第6話「想い人」

朝になっても、まだ萌恵沙は帰ってこなかった。


「今日、どうするんだ?」


朝飯を済ませてから、茶の間を使わせてもらって作戦会議だ。最初に口を開いたのは倉之助。その横で俺を睨むように相太が言った。


「もう一軒一軒なんて回らないぞ、あんなの疲れるに決まってるだろ」


わかったわかった、と俺が身を乗り出す相太を押し戻す。


「しかし、手が無いんじゃなぁ…、萌恵沙さんがいないことには何も始まらないし…」

「じゃあ完全に萌恵沙ちゃん待ち、ってことなの?」


捺実の問いに俺はやるせなく頷く。研はスマホを見ながら一応は話を聞いているようだ。


「とりあえず、萌恵沙さんが戻ってくるまでは、みんなそれぞれやるべきことをしよう」


俺らの元々の家は、他の人に売ったか、あるいは放置されている。俺のと捺実の家は他の人に売り、研の家は別荘みたいな形で残している。相太はもともと祖父母の家に住んでいて、倉之助の家は絶賛経営中。実は倉之助の父が残り、倉之助は母と共に祖父母の家に行った形だ。


というわけで、元々は倉之助以外は研の家を掃除しに行き、その間に倉之助は父に顔を見せる予定だったのだが、


「俺だけでやる用事ができたから、相太と捺実だけで研の家を手伝ってくれ」

「わかった、じゃあプリン没収」

「は?」


相太の謎の言葉に俺はぽかんとする。


「今日の帰りに買う予定だったんだよ、だけど誓太は仕事サボるからあげないってこと。働かざるもの食うべからずだ」

「働いてんだろどう見ても!能力上俺にしか出来ない仕事なんだから仕方ねぇだろ!」

「知らん!俺がNOと言ったらNOだ!」


ギャアギャアと相太と俺の言い合いが始まる。倉之助と捺実はどうでもいいものを見るように眺めていた。


と、不意に研が手をあげる。


「どうしたの?」


捺実が聞くと倉之助はそちらを向き、俺と相太は騒ぐのをやめた。声の小さい研は、騒いでいる時に主張する時は手をあげる。その時は必ず注意を向けるように俺らはこっそりと心がけていたりもする。


