ギャル、初めてのエンチャント・ネイル

 こうして、遙香とチョ子の店は、『デコとネイルアートの店』として、再スタートを切ることに。


 看板の効果があったのか、客が入ってきた。


「ごめんください」

 三〇代くらいのご婦人だ。冒険者という風貌ではない。どう見ても貴族だ。

「ネイルアート、というのを試したいのだけれど」


 ただでさえ接客業に慣れてない。いやが上にも緊張する。

 ここまでチキンな心臓だとは思わなかった。


「チョ子、やってみる?」


 こういう客は、親しみやすいチョ子に任せた方がいい。


 なのに、正面に立ったチョ子は、遙香の肩に両手を置いた。

「あのさぁハッカ、ここはハッカのお店でもあるんだよ」

 珍しく、チョ子の眼差しが真剣だ。

 遙香の気の弱さを理解している顔である。

 その上で、突き放しているのだ。

「ハッカなら、できるから。行ってきな」

 チョ子の誘導により、遙香の身体がくるっと一回転した。


 客と対面に。

「いらっしゃいませ」

 口では平静を装っているが、心臓はバクバクだ。


「ネイルアートというのは、ネイルサロンとは違っていて?」

「もちろん、爪のケアもさせていただきます」


 ネイルサロンの歴史は、紀元前と相当古い。

 古代エジプト時代には、爪に着色する文化があったことが、ミイラを調べて判明している。


「では、こちらにおかけください」

 夫人の手を机に置いてもらう。

 学生カバンからニッパー型爪切りと爪ヤスリを出す。


「変わった爪切りね?」

「私たちの故郷でも、値が張る一品ですよ」

 丁寧に爪を切り、ヤスリをかけていく。

 手にマッサージも施した。


「では、お足の方もさせていただきます」

 靴を脱いでもらい、足を揉む。

 馬車に長く座っていたらしく、固くなっていた。

 足にも、手と同じ処置を行う。


「爪に直接お塗りするのと、取り外しが可能な付け爪の二種類ございますが」

「付け爪の方でお願いします」


 カウンターに、夫人は手を差し出した。


「今日は、どのようなご用件でウィートの街へ?」

 婦人の爪に、透明な糊を塗布する。

 ベースの爪を付けるためだ。


 遙香には疑問だった。

 この街に特別なところはあっただろうか。


「かき氷を食べに来たの。オレンジ味がとってもおいしかったわ」


 それは自分たちの提案だ、というのは伏せておく。

 自慢しているようでイヤだから。


「お土産を買って帰ろうと思ったら、新しいお店があるじゃない? だから、思い出に入ってみたの」

 婦人は穏やかな笑みを浮かべる。

 本当に笑顔が素敵な女性だ。

 

 無地の爪を付けたところで、遙香は手が止まってしまう。

 イメージが固まらないのだ。

「どうかなさって?」と、婦人が声をかけてきた。不安げな顔になる。


「いえ」と、平静を装う。「デザインのご希望は?」

 何かヒントが欲しくて、話を振る。


「お任せします」


 一番、対応に困る回答が返ってきた。

 遙香はますます焦る。


「ハッカ、スマイルスマイル!」

 小声で、チョ子が呼びかけてくる。


 鏡には、引きつった笑顔の遙香が写っていた。


「オプションで、エンチャントもなさいますかぁん?」

 声までうわずってしまう。


「是非お願いするわ。私、幸せになりたいの。そんなイメージで」

 なんだか、切実な感情が滲み出ていた。

 どこの世界でも、婚活というのはあるのだろう。


 何かないか。男性が寄ってくる、最高のデザインは。


「姪がね、この店を勧めてくれたのよ」

「姪御さんが?」

「あなた、クマのぬいぐるみを直してくださったんでしょ」


 いつぞやの少女は、彼女の親戚だったのか。


「その節はありがとう。あの子の話を聞いたら、私も子どもが欲しくなって」

 自分のことのように、夫人はうれしさを語る。

 まるで花のように。


 色々な花の映像が頭をよぎった。

 ダメだ。どれもあざとすぎて、幸せとはほど遠い。


 こういうイマジネーションが足りないと、我ながら思う。

 最近見た花は、シロツメクサだった。ハチミツに必要な。


 そういえば、子どもの頃はチョ子とよく河原で遊んだ。

 一面に咲くシロツメクサを編んで、王冠にして……。

 

 ふと、シロツメクサのイメージが、遙香の脳裏をかすめた。

 妖精王の被っていた王冠のイメージが浮かぶ。

 女王のために密を運ぶ蜂たちの姿が。


 そうだ、シロツメクサがいい。

 

 頭が晴れ渡り、気がつけばスラスラと筆が進んでいた。

 時計の針は三〇分以上経過している。

 体感的に数秒しか経っていない気がしたのに。


 妖精王は不注意とはいえ、自分たちをこんなに素敵な場所へ誘ってくれた。

 笑顔が眩しいこのご婦人にも、幸福な出会いをもたらし給え。


 最後のエンチャントは、そんな願いを込めた。


「きれいね。ありがとうございました」

 できあがった付け爪を見て、婦人はうっとりする。


 遙香は無事に、ネイルのお客第一号を送り出した。

 ドアの向こうでは、まだ婦人が自分の指を眺めている。


 その後、ロゼットがやってきた。

 知り合いを複数人連れている。

 彼女らにネイルケアとアートを施して、本日の営業は滞りなく終了した。


 蒸したタオルを目に当て、遙香は椅子でぐったりする。

「こんなに、疲れるものなの? 営業って」

「お疲れさん。ほれ、炭酸」

 タオルを外し、チョ子から瓶を受け取った。


 仕事を終えた後の炭酸が身体に染み渡る。まるで父親みたいだ。


「よかったじゃん。うまくいってさ」


 まだ、手が震えている。初日でここまで緊張するとは。


「チョ子、ありがとう。背中を押してくれて」


 彼女が鼓舞してくれなければ、遙香は立ちすくんでいたかもしれない。


「ハッカの夢だったじゃん。絵を描いて人に楽しんでもらうことがさ」

「いいのかしら、こんなにうまくいって。あんなに勉強したのに、それを何もかもすっ飛ばして、店を持って」

「大丈夫じゃない? 維持できるかどうかを考えれば。ウチらはさ、これからだもん」


 そうだ。

 プロセスを省略しているとはいえ、遙香は動き出した。


 これからは、どう前に進むかを学ぶべきだろう。

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