第1話「帰還」
俺たち5人組は、中学がバラバラになっても、いつまでも仲良くしていた。
暇だと思ったら、おしゃべりをする為だけに誰かに電話をかけたり、時には相談をしたり、相談にのったりした。「相談事がある」と言ったらすぐさま「恋愛?」と返すような連中ではあるが。
そんな感じで、関係は何も変わらず高校生になった。お互いの電話で全員がスマートフォンを持ってると確認すると、即座に無料通話アプリの連絡先を交換し、5人組のグループを作って会話を楽しんだ。その会話は多分1日たりとも途切れたことは無かったと思う。それほどまでに仲が良かったのだ。
だが流石に会話が薄くなりがちになる時はある。俺らの場合、それは大学受験だった。お互いにほんの少ししか言葉を発せず、それもお互いを応援する言葉のみだった。まぁ、受験が終わるや否や、堰を切ったように怒涛の会話が始まったのだが。
そんなこんなで、5人全て志望校合格という奇跡を迎えた中、俺たちは初めて、この5人だけで旅行に行くことを決めたのだ。
「わー、久しぶりに顔を見た気がするー!」
「そうか?ああ、捺実は確かにしばらく見てないな」
「えっ、『は』って、…もしかして私だけハブられてる!?」
「故意にやったわけじゃないけどな、まぁ仕方なく」
「ずる〜い!私だって遊びたかったのに〜!」
「だって、いつも土曜日は塾だって言ってたじゃないか。たまたま土曜日だったんだよ」
「そんなのサボってたのに!」
「いやサボるなよ」
東京都、JR中央線の三鷹駅で、その5人は集合していた。
何故三鷹なのかと言うと、俺が三鷹駅付近に住んでおり、他のみんなの最寄駅からより、三鷹駅からの方が東京駅に楽に行けるからだ。
「俺の交通費返せよ。遠回りしてきたんだから」
「それはおかしい」
「なんだと!お前の最寄駅に合わせてやったんだろが!」
「じゃあ東京駅で集合するか?無茶苦茶な人の数のあの中でか?」
「それは嫌だ」
「わかればよろしい」
結局、5人が全員集合しても30分間はおしゃべりを続けていた。それを見越して、1時間遅い新幹線を予約していたのだが。
「しっかし、俺たち都会に慣れたって感じがするよな〜」
「そうそう。最初来た時はひたすらむさ苦しかったけど、」
「この程度の人並みは日常だし」
「田舎に帰ったら人の少なさにびっくりするかもよ〜」
「それでも、東京駅の人混みは異常だと思うけどな」
俺らは、田舎から来た仲良し5人組。
旅行先は、その田舎である。
俺らの田舎は、長野県の山奥にある。俺たち5人は、全員その土地で生まれた。そして人口が少ないその土地では、5人とも同じ小学校に入ることは必然的だった。
だがとある事情により、5人ともその土地を出ることになった。小学校を卒業と同時に、偶然にも5人とも東京に引っ越した。父親が単身赴任で働いているところだったり、両親のどちらかの親が住んでいるところだったりと、引っ越した理由は様々だ。だが、それが原因なのか、5人とも同じ中学校に行くという偶然は叶わなかった。普通に考えると当たり前だ。
お互いに電話番号は交換していたので、連絡は簡単だったが、どこか寂しい気持ちで中学生活を過ごしていた。だが高校生になると、気分は楽だった。割と簡単にお互いのところへ遊びに行けるからだ。
それはさておき、俺たちが田舎に戻る機会は、夏休みか正月の2択になっていた。俺たちは東京も楽しかったが、それ以上に田舎も恋しかったから、不満を抱いていた。だから、受験の束縛と共に「子供」の概念から解放された俺らは、俺らだけの田舎旅行計画を実行したってことだ。
「そういや、田舎を出てもう何年になる?」
