本編

森の中で出逢った妖精

森の中で出逢った妖精Ⅰ

「グルルルル……」

 鋭い牙から悪臭をまき散らし、まるで目の前の少年を品定めするかのように立ちふさがる一匹の狼。そのすぐ、手を伸ばせば触れる距離、正に絶体絶命。一瞬で命を刈り取られる危機にある少年の名はルイ・グラント。

 先月6歳の誕生日を迎えた少年は今、人生で初めての恐怖に全身が震え、目の前の狼から自身へと向けられる殺気に微動だに出来ずにいた。


 『誰か……、助けて……』 

 心臓が押しつぶされそうな程の殺気にルイ少年は心の中で叫んでいた。

一体どうしてこんな事に――。


 * * *


 王都エリシオンから馬車で5日の距離にある、村人100人程の小さな村。ノエタ村の東側に位置するその森は、村人の中ではそのまま『東の森』と言われており、季節毎に様々な山菜やキノコなど、森の恵みが豊富に実る、村人にとって大変ありがたい森であった。しかし、食物が豊富にあるという事はそれを狙う動物も存在し、『東の森』には野生動物も多く、女、子供には危険な為、狩りが出来ると認められた男性以外は、森の中を横断して流れる川を目印として、超えてはならない事がノエタ村の掟となっていた。

 


 『東の森』の川辺付近、4人の少年が冒険隊と称し列を成して歩いていた。

「おい、お前ら!しっかりついて来いよ!」

 先頭から、身長の割に大きく肥えた体型、栗色の逆立て髪が特徴の、村のガキ大将ダニエルが後方に向けてエラそうな大声をあげる。

「ダニエルくん、少し休憩を……」

 少年の少し後に続くのは、その取り巻きの少年2人、ポールとマウロ。ヒューマンの平均的な容姿をしているからか、ダニエルよりも一回り体が小さい2人は、1つ下の年齢で体力も少ない。その為、肩で息を切らしながらダニエルの後を必死に追っていた。

 更にその後方、少年冒険隊の中で一番小さい体型の少年は、ルイ・グラント。黒い瞳と髪を持ったジルオールに暮らすヒューマンにしては珍しい容姿であり、どこか中性的な雰囲気を持つ少年である。少年の前を歩く2人、ポールとマウロと同い年で今年6歳。その小さい体からは信じられない程の大きな荷物を背負っているが、その顔には疲れの色も一切見られず、足取りも軽かった。

 それもそのはず、ルイ・グラントは、正義感溢れる有名な冒険者ルークと、稀代の天才『魔女』リリアナを母に持つ少年である。幼い頃より、父から剣士になる為のトレーニングを受けており、ヒューマンの少年達とは基礎体力が違って大きな荷物などモノともしない。

 また、いつもニコニコとして、文句ひとつ言わない性格のルイ少年は、ガキ大将ダニエルから本日、冒険の招集がかかった際、指名された荷物持ちも二つ返事で引き受ける程、自己主張が苦手、もとい。引っ込み思案な少年であった。


 (ダニエルくん、いつもより気合が入っているなぁ、本当に川越えなんてするのかな……)

 肩に担いだ大きな荷物紐を握り直し、ルイ少年はこれから向かう先への不安を感じていた。

 川越えはノエタ村に伝わる掟の一つ。認められた男子以外は決して踏み込んではならない。よそ者を例外として、村で生まれた子供には特にしつこく両親から言い聞かせられていた。勿論ルイ少年も、母リリアナからこっぴどく言われ育ってきたのである。


 これまでダニエル冒険隊には様々な冒険に出かけた記録があった。

 人の頭程の大きなカブトムシ、虹色の羽を持つ蝶、足が16本あるクモ、日光を浴びると透明になる鳥、そのどれもが『東の森』で生息する中でも希少とされるものばかり。捕獲をし実績を重ねたことで、村長の息子であるダニエルは村の大人達から褒められ有頂天になっていた。

 全ての捕獲にはルイのサポートがあった為であるが、最終的な捕獲自体はダニエルが行っていた。つまり、いいとこ取りである。そんな些末な事は気にしないダニエル少年は、全て自分の手柄と言わんばかりに村人へ言いまわっていた。

 「さすが村長の息子さんだ」「こんなに希少なものばかりを採取できるなんて」「次期村長間違いない」「神童だ」などと、ダニエルの長い鼻が更に長くなるのも無理はなかったのである。

