ!これで火を起こしてこそ、キャンプをした気にならないか!?」


何か別キャラに目覚めたかのように相太は1人で勝手に盛り上がった。


「…漫画やアニメの見過ぎね」

「まぁ不可能じゃないけど…僕は出来ないよ」


呆れる捺実とあらかじめ逃げておく研。「いや俺がやる」と相太は意気揚々とブツを取りに行った。言い出しっぺが自分だから責任を持ったのか、はたまた自分がやりたいだけなのか。8割方後者だろう。


というか、それはキャンプよりかはどちらかというと無人島サバイバル系だと思うのだが…。


「へっへっへー」


終始ご機嫌な様子で相太が持ってきたのは、枝と石だ。


「…あれだろ、火打ち石方式と枝で擦る方法しか知らないんだろ」

「何?他に方法があるのか!」

「いや知らないけど…」


発言したくせに知識は普通だった。もっと何か別の方法でも知っているのかと思ったが。まぁ相太に期待するのは大体損だから…。


「いっくぞー」


相太はそう言って石を地面に置き、もう1つの石を掴んで頭の上まで振りかぶる。そして一気に、…いや、


「ちょ、」

「ふんっ!」


俺の制止は間に合わず、相太は石を思いっきり振り下ろした。石同士はガツンと音を立てて、…跳ね返った勢いで相太の手からすっぽ抜けた。


振り下ろした勢いが残っている相太の両手は、そのまま地面に激突した。…河原に転がっている砂利に。


「いってぇ!!」


石同士でぶつかった音が大きくて聞こえなかったが、結構強くぶつけたようだ。両手を腹に抱え込むようにして相太は蹲る。


「あーあ…言わんこっちゃない」


まさに予想通りだ。絶対に何かやらかすとは思っていた。もし漫画ならば、俺の頭には呆れたことを示す大きい雫の汗がついているだろう。


「何やってんのよ、ほら、手を貸しなさい」


捺実が慌てたように相太に駆け寄る。手を貸しなさいと言ったものの強引に相太を引っ張り出した。


「あーあ…、思いっきり擦りむいちゃって…。手首痛くない?」

「ぶつけた表面が痛え…」

「擦りむいただけなの!?うっそ、あんなに勢いつけて振り下ろしたくせに…」


まさかの手首は無傷ということに、捺実は驚愕の表情である。相太の耐久度は今まで驚かされたことはあるが、ここまでとは知らない。というかそれは完全に漫画やアニメの域だ。