新幹線内で弁当を食べながら、5人の中で一番屈強な男、本間倉之助が話題を変えた。倉之助はバスケ部に所属していて、周りからの評価も高い…と思っていたが、本人曰くそうではないらしい。屈強と言っても、5人組の中で屈強、という訳であって、全国的には、平均の少し上だという。部活では何とか頑張って交代要員の1人になれたと言っている。
「大体6年ぐらいだよねー」
倉之助の問いにそう答えたのは、5人の中で一番優秀な男、雪村研。だがこれも倉之助と同様、5人組内で一番なので、全国のトップクラスの頭脳という訳ではない。それでも、そこそこ名の通っている大学に合格しているから、一般的には頭が良いと言える。ちなみに他の奴が「1番の有名大学に行けばいいのに」などと口にした時、研は目を剥いて「あいつらと一緒にするな、あいつらは次元を超えてんだよ」と叫んだことがある。
「もうそんなに経ってんのか、もっと短い感じがするけど」
研の答えに反応した、近川相太は一言で言うならチャラ男である。だがこれも5人組の中でチャラいだけであり、この前調子に乗って秋葉原に1人で遊びに行ったら、自分以上のチャラチャラしてる人達に囲まれて、怯えて逃げ去ったという。相太はチャラいだけで割と中身は臆病だということは、他の4人は既に知っているが、本人は自覚はない。
「あんたは夏休みに行ったからそう感じてるだけでしょ。私達は勉強に勤しんでたんだからね。全く、受験期中に旅行って呑気なもんよね」
そう毒を吐いたのは5人組の紅一点、浦辺捺実だ。5人組唯一の女だが、今まで特にこれと言った恋愛スキャンダルはない。何故なら捺実は博愛主義だからだ。因みに昔、「男達に花火に誘われた」と5人組で花火を見に行った時に暴露し、何故そっちに行かなかったんだと聞くと、「あんたらと一緒の方が楽しいから」と、それが当たり前のような顔で答えたので、残りの4人が勇気を出した男達を、こっそり哀れんだことがある。
「はん!俺は志望校を低く見積もってたから平気なんだよ!」
「それ自慢できることかよ」
相太が何故か威張るのを俺が、─内海誓太が突っ込んだ。この5人組田舎旅行計画を綿密に立てた人物であり、現在も予定の新幹線に乗り遅れることなく、完全に計画通りだ。やはりおしゃべりで時間がかかると踏んで1時間遅く予定した俺は天才だ…おっと、自画自賛はここまでにしておくか。基本、何か計画する時は、俺が他4人の先頭に立ち、時々相談しながら事を進めている。皆からは役割を丸投げされているのではなく、任されているという自覚があるから、俺も自信を持って役割を果たせる。
「へぇ、相太よく受かったなって思ってたけど、低く見積もってたんだ」
「今しれっとバカにされてた気がするんだけど」
研のつぶやきに相太が過敏に反応する。その横で捺実が呆れる。
「バカなのはあんたよ…。もっとこう、チャレンジ精神ってのはないの?」
「仕方ねーだろ。行きたいところが自分のレベルのはるか上か下しかなかったんだから」
こう見えても俺はちゃんと考えてます、と相太が勝手に威張る。
「自分の行きたいところをしっかり考えてるんなら、文句は言えないよな〜」
「こいつはわかってるぜ、なぁ倉之助。そういや、お前はどこに行ったんだ?」
「大学名は言いたくないな…、でも俺はフードデザインに関する学部で選んだ」
屈強な倉之助が、フードデザイン…?筋肉質の倉之助がキャラ弁的なものを作っている光景を不意に想像し、俺は吹き出しそうになる。唐揚げに噛みついていた捺実は間一髪耐えたが、相太は口に含んだお茶を少し吹き出した。
「わっ、汚ねぇ!何やってんだよ!」
「お前が面白いこと言うからだろ〜!」
