第3話「墓参り」

空がオレンジ色に染まる中、コンビニへと向かう道を歩く5人がいた。


「見てほら、太陽が山に食べられてるみたいだ」

「ほんとだ〜」

「は、そんなわけないだろ」

「見える、って話なんだから、本当に食べてる訳じゃないよ」


男子4人と女子1人。彼らが向かっている先は、コンビニではない。


学年一の俊足、雪村研がめんどくさそうに言った。


「早く行こうぜ。歩くのが遅い」

「るっせーなガキ大将」


そう言ったのは喧嘩っ早い本間倉之助。「なんだと!」と研が目を怒らすも、「はいはい、静かに静かに」と自称女番長、浦辺捺実がいなす。


5人の中で1番のチビ、相太は会話に加わらずに黙って歩く。どちらかというと、研と倉之助の喧嘩に巻き込まれないようにしていると言った方が正しい。


そして俺、内海誓太は、ごく平均的な子であった。霊能力者という点以外では。


「なあなあ、お前は何買ってきたんだ?」

「うちの新商品。元々俺が考えてきたやつを母さんが美味しく作ってくれた」


研の問いに、倉之助がそう言って手提げを掲げる。倉之助のうちは居酒屋だが、昼間にお茶をする人が多いため、カフェという捉え方もできる。その為普通の料理の種類も増やさなくてはいけないのだ。


「僕にも食わせろよ」

「余ったらな。主役はお前じゃないからな」

「けっ。ケチだなぁ」

「ケチじゃなくてお前が厚かましいんだよ」


研は倉之助の相手をやめて、捺実、俺、相太という順番で同じ質問をしてきた。


「そういう研は何を持ってきたんだよ」

「へへへ、よくぞ聞いてくれました」


俺が言った言葉を待ってましたと言わんばかりに、研は持っていた紙袋を開く。中を覗くと、


「…何これ」

「うちの近くに落ちていた小石。形が面白いから」

「なんでそんなものなのかなぁ…」


捺実が呆れたように呟くと、反論するように研が言い返す。


「ちゃんと洗ったからな!」

「そういう問題じゃない」


倉之助が冷静に横から突っ込む。そこで「持ってきたものの話」が止まり、次の話題へ転換しようとしたが、そのタイミングで、


「わわっ!」


突如、バケツをひっくり返したかのように雨が降り始めた。林道を歩いていたので、雨が葉を打つ音が大きく響き渡る。


「さっきまで晴れてたじゃねーかよ!」

「でもそれは太陽が横にあったから!」


なんとかすぐ近くの丁度良い土の壁の窪みを見つけて、そこで雨宿りする5人。


「大丈夫かな」


そう言って自分の手提げを見つめる倉之助。雨が入っていたら台無しだが、確認しようとして開けると、倉之助の母が包んだ洒落た紙包みが崩れてしまう。おおざっぱな性格の倉之助には、元通りにすることは不可能に近い。


「ま、僕のは乾けばオーケーだからな」


研は何故か自慢げに言った。苦笑いした捺実は、多分俺たちよりも大人だ。


皆、それぞれ服が濡れてしまったが、幸いにも夏なので、気温が高く風邪をひく心配はなさそうだ。もちろん、濡れた服を着替えた場合だが。


「…これ、にわか雨だよね?」


最近覚えたての言葉を使って、相太が不安そうに呟いた。


「でも夜から雨降るって、テレビで言ってたよ。それに今日の昼までずっと雨だったし」

「まだ夜じゃないじゃん」

「もうすぐ夜よ。それに天気予報は百パーじゃないって、いつもお母さん言ってるし」


捺実の適切な指摘に「えええ」と相太が困惑する。どうやら本気で雨が降ることを知らなかったらしい。


「夏の雨はひどいからなぁ」


俺がそう呟いたのは多分、夏の雨といえば台風、という考えがあったからだろう。一向に止む気配のなく、それどころか少し強くなっている雨音を聞いていた俺は、見切りをつけて皆を振り返って言った。


「これ以上酷くなる前に早く行こう。それで早く渡して、早く帰らなきゃ」


俺が言い終わらないうちに、倉之助と研と捺実は手荷物から折りたたみ傘を取り出していた。だが相太は持っていない様子だ。仕方なく、俺が一緒に傘に入れてあげることにする。


