第7話「真実」
山の精霊は慣れた手つきで、手に持った花を盟子の墓に供える。
「知っとるか?私ら精霊は、物を作り出すことができる。このように、造花ではない生きた植物もな」
「…ここには毎日、花を供えてくださってるんですか?」
「無理な敬語を使わんで良い。今の私は、そんなことは気にしない。軽い丁寧語で構わん」
精霊は花を供えると、俺を見下ろすように背筋を伸ばした。精霊の身長は2メートルは超えており、身体つきは筋肉が鍛え上げられているようで、顔は白髪の生えたお爺さんだ。
「そうだ、毎日ここに花を供えている」
「…聞きたいことが山ほどあって、問い詰めたいところですが、順番に聞きます」
前置きを置いて、俺は精霊が供えた花を見ながら聞く。
「何故、僕らが昨日お墓に来た時に、あなたが供えた花を持ち去ったのですか」
俺の問いには精霊は答えない。別に返答を期待はしていない。答えは用意している。
「…何か僕に、疾しいことがあったとか、ですか?」
無言を貫く精霊だが、それはすでに肯定しているようなものだ。
「普通に考えれば、師匠の弟子だから、という筋が通りますが、それなら何故、師匠とは違って避けたのですか。明らかに技量が上の師匠に抵抗して、俺からは何故逃げ回ったのですか」
俺と師匠の繋がり以外に、精霊が俺を避けるほどの繋がりがあるか。
…心当たりはこれしかない。
「俺が、盟子と恋人同士だったからですか」
「…ふん、小学生の分際で恋人など、大げさなことを言うな」
「否定はしないのですね」
静かに、そして精霊の言葉を抑えるように俺が言うと、精霊は再び黙り込んだ。
「…盟子と何かあったのですか?もしかすると…、
…盟子の死、いや、この土砂崩れに、あなたと盟子との関係が関わっているのですか?」
山の精霊は、分霊だが一度俺と盟子と関わった。そして師匠によると、その分霊は本体へと戻されたという。それならば本体が俺と盟子を知っていても不思議ではないし、その精霊が土砂崩れを起こした精霊だということに矛盾は発生しない。
「…一つ、頼みごとがある」
精霊が頼みごとをするなど、隕石が地球上の誰かに当たるほどの珍しさだ。素直に俺は頷く。
「これから話すことを聞いて、我を忘れて怒らないでほしい。あの時の私は未熟だった、一人で生きてきた故、あの子の叫びを聞き入れることが出来なかった…」
こうして、精霊はあの事件の真実を話し始めた…。
山の中。とある休日に、あちこちの木を見ながらやってくる集団がいた。
「おかしいなぁ…全然いないぞ」
「だから言ったじゃないの、真昼間にカブトムシは現れませんー」
「だって早起き苦手だもん…」
「それは相太が悪い」
倉之助、研、捺実、相太、誓太、そして盟子のいつもの6人組が山に遊びに来ていた。主には昆虫採集、メインターゲットはカブトムシ、もしくはクワガタムシである。
だが流石に真昼間に捜索など、愚策にもほどがあるだろう。
「誰だっけ?そのカブトムシ10匹捕まえたやつ、えーっと、長澤?あいつなんて何時出かけたと思ってるの?」
「えーと、朝…6時?」
「朝は朝でもまだ日が昇ってない時間、午前3時よ!」
「それ朝じゃねぇじゃん」
「うるさい!(腹パン)とにかく、こんなことしても無駄!何か別の遊びをしたほうがいいよ!」
そのようなくだらない会話を繰り広げ、挙げ句の果てに相太を引きずって捺実が山から出ようとしたので、倉之助と研はやっとのことで諦めて捺実についていった。誓太は割とどうでもいいと思っていて、盟子は仲間外れになるみたいで嫌だったからついてきただけである。
その帰り道、盟子だけ気がついた。
「え、…何これ…」
一本の木が、斜めに傷つけられている。それも多数。
「ひどい、何のために…?」
このような無意味な行動をするのは小学生男子によくありがちだが、盟子には何となくこの傷つけ方に見覚えがあった。
「…これ確か、昨日の」
昨日、夜7時からのバラエティー番組で、外国にて輪ゴムの原料となる樹液を採取する様子を取り上げていた。斜めに木を切り、下に垂れてくる樹液を回収するものだったのだが、
「…樹液から輪ゴムに加工できないくせに」
多分真似事だったのだろうが、結局ゴムを作れない以上は無意味な行動だ。男子はその謎の無意味な行動で構成されていると言ったら、少し過言だろうか?
