第4話「干渉」

それは黄色く綺麗な楕円形だった。


ふっくらと膨れ上がったそれは、照明の光を反射して少し輝いて見える。


さらにいうとしたなら、フワフワ。


黄色といったが、所々に白も混じっている。それもさらにそそらせられる。


…食欲を。


「わあああああああああああああああ!!」

「うるさい!」


相太が一蹴するも、捺実はそれに耳を貸さずに、従業員(妻)にキラキラとした目を向ける。


「こっ、これっ!」


語彙を失った様子でそれを指差す捺実に、従業員(妻)は笑顔で言った。


「はい、こちらは目玉商品の、ふわふわオムライスです」

「あああああ〜〜〜〜〜美味しそう〜〜〜〜〜」


キラキラという効果音がつきそうな表情で捺実がオムライスを見つめる。


「…これどうやったらこんなにふわふわに出来るんだ?ただでさえご飯を入れてひっくり返さなきゃいけないのに…」

「それはですね〜」


倉之助の呟きに従業員(夫)が厨房から顔を出し、ニヤリと笑って言った。


「秘密」

「いやいやそこをなんとか」


倉之助が席を立って従業員(夫)に近づいた。「い、いや企業秘密でして…」と従業員(夫)が粘るも、立場の問題で多分落ちる。というか表情が既に怪しい。


「あっこら!写真撮らない!」


シャッター音に敏感に反応した捺実が声を上げる。研はスマホから顔を上げて不満げな顔をした。


「なんだよ写真ぐらい、いいだろ」

「ダメ!これはここだけの秘密のオムライスにするの〜!こんなに美味しそうなオムライス、都会の野郎どもに知られたくない〜〜」


オムライスによほど感銘したのか、「おら、消せ!」と脅しを入れる始末だ。渋々研は写真を削除する。


研はいつからか「食」に興味を持ち出して、美味しい料理を探してはSNSでおススメしている。ブログのお気に入り者数も結構多い。


「確かにすごいけどよ、それは流石にオーバーだろ」


顔をしかめながら相太がそう言ってオムライスを一口。


「うん、美味い!」

「下手クソォ!」

「何が!?」


突然の捺実のツッコミに相太も思わず反発する。


「そんなんじゃ美味しさ全っ然伝わらない!」

「いや別に食レポやってるわけじゃないだろ!?」


相太の反論を無視して捺実はオムライスを一口。


「ん〜〜〜〜〜〜〜!!!」


どこから出しているのかと疑うほど高い音が捺実の喉から発せられ、その一口を飲み込んでから捺実が一言。


「美味しいですっ!」


従業員(妻)は笑って相太に言った。


「捺実さんの方が伝わりますね」

「だから食レポじゃねぇって」

「動作の表現が苦手なら、言葉を使って伝えた方が」

「だから食レポじゃねぇって!」


相太と従業員(妻)の珍しい漫才を見れたところで、倉之助がメモを片手にしてやったりの顔をしている。後ろから「企業秘密ですからね!?他の人に振舞ってもレシピだけは伝えないでくださいね!?」と従業員(夫)が懇願するように何度も言った。落ちるの早かったな。


俺も一口食べる。と、


「すごい…、見た目だけじゃなく味も優しい。卵も中までしっかりふわふわだし、何よりケチャップライスも抜群の組み合わせになってる」


俺が言いたいことを全て研が言った。従業員(妻)は何故かドヤ顔で誇らしげに言う。


「でしょう?こんなオムライス、他の店じゃ絶っっっ対真似できないですからね!」

「ちょ、作ったの俺なんだけど」


厨房から従業員(夫)が口を挟むも、「レシピ作ったの私だからね!」と一蹴される。つくづく従業員(夫)が不遇だ。


なんというか、と俺はオムライスを食べながら考える。


(今までクソ田舎だとか息苦しい都会だとか言ってきたけど、それぞれが相手にはない要素を持ち合わせてて、正反対な関係になっているよな)


