さよならのはな

青場うみか

第1話

コンコンコン、と軽快な音が響く。

ノックは三回してから入ること、それが一つ目の約束。


「……どうぞ」

どうぞ、という返事を聞いてからドアを開けること、これが二つ目の約束。


「こんにちは」

「……コンニチハ」

部屋に入ったら必ず時間に合った挨拶をすること、これが三つ目の約束。


「元気そうじゃん、果歩」

「そう見える?」

「違うの?」

「元気だったらこんなところにいないんじゃないかなぁ?」

くすくすと笑う彼女・果歩は病衣に身を包み、窓からうんざりするほど青い空を見つめている。

また少し、痩せた気がするのは、気のせいだと信じたい。

果歩は、中学校の卒業式の三日後に自宅で倒れ、救急車で運ばれた。

持病があったなんて聞いたこともないし、身体が弱くて学校を休みがちであったり、体育の授業は見学ばかりしているなんてことも、もちろん聞いたことがない。

何度本人に尋ねても、決して答えずに静かに微笑むだけだった。

「ね、もうすぐ入学式だよね」

「……ん」

「私も行きたかったなぁ……」

「無理、なんだ」

残念ながら、と寂しそうに果歩は花瓶に活けられた花に手を伸ばす。白い百合の花は、果歩の白い肌と長い黒髪によく似合っていると思った。それはもう、美術の教科書に載っている絵画のように。

ぱちりと視線が交わると、果歩はまたくすくすと笑い出した。何がそんなにおかしいのだろうか。

「ね、こっち来て」

手招きされるままに果歩のそばに立つと、そっと手を取られる。そのまま手は先ほどまで果歩に撫でられていた百合の花へ近づいて、触れた。

「果歩……?」

「綺麗でしょ?お母さんが飾ってくれたの」

けれど、と果歩は続ける。

「こんなに綺麗なのにすぐだめになっちゃうんだよね、さみしいよね、そう思わない?」

「そ、だな」

何度も何度も、手が花びらをなぞった。優しく触れているのに、そこからみるみるうちに枯れていってしまいそうだ。

「大切にしてもいつか枯れて、捨てられちゃう」

確かにそうだ。花に限ったことではないけれど、どれだけ大切に、優しく扱っていても、すべてのものには寿命がある、と思う。

「……ひとも、そうなんだよ」

「え……?」

「どれだけ大切に扱われても、優しく扱われても、私はもう、ここから出られないままいなくなる」

何を言いたいのか、一瞬で悟った。嫌だと、嘘だと、そんなことないと叫びたいのに、身体は一つも音を出そうとしてくれない。

果歩は掴んだままだった手をふっと離す。手は、重力のままにだらりと落ちた。

どうしたら、いいのかわからない。

「明日も、くるから」

ようやく絞り出した言葉に、果歩は目を見開いた。

「どうして?だって」

「明日も、明後日も、明々後日も、その次も、来るから」

「……っ」

「ちゃんと三回ノックして、どうぞって言われたら入って、挨拶する。約束、だろ」

再び、果歩の手が触れた。すごく、すごく冷たい手だ。

けれど、それ以上に身体中の血液が冷たく感じる。

「優しいのはいいことだけど、優しすぎるのは罪だと思うよ」

そう言って、目の前の少女は笑う。

もうこの先の道を歩けないのだ、と流した涙が夕陽に照らされて星のように見えた。

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さよならのはな 青場うみか @na_re

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