「とりあえず川で砂利を流してきなさい。あいにくみんなお茶しか買ってないみたいだし」


捺実の指示に素直に従った相太はノロノロと川に向かう。その姿を見た研が一言。


「…オカンだ」

「オカンじゃない!」


捺実がすぐさま切り返した。でも、と捺実は深妙な顔になる。


「あいつ危なっかしいから、誰か見てやらなきゃボロ出しそうよね…」

「捺実が見てあげればいいじゃん」


今度はすぐさま研が突っ込む。


「うーん、でも家あんまり近くないし…」


お?と研が目を丸くする。さっきのように切り返すと思っていたのだろう。俺もそう思っていた。


捺実は想像以上に深刻に悩んでいるらしい。

過保護なのか、相太がそれほど深刻なのか、それとも別の何かか。


「はぁ、早く独り立ちしてほしいわ」


オカンじゃねぇか、と心の中で突っ込む。そもそも別に捺実は相太の保護者でもない。


「捺実〜、洗ってきたぞ〜」


冷たそうな手をプルプルと震わせて、相太が帰ってきた。もうただの親子にしか見えない。


「はい、じゃ手を貸して」


相太が素直に差し出すと、捺実は自分のポーチから絆創膏を取り出した。


「大きさちょっと足らないけど、傷が深そうな所に貼っとくからね」


散々オカンだったのに最後は雑である。これは何だ、親子の漫才コンビか。…いや別に売れなさそうだけど。


かくして、相太は両の手の甲に絆創膏を一枚ずつ貼る結果となる。


「はい、おしまい」


捺実はそう言って、パチンと絆創膏を貼ったところを叩いた。「痛え!」と相太が悲鳴をあげる。


「ったく、注意しなさいよね」

「てか、この方法じゃ絶対に火はつかないけど」


研がこれまた呆れ顔で相太を見る。最近相太は周りに呆れられてしかいないのは気のせいか。


「火打ち石ってふつー片手で握れる石でしょ。擦って火花を散らすんだから、ぶつけたところで意味ないし。そもそも火花を散らしたところで、近くに着火できるもの置いてなきゃ意味ないでしょ…」

「なるほど、火打ち石方式は無理か…」

「別に無理とは言ってないでしょ」


どうやら捺実の言う通り、誰かが保護していた方が良さそうだ。


「よし!じゃあ木の枝を擦り付けるやつだな!」

「名称知らないのかよ」


懲りない相太は木の枝を横たえて、その上にもう一本の木の棒を立てる。そして、


「うおおおおおおおおおお!」


キリで穴を開けるような感覚で、思いっきり擦り始めた。



30分後…。



「これも…駄目なのか…」


相太はがっくりと項垂れた。倉之助と俺も似たような反応だ。研は横になって動かない。

3分ほど、相太は全力でこすり続けたが、火がつくどころか焦げもしなかった。何かコツがあるんだろうと考えてた相太だが、


「待てよ、ある程度温めた状態で強く擦ればつくんじゃないか?」


と閃き、俺たちを巻き込む羽目になった。まず最初に研がやったが、1分で脱落した。次に俺、そして倉之助の順で擦る。2人で、焦げがついた辺りから相太とチェンジしようと決め、俺と倉之助でローテーションして擦り続けた(研はたったの1分で使い物にならなくなっていた)。