相手にない要素を使って争おうとするのはおかしいよな、と思いながら、俺はまたオムライスを口にした。本当に美味しい。


俺も伝えた方がいいかと、従業員(女)に話しかけようとするが、既に従業員(女)は再び相太と漫才をしていた。


「研さんを見習ったら、きっと上手くなりますよ」

「だっかっらっ、食レポじゃねぇって!!」






最高のオムライスを堪能しカフェを出ると、4人の視線が一気に俺に向いた。


「さ、こっからはお前のターンだ」

あ、やべ、伝えるの忘れてた。


「とりあえずまずは萌恵沙さんに、何か気づいたことがあったか聞いてみて…」

「あ、あの、ごめん」


話を遮られて相太が驚く。そして俺が一切の事情を伝えると、相太は目を丸くして、


「…お前女子を泣かせたのか」

「俺じゃねぇよ!」


失礼極まりない冤罪に、思わず俺は相太の頭を叩いた。


悶絶する相太を尻目に、倉之助が口を開く。


「じゃあ、俺たちはどうするんだ」

「うーん、とりあえず萌恵沙さんの家族の家を探すことかなぁ…、非効率だけど、他に方法も見当たらないし。まずは4人とも、近くの家から探していって」

「4人?じゃあ誓太はどうするんだ」

「師匠に会ってくる。遅くなるから、時間を見て先に帰ってて。さらに遅かったらもう飯食ってていいから」


相太の祖父母の家から師匠の住まいまで結構の距離がある。今からここのカフェまで往復するだけでも恐らく日が暮れる。


「今日は相太のお爺さんとお婆さんは晩飯要らないって。あとこれ」


そう言って倉之助に家の鍵を渡す。「わかった」と倉之助はそれを受け取った。


「萌恵沙ちゃんは?」


捺実の問いに、俺は言葉を濁した。


「あー、わからん。多分帰ってくるだろうけど、一通り落ち着いてからだから、そっちも日が暮れてからかな…」


正直、幽霊の行動パターンは把握が出来ない。本当に人それぞれだからだ。俺は世界中の人間の中で「俺」についてしか理解できていない。他の人のことについて、次の行動を読むことは不可能だ。


「まぁ、何か他にいい方法とか思いついたらそっちでもいいよ。とにかく今は手段が少ないから、手当たり次第」

「それって…非効率じゃない?」

「手段がないんじゃ効率もクソもないしね」

捺実の確認に俺は苦笑いする。


「…ちょっと」

「ん、」


研が俺を連れて少し離れる。相太がすかさず聞き耳を立てようとするも、捺実に背中を打ち据えられ、顔面から倒れた。空気の読めるメンバーで助かった、…のか?


研はカフェの陰に隠れると、すぐに俺の目を見て言った。


「記憶が不可解な点だけど…」

「ああ、」


萌恵沙さんの記憶が不可解な点。事故のショックで記憶が曖昧になったと考えているが、何故か萌恵沙さんはその後の、俺が好きだった盟子との記憶も曖昧である。しかも盟子以外の記憶は鮮明という、なんとも奇妙な状態だ。


「話してて気づいたけど、…もしかしたら盟子との記憶はまだマシなんじゃない?」

「どういうこと?」


研の問いに、俺は必死に言葉を探す。言葉の表現は少し苦手だ。


「えーと、つまりは生きている時の記憶よりも、盟子との記憶の方がまだ残っているってことじゃないかって。ほら、盟子の名前は朧げながら思い出せたし」

「ああ、なるほど…」


研は一応は納得したようだ。だが、


「だったら違うかな…?」

「え、何が」


研が続けて呟いた言葉について、俺は尋ねる。何が違うのか?


「…僕は盟子が影響を与えてると思ったんだけど、違うのかもな」

「え、盟子が?」


そう聞き返して、すぐに自分で理解した。


「ああそうか、盟子の能力か…」

「うん」


そうか盟子の能力か…、それなら何となく説明がいくかもしれない。


そう考えた俺の頭に、懐かしい記憶のテープが流された。


あれは、盟子との仲が親密になった時。






その日は、学校に幽霊が湧いた。


まるで温泉が湧いたみたいな言い草だが、本当にそのような感じで幽霊が噴き出してきたのだ。


騒ぎに気づいた俺は当時小学2年生。流石にこの歳だとこのような事態は初でテンパっていた。とにかく先に、幼稚園の頃から教えられていた、気を使って師匠に連絡を送る技術を使って、師匠に助けを請うた。子供は困ったら大人に頼む。これはどんな立場の人でも変わらない常識の一つだ。