「誓太以外のこれからの方針だけど…」


研はスマホをちゃぶ台の上に置き、静かに俺に聞く。


「要はこの周辺に『蔵弓』って苗字の人がどこにいるかがわかればいいんでしょ?」

「まぁ、ざっくりと言うと」


じゃあ、と少し研が笑った。


「町の名簿を手に入れればいーじゃん」


研の言葉に、一瞬皆が止まった。と思いきや、


「ナイスだ研!お前最高だな!」

「何キャラだよ」


相太が興奮して叫び、研が突っ込んだ。


「いや、これ割と常識かもしれないけど」

「ああ、常識っちゃ常識だな。だが常識を思いついた功績もでかい」


俺も相太以上に興奮して答えた。これ以上正確で効率のいい方法は無いだろう。


倉之助も捺実も顔を喜ばせているが、研だけは1人浮かない、というか何が嬉しいのかわからない、という顔をしていた。


「いや、…だってそれは僕らがその方法を思いつかない馬鹿集団ってことになるじゃん」


ごもっともである。






「やる気でねーよなぁー」


研の家を掃除しながら、相太はダルそうにそう言った。


「何がよ」

「だーって、いっつもいっつもだぜ?」


捺実の問いに相太は手をブランブランと垂らしながら答える。


「1人での用事ばっかりじゃねぇか。今回だって昨日も今日も」

「何だ誓太のことか」


捺実はそう言って掃除を再開する。「人の話ぐらい聞けや!」と相太が目を怒らすも捺実は無視だ。


不貞腐れた相太はその場に座り、何となく空を見た。


「…どうなってんだろうな、誓太の景色は」

「何よ急に、ポエムに目覚めた?」

「違うわ」


軽口を叩きながら捺実は興味が湧いたのか隣に胡座をかいて座ってきた。


「誓太の景色、って霊視のこと?」

「ああ、だってあいつ何もかもが視界に入ってくるんだろ?あの時だって変な挙動してたし」

「あの時じゃわからないわよ、具体的に言いなさい」

「あれだ、何年生だったっけな…、盟子と誓太が知り合うきっかけになった、」

「ああー、あの放置されたタイムカプセル事件」


当時、誓太と相太と捺実が同じクラスで、倉之助と研が別クラスだった。その時は3クラスあり、盟子は残りの1クラスである。


「普通なら、ガキの頃から幽霊だのが見えて、しかも大量発生した瞬間を目撃したんなら、発狂するだろ」

「あらかじめ師匠に訓練させてもらって助かったって言ってたよ。ってか、」


捺実は少々呆れ顔で相太を見る。


「今更それ心配する?確か何年か前にも同じ話題で盛り上がってたじゃない。まさか聞いてなかった?」

「いや、そうじゃなくてさ」


相太がぼんやりとした表情で答える。


「あいつ、優しい上に周りのことをよく見てるだろ。見過ぎなくらい。知ってるか?俺らの仲だからこそ理不尽なことは断ってるけど、普段学校では大して親しく無いやつに頼まれたこと、結局引き受けるらしいぜ。お陰で周りからは便利に使われてるし、この前なんて」

「話をそらすな話を。論点は結局何よ」

「…要は、あいつはいつも周りに対して気が置けないやつ、ってこと」

「それ、一般世間がよく間違えがちだけど、『気が置けない』って心配する必要のないって意味だからね」

「ダメ出しするなよ!もう!」


軽く怒る相太を見てヘラヘラする捺実。「でも」と言葉を繋げる。


「それはわかるわよ、だって誓太いつだって困ってる人に手をさしのばそうとするもん」

そうよね、と確認するように捺実は呟いた。

「この世に漂っている幽霊って、みんな未練とかを残しているから成仏出来てないんだもんね。誓太がそれを見たら、きっと全員に話だけでも聞こうとする」

「なのにあいつ、全然壊れないんだよ。全くどんだけ精神が強いんだか」

「ほんと、尋常じゃないわ。それか自分が壊れないような上手い方法でも見つけたんじゃない?」

「頑丈にしろテクニックにしろ、俺も欲しいなぁ。あ〜あ、なーんで俺は普遍的な人間なんだろ」


ばたりと背中から倒れて床に寝そべる相太。捺実は一緒には寝転ばず、上から相太を見下ろして話す。


「相太には足の速さと真偽判別の能力があるじゃないの、何言ってんだか」

「そんなん全然得しねぇだろ。いくら足が速くても、女子の人気はイケメンの部員の方に向くし、『俺ってカッコいい?』って『うん』って言われても、全部『偽』って判断が下されるんだぜ?」

「数少ないアドをロクでもないことにしか使ってないじゃないの!」


捺実は思わずつっこみ、ケラケラと笑いだした。品を考えてない笑い方で、よほど今の相太の言葉が面白いらしい。


相太が完全に不貞腐れていると、捺実は元気づけるように「だいじょーぶっ」と言ってパシッと相太の腹を叩く。すぐに相太が咳き込み始めた。


「相太は空気読めるでしょ、誰よりも」

「…いやなんだそれ」


意味がわかってないらしく、相太は目で捺実に説明を求めた。その目を見た捺実は意地悪く笑う。


「何それ、他人に言わせる気?」

「いやだから何がだよ」

「本当にわかってない?」

「わかんねぇから聞いてんだろ」


その答えを聞いて捺実はますます嬉しそうになった。納得がいかない相太はだんだんイライラしてくる。


「何が可笑しいんだよ!」

「いやぁ、無意識のうちにやってるってことはもはや才能だって思って」


は、と相太の言葉が止まる。捺実は尚も嬉しそうな表情で話す。


「周りから見たら単に騒いでいるお調子者に見えるけどさ、相太はそのお調子者になるタイミングが最高すぎるのよ」

「最高って…、どういうことだよ」

「周りの空気悪くなったりとか、そのお調子者になることで、それは間違ってるって主張したり」


そこまで言われて初めて気づく。空気が悪くなった時、無理にでも気分を引き上げる為にわざとふざけたり、不満があった時は馬鹿みたいに大声で主張した。別にこれといった勇気があった訳でなく、反射的に。