だが先に俺と相太が窪みから出た瞬間、一気に雨がさらに激しいものに変わった。慌てて窪みに引き返す。


「これはひどいや」


思わず相太が呟く。流石にもう少し収まってからにしようと俺が提案したが、その時俺はどこか一抹の不安を抱えていた。



と、その時。



今まで感じたことのない地響きと轟音が、5人の身体を震わせた。


「な、何?何が起きてるの?」

「じ、地震…?」


日本の東で起こり、津波が大量の人の命を奪っていった大地震は、まだ俺らにとっては記憶に新しかった。


「いや、でも違う気がする…」


言葉では上手く言い表せなかったが、地震だけでこれほどの轟音はでないのではないか、ということだ。俺は呟きながら外の方を見た。



その刹那、周りの音が消えた。



「─」



木々の間から何か見えた。その何かは流れ落ちるように下に下っていく。



「──」



上から、その何かと同じ種類のものが流れてきた。緑色と、茶色…、



遠くで、木が流れ落ちている。



「─────っ!!!!」



「あっ!ちょっと誓太!」


捺実の制止を振り切り、俺は傘もささずに窪みから土砂降りの外へ飛び出した。


ぬかるんだ土に何度も足を取られそうになりながら、逆に滑るのを利用して坂道を下ったりし、とにかく目の前にある道なりに必死に走った。


そして視界が開けた瞬間、



「…あ、」



口から漏れたのは、間抜けな声。思考が止まり、呼吸が荒くなりながら、自分の視界に見えるものを認識し続ける。


土が、滑り落ちていた。削れた岩肌は、どこか恐怖を覚えさせるように見え、削れた土はあろうことか真下に位置していた集落に降りかかっている。


その集落には、







「───盟っ」







ガバッという効果音がつきそうな動作で跳ね起きたと共に、俺は目を覚ました。


「うっ…」


突然目に刺さった朝日に思わず目を背けて腕で顔を隠す。


「ああ…」


呻き声を上げながら、俺はゆっくりと布団に身体を倒す。その時、天井が歪んでいることに気づき、初めて自分の目が濡れていることを理解する。


「誓太の声ー?」


捺実が恐らく台所から、俺の声を聞いたらしく呼びかけた。夢の中の捺実の声よりも、大人らしくて優しい声だ。


「起きたんなら他2人も起こしてくれるー?誓太は昨日忙しかったから仕方ないものの、残り2人は何やってんだか」


悪態をつきながら捺実の声が消える。ふと右を見ると、相太と研がまだ毛布にくるまっていた。捺実に聞こえるほどの声を出したというのに、起きる気配すら見せないとはこれいかに。倉之助は捺実と一緒に台所にいるだろう。


「寒…」


身体の芯が悲鳴をあげるほどの震えがきたので、俺は枕元に用意してあった上着を羽織る。日照時間が短い上に標高が高いこの町では、夏は割と過ごしやすいが冬はやたらと寒い。


しかし、


(懐かしすぎるトラウマを思い出したものだな…)


萌恵沙さんと盟子の命を奪った土砂崩れ。その時俺らは盟子の家に向かっていたのだ。


簡単に言うと、この町は大体2つに分けられる。標高が高い方に集中している地域と、少し低い位置にある地域だ。コンビニは低い方にある。俺ら5人は高い方に住んでいて、盟子はコンビニ側に住んでいた。


そして俺らが手にしていた贈り物。それは盟子に送るはずのものだった、なぜなら…、


「ああもう、やめだやめ」


俺はそう言って毛布を被る。既に目頭が熱い。


大学生になろうとしている歳でも、小学生の頃に失った恋人を思い出して涙を流す。…俺はどこかおかしいだろうか?というより、何故忘れられないのか?