さて、連絡を送れたはいいが、ここから師匠が来るまで自分で食い止めなければならない。師匠の住まいは学校からも遠い位置にあり、ここまで来るにはかなり時間がかかるだろう。ちなみに、師匠はいくら凄腕のお祓い屋だけれども、空は飛べない。当たり前だ。そもそも霊力が空を飛べるほど強くないのだ。幽霊は自分の身体の重さを捨て、軽くなっているから飛べるが、生きている人間の霊力では自重を浮かせることは出来ない。


というわけで、当時の俺はそれまで耐える決心をしたが、小学2年生ではいくらなんでも経験が低い。何をどうすれば良いかわからずにまた慌てた。しかも周りは幽霊について無知の先生や生徒。一応、師匠の知名度で、次の座を引き継ぐお祓い屋の見習いだということは全員に伝わってはいるも、だからと言って助けになるというわけではない。


とにかく、今までの僅かな経験を活かし、当時の俺は悪霊を探したのだった。普通の幽霊と悪霊の見分け方は、一番最初に教わったものだ。幼い子供に言う言葉としては、「見ても何も感じないのは普通。気分が悪くなるのは悪霊」だ。悪霊の気は黒いもので、その気を見ると身体が警報を発するので間違いではない。


見たところ、噴き出た幽霊は皆、普通のもののようだ。出てきた幽霊が教室内を満員電車にしようとせんばかりに入ってきたのはそれはそれで気分が悪くなったのだが。


このまま悪霊が出ませんように…、何もできない当時の俺はただただ祈るばかりだった。

しかし、それは儚い希望である。


実際、悪霊が出るのは確率論なのである。悪霊になるかならないかは、その人の境遇か性格に大きく左右される。そういった幽霊が全体に比べて少ないのは事実だが、数える程しかいないというのは嘘だ。故に、100人も幽霊を見ていれば高確率で悪霊は一体はいる。

そして幽霊が噴き出た原因、それは悪霊に直結していたのだ。


幽霊の噴出が止まった、そう感じた瞬間に、当時の俺は冷や汗をかいた。1人の悪霊が、ゆっくりと現れたのだ。


それを目で追っていた当時の俺に気づいたのか、1人の幽霊が話しかけてきた。


「助けてくれ!俺たちはあいつから逃げてきたんだ!」


いや何をしろと!?そう聞き返したい気持ちでいっぱいだった。というかむしろそう叫んでいた。突然叫んだ当時の俺にクラスメイトと先生がギョッとしたが、それどころではない。悪霊が隣の教室に入っていったのだ。


慌てて当時の俺は席を立ち、教室を出る。後ろの席だったので、担任の先生は止められない。そして隣の教室のドアを開けると、


「…!!」


1人の少年が教室の中心に佇んでおり、他の生徒はその少年から逃げるように教室の端に張り付いていた。少年はがたんと大きな音を立てて椅子や机を蹴飛ばし、大声で叫んでいた。


「この野郎!何年閉じ込めているつもりだ!8年後に開けるんじゃなかったのか!」


叫び散らしていることの意味はわからない。だが明らかにわかることは、その子はさっき見た悪霊に取り憑かれているということだ。


「〇〇君!落ち着いて!」


教師がなだめるも、教師も教卓の陰から動こうとしない。


残念ながら、当時の俺にはどうしようもなかった。取り憑いた悪霊を剥がす技術は持っていないし、そもそも悪霊相手に張り合える技術がない。相手もひどく興奮してるので、並みのお祓い屋でも苦労するレベルだ。


ドアを開けたはいいものの、その現状にオロオロとしている時、



その少女は、動き出した。



「…あなたは、誰?」


声のした方向にハッと顔を向けると、ショートカットの小顔の少女が、真ん中を陣取っている少年に少しずつ歩み寄っていた。水色のヘアピンが特徴的…、と、そんなことを考えている場合ではない。


「待っ…」


当時の俺が思わず静止しようとすると、


「…そなた、私が見えるのか」

「えっ…?」


思わず声が出た。何故なら少女に答えた声が、あの少年の声ではなかったからだ。


周りを見ると、少女と自分以外にその声に気づいている様子ではない。


もしかして、悪霊自身の声?じゃあ、あの少女もこの声を聞ける?