しかし、その無意味な行動で木が傷つけられるとは、当事者ではない盟子も心が痛くなる。
「大丈夫?」
盟子は意識に干渉し、そう聞いた。だが答えは求めていない。植物と今まで会話したことがないからだ。盟子の能力の限界か、それとも植物自体に会話の概念が無いかのどちらかだと誓太の師匠さんが言ってたが、実際はどうなのだろう。あと「がいねん」ってどういう意味だろう。
そんなどうでもいいことも考えていると、
「…ああ、しばらく経てば元通りになる」
帰ってくるはずのない返答にひやっ、と思わず声を上げた。
「…喋れるの?」
「木ではない、私だ」
よく聞くと声は後ろからかかっている。振り向くと誰もいなかったが、もしかしてと思い意識を集中させると、そこには何十年も歳を重ねていそうな…、
「あ、」
「お?」
盟子の声と精霊の声が重なった。お互いに誰だかを認識したのだ。
「あ、あの時の精霊さん?」
「そなたはいつぞやの、私が見える人間…。
その時は無礼な行いをしてしまった、すまない」
「あ、いや、私も言葉遣いをきちんとまなぶべきでした、ごめんなさい」
お互いに頭を下げ、その空気がなんだかおかしく、盟子はふふっと笑う。
「精霊が謝っているところ、初めて見ました」
「私は昔から感情に身を任せて行動してしまうことが多くての、中々解決されない反省材料だ」
「なんだか人間見たい。力を持っていても、性格は人間と変わらないんですね」
それにしても、と盟子は傷つけられた木を見る。
「これ、ひどいですね…、明日の朝に、クラスのみんなに伝えておきます」
「そなたのように自然を気にしてくれる人間は稀だ」
「そうですか?」
盟子は目を丸くして精霊を見る。
「私の周りに『環境を守ろう』って意思を持っている人、沢山いますよ」
「では実際にその中で、果敢に活動している人はどれぐらいかの?学校が運営している活動は除くぞ」
盟子は「そんなこと、」と口を開きそうになったが、確かに有言実行した人は少ない気がする。みんな『守ろう』とは言っても、目についたボランティアにしか参加していない。
「…あんまりいないかも」
「そういうことだ。口だけの者は勘定に入れてはいけない」
何か少し寂しいかも、と盟子が思う。そしていいアイデアを思いついた。
「ねえ!私に出来ることない?」
「出来ること?」
「私、精霊さんとお話できるでしょ?それなら、精霊さんがしてほしいことを私に言ってくれたら、私がそれをする。そうすれば、少ない人手を稼ぐことができる!」
「し、しかしなぁ、小学生に出来ることは限られて…」
「無いよりはマシでしょ?」
「だ、だが…」
精霊はしばらく粘ったが、結局、盟子の熱意に負けて承諾した。その日から、精霊と盟子は親密な関わりを持ったのだ。
ゴミが増えてきたと言われれば家族を巻き込んでゴミ拾いをし、不法投棄があったと言われれば町役場に連絡する。盟子は盟子なりに全力を尽くしてきたつもりだった。そして精霊はそれを微笑ましく見ていたのだった。
その関係を破るのは、2人に関係が無かったもの。
「…ねぇ、そんなことしていても意味がないよ」
「意味がない、だと。まぁ小学生には分かり得ないことだろう」
「そう言って私を小学生だって無視する気?小学生はバカだからまともに会話出来ないって?」
盟子は小学生5年生となり、様々な知識を吸収していた。学習能力が秀でているらしく、今付き合っているらしい彼氏からは「肩身が狭い」と思われているらしいと言っていた。
しかし今では、その学習能力の高さが鼻に付く。
「いいか、よく聞け」
久々にきつい声を出すと、さすがの盟子も怯えた表情になった。
「どんなに頭が良くても小学生は小学生だ。今、巷で噂の天才小学生だとしても関係ない。これは知識量ではなく、人生経験の問題なのだ。故にそなたに首を突っ込まれる必要はない」
「じゃあいいよ、私はそういう意味では首を突っ込まない」
そういう意味、だと?精霊が盟子に顔を向けると、盟子は毅然とした目で精霊を見つめ返していた。
「私たちの町の人を殺しちゃうのはやめて!」
───何故このようなことになったのか、それは人間どもの自業自得とも言えるだろう。
ここ最近、都心に近い山の麓が開拓されつつある。それは東京だけでなく他の主要府県にも及び、次々と山が削られていた。山を削る時に生じた大量の土は山奥に捨てられ、その場でも自然は破壊された。
そしてその風潮は、ここ邦雄町にも起きつつあった。次々と斜面が削られ、娯楽施設や住宅地が次々と建てられた。その当時、誓太や盟子達のような、田舎に移住するブームは未だに続いており、その中の一つに邦雄町が含まれていたのだ。となると、邦雄町の他の山奥の町や村でも同様に住民が増え、山が削られつつあるのだ。
そして、日本中の精霊達が警告を出した。これほど好き勝手に自然を破壊されてはたまったものではない。その誰もが日本人の暴走を止めようと行動した。
行動内容は、自然災害。
「私たちの町の人を殺すな、か…。そもそも誰が引き起こしたことかわかっているのか?」
「だからって無差別に被害を与えるのはおかしいよ!関係ない人だっているはずなのに!」
「いいか」
精霊はぐいっと盟子に顔を近づけた。思わず口をつぐむ盟子に、精霊は容赦なく言葉を重ねた。
「世の中、自分の思い通りにいくと思っていたらそれは大間違いだ。これから先、納得のいかないことでも受け入れなければならない時が来るのだ」
盟子は目に涙を浮かべながらも、その小さな頭で必死に解決策を探していた。
「…だったら現場を襲ってよ」
「現場?」
「工事している現場!人のいない夜中に土砂崩れを起こして工事現場を滅茶苦茶にしちゃえば、もうそこで工事をするのは危険だって思うでしょう!?」
なるほど、小学生にしては妙案だ。妙案なのはいいが、
それでは生ぬるい。
しかし、ポロポロと涙を流しながらもこちらを見つめる盟子の目を見ると、もう説得は通じないことが伺えた。
「…なるほどな、本当にそれでいいのか?」
精霊がそう言うと、盟子は目を丸くした。まさかこうすんなりと話が通るとは思ってはいなかったようだ。
「本当にいいのか、って…?」