俺としての答えは、


(運命の人、…って本能で思ってるんだろうな)


昨日の夜にちらりと話をしただけでトラウマが蘇る。そんな自分が異常にさえ思える。


だが、くよくよしたって何も始まらない。


忘れられる訳ではないが、引きずることはもっとよくない、と、よく師匠にも言われていた。今集中すべきは、5人で田舎を楽しむことと、萌恵沙さんの成仏だけだ。


目頭が元通りになり、視界の歪みが戻ってから、俺は布団から這い出て立ち上がり、「おらっ、朝だっ」と言いながら相太と研の脇腹を蹴った。






「眠いよ…。まだ朝早いんだから、昼前まで寝させてくれよ」

「もう昼前よ」


朝食兼昼食中。相太の呟きに捺実がピシャリと突っ込んだ。日照時間が短い故に、日が昇るのも遅い。東京の生活に慣れていると違和感を感じる。


「大体あんたが興奮して夜寝ないから眠いのよ。自業自得」

「ちょ、何で俺がまだ起きてるってわかるんだよ」

「あんたの声が筒抜けなのよ!全く、私もなかなか寝付けなかったわ」


確かに、布団に入っても相太はまだ興奮してて、ずっと独り言や俺らに話しかけていた。うるさかった。


「婆さん、聞こえたか?」

「いいや。寝ちまうともう何にも聞こえないからねぇ」


老体である相太の祖父母を起こさなくて少しはマシだが、それでも迷惑この上ない。


ところで言い忘れていたが、もちろんこの町には方言がある。だが相太の祖父母は東京からこの町に引っ越したので、話しは標準語なのだ。そして何かが理由でこの町に引っ越しすることが流行ったらしく、俺らの親も関東からこっちに来た。要は俺らは東京喋りとして仲良くなり、そしてグループとなったのだ。まぁ、ぶっちゃけ俺らは方言でも標準語でもどっちでもいいと思っていたが。


食事が終わり、捺実が腰を上げた。


「さーて誓太、家出るのはいつ?」

「12時過ぎ」


俺の応答を聞いて、捺実は「オッケ」と言って自分のと相太の祖父母の皿を台所に持って行く。


「えっ、もう出るの!?」

「何だよ、文句あんのか」


思わず叫んだ相太をジロリと睨む。


「飯食ったばかりだぞ!」

「まだ1時間ちょいあるからいいじゃねーか。大体お前が寝坊するのが悪いんだからな」


相太は舌打ちをして部屋を出て行こうとするも、研に「皿ぐらい持ってけよ」と言われまた舌打ち。倉之助は既に捺実と共に皿洗い中だ。


俺も皿を持って台所に入り、捺実と倉之助に声をかけた。


「皿洗いぐらいできるから俺に任せてよ。他に俺らが出来ない家事やってもらってるから」


疲れがあるはずだから休め、ということを暗に示して言ったのだが、捺実は「ほんと?じゃあ任せたわ、洗濯物干さなきゃ」と言って出て行ってしまった。倉之助も俺に皿の干し方を指示してからゴミを出しに行った。気が回る2人なのだが今回ばかりは不満を持つ。