やがてもう腕がパンパンになり、限界を迎えた時、何となく枝の先が焦げているように見えた。今だ、と相太にチェンジし、そこから相太の5分間チャレンジが始まった。


結果、惨敗。


腕がパンパンになり、もう無理だと感じて男どもは河原に寝そべった。多分このまま野垂れ死にそうだな、などと縁起でもないことを考えていた所に、捺実が帰ってきた。


「…おつかれ。無理だと思ってライター買ってきたよ」






結果として、運動後の食事は最高に美味かった。


塩焼きの手順は全て倉之助がこなしてくれた。腕がパンパンだったんじゃないかと聞くと「頑張った」と返答が返ってきた。


「そういや、私の大学でもなんか催しでキャンプやるとか言ってた気がする…。倉之助、手順教えて。魚を掴み取ったらどうするの」

「魚を掴み取りするところから違うんだが」


何よケチ、と捺実が口を尖らせるも、ケチとかの問題じゃないと倉之助は魚を貪りながら答える。確かに俺らはイレギュラーの道を通ってきたみたいだ。…いや、確実にそうだ。


そして、相太と研は何やら言い合いをしている。


「これ醤油ぶっかけたら美味いんじゃね」

「相太何言ってんの、ポン酢に決まってんでしょ」

「何だと研、この魚は醤油派だ!」

「魚自体に醤油派もポン酢派もないよ。だけどこれは間違いなくポン酢だね」


ぐぬぬ、と火花を散らす2人に、捺実ははぁ、とため息をつく。


「どっちもあるから食べ比べればいいでしょ」


そう言って捺実が醤油とポン酢を取り出すと、相太と研はそれをひったくった。


「おっしゃお前、食えばわかるぜ、自分が間違ってたってな!」

「それはこっちのセリフだね」


謎の小競り合いを前に、再び捺実はため息をついた。


「…本当に楽しそうよね」

「はん?」


萌恵沙に話しかけられ、魚にがっついていた誓太は齧り付いたまま聞き返す。


「はひは(何が)?」

「こんな馬鹿話で盛り上がれて」


ふわふわと浮かびながら、萌恵沙は足をバタつかせて言っている。


「一度側にいなくなったら、トークアプリの通知が溢れ出るでしょ」

「…いや、実はそうでもない」


俺の言葉に萌恵沙は驚いた表情を見せる。魚から口を離して俺は続きを話した。


「まぁ、常に通知はあったけどな…、受験中も」


受験中の通知の8割は相太からである。周りが応援のメッセージを送る中1人だけ浮いていた。


「でもそんなに数が多いわけでもない。いつも顔を合わせてたらマシンガンのごとくトークは繰り広げるけど、スマホではそんなに馬鹿話しない」

「どうして?」

「何だろうな…。面白い話はとって置いてるかもしれない」

「とって置いてる?」

「うん、実際さ、スマホで話すよりも目で見て話し合った方が楽しいんだ。だからその時のためにとって置いてる」


もちろん時事ネタや今すぐに聞きたくてしょうがないことなどはアプリを使う。受験が終わるや否や溜め込んでたそれを消費していたので、その時だけは少し間を開けると既に10個以上会話が進んでいた。


「はぁ〜」


萌恵沙は感心したように腕組みをする。


「…それが本当の親友像なのかもねー」

「いや〜わからんよ。スマホで延々と話してても、顔合わせた時も話題が尽きない人っているだろう」

「うん、でも憧れるそういうの」


萌恵沙は心底羨ましそうな顔で俺らを眺める。


「盟子さんも、楽しかったろうな…」

「…ああ」


俺は騒いでいる4人を見た。彼らは心の底から楽しそうで、まるでこの世の苦しみを知らないような表情だった。


その中に、1人笑っている盟子が混じっていても、何も違和感はなかった。知識が増え、身体は成長していても、俺らはあの時から変わっていなかった。






捺実が「この量は多いわよ」と愚痴ってはいたが、結局魚は完食した。相太と研の醤油orポン酢戦争はお互いに言い張るだけの泥沼戦へと突入したので、周りが収めて休戦状態となり、取り敢えず一息つくことが出来た。


「で、どうするの?捜索は」

「あ、うん…」


捺実が俺に問いかけたので、俺は改めて皆に告げる。


「取り敢えず、東京に戻るまではもう何もしなくていい。萌恵沙さんのお母さんの今の住所を手に入れたし」

「だけど盟子の件はどうするんだよ?」


相太が口を挟む。正直、萌恵沙の問題よりもみんなはこっちが重要そうだ。


「実は朝に捺実に占ってもらった」


手で合図して発言権を譲ると、捺実は何故か自慢げに語り出す。


「いっつも朝の方が正確なのよね。それに今回は詳しく情報を手に入れたわ」


だから今日は調子が良いって言ってたのか、と研が納得する。


「占いの結果は、『成り行きに従うべし』。更に詳しいことを言えば、東京に戻ることが最善手ってこと。もっと言うならば、萌恵沙ちゃんの問題を解決すると同時に、盟子を見つけられる、って出たわ」