「もし夜中に起こしても、誰かが残業をしてその場にいるかもしれない。それでもいいのか?」
残念ながらそれしか方法は無いようだが、と付け加えると、盟子は黙り込んだ。そして約1分、長考し、
「…わかった、」
と答えた。恐らくあの現場はほとんど残業が無いことから決定したのだろう。それは精霊も把握済みである。
「ならば良い。もう日が沈んだ、私が付き添ってあげるから、早く家に帰るのだ」
盟子は俯いて無言で歩き出し、精霊はそれについて行った。そして森から抜けると、「もうここまででいい」と言って、精霊から逃げるように走って行ってしまった。
やれやれ、と精霊は頭をかく。これは喧嘩の範疇かと思うが、
(この喧嘩を最後に、もう関わることはないだろう)
当然、人のいない夜中に現場を襲うなどしない。バカな人間どもを止めるには、それ相応の犠牲者が必要だ。しかし、そうした場合、盟子は絶望するだろう。となると、もう関わってこなくなるはずだ。…いや、お互いの為にも、そうなる方がいいのかもしれない。
これは、致し方ないことなのだ。
しかし、と精霊は盟子が走っていく方向を見る。
彼女だけは、生かしておきたい。彼女は自然に限らず、周りにをきちんと見る人だ。この世の中に必要な人材だ…、だから、
精霊は、盟子が走り去った方向をしっかりと記憶した。あの方角の集落を襲わなければいい。そうすれば彼女は死なない。
しかし、彼女の魂は、本体から離れた……。
「…なぜ彼女が死んでしまったか、それだけがわからないのだ…。確かに、私は彼女が帰った方向ではない集落に…」
「うちに来ていたんだ」
精霊の話が始まってから、初めて口を開く。精霊は自分の話を遮られたことよりも、自分の予想だにしなかった真実を知り、声を失う。
「当時、俺と盟子は付き合っていた。そしてその日、盟子は泣きながらうちに来たんだ」
何があったのかと聞いても、盟子は決して明かそうとはしなかった。ただ、そばにいて欲しいと言われた。
俺は温かいココアを用意し、落ち着くかはわからなかったが流行りの曲を流した。それでも暫くは泣き止まずに、ずっと声をこらえていた。本当は思いっきり泣いてしまった方が、すぐに気分が楽になるのだが、盟子は決して泣くときは声を上げない。俺はそれを知っていて、盟子が納得がいくまでそばにいた。
泣き止む気配のないその様子に、俺は余程のことがあったのだとは感じていたが、無理に盟子に問い詰めることは出来ず、結局原因は今日まで謎のままだった。俺に「危険だからやめろ」と言われると思ったのだろうか。
結局、その日のことは何もわからず、俺は盟子を家に送った。そしてその次の日、あの惨劇が起きた。
「…あんた、自分が何したかわかっているのか?」
相手が精霊だということを忘れ、俺の言葉遣いは荒くなっていた。
「…この世に必要な命を奪ってしまった」
「…それだけじゃないんだよ!!」
自制が効かずに怒鳴り声を上げる。普段の精霊ならここで迎え撃つだろうが、今回ばかりは何も言えなかった。
「あの日!俺らは山が崩れるのを俺たち自身の目で見た!」
木々の間から見えた、上から流れ落ちる土と木。
「その日は雨も激しくて、とても外で遊ぶどころか、外に出る余裕すらなかった!なのになぜ俺らが外にいたかわかるか!?」
土が落ちる方角は、あの時の俺らの目的地。
「その日は盟子の誕生日だったんだ!そして俺らはそれぞれがプレゼントを持ち寄って、サプライズで訪問するつもりだった!」
倉之助が考案した新商品。研が見つけた形がいい石。
捺実も、相太も、そして俺も、それぞれが想いを込めたプレゼントを選んだ。
その日は、年に一度訪れる、盟子の思い出となる日だったのだ。
だが、こいつは、
「その日をっ!…あんたは盟子の命日にしやがったんだっ!!!」
感情を抑えられず、まるで吐き出した言葉を精霊に向かってぶつけるように俺は叫び続ける。
「だいたい!あんたは盟子の何一つわかっていない!」
遂には指を突きつける。精霊はいつの間にか静かに俺を見ていた。その様子も更に癪に触る。
「嘘をつかれたことに絶望して!?もう関わらなくなる!?何言ってんだあんた!盟子はなぁ、優しくても気弱じゃねぇんだよ!自分の正しいと思うことを貫き、間違ったことにはネチネチとそれは違うと言い続ける!」
あの天狗のような形相の師匠に正論で逆らった姿。いくら忠告してもやめなかった成仏活動。
「いつだって、周りに気を利かして、それでも自分の道を違わなかった!あんたみたいに、感情的に取り返しのつかないことはしなかったんだよ!!」
俺が言えることではない。…既に感情的に精霊に責め立てている俺などとは、到底釣り合う気がしないのだが、
「盟子はっ…!あんたには想像が出来ないくらいっ!素晴らしい人だったんだっ!!!」
釣り合わなくても、それでも俺は、盟子を好きでいたいのだ。
もうこの世にいなくても、ずっと忘れられないのだ。
それが、本気で好きになったということなのだ。
静けさが、墓地を、俺と精霊を包み込んだ。
周りには、俺の叫び声に驚いたのか、幽霊は全くいなかった。
つまり、幽霊を含めこの墓地にいるのは、肩で息をする俺と、それを静かに見る精霊だけだった。
気がつくと、既に空は橙色に染まっていた。夕陽もほぼ半分は隠れている。もうあの4人は既に相太の祖父母の家にいるだろう。
だが、そんなことは俺の頭には無かった。
自分の感情をぶちまけて、それをぶちまけた相手に今更気づき、だんだんと興奮した感情が薄れていった。しかし完全には収まっていない。
それでも、精霊に対して怒鳴ってしまったという行為が、師匠と同じ結末を招いてしまうかもしれないと想像すると、少しずつ「やってしまった」が増えてきた。
激しい怒りと、焦りもしくは恐怖。2つの感情が入り乱れて、俺の心の中はどんな気分なのか、自分でもわからなくなってきた。
すみません、言い過ぎました。
反射的にそう言いそうになったが、無理矢理口を閉じる。俺が謝る立場ではない。ここにおいて、悪いのは明らかに向こうであり、その分俺は好きなだけ怒る権利がある。そういう勝手な信念が邪魔をした。
精霊は深く息を吸い込んで、吐き出した。──まるで、