「相太と研は自分の布団ぐらい直しとけよ」


居間でゴロゴロしているであろう2人にきっちり釘を刺しておく。相太がブツブツ言う声がし、どうやら寝室に向かったらしい。


皿を洗い終わると、相太の祖父母が町内会に出かけてくると声をかけてきた。夜まで続くから、晩飯は要らないと言われ、俺に家の鍵を渡して出かけて行った。


捺実が「行ってらっしゃーい」と相太の祖父母に向かって声を張り上げるのを耳にしながら、俺は居間に座る。5分ほど待つと、


「…どうでした?」

「わからないや。何せ6年もいなかったし」


たった一夜で砕けた話し方になった萌恵沙さんが、滑るように居間に入り込んできた。






「コンビニ出来てたんだね。知らなかった」

「3年前くらいかな…。でも24時間営業じゃないけどね」

「それにしても、私の未練なんなんだろう…」


まるで「今日の学校の課題なんだろう」といった感じで萌恵沙さんが頬杖をつく。


「一般的に言えば、家族に残した言葉があるだとか、そんなものがポピュラーだが」

「家族ねぇ…、土砂崩れの日に家に親がいたかどうかすらあやふやだし…」


やはりあてもなくふらふらと歩いて、偶然出会った何かをキッカケに思い出してもらうしかなさそうだ。


「そういえば、盟子さんって誓太くんの恋人なんでしょ?」

「えっ」


不意に飛んできた問いに一瞬戸惑う。悲しさが一瞬よぎるが、なんとか堪えて答えた。


「まぁ…そうだな」

「えー、それって両思い?」


割とネチネチと絡んでくるキャラだな、この人。


「一応…、双方の合意の上付き合ってました」

「えー、すごい!」


興味津々で顔を覗いてくる萌恵沙さん。正直鬱陶しい。


「どこが好きだったの?小学生ながらその子の美点に気づいてたってことでしょ?」

「それは俺だけの秘密にしてくれよ」


あまり恋愛に関する情報は、深入りする内容だと話したくない。 そういう意味で言ったのだが萌恵沙さんは「やー、かっこいー」とか何とか言ってる。やっぱり異性というのはよくわからない。


でもさぁ、と萌恵沙さんが続ける。


「盟子ちゃんがまだあの時この世に残ってたんだったら、盟子ちゃんは誓太くんに何か残したことがあるってことじゃない?」


目をキラキラと輝かせて聞いてくる萌恵沙さん。それはただの興味ではないことは伺えるが、


「…正直言って、」


盟子が幽霊になっていると聞いた時、希望は感じなかった。むしろ、


「俺は、盟子に残って欲しくなかった」

「…どうして?」

「様々な幽霊を見てきて知ったことなんだが、幽霊としていることはかなりの苦痛だ。精神的にな。盟子は、言ってしまえば弱い人なんだ。平均より幾分か。だから盟子には苦しみを感じで欲しくない」


重い話になり、萌恵沙さんが黙ってしまっていることに気づいて、慌てて謝る。


「ごめん。変な空気にさせちゃって…」

「ううん。私が聞いたから…」


うう、この空気を取っ払わなきゃ。俺は慌てて話題を変える。


「今日のことなんだけど、俺らは盟子の墓参りに行ってから至る所を散策する予定だ。俺らについていってもいいし、1人でぶらぶらしててもいい」

「うーん、でもやっぱり、やっと幽霊以外で話せる人に会ったから、ちょっとお邪魔していいかな」

「よし決まり。じゃあ12時過ぎにここを出るからそのつもりで」


そう言って俺は荷物を整理しに寝室に向かう(各自の寝室が荷物置き場となっている)。襖を開けると、


「どうよ」


相太が綺麗にしまった布団を見せびらかしてドヤ顔を決めている。何もかもやらない人間ではないのだ。…性格的にはモテなさそうだが。






土砂崩れの被害にあった集落は、被害者の親族がものを回収した以外のものは全て放置されている。重要な道路は整備されているが、家があった場所は手つかずだ。


主な理由は2つ。1つ目は、師匠が無駄にいじるなと警告を発したからだ。残念ながらその時の俺は未熟でよくわからなかったが、一言で言うと自然の祟りが原因らしい。邦雄町では、神社やお祓い屋は重宝されており、お祓い屋だった師匠の言葉はすぐに信じられた。ちなみにある程度成長しても、俺はその祟りは感じることはできない。師匠曰く、その地に長らく住み着いていないと、その土地のことはわかりえない、とのことだ。


2つ目は、邦雄町から逃げ出した人々が増えたため、土砂崩れの土地を整備しても、そこに新たな住居を建てても意味がないからだ。特に俺らの親のような、都会から来た人はすぐさま引き返した。ほんの一部だが、親族が亡くなった地でずっと住み続けることを決意した人もいるが、事故後に人口が増えることはなくなった。そして土砂崩れという前科持ちの町には人が来るわけがなく、今も人口は減るばかりである。


しかし、ただ単に放置するわけにもいかない。そこでお偉いさんが出した苦渋の決断は、その地に墓地を建てることだった。


「やば、ライターのガス切れちゃった…」

「えーっ」


相太の呟きに捺実が声を上げる。捺実の声は叫んではいないもののその場に響き渡り、吸い込まれるように消えていった。けっこううるさいが、幸いにもその場には誰もいない。

…幽霊以外は。


「私が30歳の時、あのバカ息子が何をしでかしたと思う?」

「おや、あなたも犬を飼ってたんですか。いやぁ、私も飼っていたのですがね。愛想をつかされて家出されちゃいました」

「昨日、あそこの家が騒がしかったんだけど、何が起こってたか知ってる?」


老若男女問わず、ありとあらゆる霊が俺らの周りで動き回り、会話をしている。おかげで俺にとってはうるさくてたまらない。


彼らは決して成仏できないわけではない。成仏は自分の意志でできるが、まだこの地でのんびりしたい、そういう霊たちだ。同じ土地で大量に人が亡くなった場合、そういうことはよくある。そして気が済んだら、フッとその場からいなくなってしまうのだ。