そう思うや否や、少年の身体から悪霊が飛び出し、少年の頭上で静止した。少年は突然意識が切れたかのように、ばたりとその場に倒れた。


そこで初めて教師が動いた。動かなくなったことに竦んだ足が動いたのだろう、すぐに少年を抱え、保健室に連れていくと言って出ていった。教室を片付けて欲しいとも。


だが問題は終わっていない。そこにまだ悪霊はいるのだ。


不思議なことに、子供たちは教師が教室を出ていった後も動かなかった。彼らには何も見えていないのだが、子供独特の感性でただならぬ空気を察知したのだ。子供は時に大人よりも空気に敏感になる。


改めてその悪霊を見ると、どうやらおじいさんのような風貌だ。立派な顎髭は、量は足りないが、白く染めればサンタクロースになれそうなほどだ。


「…見える。おじいさんみたい」

「ふむ…、わしの姿はそなたらにはおじいさんのように見えるのか…」


やっぱりだ。少女と悪霊との会話は確実に成立している。少女にはあの悪霊が見えてるのだ。となれば、自分と同じ境遇か?


当時の自分がそうやって思いを巡らせている中、少女と悪霊との会話は進んでいた。


「どうして、そんなに怒っているの?」

「何十年も閉じ込められたら、誰だって怒るだろう」

「閉じ込められる…?何に?」

「ふん…、そなたらに言ってもわかるはずがない」

「え、えと…、ではあなたは何?」

「何、だと?そのようなものの言い方があるか!」


突如悪霊が怒り、拳を握りしめた。咄嗟に少女との間に割って入り、悪霊に語りかける。


「待って!言葉を間違えただけだよ!」

「やかましい!だいたいわしは死ぬほどイライラしているんだ!気がすむまで怒らせろ!」


悪霊が威圧するかのようにずいっと詰め寄った。拳も何も構えていなかったのだが、当時の俺は完全にパニックになり、攻撃されると反射的に思った。そして、


「ぐほぅ!」


俺は反射的に右手を出し、空中でデコピンをした。無意味な行動に見えるが、指を弾く瞬間に、強い霊力を発しているため、幽霊には効果覿面だ。悪霊はこれを額にモロにくらい、後ずさりした。


「貴様ぁ!」


悪霊は完全に怒ったらしく、今度は拳を構えて迫ってきた。それを見た当時の俺は、今度は金縛りにあったかのように身動きが取れなくなっていた。後ろで少女が悲鳴をあげる。

と、その時、


「うぐぅっ!」


再び悪霊が後ずさる。そしてそれから追撃をしようとはしなかった。


「…そなたは、」

「一旦鎮まりなされ。この子らには私から指導をしておく」


その姿は、半透明ではあるが師匠だった。






師匠は、あの悪霊には及ばないが結構な歳だ。白い顎髭が生え、髪も白い。まるで仙人みたいな容貌だ。


だが師匠の顔は強面と言って過言ではない。生まれつきらしいのだが、まぁ笑えば怖くはない。ただし、怒った時にはまるで天狗のような顔になる。子供にはちょっとしたトラウマになるだろう。


そして当時の俺と少女は、その天狗の顔に睨みつけられていた。


「いったぁ〜…」


師匠のおかげで事が収まってすぐ、半透明の師匠は消えてしまった、その後すぐに本物の師匠が学校に到着し、一切の事情を学校側に伝えた。どうやら霊力で先に学校に移動し、問題を先に解決しようとしていたらしい。


そして説明が終わると、当時の俺と少女は師匠に連れられた。学校の空き教室を借り、師匠は中に入るや鍵を閉めてカーテンも閉めた。そしていきなりゲンコツを食らわしたのだ。そしてあろうことか少女にも俺と同等の威力を下した。流石師匠、怒るときは遠慮しない。少女は悶絶するも、泣き喚きはしなかった。意外と強い。