「…でも毎回毎回じゃねぇぞ、いつも馬鹿やってたら本当に馬鹿みたいに思われる」

「それも才能よねぇ」


捺実の言葉に相太はまたイラつく。さっきから簡略化し過ぎて何を言いたいのかがわからない。


「何が才能だよ、自己防衛だ」

「自分の為じゃないでしょ」


捺実はしっかりと相太の目を見て言う。


「馬鹿みたいに主張しても、伝わる相手と、馬鹿だからって相手にしない相手もいる。あんたはその相手ごとに態度を変えてるのよ。それも多分無意識に」


まさか、と相太が目を見張る。


「あることないことベラベラ喋ってんじゃねぇよ」

「じゃあ今までそういう時に相手に主張して、上手くいかなかったことある?」

「そんな時ぐらい、普通…」


そう言って思い返すも、


「…ん?」


思わず黙り込んでしまう相太。今まで主張してきた相手は、頑固な者も多かったが、少なくとも何かしらの改善はしていた。


「ね?」


捺実はそう言って相太の顔を覗き込む。その自慢げな顔が何故か癪に触る。


「小学生の頃に、同じ通学路にいるマナーの悪い爺さんいたじゃん、ほら、ゴミの日を守らない人」

「ああ、そういやいたなそんな爺さん」

「私あの人に再三注意したけど、一切聞かなかったのよ。それなのにまだ引っ込み思案だったあんたが言ったら一発で言うこと聞いたのよ」

「…それ捺実の言い方がダメだったんじゃねぇのかよ」


口ではそう抵抗するも、捺実が小中高と学級委員で番長のようにクラスを完璧に率いた過去があるのは知っている。大概は言うことを聞かせられるのが捺実だ。


「あんた、無意識のうちに相手の様子を感知して、どれが適切な態度かを判断しているのよ」

「そんな能力手に入れた覚えないぞ」

「能力じゃないわよ、経験よ経験」


経験、だと?


「さっきも言ったけど、あんた昔は引っ込み思案だったでしょ?色々パターンはあるけど、あんたの場合、自分が目立たないように周りの空気を崩さまいとするタイプで、常に周りに気配りをしてたわ。それで磨かれた力よ」


何故だか推理小説を読んでいるような気分で、捺実の発言の意味が全て繋がった。そのことに驚かされることはもちろん、



そんなポジティブな視点があったことにも驚きだった。



「おいこら、何サボってんだよ」


二階を掃除していた研が降りてきて、座って喋っているのを見つけて注意する。


「はいはーい、ごめんごめん」


捺実は口だけで謝り、その場から立ち上がる。そして相太を見下ろして、


「ん、まぁ…、長くなっちゃったけど、相太にもちゃんと美点はあるよ」


そう言ってガッツポーズ。そしてその拳を相太に突き出す。しぶしぶ相太は拳を突き返した。完全に男同士の挨拶だが、捺実はこれが気に入っている。


んじゃ、と捺実はトコトコと研の方に駆けて行った。その様子を相太は眺める。


なんだよ、結局言いたいことだけ言って。いつもそうじゃないか。


「サボってたから仕事倍な」

「ハァ!?手伝ってやってんのにそれはないでしょう!?」

「手伝ってねぇじゃないか!」


捺実と研の言い合いを聞きながら、相太は意味もなく空を見上げ、溜息をつく。


…欲しい人が、高嶺の花のようで困る。






「くそっ、ここもハズレか」


そう言って、俺はポケットに突っ込んだ手描きの地図の一部分にバツ印をつける。これでもう全体の半分もバツをつけた。


山の精霊。萌恵沙がいない今では、そちらに探りを入れるしかない。だがどこにいるのだか…。


師匠の家に行ったが、お手伝いさんからまだ調子が良くないと言われて仕方なく後にした。せめて精霊が住む場所を知っていたら教えて欲しかったが、師匠に無理をしてもらうわけにもいかない。とはいえ、心当たりがあろうはずなく、片っ端から探し回っていると言うわけだ。