こういう場合、無理に成仏させようとせずに放置するのが最善策だと、師匠は教えてくれた。その代わり、定期的に様子を見に行き、悪霊化しないかどうか確認するのだが。


そして、俺はこの中でちょっとした人気者である。


「なあなあ、なんでしばらく顔を見せなかったんだよ?」

「ちょっとお兄さん、この人を注意してくれないかしら?鬱陶しいのよ」


霊を見ることができる、生きている人間に興味があるのは当然っちゃ当然だ。だからここに足を運ぶたび、こうやって寄ってたかって話しかけられる。


霊と話すことはお互いに有益だし、俺も面倒なわけではない。だが俺は聖徳太子ではない。こう大人数に一気に話しかけられると、誰が何を言っているのかはわかるはずが無いのだ。だが「聞こえなかった」などというと、たまに「話を聞かんのだ、最近の若者は」と言い出すジジババがいる。これは面倒だ。


とにかく、この状況を逃れる解決策は、


「今は墓参りに集中してるんだ、さぁ散った散った」


とにかく邪険にすること。霊だって元は人間なのだから、人間の思考、性格を持ち合わせている。第一印象が悪い奴に寄りつくような人はそうそういないだろう。


舌打ちをしながら、霊たちはそこら辺に散って行った。これはいつもの光景なので、誰も咎めない。


「じいちゃんたち…、切れそうだってあらかじめ言っておけよ…」


相太の祖父母から借りたライターを見つめて悪態をつきながら、相太は立ち上がって俺たちに言った。


「ちょっとコンビニにひとっ走りして買ってくるわ。待ってて!」


そういうなり、相太は全速力で墓地を去る。


「…相変わらずはっやいねー」

「部活内でトップだって。でも性格が性格だからリーダーは任されてないらしいよ」


相太は陸上部の短距離走者だ。残念ながら大会は惜しくも予選通過を逃したが、それでも充分速い。本人も「大会なんて知らねーよ。とりあえず周りよりも速くて、それを見た女子たちにモテればそれでオッケー」などと言っている。…その他部員泣かせだ。


「研はいつ頃抜かされたんだっけ?」

「…覚えてない。でも大体身長が止まった時にタイムの伸びも止まった」

「あの時の相太はノロマだったよねー。性格も小心者でさ」

「それを言ったら、研はガキ大将」

「おい倉之助。それは黒歴史だからやめてくれ。それにお前だって喧嘩っ早かったろ」

「そのおかげででこの体格だ。損はない」


倉之助は自分の腕を見てそう言った。


「…まぁこうして考えると、誓太と捺実が変わんなかった、ってことか?」


言われてみれば、捺実は自称だったが女番長だったし、俺は小学生の時から全体的に前に立つ人間だった(とは言っても、小学生は大抵前に出たがるから、それほど機会はなかった)。


盟子の墓の前だからか、皆小学生の頃の思い出に浸っている。この場に盟子がいたら、どれほど楽しかっただろうか。盟子の霊がこの場にいてくれたらと、今まで何回も思っている。


だが現実は残酷ではないのだが、それほど優しくもない。今まで盟子の霊を見たことは一度もない。「お盆の時に帰ってくるじゃん」と言う人がいるだろうが、実はお盆は生きてる人間が勝手に作ったものである。前に話したが、冥界から抜け出すことは容易ではない。冥界側も、逃げられたら困るのでサービスはしない。世の中に出回っている霊界事情は、嘘と本当が入り乱れているのだ。