今までずっと抱えてきた肩の荷が、落ちたかのように。
「申し訳なかった」
腰を90度も曲げて、精霊は俺に向かって頭を下げた。
ごめんで済むなら警察はいらない。いつかの常套句がふっと出てきたが、精霊が人間に頭を、それも90度も曲げることは全くと言っていいほど無い。結果として、俺は困惑したまま立ち尽くすことになる。
「…私はこの瞬間をずっと待っていたのかもしれない」
謎の発言に、俺は怪訝な顔をした。精霊はゆっくりと頭を上げ、真っ直ぐに俺を見つめながら言う。
「天罰を下したあの時から、私は今日まで心に傷を持った気分だった。…私が他人を傷つけたくせにだ。いや、むしろ私が手を下したから傷ついたかもしれない。その傷は全く癒えることなく、誰かに触られると暴れ回って傷つけた」
触られる、とは師匠のことか。徐々に、俺の顔が真剣なものに変わっていく。
「奴は数少ない情報だけで、私を問い詰めて真実を知ろうとした。その時私は、──今となっては慢心であることは重々承知したのだが──、無性に腹が立った。何も知らない分際で、私の傷を触るな、とな」
しかし、と精霊は天を仰ぐ。
「盟子と深い関わりがあり、自分の感情に正直なそなたに、─盟子に一番近い存在のそなたに傷をえぐられると、返って心地よい気がしたのだ」
それはMか何かか、と問い詰めたいところだが、それはぐっと我慢する。
「私は恐らく、自分で自覚せぬ内に望んでいたのだ。──私の行いは、決して許されることのない、完全悪だと指摘させることを」
別にあなたの場合は完全悪ではない、と口を挟むが、精霊は「盟子の命を奪ったことに関しては完全悪だ」と、意見を曲げなかった。その表情は悲痛そうで、俺はその次に言葉を発することが出来なかった。
「今まで私は、自らを肯定し続けていた。その私を否定し、罵しられることで、私は自分の行動が悪だったと、遂に自覚できたのだ」
精霊はそう言うと、天を見上げたままゆっくりと目を閉じた。その目からは何か光り輝くものが落ち、精霊の頬を伝っていった。
精霊が涙を流すことなど、万に1つもありえないことだった。
日は完全に沈み、辺りは真っ暗に染まっている。時折聞こえるガサッという音は、夜行性の動物だろうか。だがその誰もが、幽霊や動物さえも、俺と精霊の側には近寄らなかった。
精霊の語りが終えてから、俺は何も言えず、ただ精霊を見ていた。精霊は天を仰いだままだったが、やがて頭を下げ、目を開けた。
「別に許して欲しいとは思わない。それはわかって欲しい」
精霊のその言葉に、俺は多少ながら苛立ちを感じた。…あまり深刻ではない方面で。
「開口一番自分のこととは、調子は戻ってきたようですね」
「そなたも、叫び散らして真っ赤になった顔も充血した目も、元の状態に戻ったようだな」
「もういいですよ、無理に丁寧な言葉を使わなくても。時折素が出てますよ、諦めたらどうです?」
「そなたは精霊についてどころか、対面するときの常識さもわかっていないようだ。下手でも慣れていなくてもこのような言葉遣いをしなければ、就職してもすぐにお払い箱だ、用心しておくがよい」
「あなたが言いますか」
「自分の心配を先にした方がよい」
フッ、と笑いが漏れた。続けて笑い声は出なかったが、俺と精霊の顔には軽い笑みが浮かべられていた。
「…さて、これからどうするつもりだ?」
「…何がです?」
萌恵沙の家族の捜索については精霊に話してはいない。不審な表情で精霊を見ると、精霊は墓を見下ろしたまま答えた。
「盟子のことだ。探しているのだろう?」
そういえば、精霊の存在に気付く前に思わず口で言った気がする。確か「見つけ出す」だとか。このやろう、聞いてやがったな。
「探す、ということは成仏出来ていないのか」
「…そうです。俺もその情報は2日前に知りました。しかし、『成仏出来ていない』ということしか知らないので、難航しています」
「そうか…。残念ながら、私もその件については全く知らない」
「そうですか…。わかりました」
「しかし、こう捉えると話が変わってくる」
話を転じた精霊は、俺に顔を向け、淡々と推測を述べた。
「この私がだ、この地域の山を管理し、この町について誰よりもわかっている私が、盟子の幽霊の存在を感じられなかったということが、どういうことを示すかわかるか?」
一瞬だけ、言葉を失った。そして脳内で猛烈なスピードで思考を巡らす。
そして一筋の光が走った。かの有名な探偵マンガの如く。
「…この町に、盟子はいないってことか!?」
「例外はあるかもしれない。しかしその確率が高いと考えている」
思わずタメ口で聞き返した俺に、精霊はあくまでも冷静に答える。
「でもそうにしたって、盟子は一体どこに…」
「申し訳ないが、そこから先はそなたが見つけ出すことだ。私はこの町のことしかほとんど知らないのでな…、何の役にも立たない」
「いえ、貴重なご意見、感謝します」
「無理に敬語は使うな、私は道を違った者だ」
精霊はそう言うと俺に背を向け、森の中に帰ろうとした。俺はその背中に声をかける。
「…師匠に直接、謝ってもらえませんか」
精霊がピタリと止まる。
「俺から言ったって、師匠はきっと納得しません。そういう人なんです。間違いはその当事者が後始末をしないと、気が済まない人なんです」
それと、と俺はもう一つ思いついて伝える。その口は僅かに笑みを含んでいた。
「さっき話していた時、師匠のことを『奴』って言ってたことも、勝手に謝っておいてください」
精霊はしばらく無言を保っていたが、やがて顔だけ振り返った。その顔は、多分俺と同じ表情で、軽く笑っていた。
「よかろう。ただし強要されている時点で『勝手』には出来ないがな」
もう暗くなった、早く帰りなさい。そう言って、精霊は森の中に消えていった。
精霊が俺に向かって最後に発した言葉は、奇しくも精霊が盟子に最後にかけた言葉となった。しかしその口調は、その時に比べるとだいぶ明るいものだと、そう思っている。
真っ暗な中、森の中の微妙に狭い道を通るのは、割と怖かったりする。熊だとか、蛇だとか、生息しているかはわからないが、森の中に実際に入ってみると、すぐ側にいるような気がしてならない。そういう恐怖心が俺を煽るのだ。