「せめてオーラが強ければなぁ…」


不思議なことに精霊のオーラがほとんど感じられなかった。後悔してしょげているからか。


俺は手描きの地図に目を戻す。随分と下手くそだが、全体がわかればいいので問題はない。むしろ問題は…、


「もう確率の問題になってきたな…」


俺の経験に従い、ある程度いそうな場所をマークし、優先的に探していたのだが、マークした場所はこれで全て探しつくしてしまった。残った場所を手当たり次第に探すにも、もう時間はない。数時間前、気がつくと昼を過ぎていて慌ててエネルギーを補給した。


「…でもやっぱり、あの声は」


あの声とは、墓場で聞いた声である。「申し訳ない」という言葉から、精霊である確率がかなり高い。だから最初と昼に飯を食いに行く前、そして再び捜索を始めた時の計三回、墓場に訪れたのだが、精霊のオーラすら感じなかった。


もう一度、行ってみるか。そう思い相太は木々の間を突っ切って墓場に直接向かう。


しかし、


「なんだよ…」


結局、そこには幽霊が佇んでいるだけで、精霊の影すら見えなかった。悪態を心の中で吐きながら、墓の中を突っ切る。


これほど探しているのに見つからないとは、明らかに避けているとしか思えない。その精霊の態度にもムカつく。


墓の中心まで来て辺りを見渡したが、それも無駄だった。どうしようもなく視線を落とすと、


盟子の墓があった。


「…盟子」


そういえば、盟子の墓は墓地の中心辺りに位置していた。思わず俺は盟子の墓を見下ろす。


「…どこにいるんだよ、全く。精霊もだ」


しかもわざわざ避けやがって、と吐き捨てる。が、盟子に至っては一切情報が無い。


「…俺が見つけなきゃいけないのか」


少し疲れが出た声で俺は言う。


「…そうだよな、そう約束したからな」


この場所で、まだ盟子や他の人の家が建っていた頃。俺は下手くそなプロポーズをしたのだった。






小学5年生は、少し大人になったようでまだ子供である。


小学校内では3階層に分けて上に位置するので、5、6年生は「自分達が年上だ」と錯覚するが、あくまでも小学校内の話である。この頃はまだ、中学、高校、大学とそれぞれに入ったその瞬間は自分が一番幼いと感じ、恥ずかしさに縮こまることを知らない。


つまりは、幼いのに大人ぶるので、年上から見ると歯痒い年頃なのである。


そんな歯痒い時期には、大人ぶろうと躍起になる子供が相次ぎ、急速にカップルが発生して、瞬く間に解散する。お互いに納得がいかない様子なのを多々見るが、それはまだ幼いからだと気づくのはもう少し後だ。