「まず誓太っ!」


自分の名前を怒鳴られて、背筋が反射的にまっすぐに正された。見た目の年齢とは思えないほどの威圧的な声は、否応無しに恐怖を駆り立てられる。


「自分から手を出すなとあれほど言ったであろう!興奮した霊を刺激したらいかんと、何度言ったらわかるのじゃ!」

「で、でも向こうから向かってきたし…」

「あれは詰め寄っただけだ!手を出していない!それに私はお前に結界の張り方を教えたじゃろう!」


反論をするも即座に叩き落とされ、俺はがっくしとうなだれた。そうだ、その手があったんだ。簡易的な結界で少し脆いが、少なくとも足止めには出来たはずだ。


デコピンは護身用に習ったものだが、それを試してみたかった気持ちも、少しはあったのだろう。


「それにそこの君っ!」


ビクッと身体を震わせる少女。その顔は恐怖に満ち溢れている。


「いくら霊に話しかけられるといっても、無理に話しかけるんじゃない!騒ぎがあるなら必ず誰かが私を呼ぶのだから、それまで大人しく待っていなさい!」


少女はうなだれそうになったが、…なんとむしろ師匠を睨みつけ、


「じゃああのままみんなに怖い思いを?」

「何?」

「誰かが怪我してたかもしれない!」


恐怖に打ち勝とうとするあまり、言葉が上手く言えないらしいが、言わんとしていることはわかる。要は師匠が来るまで、あの生徒たちは怖い思いをしなければならず、さらには怪我をしてしまう可能性もあると言いたいのだ。現にあの悪霊は少年の身体で暴れ、椅子と机を散らかしていた。


「誰かがあそこで動けば、少しはマシ!」

「しかし、あの程度なら耐えられる!」


師匠がそう言ったところで、俺がソロソロ、と手を挙げる。キッと師匠が睨みつけるも、心の準備は出来ていた。


「師匠、前に『子供は小さなきっかけがトラウマになりやすい』って言ってた」


「トラウマ」がどんな意味を指すのかは、当時の俺にはわからなかったが、悪いことなのは確かだ。


一瞬、師匠が言葉に詰まった気がしたが、すぐに体制を立て直して、


「それでお前らの命が失われたら、元も子もないじゃろう!」


と、怒鳴った。結局、当時の俺と少女は最後まで首を竦めることとなった。


師匠は少し落ち着いたのか、俺たちに椅子に座るように言った。実は初めから正座させられていた。


「あの、師匠」


おずおずと口を開くと、師匠はなおも厳しい顔でこちらを見る。


「結局、あの悪霊は何だったんですか?」

「…誓太、あれは悪霊じゃない」

「え、」


師匠によると、あれは山の精霊だったらしい。精霊は強力な霊力を持つので、怒りに包まれた時には、その霊力は悪霊の霊力と似てくるようだ。とは言っても悪霊の方が格段に黒い気であるのだが、まだ幼い当時の俺には判別がつかなかったらしい。


では何故山の精霊が怒っていたのか。そして何故学校に出てきたのか。それは校庭の隅に埋められたあるものに関係するのだ。


話はかなり遡る。この学校の最初の卒業生達は最初ということでもあるので、何か学校に残したがった。そこで発案されたのは、タイムカプセルである。彼らは自分の思い入れの深いものをアルミ製の箱に詰めて、校庭の隅に埋めた。そして「皆が20歳になったら掘り起こそう」と約束したのだ。


その時ある1人の生徒が、父親から貰った綺麗な石をタイムカプセルに入れた。父親曰く、なんと師匠から貰ったものらしい。その石には、山の精霊の分身が宿っていて、家に置いておくと何らかの利益がもたらされるらしかった。その後父親はその石を何かのきっかけでその生徒に渡し、生徒はそれをタイムカプセルに入れることを決めたのだ。


山の精霊は、当時は快く中に入ったらしい。何よりその生徒に気に入られたことをひどく喜んでいたそうだ。


しかし、タイムカプセルにありがちな、そして山の精霊にとって最悪な状況が発生した。



皆、タイムカプセルを埋めたことを忘れたのである。



山の精霊は何年も待ち続けた。30歳になったら思い出すかもしれない。40歳になったら…、しかし、流石に50歳までは待てなかったようだ。


あの時一斉に湧き出た幽霊達は、最初の卒業生達の分霊である。自分がより気に入ったもの、思い出のカケラのような物には、その人の生霊が乗り移りやすいのだ。とは言っても、その生霊は複製なのだが。突如暴れ出した山の精霊に驚き、タイムカプセルの中から逃げ惑ったのだ。これが幽霊大量発生事件の真相だ。


