2話—3 数字の名を冠する獣

 それは一瞬。

 あのドンくさいと名高いSPさんが見せた表情の直後。

 ウチにとっても初めてかも知れない、沙坐愛さざめはんの怒りと……悲しみの入り混じる表情——それに動揺したウチは、一瞬何が起きたか分かりませんでした。


沙坐愛さざめ……はん?」


 遅れてやって来た痺れるほおの痛み——体の変化に気付いたウチは、ようやく自分が沙坐愛さざめはんに引っぱたかれた事に気付いたのです。


「あ、あの……沙坐愛さざめさん!若菜わかなちゃんはお店のために——」


「そうや!何も引っぱたく事はあらへん——」


 ウチを諌めようとしたのか……店内から友人三人が出て来て、確実にを知り得る宗家組二人が庇う様に声を上げ——

 けれどそれよりも早く、ウチを覆ったのはいつもドンくさいと思っていたSPさんのお下げが揺れる御髪……ほのかに香る大人の雰囲気が——瞳に流れる雫と共に包んだのです。


「お嬢様……あなたの力は、れい様から開放を固く禁じられているんですよ!?もし——もしも、その力が暴走したら……一体誰がお嬢様を止めると言うのですか!」


 涙に滲むその声は、怒りと悲しみに震え——

 そしてそれは、この身に宿る力の本質を知る世代の者だからこその言葉と理解するウチも……大きく反論する事も出来ず——


「ちょっと……ちょっとだけや。ウチも力の制御がでけへん様な使い方は——」


「ちょっとでもです!万一それが暴走の引き金になれば……お嬢様はご両親の様に——ルーベンスさんとユニヒさんの様に……もう二度と……——」


 次第に小さくなる声が、否応無しに悲痛を訴えて来て——

 沙坐愛さざめはんの記憶の底に眠る悲劇が、自分の視界を通して見える様で——

 そこに映る悲劇の英雄……ウチのお父様とお母様の悲しい笑顔が——当時幼かった沙坐愛さざめはんへ、ウチ同様に刻まれているのを悟って——


「堪忍な……沙坐愛さざめはん。ほんまに……堪忍な。」


 気が付けば、彼女と同じ様に……双眸へ悲しき雫を湛えていたのでした。


佐坐愛さざめ姉……初めて年上に見えましたっしゅ。やっぱり佐坐愛さざめ姉は年長者にございますっしゅね。」


「神様のサクヤちゃんが言うとアレだけど……そうだね……。」


「——やね……。」


 いつの間にかお店の外に出て来たサクヤちゃんも、優しく桜咲く様な笑顔でウチを見やり……そばに寄り添って来た彼女が、ウチの裾をチョイチョイと引っ張って来ます。


若菜わかなお嬢様……この件はもう終わりにございますっしゅ。ささ、早くおうどんを食さねば……店主様のお手製が冷めてしまいますっしゅ。」


「……うん、そやね。サクヤちゃんおおきに……はよおうどん食べてしまいまひょ。——沙坐愛さざめはんも……——」


「はい……そうですね——私達はまだ注文もしておりませんし……。」


 沙坐愛さざめはんに促しつつ……その瞳をしかと見据えて——


「ウチはもう……迂闊にこの力を振るったりはしまへんよって。沙坐愛さざめはんを——大切なみんなを悲しませる様な事はしませんよって……。」


 目尻の輝きを拭いながら、首肯を返してくれたSPさん——いつもドンくさいと弄っていたのが嘘の様な……素敵な大人の女性の笑顔を見せてくれました。


「さっさとオウドン……?ての、食べてしまうし!ほんと世話が焼けんな、あんたも!」


 態とらしく悪態を付き皆を促すアーエルちゃんも、不器用ながらその場を明るくしようとしてくれ——ウチは本当に恵まれているのだとの実感を、この心に刻みながら店内へと戻ります。


 ——体内へ僅かに生まれた……災厄の因子の綻びもそのままに——



∽∽∽∽∽∽



§§§ とある聖なる書物より §§§


その者は額に666の数字を刻み、最後の審判の日に海上より出でて——

主に属する者と……魔に属する者を相手取り——

世界へと……終末を持たらさん。


§§§     §§§    §§§



「多分、アーエルちゃんは祖国の書物で似た内容を知りえとるやろうけど――それに近しい伝承が、この地球に存在しとってな?ウチのお母様は、悪い科学者さんによって……その獣の力となる元凶を、体内に埋め込まれた――って、れい姉様から聞いとりますえ?」