俺も、その内の1人だった。解散の理由はお互いの合意ではなかったが。


「やっと見つけたー、コラー!」

「え?」


俺は怒りながら坂を駆け下る。坂の下にしゃがんでいた少女が振り向き、驚いた表情になる。


その少女が、盟子だった。盟子は息を切らして到着した俺を見て、一言。


「何で来たの?」

「何でじゃねーだろ!」


反射的に俺が突っ込む。そして盟子を怖い顔で睨み、


「今何時だと思ってる!?」

「え」


盟子は空を見上げた。空は既に暗くなっており、辛うじてオレンジ色の夕日の光が残っている程度だ。


「…もう夜だね」

「だっかっら、」


自分の言いたいことが伝わらないもどかしさがイライラを増幅させて、俺はむしろ言葉を上手く言えなくなってきている。何とか心を鎮めて言葉を発した。


「小学生はもう帰る時間だろ!」


指を立てて盟子に主張するも、盟子はしばらく考えたのち、


「あ、そういえばそうだね」


と真顔で言うので、思わず俺はずっこける。何故それほど落ち着いて言えるのか。盟子は自分のことに疎いのだ。


「特に盟子は、盟子のお母さんから夕方になる頃には帰るように言われてるだろ!心配してるぞ!」

「でも毎日じゃないから」

「毎日夕方までに帰ってた子供が急に夜まで帰らなかったから心配してんだよ!それに毎日じゃないとしても何回めだ!言ってみろ!」


盟子を指差して俺がそう言うと、盟子は顔をしかめた後、指を折って数え始める。


「…5回?」

「7回だ!」


呑気な盟子に本気で怒っている俺だが、相手が女子なだけあってどうしても強気に出れないでいる。男子だったら即ゲンコツをしている。


「別にいいじゃん。悪いことしてないんだし」

「別に行動を悪く言ってるわけじゃないの」


口を尖らして盟子が反論するも、すぐに俺が切り返す。盟子は上目遣いで俺を見上げて尚も反論を続ける。


「それにどこにいたって、誓太君が見つけ出してくれるじゃん」


本人は無意識で言ったのであろうが、顔が可愛い盟子が上目遣いで、しかもそのようなセリフを言うなど、当時の俺ならイチコロだったのだが、


「おま…」


肩を震わせて、俺は怒りを爆発させた。


「俺がどんだけ苦労して探し当てたんだと思ってんだよ!」


…残念ながら、この時は怒りの方が勝ってしまった。


小学生が携帯を持ち歩いているはずもなく、更には入り組んだ道で視界が悪いこの町では、普通の人間が1人の迷子を探し出すのは困難だ。ましてや小学生など。


しかし、当時の俺にしてはかなりのアイデアだったが、俺は障害物には一切関係ない者に助けを請うたのだ。幽霊である。道行く幽霊達に、盟子を見なかったかと聞き、情報を集めて場所を特定した。生きている人間の目撃情報よりもはるかに役に立つ情報を持っているので、大人達が捜索に乗り出す前にいつも盟子を見つけ出せているが、それでも小学生にしては相当骨が折れる作業である。ちなみに、聞き込みを円滑にする為に、イベントのスナップ写真からこっそり盟子の写真を買っていた。盟子には言っていない。嫌われそうだったからだ。


ひとしきり盟子を叱り、盟子もやっと「ごめん」と謝ると、俺の怒りはすうっと引き、いつもの調子に戻った。


「で、今日は誰だったの」

「この猫ちゃん」


俺が聞くと盟子はそう答え、移動して俺に電柱の根元を見せた。そこには皿に盛られたミルクが置いてあり、一匹の白い猫が一心不乱にミルクを舐めている。しかし、


「量が一切減ってない…、いつ死んじゃったんだ?」

「1週間も経ってないって。野良猫なんだけど、病気で。いつも人間からミルクを貰ってたから、せめて最後にミルクを味わいたいって」


どうやら病気で数日動けずに、誰にもミルクを貰えずに死んでしまったようだ。盟子はそれを知り、家から皿とパックの牛乳を持ち出してそれをあげたのだが、猫があまりにも長く飲み続けた為、これほど遅くなってしまったようである。


まるで舌を止める気配も感じられないほどの様子だったが、不意に猫は顔を上げて、ニャーンと一鳴きした。その声に盟子がクスリと笑う。その声に応えたかのように猫は再び一鳴きし、俺の足の間を抜けて坂道を駆け上がっていった。そして徐々にその身体が薄くなり、消えてしまった。


「…成仏した」


俺がそう呟くと、盟子はホッとした表情になった。


「あの猫、最後に何て言ってたんだ?」


意識に干渉できる能力を持つ盟子は、特定すれば幽霊や動物とも会話ができる。


盟子は再びくすくすと笑いながら答える。


「『俺の好みの味じゃなかったが、美味かった』だって」


俺は堪えきれずに吹き出した。あれだけ長い間ミルクを舐めといて何を言っているのだか。しかもその後しっかりと満足して成仏している。


「さ、帰るぞ」

「えー、もうちょっと余韻に浸ってたい」

「駄目。盟子のお母さん心配してるんだぞ」


有無を言わせず俺から歩き出すと、盟子はしぶしぶ着いてきた。


「…なぁ」


着いてきたのを確認して、俺は質問した。


「いっつもどうやって探してるんだ?」


今まで盟子の帰りが遅くなった7回の原因は、全て幽霊の成仏の手助けである。どうやら俺に影響されて始めたことらしい。しかし、常に幽霊が見える俺に対し、盟子は意識を集中させないと幽霊を感じることは出来ない。