「えっ、それなら」


倉之助の驚きの声に、捺実は目を輝かせて答えた。


「そう。私たちは確実に、盟子に会える」


その言葉に思わず背筋がぶるっと震えた。悪寒ではない。


盟子を失くしたあの日から約6年後。俺は、いや俺らは盟子ともう一度会えるチャンスを獲得した。


それがどれほど感動的なのかは、言うまでもない。


伝えたいことは山ほどあった。…いや、伝えられなかったことがたくさんあった。


しかし、1つだけ、4人の誰にも相談できていないことがある。



俺は、盟子に成仏してほしいということだ。



萌恵沙には一度話したことがあるが、幽霊としてこの世に留まるのは実はかなりの苦痛である。肉体的ではなく、精神的に。


俺は、盟子に辛い思いをさせたくない。だから一刻も早く成仏させたいのだ。


しかし…、みんなはそうは思わないだろう。できるだけ長く、盟子と話したいはずだ。その思いはもちろん俺も同じだ。


自分の意思を捨てるか、周りの意思を捨てるか…。まるでいつぞやのトロッコ問題である。


最大多数の最大幸福を目指すことを、功利主義だと習った記憶がある。


しかし、誰よりも大事にしている人の幸福は、関わったことのない人の幸福をいくつ積み上げてもそれを満たさない。


そしてここで問題なのは、一番大事な人と、その次に大事な親友4人とを計りにかけ、どちらを優先するかだ。どちらが大きいかは、わかるはずがない。


もう功利主義とは関係のない、別の何かの問題のような気がしてくる。


…残酷だ、と俺は心の中で吐き捨てた。



この究極の選択肢に、逃げ道はどこにも残されていなかった。



「さーて、昼食も終わったことだし、何するか、ってうわっ!」


相太は立ち上がると同時に自分の顔を守るような形で腕を上げた。


「なんだこれっ!てか冷っ!」


悲鳴を上げる相太に向かって何かをかけているのは、どうやら研である。


「おい研!てめっ何してんだ!」

「別に、ドッキリの1つとして」


研の右手に握られているのは水鉄砲だった。あれは確か小学生時代に研が愛用していた型だ。家の整理の時に持ち出していたのか。


「ああもうこのやろっ!」


相太はそう言って川の方に駆け出した。その様子を見た研がご満悦そうに笑う。


「洗おうったって、別に何も変なものは入ってないよ、川の水を汲んだだけ…」


研が言い終わらないうちに、バシャッというベタな音が響き渡る。一瞬で研が土砂降りにあったかのような状態となった。


「どうだ、これでおあいこだ!」


相太はバケツを人差し指でクルクルと回しながら勝ち誇る。だが器用じゃないからすぐにバランスを崩して落としてしまった。


すぐに拾おうとする相太だったが、


「…おいお前、限度ってのがあるだろ」


いつの間にか距離を詰めていた研が、相太の真横に仁王立ちしていた。その身体は水が滴っている。水も滴るいい男、…と言っていいのだろうか。


「ちょっと相太!私にも被害が来たじゃない!」

「…俺も」


研の後ろからは捺実と倉之助が顔を覗かす。倉之助に関しては身長の高さを活かし研の頭の上から顔を出しているので、守護霊のようなポジションとなっている。


「…あ、これって、敵増やした感じ…?」

相太が顔を青くすると、


「「「大・正・解〜〜」」」


「大」で3人で相太の身体を掴み、「正」で相太を投げ飛ばし(ほぼほぼ倉之助の力である)、「解」で相太の身体が川に着水した。


「ぶっ、てめえら!やりすぎだろうが!」

「うるせえ、お前にはこれが上等だ!」


川に完全に使った相太に向かって、研が川に入って追い討ちをかける。その後ろから捺実と倉之助が乱入する。後ろの2人はきっと遊び半分だ。


「馬鹿らしい」


萌恵沙は鼻で笑った様子だ。どうやら独り言ではなくこちらに向かって言ってるので、ハハハ、と笑ってごまかす。


しかし萌恵沙は言葉そのままに軽蔑はしておらず、


「…でも、楽しそ」


まるで羨むような目で、はしゃぐ3人を見ていた。


「…」


考えたのは数秒、あるいはもっと短い。


自分のカバンからハケを取り出し、萌恵沙に塗るように腕を振る。わっ、と萌恵沙が声を上げた。


「ちょ、やるなら早く言ってよ!びっくりするじゃない!」


抗議する萌恵沙には答えず、手頃なバケツを押し付けた。今回のハケは初日に使った可視化のハケではなく、実体化のハケだ。そうすれば一時的に生きている人間と変わらない状態となり、物を持つことができる。ついでに効果時間も長い。体温の異常な低さに周りに気づかれたら困り者だが、