なるほど、山の精霊なら100年単位で生きているから、おじいさんみたいな風貌なんだと、勝手に納得する。


「なんだぁ、悪霊じゃ無かったのか…」

「まぁ、山の精霊の霊気はまだ感じたことがなかったじゃろう。わからなくとも仕方がない。その時は荒れていたからのう」


次々と謎が解明される中、当時の俺は最後の謎を思い出した。


「そういえば、何で君はあの精霊が見えたの…?」


少女にそう問いかけると、恥ずかしそうに縮こまった。


精霊といえど、誰にでも見えるわけではない。当然、見えるか見えないかの基準は幽霊のパターンと同じだ。


「うむ…、もしかしたらこの子も見えているかもしれないな…。名前は?」


師匠が顔を近づけて来て、少女は肩を竦めたが、師匠はもう怒っていないので顔は普通だ。…とは言ってもまだ強面は崩れきれていないが。


鬼の形相でないことに安堵したのか、少女は落ち着いて受け答えした。


「めいこ…、霧山盟子」

「霧山…、聞いたことのない名じゃ…。どこか別の場所から引っ越したか?」

「はい。小学生になる前に、東京から」

「東京?俺も東京から来たよ!」


隣で当時の俺が嬉しそうにそう言った。盟子も同じ境遇の仲間がいたと知り、少し喜んだ表情になった。


ゴホン、と師匠が咳払いし、再度注目させる。


「さて、自分自身の能力について、どこまで自覚している?」

「え、ええっとですね…」


師匠の問いに盟子が何とか頭の中を整理する。恐らく「皆が見えないものが見える」だとか、「半透明の人間が見える」といったところだろう、と当時の俺と師匠は思っていた。


が、返答はその斜め上を突いた。


「人の、頭の中が見えます」

「な、なんじゃと?」

「え?で、ですから、人の考えてることがわかるって…」


人の考えてることがわかる?それはいくら霊媒師やお祓い屋でも不可能だ。


「じゃが、あの山の精霊は見えたのじゃな?」

「はい。…あ、でも他に沢山出てきたって言う幽霊達は見えませんでしたよ。今聞いて知ったので…」

「見えなかった?ではなぜ山の精霊は見えたのじゃ?」

「ええっと、その〇〇君がおかしくなってから、頭の中に何か嫌な感じのするものがあるって思って、…集中して見たら、そのおじいさんがいて…」


ムムム、と師匠が腕組みをする。


「し、師匠、これはどういう…?」

「まだ一概には言えんが…、恐らく」


師匠は真剣な表情で、盟子に言った。



「君は、『意識に干渉することができる』という能力を持っている」



「い、意識に?」


聞いたことのない能力に、当時の俺は戸惑った。盟子もよくわかっていない様子だ。


「恐らくだが、人の考えてることを読み取ることができる。意識さえ向ければ幽霊でも感じ取ることはできるじゃろう。だがきっかけが必要じゃ。今回は、取り憑いた人の意識を覗いて特定したから、山の精霊を見ることが出来たのじゃろう…」


盟子はうんうんと頷く。師匠はおもむろに窓の外を見やり、


「…では、どこまで意識に干渉できるか確認しよう。あの鳥の中を覗いてみなさい」


師匠はそう言って、窓の外の木に止まっている雀を指差した。


「えっ、動物の考えていることもわかるの!?」

「それを今から試すんじゃろうが。少し黙ってなさい」


驚きの声を上げる当時の俺を師匠が叱りつける。盟子はくすくすと笑い、すぐに真剣な表情になって、意識を集中させた。


「…やかましい人間どもめ、って言ってます」

「…は」


ポカンとしている当時の俺を無視し、師匠は盟子に問いかける。


「嘘はついていないな?」

「はい」


師匠は盟子をじっと見た後、フッと笑って頷いた。


「なるほど、確かにその能力で間違いないのう。しかしまだ不安定じゃろう。これから月に一度、わしのところまで来なさい。何回か練習すれば、その能力を使いこなすことができる。そうすれば様々なことに使えるじゃろう」

「はい!ありがとうございます!」


満面の笑顔で盟子が頷いた。最初に涙を堪えていたのが嘘のようだ。


「それと誓太」

「はい」

「女の子1人では危険じゃ。毎回同伴するように」

「どう、はん?」

「ああ、一緒に来るということじゃ」


え、女子と2人っきりで、遠い師匠の住まいへと行けと?