多分ここに住んでいたら、そんな恐怖心も無いのだろう。俺は小学生でこの町を出てしまったので、この類の恐怖に対する抗体が出来ていない。
とにもかくにも、俺はこの恐怖心に打ち勝ち、相太の祖父母の家に着いたのだ。…着いたはずだった。なのに、
「おい、何で鍵かけているんだ」
家のドアをノックしてから5分は経つ。中から相太が「誓太か〜?」と確認してきたので、「そうだ〜、だから開けてー」と言ったはずなのだが、何故かそこから誰も鍵を開けに来なかった。
「何だお前、戸締りをしてて何がおかしいんだ」
「そうじゃない。中に入る人がいるのに何故鍵を開けないか、という意味だ」
「何故鍵を開けなくてはいけないのか、いや、開けなくても良い」
「何で反語風に言ってんだお前」
代わりに二階の窓から相太が顔を覗かせて俺と会話しているのだ。しかも何故かプリンを持っている。
「夜遅くまで帰ってこない悪い子には躾が必要です。そこでしばらく待っていなさい」
「誰がお前の子供だ」
「こちとら必至に働いて仕事を終えたっていうのに、お前はブラブラと外を…」
「遊んできたんじゃねぇよ」
「そんな子にはプリンはあげません!」
「何で俺の分ねぇんだよ!朝言ったことは本当だったのかよ!?」
不公平にもほどがある。思わず俺は反論するも、相太は誇らしげにプリンを貪り食う。コンビニにある丼プリンだ。ボリュームが完全に男子向けなものである。
「お前、こっちの苦労をわかっていないからそういう仕打ちに遭うんだぞ」
「そのセリフ、俺が一番言いたいんだけど」
「自分のことを一番にせずに、まずは他人を労うことから…」
悠々と雄弁を語るように、相太はスプーンをプラプラさせて語っていたが、
「ねーねー!誓太!」
「うわっとぉ!?ってあああ!俺のプリンがあああ!!」
後ろから突如割り込んできた捺実に、相太は驚いてバランスを崩し、プリンのカップとスプーンをあろうことか下に落としてしまった。しかし位置がちょうどよかったこともあってか、たまたま俺はその両方を上手くキャッチする。
「ちょ、何すんだよ捺実!」
「うっさいわね、そこにいるあんたが悪いんでしょ!それよりも誓太、萌恵沙ちゃん帰って来てるみたいよ!」
「え、まじ?てか何でわかるの?」
「ちゃぶ台の上に置き手紙があったらしくてね、相太のおばあちゃんが『これ、心当たりあるかい?』って渡してきたの、ほら」
ほらって言われても、と誓太は呆れた顔をする。そうやって2階からヒラヒラと振られても。
「見えるわけないだろ、読み上げて」
「っておい!何でお前俺のプリン持ってんだ!」
相太が身体をねじ込んで身を乗り出してきた。唾でもかけるような勢いで俺に怒鳴るので鬱陶しい。捺実も眉をひそめている。
「うっせぇな、キャッチしてやったんだからありがたく思えよ」
「じゃあ何でお前スプーンを構えてるんだよ!?」
「捺実、何て?」
相太を無視して捺実に話を振ると、「あいあいさー」と言って、捺実は相太を後ろへ投げ飛ばした。そして紙の内容を読み上げる。
「『戻ってきました、迷惑かけてすみません』って。その下に名前が添えられてる」
「割と普通だな」
「いや、幽霊が字を書く時点で充分普通じゃないわよ。一種のポルターガイストよ」
「伝えたい思いが強かったら、触れない物にも触れるようになるからな。全然普通だ」
「だから、私達にとっては普通じゃないの」
「んなことはどうでもいいんだよ!」
俺と捺実のディスカッションを、また相太が遮った。捺実は「そろそろウザい」という顔をしている。
「プリン!プリンを返せぇ!」
「取りに来ればいいじゃないか。鍵がかかっているから俺は入れないし」
「っておい!何か量が減ってないか!?」
「気のせいだよ」
「プリンを口に運びながら言うんじゃねえええ!!」
「文句があるなら鍵を開けろ、それだけだ」
俺がそう言うや否や、相太は窓から身を乗り出すのをやめて中に戻った。バタバタと階段を降りる音がする。
とことん単純なやつだ。ある意味扱いやすい。思わずくすりと笑う。さーて、来る前に最後の一口でも味わっておくか。
捺実は、家に入れることが決定した俺を見下ろして、つまらなそうな顔をしていた。いや、お前もそっちポジションか。
「…ごめんなさい、でも、落ち着きました」
可視化した萌恵沙が頭を下げる。彼女を取り巻く5人が「大丈夫」「気にすんなって」と彼女に声をかける。
「実は落ち着いた後も入りづらくて…、時間がかかりました」
「大丈夫、それはみんな共通のことだから。例えば相太だってこの前…」
「何で俺を例に挙げるんだよ!?」
捺実が流れるように相太のことをバラそうとし、慌てて相太がそれを止める。
「さてと…、すまないけど、色々と質問していいか?」
俺がそう聞くと、萌恵沙は改まって正座をした。
「母親の顔を、覚えていないのか?」
「はい…、丸一日思い出そうとしましたが、無理でした。ですがぼんやりとはわかっているんです。本物を一目見れば絶対にわかるっていう自信はあります」
なるほど、定期テストの時によくありがちなアレか。
「父親は?」
「それは…、父だけ都会の方に単身赴任してて…、こればかりはわからなくても仕方がないと思います」
「あれでしょ?いつもお母さんが『お父さんが帰ってきたわよー』って言って家に入れてくる人を、その時はお父さんだと認識できても、次に会う時は忘れちゃってるから再認識しなきゃいけないんでしょ」
「あ、捺実さんすごい。その通りです。もしかして捺実さんも…?」
「私じゃなくてね、盟子。萌恵沙ちゃんと同じく父親が単身赴任なのよ」
そういえばそうだったな、と思い出す。母親1人だったからこそ、盟子が自由気ままなボランティア活動で帰りが遅くなった時、捜索を俺に頼んできた。霊視であることは既にほとんどの人に知られているので(ただし邦雄町以外の人物には伝えないで欲しいと釘は刺しておいたが)、そっちの方が効率がいいと判断したようだ。家の方も毎回留守にするのもよろしくはない。
へぇ、と萌恵沙さんは頷き、あっと気づく。
「そういえば、その話盟子さんとしたかも…」
その言葉に過敏に反応する。盟子との会話を少しずつ思い出しているのではないか?