ふと、俺は周りを見渡した。


盟子が霊になったことは萌恵沙さんの証言で明らかになっている。そう思うと、もしや近くにいるのではないか、という気になってしまう。


だが、周りにそれらしき人物はいない。それでも、成長している姿を認識できていないだけかもしれないと思い、その結果自分と同年代の人に注意を向けてしまうのだ。


しばらく見渡した後、結局俺は諦めて相太の帰りを待った。






気づいているだろうが、相太は『短距離走者』である。陸上部だからといって長距離も得意だと言うわけではない。相太はそれをわかっているはずだ。


だが先述の通り、相太は『全速力で墓地を去』った。


そして、ここからコンビニまでは、当然それなりの距離がある。よって…、


「ああ、頭いてぇ…」


準備運動もせず、寝坊してさらにまだ午前中に長距離を全速力で走り回った相太は、盟子の墓の前でゆらゆらと立っていた。ゆらゆらと揺れているのは軸がぶれているからか。


「…相変わらずバカよねー」


捺実の言葉にいつもなら「なんだよ!」と反駁するはずの相太だが、今回は何も言い返さない。それほどまで疲れてるのか。


「めーいこ」


捺実は少しおどけたように、そう言って線香を立てる。


「もしまだこの世にいるんだったら、相太をマシにしてほしいな」


相太はこの言葉を認識していなかったようだが、拝むという判断は出来ていたらしく、手を合わせていた。…おい、目の焦点が定まってないぞ。


「…ここにいないんじゃ聞こえてないだろうけど、誓太がピリピリしてるから、姿を現してね」


その言葉で、捺実は口を閉じた。皆が手を合わせ少し俯き、目を閉じる。



静かだ。



何も音はしていない。



風が常葉樹の葉を揺らす音しかしない…。



…た。



ん、



…が、悪かった。



誰か来たのか。まぁ普通来るか…、





「わたしが…、悪かったっ!」





「っ!!」



突然耳元で叫ばれ、思わず身体がビクッと跳ねた。


咄嗟に周りを確認するが、その場には俺たち5人以外には誰もいない。


…相太のいたずら?いや、あの声はどちらかというとお爺さんの声だったし、いくら相太でも、こんな時にいたずらはしない。


…霊か?だが霊には霊たちの間で「拝んでいる人にいたずらしてはいけない」というマナーが出来ている。俺の周りの幽霊の中に、何かを咎められているような人は見当たらない。


幸い、俺は5人の中で1番後ろにいたから、皆に不審な目で見られることはなかった。捺実が一礼して「じゃあね」と歩き出し、他3人もついていく。


急に叫ばれたおかげで、まだ耳鳴りがしている。


「…」


少し不安を抱かせながら、俺は仕方なく皆の後についていった。






倉之助の家庭、本間家は居酒屋を経営している。そして数年前、雇っていた若者が「カフェ的なものを開けば売れますよ。ここ一帯に昼から夕方の時間帯で立ち寄れる場所って少ないですから」と提案したので、居酒屋兼カフェを実行した。が、やはり酒の匂いのするカフェは評価が低かったので、今では2つに分けられている。大体倉之助が中学二年生の時に、建設用のお金が溜まったので、カフェの方を新築することにした。


そして本間家は、当時カフェ料理考案担当だった男女2人の若者に経営を任せた。その後2人は結婚し、アルバイトを募集して働きながら子育てをしている。


「よう」

「あっ、倉之助さん!お久しぶりです!」


倉之助がカフェに入り片手を上げると、すぐに女性従業員が気づいて挨拶する。結婚した妻の方だ。倉之助とは10歳以上離れているのだが、お世話になった店長の息子だからだろうか、倉之助が先輩という立ち位置に見える。態度的にも、体格的にも。


出てきた子供に捺実が相手をする。何回か来ているので子供の方も「なつみおねーちゃんだ!」と喜んでいる。しかし倉之助を除く他3人を見て首を傾げたあたり、多分倉之助と捺実しか覚えていない。


「店の調子は?」

「まだ赤字になったことないです。新作もウケがいいですし」


店の奥から夫が声をかける。優男な彼は、妻の方と共にこれまた東京から来た。大体今の二十代前後の若者は、なんと半分ぐらいが東京から来ている。一体この町のどこに惹かれたのだろうか。