ふと隣を見ると、盟子がこれまた満面の笑みで手を差し伸べてた。


「よろしくね!誓太くん!」


その差し伸べた手が握手を求めていたということに気づくまで、5秒間ぐらい硬直していた。後で師匠に、「顔が赤くなってたぞ。照れておるのか?」とからかわれた。






そう、盟子の能力は、人の意識に干渉する能力。


「盟子は、萌恵沙さんと話した時に、萌恵沙さんの意識に干渉した。でもその時は生身じゃなく霊体だったから、それを行った時何らかの障害が発生して、萌恵沙さんの記憶に支障を起こした…、ってことは考えられないか?」

「なるほどなぁ、」


確かに、霊体になってから自身の能力に変化が出たという例は聞いたことはある。無いとは言い難い。


「だけど、まぁ証明するものはないけどね」

研が肩をすくめる。お手上げのサインだ。

「とにかく、俺がいない間に何かあったかもしれないから、師匠に話を聞いてみる。まぁ師匠に何も聞けなかったら…、あとは地道にだな」


俺も苦笑いして答える。本当に、手段が見当たらないのだ。


研は何故か不服そうに反抗してきた。


「なんだ、いつまでも師匠頼みかよ」

「急にどうした」

「ほら、超えてみろよ。師は超えるものだろう」

「なんだその独論」

「独論じゃない。ジャンプの総合評価だ」

「漫画やアニメと一緒にしないでくれよ」






とはいえ、


(久しぶりだな…、師匠に会うの)


受験で夏と正月に帰れなかっただけでなく、去年の夏から師匠とは顔を合わせていない。だんだんと滞在出来る日数が減ってしまったからだ。


久しぶりに、師匠の住まいの入り口に入る。ここから少しだが傾斜を登るのだが、やたらと雑草が生えており、道が記憶の中の風景と比べて半分くらいの幅になってしまっている。山の中なので違和感はないが、


(だからお手伝いさんを雇えって言ってんのに)


師匠は何かと自分1人だけでやりたがる人だ。極力、人の助けは求めない。


ぶつぶつと文句を言いながら、たまに邪魔な雑草を引き抜いて歩く。やがて視界に、まるで倉庫みたいな家が現れる。この家をこのままどこかの日本のお屋敷にでもぶち込んでも、絶対に違和感が無いと俺は勝手に思っている。


「ししょおー、いますかー」


1人で長く歩いていたこともあって、変なテンションで俺はノックする。多分師匠が、「アホか」とでも言いながらゲンコツを食らわすんだろうな、と思っていたが、


中からは何も応答が無い。


(…あれ?)


出かけているのか、はたまたもう年でグースカ寝ているのか。仕方ないので俺はドアを開けた。鍵は最初からかかっていない。そのくせ「入るときはノックぐらいせんか!」とよく怒られていた。理不尽な気がする。


「…ん?」


玄関には2種類の靴があった。1つは、よく師匠が愛用していた革靴。やたら綺麗だ。もう1つは、明らかに女性用の靴。


(奥さんかな?)


結婚はしていると聞いたが、俺がお世話になっていた頃は絶賛別居中だった。本人も「1人の方が落ち着くし仕事に集中出来る」とよく言っており、向こうも同居するつもりは無いらしい。だが、流石にこの歳になると一緒に住みたくなるのだろうか。それとも顔を合わせに来ただけか。


そう思いながら家に入ると、台所から水を流す音がしていることに気づく。中を覗くと、


(…誰?)


見知らぬおばさんが、食器を洗っていた。


やはり奥さんか?…いや、


おばさんだけど、師匠に比べたら断然若い…?


「あら、どなた?」


気配を察したのかおばさんが振り向いて、俺の存在に気づく。


「あ、師匠の一番弟子、なのかな?まぁ弟子です。さっきノックしてたんですけど…」

「あら、そうなの?ごめんねぇ、私耳が遠いから、水を流してるだけで聞こえないの」

「はぁ、…で、えーと、どなたですか?」

「私?ここのお手伝いを頼まれた者よ」

「お、お手伝い!?」


俺が驚愕していると、おばさんは食器洗いの手を止め、手を拭いて俺を茶の間に連れた。


「ほ、本当に師匠がお手伝いさんとして雇ったんですか?」

「ええ、そうよ」


なんという事だ、じゃあ師匠は…、


「失礼します」


おばさんはそう言って障子を開けた。


「今日は弟子さんが来てくださいましたよ」


そう言っておばさんは俺を前に出す。そして俺の目に入ってきたのは、


「…師匠、」

「なんじゃ誓太か。このアホが、2年近く顔も見せんでこの野郎」



見るからに弱々しそうに腰を上げた、やつれた師匠がそこにいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る