「普通のことを言ったまでだ!あとフードデザインってのは、お前らが考えてるのとは多分違うぞ!」
倉之助と相太が言い合っている横で、研が不自然に顔を窓側に向けてゴホゴホと言っている。ちょうど食べていたチャーハンが気管に入ったのだろう。真面目なくせに(真面目故にか)研は笑いのツボが浅い。
「でもなんか、倉之助って手先が器用なんじゃなかったっけ?」
「まじかよ捺実!」
「うん。あと裁縫も得意だって言ってたよ」
相太が捺実の発言に驚き、倉之助に顔を向ける。その顔にめんどくさそうに倉之助が答える。
「なんでそんな顔するんだよ。…まぁ裁縫は上手く出来てる方だ。こことか、破れたのを修復してる」
そう言って倉之助が服の袖を見せる。「ここ」と倉之助がなぞって教えるが、目を凝らさないとそれらしい跡が見当たらない。
「すげぇ、全然わからねぇ」
「同じ色の糸を使ってるからな」
「いや多分そんなんじゃない…」
俺が素直に感嘆し、その横で捺実も絶賛する。
「いやすごっ。女子の私より上手いんじゃない?」
「それはお前が半分女子じゃないから」
「ぬぁんだと相太!」
捺実が目を剥いて相太に顔を向ける。相太は口が滑ったようで「やべっ」と呟き、慌てて言い訳をするも、
「気にすんじゃねーよ、自覚してるんだろ?ゴリラって言わないだけ良かったじゃないか」
「既に今言ってんだろうが!」
捺実は、一言で言えば男らしい女性だ。もちろん女としての知識や常識が無いわけではないが、子供の頃から俺たちと崖を登ったりとアクティブなことをしたり、がっつりと肉を食したり等、どこか男らしいところを感じる。昔は活発、というイメージだったが、今はたくましいイメージだ。多分この中で一番頼りになる。本人も男らしいという点は自覚しているが、女性という点を否定されると怒る。
それをわかっていながらも、火に油を注ぐ相太はやはりアホと言うべきか。ちなみに捺実を怒らせる原因は大概相太だ。
オロオロとして怯える相太だが、捺実の方も怒るに怒れない。新幹線内なのであまりうるさくはできないし、いつものラリアットもできない。結果として、
「あっ、おまっ何して!」
「ふん、報復よ。泣いて詫びるがいいわ」
捺実は相太の弁当から唐揚げを掻っ攫って食べた。相太が反撃しようとするも、既に捺実のガードは固い。
「お、お前そんなことしてるからモテねぇんだぞ!」
言い返し方が完全に中学生である。その様子に捺実がハハッ、と笑い、
「実は私もう告白されました〜」
「えっ、嘘っ!?」
「まぁ断っちゃったんだけどねー。誰からもラブレターすら貰ったことのないあんたよりはマシだけど?」
「お、お前なぁ、俺だってそんぐらい」
「じゃあ今年のバレンタイン、チョコ何個貰ったのよ?」
「舐めんな!10個以上貰ったわ!」
「その中で本命は?」
「そ、それはだなぁ…」
口をパクパクさせていた相太だが、やがて力なくこうべを垂れて一言。
「…ゼロ」
途端、研がまた吹き出した。口から飛んだチャーハンのご飯粒をギリギリ手で受け止め、慌てて口に戻す。汚ねぇ。
「うっせぇぞ研!お前だって貰ってねぇんだろ!」
「貰えるはずがないよ。うちは男子校だよ」
相太が逆ギレするも、肩を震わせて研が答えると舌打ちをする。「お前は!」と倉之助を睨むと、なんと「実は付き合ってます」とカミングアウトだ。俺と捺実と研が「嘘〜っ!」と声を揃え、倉之助の青春を応援する中、相太の機嫌はどんどん悪くなる。
「誓太!」
やっぱ回ってきた。俺は逆に相太の顔を見返して答える。
「俺のことはわかってんだろ」
冷静さを取り戻した相太は、瞬く間にバツの悪い顔をし、「すまん」と返した。冷静な時の相太は決して悪いやつじゃない。