「いや……若菜わかな、いいんだぞ?無理にそれ話さなくても。何気に重すぎだろその内容は……。」


「その様な出来事が……。若菜わかな様はそんなお母上から生まれたのですね。」


 すでに頂いたおうどんのどんぶりも空になる頃、さりげなくウチの出生でキーとなる両親の話を切り出し――初耳であった異国の素敵なお友達二人が、ウチをいたわる言葉を紡いでくれます。

 いずれは話すべきと考えていたウチ――ハナから覚悟も受け入れる心構えも、備えた上でのカミングアウトです。


「おおきにな?アーエルちゃんにアセリアはん。せやけどウチは大丈夫――辛ろう無い言うたら嘘になるけど、お母様がその因果に立ち向かったんやったら……ウチかて負けてはおれまへんよってな。」


若菜わかなお嬢様……ご立派にございますっしゅ。わらわも応援しますっしゅ。」


「うん……サクヤちゃんも——」


 そのカミングアウトに、只ならぬいたわりを見せてくれるサクヤちゃんは……正にそこは神様——皆とは違う、大局的な視点からの思いが込められていました。

 そんなウチらの会話へ、何となしに入り込む影が——視界の隅へを配し始め……はて?と首を傾げて問いかけます。


「あの……ウチらジュースは頼んでへん思いますけど?これは?」


 するとにこりと笑顔を送ってくれたのは、店主さんの奥さん——首を横に振って、その意図を示してくれました。


「お代はええよ?お嬢様。……これは、勇気ある行動で諭してくれて——その上、私達が作ったおうどんを大切にいただく様促してくれた——」


「それに対するほんのお礼や。ほんまにありがとな、お嬢様。」


「……え、ええんおすか?」


 流石に悪いと思ったウチを制するにこやかな表情が、少しギスギスしていた店内へ——さらには常連客の方々にも浸透して行き——


「お嬢さん凄いな!かっこよかったで!」


「兄さん方も、こんなお嬢さんに注意してもらえて感謝せなあかんで?お嬢さんはホンマに心が優しい感じがするからな。」


「そうそう、これは兄さん方の事まで思ってくれた証拠や!兄さん方も……これを機にまたお店に来てや!」


 最後には、騒動の発端になった輩族さんへまで暖かい言葉の火が飛び火して……既に平謝りするだけの輩族さんも「すんません……。」と繰り返しつつ、おうどんを味わって頂いてくれています。

 その光景を離れた席に陣取ったドンくさいけど、実は素敵なお姉さんである沙坐愛さざめはん——そして機を見てようやく食事にありついた、沙坐愛さざめはんの所へ同席する支える方達。


 そちらからもウチへのお言葉が浴びせられます。


「しばらく対話させて頂き、気付いた事ですが……若菜わかな様は誠に慈愛に溢れ——それでいて義にさえも厚いお方ですね。我が主も、これ程素晴らしきご友人と巡り会えた事……天命と感じました。」


「しゃっ!?シャルージェさん……やめてーな、ウチ恥ずかしいわ。天命やなんて大袈裟おすえ?」


「……いえ、アロンダイト卿はよくご覧になっていらっしゃる。若菜わかなお嬢様の慈愛は、あのとも言われたテセラ様を支えた事でも立証されております。テセラ様がその様に成長したのは一重に——若菜わかなお嬢様がいてこそ……——」


「胸を張っても良いかと思いますよ?お嬢様。」


 畳み掛ける様に褒めちぎる支える方々の言葉で、むず痒さに顔がどんどん火照って行くのを感じたウチは……何だか言葉も出せ無いまま瞳を泳がせてしまいます。

 そして——それを視認した友人達が……ここぞとばかりに弄り始め——


「あ~~若菜わかなちゃん……べた褒め頂いちゃったね~~。そりゃあのテセラちゃんに、負けず劣らず慈愛全開だったからね~~。」


「ウチ、若菜わかなちゃんと……その、王女様だったかいな?テセラさん言う子には、直接会えんかったけど——若菜わかなちゃん級の慈愛に満ち溢れてたって……それ、めちゃ会いたいわ~~。」


「正にわらわも、主に賛成を送りたいところっしゅ。」


「つか、若菜わかな……どうすんだこれ?あんた、めちゃモテてるし?テセラ顔負けだな。」


「……も、も~~!みんなしてメッチや!恥ずかしい言うてるやろ~~!」


 赤面が過ぎた顔から噴出する湯気が……それこそ出来立てなおうどんの様に吹き出て、ウチはとうとう茹で上がってしまったのです。


 そして……そんなウチを、今まで見た事の無い様な素敵な笑顔で見やる沙坐愛さざめはんが——とても暖かい瞳を送ってくれてたのに、茹で上がりながらも視界に捉えたウチは——


 少しだけ……本当の意味で、素敵なSPさんとの距離を縮める事となったのです。

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