この店唯一の6人席を俺らが独占し、それぞれ注文をする。カフェなので量は少し少なめだが、競争相手がいないからいいお値段だ。


「んじゃ、ちょっと失礼」


そう言って俺は席を立つ。捺実は「はーい」と言って、店内の洒落た様子を写真に収めていた。クソ田舎旅行の為に友人の約束を断ったお詫びらしい。まぁ多分「田舎だからってなめんじゃねーよ」っていうアピールの為だろう。


店の外に出ると、俺はすぐ店の裏に回る。建物が少ないので、人目につかない訳ではないが、もともと人通りも数えるほどしかないので、気づかれることはないだろう。


「…何してるの?」

「ん?ああ、匂いを楽しんでるの」


換気扇が回っているのであろうところで、萌恵沙さんが漂っていた。


「美味しいものは食べれないから、いつも匂いを嗅いで味わった気になってるの。しっかし、やっぱり空気がいいとはっきりと匂うね。都会だと味が落ちる」

「そんなもんなのか」


俺は匂いを意識して嗅いだことが少ないので、その気持ちは実感できない。


「ていうか、墓にいた時にどこ行ってたんだ?」

「近くをぶらぶらしてたわよ。なんか近づきたくないって気分だった」

「やっぱりか」

「やっぱり?」

「うん、やっぱり」


実は、霊は自分が死んだ場所に強い影響を及ぼされることがある。例外はあるが、基本的にはその場に近づけない、近づきたくなくなる、得体の知れない恐怖に襲われるなど、特にこれといって定まってはいないが、そのほとんどがその場から遠ざけられるものだ。ちなみに、逆にその場に執着される地縛霊というケースもある。


「…とまぁこういうわけで、萌恵沙さんはしばらくこの場にいなかったから、」

「近づけない、ふーん」


萌恵沙はそう言って遠くの方を見た。


「萌恵沙さんの方は、何か気づいたことは?」

「特になし。道行く人も知らない顔だしー、親とかなら老けたなー、ってくらいならわかる…あ、あれ、」


急にうろたえ始める萌恵沙。どうしました、と俺が聞くと、



「お、おおお母さんの顔が、思い出せない…」

「な、」



どうしよう、とうろたえる萌恵沙をとにかく俺は落ち着かせた。


「落ち着いて、色々忘れてるだけだから、な?」

「で、でも父が別居してて顔を知らないってことは覚えてるんですよ!?それを覚えてて、お母さんの顔を覚えてないだなんて、」

「落ち着いてって!」


俺は必死に言葉をかけたが、萌恵沙はそれを聞かずに、泣きながらその場を去っていった。


「待って!」


俺はその場で叫んだが、既に萌恵沙は遥か向こうに行ってしまった。


幽霊は滑るように進むので、人間の足では到底追いつけない。そして俺は、透けていることもあってか萌恵沙の姿を捉えられなくなった。


「どうした?」


店の裏口から従業員(夫)が出てきて、俺に声をかける。


「あ、いや、なんでもない、です…」

思わず驚いてしまい、つっかえながらもそう言うと、従業員(夫)は「そうか?」と言ってゴミ箱の中にゴミを入れる。きっちり蓋を閉めてから、「喧嘩だったら長続きさせない方がいいゾ」と、電話をするような動作をしてアドバイスを与えながら店の中へ消えてった。


「はぁ…」


多分、彼女と喧嘩したとでも思っているのだろう。訂正する間もなく行ってしまったが、どうせすぐ違うと判明するからいい。


それよりも、


「…母親の顔まで忘れてしまっているのか」


普通なら、1番親密な関係があるものから記憶の中で重宝され、重要じゃない内容が順に忘れられてゆく。しかし、


「町の名前、被害の瞬間の記憶、盟子との面識について覚えているのに、1番一緒にいた母の顔は覚えてない…、しかも名前すら当初は覚えてなかった…」


それに、川に流されてから今までの記憶が鮮明な点も不可解だ。事故のショックで記憶を失ったのなら、その後の記憶は鮮明に覚えているはずだ。しかし盟子との具体的な会話は覚えておらず、名前だけ。何年も経って忘れたのかと思うが、それだったら川に流されたり、トラックに運ばれた当時の感想も忘れるはずだ。


「…これ、もしかして、」


俺は、少し空を見上げた。



「思っているよりも、複雑か…?」



俺は様子を見にきた捺実に呼ばれるまで、その場から動かなかった。

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