「その次は?」
「へ?」
「その次に、盟子と何を話題にして話した?」
ここでは具体的に聞くことが適していると思っている。ただ「他には?」と聞くよりも、「次には?」と聞けば、当時の時間の流れに沿って思い出しやすいからだ。とは言っても、これは自論なのだが。
「ええっと…、ちょっと待ってください…?」
頭を悩ませる萌恵沙だったが、どうやら脳内の引き出しから引っ張り出せたようだ。
「学校を聞かれて、それで答えたら同じ小学校ってわかって…、あと、クラスが隣だったらしいです…。それで友達の話をしてて…最初はおしゃべりしてて楽しかったけど、だんだん悲しくなって…」
次々と思い出せて、萌恵沙の表情が和らいでいく。そして顔を俺に向けた。
「ここで、私は多分、気を失ったと思います」
「えっ、急に?」
展開が早くてついていけない。そう言うと「そうですよね…」と萌恵沙は言い、また思い出そうとする。
「悲しくなって…、多分泣いていた直後に何かがあったはずなんです。ええっと…」
苦しげな表情をしてまで脳内の引き出しを掻き回す萌恵沙。やがて、目的のものを引っ張り出したようで、顔を明るくした。
「聞いてもいいか?」
俺の問いに、萌恵沙は頷く。
「あの時、盟子さんは私に、『顔を見せて』って言ったんです。それで顔を上げたらじーっと見られて、ちょっと恥ずかしいな、って思った直後に、頭の中がおかしくなったんです」
「おかしくなった?」
「あの、熱にうなされてる時のように、頭の中がグルングルンと回るような感覚、わかりますか?あれに近いです。そこから、多分気を失ったと思います…」
これは、まさか。
思わず研に目を向けた。研も俺の方を向いて、ニヤッと笑う。
「どうやら、僕の読みは少なくとも当たってはいたようだ」
「えっ、何?何よ?」
捺実が困惑して聞き、相太もよくわかっていない様子だ。倉之助はハナから考えることを諦め、俺に答えを言えと顔で伝えている。
「実は、昨日ある仮説を研が伝えてきたんだ」
カフェから出た直後、研が俺を連れて影で言った仮説。
「萌恵沙さんの記憶喪失には、盟子の『意識に干渉する能力』が関わっているんじゃないかって」
「え、そうなの?」
相太が俺に聞くと、俺は相太に「そう」と指をさして言う。
「『顔を見せて』って言ったってことは、多分能力を使ったんだ。だけど、その時盟子はいつもと調子が違かった」
「え、調子が違うって、…風邪でも引いてたの?」
「違う違う、てか風邪ひいてるかどうかはわからないし」
そうじゃなくて、と捺実の意見を再度否定してから答えを明かす。
「その時、盟子は幽霊だったんだ。だから、能力のコントロールの仕方がいつもと違ってて、順応出来ずに誤って強力なものを送ってしまった」
「それが萌恵沙さんの脳内に影響を与えて、記憶が曖昧になっちゃの?」
「多分。ただ問題なのは、その後盟子が萌恵沙さんを置いてどこかに行ってしまったこと。盟子なら、自分がしでかしたって思って最後まで側に寄り添ってくれるはずだと思うんだけど…」
捺実の確認に答えながらも、1つの謎も正直に晒す。
「何か外さないといけない用事ができたか…」
「萌恵沙さんが苦手だったりして…?」
「それか盟子自身も影響を受けて、別の場所に流れちゃったとか、」
それぞれが意見を出し合うも、結局のところ詳しい推測は出せなかった。
「すみません、私が見つけられたのはここまでです…、後は全て、実物を見れば思い出せると思うのですが」
「いや、謝ることはないよ、それじゃ、次どっちからいく?」
俺が、他の4人か。「じゃあ私からいく」と捺実が手を上げた。
「色々大変だったのよー、思ってたより。だからその苦労を知らない誓太にはプリンをあげなかったんだけど」
「なんで捺実にまで不遇にされなきゃいけないんだ、俺も俺で苦労してたんだぞ」
俺の反論は都合が悪いからか無視して、捺実は報告を開始した。
役所で名簿を手に入れようと提案したのは研だった。そして、その不可能さに気づいたのも研だった。
「待てよ、そもそも個人情報を一般人に公開してもいいのか…?」
研の呟きに一同はピタリと止まる。昼飯を済ませてさあ行こうとやる気満々だったが、一気に不安な方向に流れが向いた。
「お前今更言うんじゃねーぞこのやろ!」
相太がそう言って研の頭を叩く。今更、というのは、既に長い長い道を歩いてもう役所の目の前まで来ていたからだ。
「どうする…?」
「どうするって…、入ってみるしかないでしょ、現状だと」
捺実の問いには倉之助が答えた。誓太がいない時、何か決める時はだいたい倉之助に求められる。
結果として、ダメだった。
「いや、その人探しなんですよ、絶対に悪用なんかしません」
「でもねぇ、うちはそういう規則があってねぇ」
相手をしたのは、見ただけで「めんどくさそう」と判断しそうなおばさんだった。メイクやメガネでやたらと紫の印象が残ったという。その案件はズバリ的中で、相太や捺実が何を言っても「規則は規則なんで」と一点張りだった。
「悪用を考えて、個人情報を勝手に見せることはできません。他のところだったら知りませんが、とにかく、この町ではそういう規則となっているんです」