「ま、バレンタインに本命が一個混じってたけど」
遊び心でさらっと事実を伝えると、相太の興奮は再燃するどころかさらに鎮火した。「マジで?」と捺実が聞くのを「まじまじ」と俺が答える。
「どうせ…、俺には女の1つも寄りつかないんだ…」
「大丈夫だ相太。俺にはわかるぜ。お前は女運がある」
俺がそう励ますと、捺実が横から「女運ってなんだよ」と突っ込んだ。気にせずに俺は続ける。
「現に今だって、女に好かれてるぞ」
「…はは。本当か?」
「本当だ。それとも信用ならないか?」
俺が逆に聞き返すと、相太はガッツポーズをとって言った。
「誓太が言うんなら間違いねぇぜ!じゃあ俺はこれから青春を取り戻すんだ!」
俺は必要ない嘘をつかない。それをわかっている相太は元気を取り戻したようだ。「単純ねぇ」と捺実がからかう顔をする。研は「取り戻すも何も元々なかったくせに」と毒を吐いてるが、相太には聞こえてないようだ。
俺がこれほどまで信用されているのは、別の理由もあるのだが。
俺は、喜んで弁当をがっつく相太を見ながら、「好かれてる」の意味を理解してるんだろうか、と心の中で呟いてニヤリと笑った。
いつもの空気を取り戻した中、倉之助が俺に聞いてくる。
「結局、その本命は…」
「あ、当然断ったよ」
「全く、うちの連中は情ってやつがないよな。3人も告られてんのに1人しか成就してない。俺だったら逃さないのに…」
相太がそう呟くも、相太と他の3人も、俺が断る理由はわかっているはずだ。
俺は気にせずに弁当の残りを食べ始めた。
新幹線を降り、再び別の電車に乗り継ぐ。長い間乗った後、また乗り換え。もう何回ほど私鉄を降りたり乗ったりしただろう。
「も〜ほんとこれだからクソ田舎は…」
悪態を吐くのはこの中で一番体力がない研。
「新幹線でゴホゴホ咳してるからだ」と、相太。
「お前のせいだぞ」と、研。
既にダラダラと駅構内を歩いている研を、後ろから倉之助が背中を押す。
「ほらほら、あと電車は一本だけだ。耐えろ耐えろ」
「でもその後はバスなんだろ。知ってんだよ、駅から出たら、なっがい階段降りてバス停に行くの」
悪態をつき続ける研をなんとか引きずり、最後の電車に乗る。もう既に外の景色はザ・田舎だ。最後の電車を降りると、周りの自然の密度が一層と濃くなる。朝に都会にいたことを思い出すと、半日以内にこんなにも景色が一変する日本は、どこかおかしいんじゃないかと思ってしまう。
「やっぱ、空気が美味しいわ!マイナスイオンってやつ?」
捺実が深呼吸をして、そう叫んだ。静かな空間に捺実の声が吸い込まれる。
マイナスイオンかどうかは知らないが、空気が美味しいのは本当にそうだと思う。初めて東京に足を踏み入れた時は、ガスの臭いと薬品の味がする水道水、そしてむさ苦しい満員電車など、とにかく田舎に比べて辛かった。
「クッソ、倉之助…、お前デブだったくせに…」
「何年前の話だよ」
疲れ果てた研が恨みを込めた目で倉之助を見上げる。
倉之助は実は以前はデブと呼ばれるほど太っちょだったのだが、高校生になって文化祭に行ってみると、いつの間にか痩せているどころか、筋肉がついていたのだ。本人は「満員電車で痩せたんじゃね」思っているようだが、俺らの中では「身体についた脂肪を動かすために、実は脂肪の下に普通以上の筋肉がついていて、脂肪が取れてからその正体が露わになったのだ」と決めつけている。