ここで、心配することはない。



「遊ぼうぜ、みんなで。馬鹿みたいに」



そう言って俺は萌恵沙の手を引いた。


ちなみに俺は決して遊び半分ではない。ズボンの膝下が濡れているからだ。


萌恵沙は、俺に見つかってから一番楽しそうな顔をした。子供みたいにはしゃいで遊び回るだけで、こんな表情を見せるのかと驚いたほどだった。



俺たちに見つかって、萌恵沙は良かったんだな、と確信した。



空中から水をぶっかけられる上に本人は一切濡れないことから、萌恵沙に対して相太から「せこい」と言われたことは、また別の話である。






明日、俺らは東京に戻る。


だから、お世話になった相太の祖父母にお礼をするのは当然のことなのだ。


「捺実〜、白滝も買ってきたけど〜」

「あ、誓太偉い!すっかり忘れてたわ」

「ねぇ、使うのってキャベツだっけ、レタスだっけ」

「えっとね、私の場合白菜使う。研、冷蔵庫の一番下漁ってみて、何でもあるから」

「ごめん、白菜がどれだかわからないかも」

「わかるでしょそんぐらい!」

「だって色んな形あるじゃん…、覚えても当てはまらない場合が」

「ベースは変わらないでしょ!サボろうとすんな!…あれ、倉之助は?」

「あのカフェの人のツテで上等の肉を貰ってる」

「いーじゃん!やっぱ料理人のツテっていいわねー。…ねぇ相太!まだ鍋見つかんないの〜?」

「おっかしーな、ここにあるはずなんだけど…」


相太の祖父母が帰ってくるのは7時。それまでに何とか食事の準備を完成させなければならない…。



ミッション・上等のしゃぶしゃぶをご馳走せよ!



「何がミッションよ、ほとんど私と倉之助に任せる気でしょ」


横から捺実に突っ込まれた。全くもってその通りでございます。テヘペロ。






…もう明日、帰ってしまうのか。


皆でしゃぶしゃぶをつつきながら、ふとそう思う。


思えば、始まりはただ単に「親と毎回一緒だなんてイヤダ!」という反抗心から始まったこと。ただそれが理由で、俺らは親という縛り無しに邦雄村、…失敬、邦雄町に訪れた。


縛りが外れた瞬間、縛りがあっては出来ない難題をふっかけられた。それはまるで、運命のように。


突如相太に取り憑いた萌恵沙。まだ盟子が幽霊としてこの世に留まっている事実。最初に聞いた時は衝撃的で、思わず夢でトラウマが蘇ったほどだ。


次に明らかになった、師匠の弱りきった姿。邦雄町のシンボルでもあったお祓い屋に残された時間は、だんだんと目に見えてきた。その座を受け継ぐべきは俺なのだろう。実はそこも難題だったりする。


そして明かされる、あの災害の真実。どのメディアも大きく取り上げることのなかった、多くの人の命を奪った土砂崩れの原因。盟子は最後まで、盟子だった。


それを聞いてくれた、一生懸命動いてくれた仲間達…。


まるで、俺らが高校生を卒業するのを待ちわびていたかのように、そして俺らがクソ田舎旅行計画を立てたと同時に。


成長した俺らに、今まで隠していたものを打ち明ける為のような。


スイッチが入り、運命の歯車が回り出していた。そしてそれはまだ、動き続けている。


俺らの前には、何重もの扉があった。それはとても重く、頑丈な。それが歯車によって、次々と開けられていく。


最後の扉の先には、盟子がいる。


何だよ、そんなファンタジーな想像は、とつい自分の発想の幼稚さについ突っ込んでしまう。いい歳になって妄想癖でもこじらせたか。


だけど、本当にそれが当てはまって、正直困惑している。


──いずれにせよ、






明日、全てがわかる。そう確信している。

俺らは明日、この激動のクソ田舎旅行計画に、終止符を打つんだ。

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