018 『照間フライト』

 スクールバスが停車し、俺は浮かない顔でバスを降りた。

 昨日は動画を上げる気にはならず、お休みしてしまった。

 気力がなかった。

 自分のメンタルの弱さを痛感した。鋼メンタルは外的要因には強かったみたいだが、内的要因には脆かったらしい。

 おまけに学生証も紛失したらしく、ダブルショックである。再発行にはお金がかかるらしい。

 踏んだり蹴ったりである。


 俺は遅刻して、教室に行く気にはなれず(ノ割と顔を合わせるのが辛い)、駐車場へと向かった。

 姫先輩のレクサスが停まっているかどうか確認するためだ。

 気を紛らわしたかった。何か他の事を考えたかった。頼まれてもないのに、マヨネーズも買ってきた––––自腹で。

 だが、駐車場には黒のレクサスは見当たらなかった。

 そう上手く事が運ばないのは、知っている。


「帰ろうかな」


 そう呟き、踵を返した所で声をかけられた。


「少年、しけった顔だな、ひょっとして乾燥肌か?」


 唐突に声をかけられた。

 今は一番声なんてかけられたくないというのに。

 声のする方に目を向けると、あまりの眩しさに目を細めざるを得なかった。


 輝いていた。

 光っていた。

 反射していた。


 デコが太陽光を反射していた。


 そこにいたのは、「生え際が後退してるんじゃなくて、俺が前進している!」でお馴染みの、俺の憧れたYouTuber、テルさんであった。

 なんで、居るんだ?


 ––––いや、とりあえず一旦冷静になる必要がある。


 俺は憧れのYouTuberに会ったからってお猿さんになってキーキー騒ぐようなファンとは違うのだ。


 落ち着け。

 落ち着け。

 落ち着け。

 落ち着け。

 落ち着け。


「テルさん! 生きてたんですか⁉︎」


 ダメだ、落ち着けなかった! 興奮してしまった!

 こんな所で何やってるんですか、でもなく、握手してくださいでもなく、生きてたんですかである。

 初対面で。

 だって、テルさんは一ヶ月前に「トムクルーズに憧れてラジコン飛行機からぶら下がってみた!」を投稿して以降(トムクルーズは本当に本物の飛行機からぶら下がっていた)、動画を投稿しておらず、世間では死んだと言われていたのだ。