体格の話となると、研は昔は一番背が高かったのに、今では一番小さい。全然身長が伸びなかったのである。「なんでだ」といつも嘆いていた研だが、勉強とゲームの両立の為に寝る時間が遅くなってるのなら、それは身長が伸びなくても仕方がないのではないだろうか。両立が完璧なのは褒めるべきだが、限度がある(しかも先にゲームをしてから夜遅くまで勉強をするという姑息な手で、親からの注意を避けている。その上実績もあるので、親は何も言えない)。
研をバスという名の動く箱に押し込んでから30分。ようやく俺らの田舎についた。
「…、やっぱり何も変わらねぇな」
「ほんと、『町』じゃなくて『村』にすべきだよ」
「同感同感」
俺らの田舎・邦雄町「ほうゆうちょう」。
何故にその漢字にしたのかわからないその名前は、やはり邦雄村「ほうゆうむら」にした方がしっくりくるはずだ。
そのような町、…いや村で、僕たちは生まれたのだ。
「ああああ、無理無理無理もう動けなーい」
畳にドタッと倒れこむ研。その横で捺実が座り込んで「畳とか何年振りだろ〜」とはしゃぐ。
「おいコラ!汗まみれのくせに畳に擦り付けるな!」
相太がそう言って研を畳から引き剥がす。「せめて座れ!」とそのままレゴブロックのように研の身体を操作して座らせた。
「今回はお世話になります。どうぞよろしくお願いします」
俺と倉之助で相太の祖父と祖母に挨拶をする。
ここは相太の昔住んでいた実家だ。俺らの中で祖父か祖母が生き残っているのは相太と研だけで、研の祖母が住んでいるのは東京だ。俺の家は他の人に引き取られ、捺実の家は空き家状態なので動物の糞だとかが酷い。研の家はまだマシだが、放置状態には変わりない。唯一生き残っているのは倉之助と相太の家だが、倉之助の家は狭いので、必然的に相太の家となる。今まで家族と行った時は、この町で唯一の宿に泊まっていたのだが、田舎なだけあってお高いのだ。当然、学生の俺らには厳しい金額なので、相太の誘いによって相太の祖父と祖母の家にお邪魔することとなった。
「気にしないで〜。相ちゃんの友達なんだから」
「知り合いが次々と亡くなって、寂しかったところなんじゃ。むしろありがたいからのぅ」
「寂しさに慣れとけよ爺ちゃん婆ちゃん。2人とも不死身なんだから」
部屋の奥から相太が口を挟んだ。割と失礼な発言だが、
「ほっほっほ!わしはまだまだ動ける!相太の寿命が来た時はわしが看取ってやろう!」
といった感じで、孫が来て素直に喜んでいる様子だ。実際、相太の祖父はシワが出ているのにもかかわらず、歩き方は健康そのもので、その様子には舌を巻くばかりだ。
「あらあら、私には無理ですよ。お父さん1人でやっててください」
相太の祖母はそう言うと、相太と研と捺実の方を向いて、「先にお風呂に入っておいで。疲れたでしょう。もう沸かしてあるから」と声をかける。
「よっしゃ俺いちばーん!」
座らせた研をなぎ倒して、相太がすぐさまダッシュするも、
「ダメダメ、あんたの家なんだから、あんたは最後よ」
相太の服の襟首を捺実が捕まえて止めた。「ぐぇっ」と相太が呻く。
「なんだよ!俺の家だから俺が先なんじゃないのかよ!」
「例えそうだとしても、世間の常識はレディーファーストなんだから、どっちにしろ私が先よ。男が先に浸かった汚い湯船に入りたくないし」
「誰がレディーだ」
「誰がボーイよ!」
相太はつくづく学ばない男だ。捺実は今度こそラリアットをぶっ放す。相太はまた「ぐぇっ」と呻いて畳に転がった。
「ほっほっほ。相太は弱いのぅ」
相太の祖父はそう言って笑った。孫の味方じゃないんかい。
「それじゃあ、捺実ちゃんが先で」
「はい。お願いします」
「じゃあ、風呂場の説明するからみんな来てね」
相太の祖母に連れられて、捺実が先に部屋を出ていった。
倉之助が研を脇で抱えながら「汗まみれのくせに畳に擦り付けるなよ」と、伸びている相太に声をかける。