「いやだから、悪用しないと言っているじゃないですか。それにたかだか成人していない5人が情報を悪用して何か得することなんてあります?だいたい、こんなド田舎の情報盗ったって何の得にもなりやしませんよ」
こりゃダメかなー、と相太が呟いていた、その時、
「倉之助、何してるんだ?」
突然かかった声に、4人とおばさんは一斉に横を向いた。
「親父、」
「午前にも話しに来たのに、また会ってしまったか。もう話のネタはないぞ」
「別に話には来てねえよ。別件だ別件」
話しかけたのは倉之助の父親だった。一応他の3人も面識はある。どうやらあっちも役所に幼児のようだ。
「して、何かもめているようだが、何か問題でも?」
倉之助の父親がおばさんに聞くと、そのおばさんは明らかに動揺している表情だった。
これはチャンス。
「いや、別にもめてたわけじゃないよ。ね?」
倉之助はそう言っておばさんに笑いかけた。ただ笑ってはいない。わかっているよね?と、そう言っているような顔だ。
「え、ええ。ただ注意事項を伝えてただけですからね…、ちょっとお待ちください」
そう言ってパタパタとおばさんは奥に消えていった。あまりにも呆気なさすぎて、3人はぽかんとその様子を見届けた。
「サンキュー親父」
倉之助が呟いた意味を、倉之助の父親は理解しておらず、「何言ってんだ」という顔になっていた。
「どうやら何か弱みを握られてるらしいな。それか夫との付き合いが深いとか」
倉之助が半笑いでそう言ってくる。倉之助の父親は居酒屋経営にも関わらず、この町でそこそこの権力を持っているらしい。居酒屋で様々な人に接するからかもしれない。
「倉之助のお父さんに何かお礼しなきゃね」
「いや、あまり掘り返さないでくれ。事実がわかったらこっぴどく怒られる」
捺実の提案は倉之助が却下した。先程のように、自分に関係ないことは細かくは問いたださないが、事実を知ってそれが正しくないと見過ごせないらしい。倉之助としては、何も知られずにパパッと済ませたい案件である。
しばらく待たされて、倉之助達が呼ばれると、おばさんは何とも言い難い顔で待っていた。
「蔵弓さん、ってお方でしたよね」
「はい、そうです」
さあ早くしろ、そう内心で急かしていた4人だが、このおばさんは思いもよらない答えを出した。
「残念ながら、そのような苗字のお方はいらっしゃいません。苗字を今一度ご確認なさったらどうです?」
「えっ、…えっ!?」
思わず捺実が2回声を上げてしまう。
「本当にいらっしゃらないんですか?」
「ええ。確認しましたとも」
若干面倒くさそうにおばさんは答える。これ以上聞いても無駄だろう。多分、本当に萌恵沙の親はここにはいない。
じゃあ、引っ越したってことか?確かに娘を失ったショックで、この地にいられなくなったといえば、それが理由になる。しかし問題は、そうなるとどこに引っ越したかがわからないことだ。
「もういいですか?今日は忙しいのです」
明らかにガラガラにも関わらず、おばさんはそう言って4人を追い出す。流石にこれ以上しつこくすると面倒なことになりそうなので素直に退出する。
「どうする…、もう手がないよ…」
「ネット使っても…、個人情報だし、わかるわけないか…」
すっかり意気消沈してしまい、何となくダラダラと出口に向かう4人。しかし、逆にそれが功を奏した。
「ちょっと、ちょっと!」
最初は自分達が呼ばれているとは気づかずに、肩を落としていたまま歩いていたが、「そこの4名さま!」と言われ、初めて気づく。まだ何か用かと少しムッとしたが、声はあのおばさんの声ではなかった。
「そこで待っててくださいな!」
そう言って駆け寄ってきたのは、あのおばさんと歳が同じくらいの別のおばさんだった。ただ、格好はあのおばさんよりも派手じゃなく、一般的な主婦、といった印象である。
「蔵弓さんのことをお探しなんですか?」
思わず相太と捺実は目を見合わした。倉之助は脊髄反射で「はい」と答えてしまう。
「実は私、蔵弓さんと知り合いでね…、引っ越し先の住所を知っているのだけれども…」
「教えて下さるんですか!?」
捺実が食いつくように聞いた。しかしこのおばさんはあくまでも冷静だった。
「もちろん、れっきとした個人情報だから、みだりには教えられないわ。…だから、理由を教えてくれる?」
これは、と倉之助は3人を振り返った。3人とも、倉之助の思うところがわかっているようだ。
絶対に悪用はしない。それは確かだ。しかし、「幽霊である娘さんに合わせたい」などと答えたら、果たしてこれは信じれるだろうか…?何か妄想を抱いている、あるいはそんな馬鹿げた嘘では騙せない、と呆れられて帰られるかもしれない。
しかし、倉之助は嘘を言えない体質だ。そしておばさんは倉之助に話しかけているから、倉之助が答えなければ不自然だ。
「…蔵弓さんの娘さん、…萌恵沙さんのことで、至急にお会いしたいと思っておりまして…」
嘘は言っていない。ただ要点を掻い摘んだだけだ。これが倉之助が出来る最大限のごまかしだ。
おばさんはふふふ、と笑い、
「まだ何か隠してるでしょう。隠しきれていないわよ」