 だからって「生きてたんですか⁉︎」は我ながら、失礼極まりないと思った。

 だが、テルさんはそんな事は思わなかったようで、


「当たり前だ! 俺は死なん!」


 と威張ってから、テルさんは俺の事を見て、何かを思い出したようであった。


「君は––––よくコメントをしてくれていたハルヒ君じゃないか!」


「えっ、あ、はい……そうですけど」


 これまた唐突にそう言われ、俺は動揺を隠しきれずに曖昧な返事を返してしまった。


「君もYouTuberになったそうじゃないか、動画はまだまだだが––––頑張れよ!」


「……えっ、見てくれたんですか?」


「当たり前だろう! コメントでそう言っていたじゃないか」


 テルさんが俺の事を知ってくれていた事に、驚いた。

 確かに毎回コメントはしていた。そりゃするだろ。

 だって、俺の憧れのYouTuberだ。

 目標としているYouTuberだ。

 でも、テルさんの動画は姫先輩程ではないがそれなりに再生されている。

 最近チャンネル登録者も百万人に到達して、今も増え続けている。

 だから、コメント数もかなりの数であり、確かに俺は毎日コメントをしてはいたが、読まれているとは思っても見なかった。

 名前を覚えていて貰えるとは思ってもみなかった。

 YouTuberになった事を知ってもらえているとは、思わなかった。

 確かに俺はコメントで「自分もテルさんに憧れてYouTube初めてました!」と書き込んだ。

 でも、だからって、それを読んでもらえて、覚えて貰っていて、顔を見ただけで、チャンネル名を言って貰えるなんて思わなかった。


「あの、テルさんはコメントを全て読んでるんですか?」


「当たり前だ! ファンあってのYouTuberだからな!」


「………………」


 すごいなぁと素直に感謝してしまった。当たり前の事を言っただけなのかもしれないけれど、当たり前ってのは結構難しい。


 ところで、なんで学校の駐車場なんかにいるんだろう。

 テルさんは確か、四十代後半で妻子持ちだぞ。


「あの、なんで学校に居るんですか? サプライズとかですか?」


「今はそんな事はいい! 君も手が空いているなら手伝ってくれ!」


 テルさんは俺の質問をさらりとかわし、トラックの荷台に積んである大きなセスナ機型のラジコンを指差した。

 もうなんか、嫌な予感しかしない。


「今日こそ、飛んでやるぜ!」


「命が飛びますよ!」


「俺は視聴者が笑ってくれるなら、命をかける!」


「かけ方間違ってますよ!」


「俺がラジコンにぶら下がるから、君が操縦するんだ!」


「命握ってるの俺の方だった⁉︎」


「前回は、自分で操縦して失敗したからな!」


 失敗理由はそこでは無いと思う。

 そもそも、ラジコンで人が飛ぶなんてのは無理だと思う。

 確かに大きなラジコンではあるが、成人男性の平均体重が六十五キロくらいだとして、それをラジコンで持ち上げるのにはどう考えたって不可能がある––––無謀だ。


「絶対無理ですよ、命を大事にしましょうよ……」


「大丈夫だ、付いて来い!」


 テルさんは俺の意見など「御構い無し!」とでも言いたげに突っぱねると、俺にラジコンのコントローラを押し付けてから、ラジコンを抱えてスタスタと歩き出してしまった。

 コントローラを渡された以上、俺も行くしかない。


「あの、どこに行くんですか?」


「プールだ、水の浮力を使う」


「……学校の許可とか取ってるんですか?」


 そもそも、学校に居てはいけない。


「何を言っている、ここは俺の学校だ」


 聞き間違いだろうか、「俺の」と聞こえたぞ。生徒なのか? 留年なのか? 高校三十年生なのか?

 だが、その疑問はテルさんの次の一言で簡単に解けた。


「俺は学長の越谷こしがや照間てるげんだ。知らなかったのか?」


「……知りませんでした」


 驚きの事実を突きつけられ、俺は唖然としてしまった。

 自分の学校の学長がどんな人なのか知らないなんて、結構非常識だったかもしれない。入学式出てないからなぁ。


「まぁ、入学式とかで挨拶もしないから、そりゃそうか……」


 入学式は関係なかったようだ。

 うん?

 学長。

 確か、姫先輩は学長の娘だと言っていた。

 越谷。

 越谷姫花。


「あの、もしかして、姫花さんのお父様でいらっしゃいますでしょうか?」


 敬語が変になってしまった。


「……その物言い、さては姫花の彼氏か⁉︎」


「違いますよ!」


「そうか、ついに姫花にも彼氏が……」


「だから、違いますって!」


「いや、いい。俺には分かる!」


 何が分かるのだろうか。今の所、命投げ出し早とちりおじさんだぞ。


「あの子は、学校にもあまり来ないし、友達も居ないし、人に興味さえ持たないのだが––––いやー、良かった、良かった! これからも姫花と仲良くしてやってくれ!」


「は、はい」


 あまり良くはないが、そう返事をせざるを得なくなってしまった。

 娘を心配する父親なんて、どこにでもいるものだ。

 うちのお父さんも妹には甘いしな。


「さ、着いたぞ、入りたまえ」


 勘違いトークをしているうちに、プールに到着してしまった。

 普通の学校のプールって感じだ。


「あの、本当に飛ぶんですか?」


「当たり前だ! 前回の失敗から俺は学んだ、ダイエットもしたしな!」


 そう言ってテルさんは親指を立ててニカっと笑ってみせた。デコが相変わらず光っている。いい天気である。

 フライト日和なのかもしれない。


「じゃあ、とりあえずラジコンを飛ばしてみろ!」


 俺は手に持っているコントローラに目を落とした。何がなんだか分からない。

 それに、こういうのは難しいって聞いた事がある。

 初心者じゃ出来ないって聞いた事がある。


「あの、俺ラジコンとか飛ばした事がないんですけど」


「心配するな、そん時はそん時だ!」


「ちなみに、このラジコンの値段はいくらくらいなんですか?」


「十万くらいだ」


「無理ですよ!」


「気にするな、壊しても怒らないぞ!」


 気にするに決まっている。ラジコンを見た時に高そうだなとは思ったが、まさかそんなに高いとは思わなかった。

 下が地面ならともかく、初フライトがプールの上なんてどんな罰ゲームだ。

 だが渋る俺に対して、テルさんはある提案をして来た。


「やってくれるのなら、姫花の小さい時の写真を見せてやるぞ」


「やります」


 いや、それはやるしか無いよね。小さい頃の姫先輩ってどんなのなんだろうね。きっと可愛いんだろうなぁ。


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