「ああ、痛えな相変わらず…」
もはや祖父母からも味方されなくなった相太は、そうぼやきながらのそのそと立ち上がる。研が倉之助の脇の下で「疲れたぁ…」と呟く。
やれやれ、全くだらしない。俺は捺実に続いて相太の祖母の後に続いた。
捺実が風呂に入っている間、「絶対に部屋から出ないでよね」と言われていたので、しばらく残り4人でトランプでもしていたのだが、ひょんなことから、次のババ抜きの敗者がコンビニに買い物に行くことが決定してしまった。
邦雄町のコンビニはたった一軒である。それも都会とは違い、24時間営業じゃない。ここからコンビニまではかなりの距離があるため、晩ご飯を食べた後では多分閉まってしまう。行くなら今しかないのだ。
だが当然、誰も自分が行くとは言いださない。長旅で疲れた上に、コンビニまでの長い道のりを往復したくないのだ。
よって、公平を期すため、ババ抜きで決めるというわけだ。
正直言って、俺は負けるとは全く思っていなかった。何故なら相太がババ抜きがめっぽう弱いからである。単純な相太は、ジョーカーを持つとすぐに顔に出るのだ。
しかし、ジョーカーが動かないというケースがあることを、俺は考えてなかった。
相太はここでまさかの強運を発揮し、ゲームを手持ちのカードがたった3枚でスタートし、僅か5ターンで1位抜けをしでかしたのだ。
こうなると、残った倉之助と研と俺は、緊張せざるを得ない。相太が今までぶち抜いて弱かったため、お互いの実力を把握できてないからだ。研は何かと心理的な戦術を使っているようでそうでもないような行動をし、倉之助は自慢のポーカーフェイスを保ち、挙げ句の果てにはゲームが終了するまで何も言わないと宣言したくらいだった。そして俺は、研の手持ちを引くので、研のブツブツという言葉を全力で無視して、ひたすら研の表情を読み取って、当てずっぽうで引いていた。
側から見ると、どこかのババ抜き全国大会があったら、こんな雰囲気なんだろうと思わせるほど緊迫した状況に見えるが、実は3人の行動は対して意味がない。そして俺ら3人はそれに気づいていない。
それでも、3人には明確な意思がある。
自分は絶対に負けたくない。疲れた足を今日はもう2度と動かしたくない…!
いつの間にか風呂から上がった捺実がその様子を見ていて、濡れた髪をタオルで拭きながら輝かしい目でこの戦場を見届けていた。
学生だった頃、こんな経験はなかっただろうか。
授業中、例えば数学の授業の時に、黒板に書かれた数式の問題があったとする。
いつもは教科書を見たりすれば解き方はわかる。計算ミスが無ければいつもあっている。そんな自分なのに、その問題だけはわからなかった。
そんな時、先生が指名をして答えを言わせようとするのだ。
当然、自分には当たるな、と願うだろう。間違った事実を認めたくないわけではないが、単に恥をかきたくないだけだからだ。他の人が正解し、自分はその答えを聞いて学んで、テストではその類いの問題で正解する…、それが一番平和ではないか。
だが、この学生世界には次のような法則がある。
自分がしたくないと願えば願うほど、それをする羽目になる確率が高くなる、と。
「ちっくしょう…」
文句を言いながら、俺は坂をのろのろと下っていた。
そう、俺はババ抜きの3分の1の確率に見事に負け、やたらと遠いコンビニへと向かっているのだ。
少し反則的な手を使いながらも、4人から百円ずつ、人件費として請求することは認められたものの、それだけではやはり不公平だと嘆く。
自転車を使いたいところだが、相太の祖父母は自転車を使わないし、相太の小さい頃の自転車は小さすぎて逆に力を奪われそうだった。他の人から借りるのも恐れ多いし、そもそも今下ってる坂を帰りに登る時に、逆に自転車が邪魔になりそうである。