「えっとね、あのゲーム知ってる?」


盟子が言ったのは、最近に出た携帯ゲーム機用の、ライトで部屋を探索してお化けを照らし出し、退治するゲームのタイトルだった。


「ああ、知ってる。研がハマってるって」

「あれと同じ要領だよ」

「なんつー大雑把なやり方…」


つまりはこうだ。盟子は自分の正面に意識を集中させて、あちこちを見渡す。そして盟子の正面に入ってきた幽霊の意識に干渉して、成仏を行なっていたというのだ。


「やる時は俺と一緒にやればいいのに」

「誓太君のそういうところ、いいと思うよ」

「は?」

「誓太君、今まで私に起こったことはあっても、私の行動を否定したことはないもん。今回だって、私に成仏活動をやめさせればいい話なのに」

「だ、だってそれは…」


それは自分の素ではない。盟子が好きだから、盟子の行動を否定したくないだけだ。だが、そんなこと言えるはずがない。


…いや、待てよ?


周りには誰もいない。そして背景も夕日が照らす自然に囲まれた場所。



告白にはうってつけじゃないか。



「なぁ!盟子!」

「ひゃっ」


思わず声に力が出てしまい、盟子が驚く。


「な、何?急に、びっくりしたぁ〜」

「ご、ごめん。いやそれよりも」


盟子の目を見ると、上手く言葉が発せない。少し視線を逸らし、水色の髪留めを見ながら、勇気を振り絞った。


「あ、あのさ」


言葉はもう用意してある。単純じゃなく、一捻りしたもの。


キョトンとした顔の盟子に、俺は──、


「い…」


バサバサバサッ!!