う、と倉之助が声を詰まらせる。おばさんは無言で笑っており、その顔は全てのことを知りたい、という顔だ。
こうなれば、話すしかない。
「…実はですね、その、萌恵沙さんの幽霊が一昨日の晩に現れてですね…」
「…幽霊?」
案の定、おばさんは不思議そうな顔をする。ああ、やっぱりか。そう思ったが、
「…ああ、内海誓太くんか」
突然、おばさんの口から溢れ出た固有名詞が、4人の中に衝撃を走らせた。
「せ、誓太を知っているんですか!?」
相太が少々顔を青くして聞くと、おばさんは笑って答える。
「ええ、というか、誓太くんが学校にいた時に、自分の子供を同じ学校に通わせていた人はみんな知ってるんじゃないかしら」
何でまた、と驚きかけたが、…今更ながら思い出した。
当時の誓太の影響力は凄まじかったのだ。
そもそも誓太の師匠の方が認知度が高い。あらゆる問題を解決してくれた、町の超有名人であり、むしろその名を知らない者は馬鹿にされていた気がする。そして誓太は弟子になったことをそのまま公表していた。ならば、名前を知られていてもおかしくはない。
それならば、「幽霊」と言ったところで信じない、と考えたのが間違いだったのだ。この町ではそれは日常の一部で、倉之助達は知らず知らずのうちに、東京での日常と混ぜ合わせてしまっていたのだ。
「まぁ本当は誓太くんをこの場に連れてきて欲しかったけど…、萌恵沙ちゃんの名前も知っていることだし、信用していいかしら?」
「いや、それフツー俺たちに聞きます?」
相太が思わず突っ込み、捺実が「余計なこと言わないっ」と肘を入れる。相太がうずくまるのを見ておばさんはまた笑って、
「じゃあ、あなた達が誓太くんがいつもいるっていうグループね」
と朗らかに言った。
「それじゃあ、住所を教えてもらったのか」
「ああ、もちろんだ」
そう言って倉之助は一枚のメモを取り出す。
「まぁどうやらその単身赴任していたお父さんの家に来たらしいからな。しかも東京都ときた。これは探すのは少し楽だぞ」
俺はそのメモを受け取り、住所を確認する。だが、
「全然楽じゃねぇじゃねぇか!」
書かれた住所は東京都の中でも更に都会、かの有名な世界一高い電波塔が存在する区内だった。とは言っても634メートルの方ではなく、ごく最近に作られたものである。634メートルの方は、数年前に突然機能を果たさなくなり、一時的に大きな騒動になったが、その後復旧した。しかしあくまでも応急処置をしたまでで、根本的な問題の解決には至らなかったので、急遽新しく作り直したのだった。(その原因があるとんでもない悪霊からだと知っているのは恐らく俺だけである。奴は俺では一切太刀打ちできないが、無闇に手を出さないのであれば無害なので放置している)
「何言ってんだお前、場所がわからないよりマシだろ」
「そういうことじゃねぇんだよ」
相太が口を挟むのにすぐさまリターンをする。ただただ単純に、都会だと家が探しにくいだけである。
「すみません、わざわざ…」
萌恵沙が申し訳なさそうにぺこりと頭を下げる。相太が「いいっていいって」と手を振った。
「誓太がいれば何とかなるし」
「っておい!全部俺に丸投げかよ!」
ったく、と俺は相太を睨みつけるも、相太は全く反省していない。
「…それじゃ、とりあえず東京に戻ろう。だけど予定上は明日もここに滞在する予定なんだ。それでもいいか?」
萌恵沙に確認を取ると、萌恵沙は「全然いいよ」と右手でOKを示す。それよりも、と萌恵沙は別のことを気にしている様子だ。
「その、盟子さんのことは…」
俺は萌恵沙さんに猛烈に感謝したくなった。自分でも混乱していて、自分だけだと言い出せなかったかもしれないからだ。
「…いいか、よく聞いてくれ」
俺はそう前置き、あの墓地でのやり取りを1つ残らず話した。
涙は出なかった。墓地で出し尽くしたのかもしれない。だが新たに涙を製造している途中だからか、涙袋に溜まる感覚はある。
みんなも、それぞれが違う表情で俺の話を聞いている。倉之助は真っ直ぐに俺を見つめ、研は斜め下に目を逸らし、何度も瞬きをし、相太はどこか悲痛そうな顔を浮かべ、捺実は流れ落ちる涙をティッシュペーパーで拭っている。
全てを話し終わっても、誰も何も言葉を発しなかった。しばらくして、相太がやっと口を開く。
「…盟子は、最後まで盟子だったな」
ああ、うん、などと、周りが短い言葉で賛同する。萌恵沙さんも、盟子とほとんど関わりがなかったのに、静かに宙に浮いていた。
そしてまた、静寂が辺りを包む。誰も何も言わずに、動きもしない。言えなかった、動けなかったと言った方が正しいかもしれない。
萌恵沙の可視化の時間が切れたことに、後から気づいた。しかしやはり動けない。「動けない」気持ちは、やがて「動きたくない」になった。唐突に猛烈な睡魔が襲ってくる。
風呂も入ってないし、洗濯物も回収してない…。だがそんな気持ちとは裏腹に、瞼がどんどんと重くなる。
田舎町の、様々な自然の音に包まれた夜。卓袱台を囲みながら、5人の男女(と、幽霊)は、静かに眠りについたのだった…。
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