(しかし…)
坂を下りながら、改めて周りの風景を見渡す。
やっぱり、ところどころがほんの少し変わっただけで、特に大きな変化は無いように見受けられる。
(田舎特有…なのかな)
俺らがまだ田舎にいた頃に起きた大きな変化は、2つぐらいしかない。
1つは、今向かっているコンビニ。あれは俺らが中2の時に出来たコンビニで、かの有名なファミリーマートだとかセブンイレブンとかではない、東京では1度も見かけたことのない名前のコンビニだ。それでも俺らにとってはそれは画期的で、しかも値段が都会とさして変わらないのだ。普通運送費がやたらかかって、値段は上がると思うのだが…、会社の粋な計らいだろう。
そしてもう1つ。これはコンビニとは打って変わり、暗い話になる。
坂道がやっと終わり、視界が開けて畑が広がった。だが木々の間を抜け切っても明るさがあまり変わらないことに気づき、日が沈んでるとわかって、俺は歩くスピードを速める。
ここの畑を抜ければ、コンビニはすぐ目の前だ。
俺は前だけを見て、目の前に続く道を歩く。そして、
『それ』は、否応無しに目に入ってくるのだ。
「おう、割と早かったな」
「日が沈んでたからな…もう疲れた。早く入らせろ」
「風呂か?それならまだ研が入ってる」
「遅くね!?何分かかったと思ってんの!
「しょーがねーだろ。こんな久しぶりの長旅。ゆっくり風呂に浸かることぐらい許してくれよ。というわけで、俺と倉之助がダラダラと浸かってました」
「お前は夏に行っただろ!」
部屋には相太だけしかいない。あーもう、と口から漏れ、コンビニで買ってきたものと一緒に疲れ果てた自分の身体をドスンと畳に落とす。
「あ、俺の頼んだガムあるか?」
「自分で取れ」
「あいよ」
風呂にゆっくりと浸かった相太は軽快な足取りで近寄り、袋を漁った。その様子を忌まわしく睨みつける。
「…捺実と倉之助は」
「うちの婆ちゃんと一緒に飯作ってる。倉之助、あいつ家事も出来るんだってよ。かーっ、イケメン過ぎるだろ」
「そりゃ、1人暮らししてればある程度のスキルは身につくだろ」
「そういえばあいつ1人暮らしで彼女持ちだろ…?」
「だからなんだよ」
寝転がっていた相太はガバッと起きて、俺に顔を向けた。
「いくらでも彼女を家に呼びたい放題じゃねぇか!」
「そこかよ」
相太の発想はつくづくくだらない。
「倉之助の性格的に、そんなガツガツはいけないだろ。お前じゃあるまいし」
「なんだよー、あいつもったいないな」
「いや、多分それしたら嫌われる可能性もあるからな。…あ、そうだ」
不意に立ち上がった俺に、相太が不審な目を向ける。
「なんだ?何を思い出した?」
「いや、女で思い出したんだけどさ…」
そう言いつつ、俺は懐に手を突っ込み、
中に隠していたものを掴んだ。
「ちょ…まさかお前、嘘だよな?」
途端に顔を蒼白させる相太。そのまま床を這って後ずさる。心当たりは1つしかないはずだ。
「ところが本当だ。ここにはちょうど俺とお前しかいないし…、好都合だ」
「ち、ちょっと待って、まだ心の準備が…」
ガン、と、相太が背中から何かにぶつかる。部屋のちゃぶ台だ。
「とにかく、だ。お前で間違いないのは確かだ」
「ら、楽にしてくれよな?」
相太の声は上ずってる。その顔に俺は笑いかけた。
「大丈夫。痛みは感じないと思うから」
そして、懐に忍ばせた『アレ』を握りしめたまま、俺は懐から素早く腕を引き抜いた。
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