突然耳元で大きな音がし、思わず手で払ってしまう。その直後、頭上を何かの影が複数、その音を立てて通過していった。


「あ、あの鳥って、確か」


盟子が口にした名前は、邦雄町が位置している県の地域に生息するものだったが、今はそれどころじゃない。というかむしろ邪魔をされた。


「あ、あのだな、」


鳥に視線が移ってしまった盟子に、話を聞くように促す。しかし、


「おう、青春だな!」


近くの家から出てきたおじさんが茶々を入れてきた。顔が少し赤く、どうやら酔い覚ましに散歩に出るようだ。


俺が目を怒らせると、「わりぃわりぃ」と言ってそそくさと去っていった。


またもや邪魔が入った。いや、もう伝えたいことがバレている気がする。


「お、おい盟子」

「?」


クスクス笑っていた盟子がこちらに視線を向けた、その瞬間、


辺りが一瞬でオレンジ色から夜の色になった。


夕方の時は、だんだんとオレンジ色に染まるのに対し、完全に夜になる時は一瞬である。低学年の時はその瞬間を盟子と一緒に待っていた…、いや、それどころじゃない。


「ボロボロだ…」


肩を落とした俺に盟子が「だいじょーぶ?」と聞く。大丈夫かといえば全然大丈夫じゃない。泣きはしないがどうせなら泣きたい気分だ。


「それで、伝えたいことがあるんでしょ?」


盟子の言葉にピシッと背筋を伸ばす。そしてしばらく躊躇った後一言。


「…いつでもしていいよ」

「え?」

「その、成仏活動」

「…今日みたいな?」

「そう」

「何よー、散々怒ってたくせに」


盟子が揶揄うも、俺は真剣そのものだった。


「どこにいても見つけるから」

「…?」

「成仏活動だけじゃない。どんなことがあっても、必ず盟子を見つけ出す。だから…」


絞り出すように、言葉を繋げた。




「俺と、付き合ってください」




「…ああ〜!!なるほど!」

「へ?」


盟子があげた声に思わず俺は聞き返した。


「ボロボロだっていうのは、シチュエーションのことだったんだ!」


う、と思わず固まってしまう。


「なるほどなるほど〜、そういうことね〜」


1人で納得し、途中で笑いを挟む盟子をよそに、俺は再び肩を落としていた。


「でも何で暗くなったらダメだったの?」

「…綺麗な夕日の中で言いたかったんだ、だけど消えちゃったし…」


盟子の問いに消え入りそうな声で答えると、盟子は「だいじょーぶっ」と肩を叩いてくる。


「綺麗な夜空の下も、それなりにロマンチックだよ?」


…ああ、そうだ。


そういう、必ずどこか美点を見つける、優しいところが、好きになったんだ。


「…ねぇ」


盟子が俺に顔を上げるように言う。ゆっくりと顔を上げると、


「今の率直な感想、言っていい?」


俺の答えを待たずに、盟子は満面の笑みで答えた。


「すっごく嬉しい!」



…なんだか、天国にいる心地になった。優しい何かで包まれているような。



だが、



「なーんか納得いかないんだよなぁ…」

「何が?」


何ヶ月祝いだかで盟子が自分の家に俺を入れてくれた時のこと。お菓子を摘みながら何故か盟子があの時のことを思い返し始めたのだ。


そして納得がいかないのは、


「『付き合ってください』、『はい』ってテンポで進むはずだったのに、盟子は笑いだしたからさぁ…、なんか、少し締まらない感じだったんだよ」


やっぱりズッコケ三連打がいけなかったのか、と腕を組むと、突然盟子が肩に寄っかかってきた。


これだけならまだ仲睦まじいカップルの動作だろう。だが盟子は全体重をかけてきたのである。


「ちょ、重い!やめ!」


俺が悲鳴を上げていると、盟子がパシッと俺の頭を叩き、


「…照れ隠しだったことぐらい察しろ」


稀に聞く命令口調の声に、ハイと思わず答えてしまった。しかしワンテンポ遅れてその意味を理解し、嬉しくて思わずにやける。顔を隠したが、


「何笑ってんの!」


今度は足を使って踏ん張り、俺の身体に負荷をかけてきた。もはやスキンシップとかのレベルではなく、俺は壁にも挟まれ、死にそうな声で「ごめんなさい」と繰り返していた。


…こういった様に、盟子は付き合うと普段とは違う一面を見せていた。そんなところも可愛いのだが。


俺と盟子の付き合いは、1ヶ月も保たずに消えてしまうような周りとは違い、その数ヶ月後に起こる悲劇まで続いた。…多分、あの悲劇が無ければその後もずっと続いてた。






「…そうだ、約束したんだ」


グッと拳を握りしめ、自分に言い聞かせる様に呟いた。


「俺は口だけか?口だけで終わらせていいのか?」


盟子が幽霊のまま側にいてくれたらいいだなんて思っていない。盟子には、新しい次の人生を送ってほしい。


「見つけてやる、絶対に」


俺は盟子の墓を見下ろし、決心したことを顔で、盟子の墓に向かって示した。


「…待ってろよ」


盟子の墓は、昨日の墓参りの時のままだ。何故か6人でお揃いで買ったガラスのコップに水が入っており、盟子の好きなグッズが並べられ、盟子が好きだった野草が、


野草、が、


「っ!?」


思わず手を触れた。名前は覚えられていないが、盟子が好きな黄色い花が生けてある。


その中に、隠すように、昨日入れたはずのない赤い花があった。


「これは…!」


盟子の肉親ではない。あの最悪の日、盟子の肉親は全員家に揃っていた。いとこがいるのだろうか?だがそんなことを聞いた覚えはない。


誰か、盟子に関係があった人物がいるのだ。運が良ければ、まだこの町に。


遂に取った、と実感した。盟子の謎の糸口を、ついに見つけることが出来るかもしれない。


思わず顔を空にあげる。その時、



一日中探し求めていたオーラが、横から入ってきた。



「…やっと見つけた」


次から次へと展開が進み、頭が混乱しそうだが、今チャンスを取り逃がす訳にはいかない。


「精霊さん、少しお話を聞かせてもらえませんか?」


オーラを感じる方向に目を向けると、そこにはボヤけた姿の人が立っていた。その手には、探して摘んできたのであろう、綺麗な花があった。


それを持っているのは間違いなく精霊。その顔をしっかりと見て、俺は言葉を続ける。


「申し訳ありませんが、逃げないでください、聞きたいことが山ほど…、」


顔を見た俺は思わず声を失った。その精霊の顔は、


「…あなたは、タイムカプセル事件の時の!」


盟子と知り合うきっかけを作った、山の精霊が、ゆっくりと口を開いた。


「…そなたは内海誓太、そしてその墓は霧山盟子の墓、そうだな?」

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