従って、掟破りの川越えをダニエルが画策するのは時間の問題であったと云えるだろう。


 鼻息を荒くしてダニエルは問う。

 「ふふんっ!お前たち川越えにビビってんじゃねーだろうなっ!」

川越えの掟は、認められた男子しか叶わない。その禁忌が、ダニエルの探検欲を掻き立てた。この村で一番偉い村長の息子である俺はもう、認められるべきだと――。


 「ダニエルくん、やっぱりこの先は危険だよぉ…」

小心者のマウロは既に疲労困憊、両親から禁止されている川越えを行う事を、目前にして否定的な感想を述べる。それもそのはず、マウロの父は村でも珍しい狩猟を生業としており、川越えの危険性は他の子どもたちと比べ、かなり強めにしつけられていたのである。

 父曰く、川を超えると獰猛な動物たちが生息しており、数年前からゴブリンが住んでいる形跡が発見されていると。

 ゴブリンは単体で生息する事は無く、群れを成す。成人男性でもゴブリン1体の討伐は難しく、冒険者ギルドに討伐クエストを申請して冒険者の討伐を待つのが通例である。ノエタ村も既に冒険者ギルドに討伐クエストを申請しているものの、こんな辺境の地にはゴブリン討伐目的だけで訪れる冒険者はいない。また、クエスト報酬を上げようにも村自体が潤っているとはいえず、ギルドのクエスト看板の隅に載って、既に1年が経過していた。


 「そうだよ、ダニエルくん。川越えはまた今度にしようよ…」

川辺付近には大きな岩が重なっており少年たちの足取りもおぼつかない、足を滑らしながらポールも、先程のマウロの意見に同意する。

 「お前たちッ!もう川越えは目の前なんだぞッ!!こんな時に弱気になってどうするッ!!」

顔を赤くしてダニエルは後ろの2人に怒号をまき散らす。その大きな声に川辺に居た鳥たちが一斉に飛び散っていった――。

 その鳥たちの飛んでいくのを目に、やる気の無い表情で、ルイ少年は一人ため息をついていた。


 ダニエルの意見に反対しても決して良い事は無い。過去何度も同じような事はあった、また今回もダニエルの言い分は変わらず川越えをしなければならないんだろう。少年は胸の内で『説得』という選択肢を、はなから捨てていた。仮に、川越えしたことが両親にバレたら大目玉食らうことは間違いはない。けど、ダニエルが言い出したことは止めようがない。こうなったら川越したことがバレずに、何もなく終わって早く帰りたいな。という心持ちであった。

 

「見てみろ!ルイなんて行く気満々だぞ!お前たちだけだからな、そんなにビビってるのはッ!」

 満々ではないけど、と心の中でツッコミを入れつつ黙々と大きな荷物を背負って歩くルイ少年。そのルイ少年の足がふと立ち止まる。冒険隊の歩く先に何やら橋の様な物を視界に捉えたのだ。 

 「ダニエルくん、なにか見えるよ」

 少年たちが位置するより、川の上流部分。森と森を繋ぐ橋のような物を指さしながらルイ少年は言う。

 「でかしたルイッ!!」

 本日一番。機嫌が良くなったダニエルは、ルイの手柄を褒める。反対に残り2人の少年は後方のルイへ「空気を読め」と視線を送った。



 「さぁ行こうぜ!これからが冒険の本番だぜッ!!」

 意気揚々なダニエルを先頭に、足取りの軽い2人と、反対に重い2人の少年冒険隊は橋に向かって歩き出した。


 * * *


 「ここが橋…なのか?…」

 まともな橋とは言えない、丸太とボロボロの紐で、かろうじて繋いでいるだけの吊り橋がそこにはあった。風でギシギシと怪しい音を立てる橋は、雨風に晒されながら耐えてきた年季を感じさせる。ダニエルが足元にある小石を投げると4秒程経ってゴッゴッと、鈍い音がした。

 今にも千切れそうな橋を見て、足がすくんだ少年冒険隊一行は、橋を前にして立ち止まる。内心ビビリながらも隊長としての威厳を保ちたいのか、ふん。と腕を組みながら橋の前、仁王立ちで考え込むダニエル、周りを見回してもこれ以外の橋は無さそうだと考え、しばらくして意を決しつぶやく。

 「おい、マウロ。ちょっと行って来い。」

 ダニエルは自らの保身から子分を先に行かせようと、文字通りマウロをつついた。


 自分が指名されると思っていなかったのか、まさかの生贄に指名されたマウロは怯え、後ずさりしながら答える。

 「えっ…ちょ、ダニエルくん、無理だって……」

 今にも千切れそうな紐で作られた橋。少年達ではなくても普通の神経をしている人間であれば腰が引けて渡れないというのが常人だろう。しかし、この橋には細工がされていた。常人には分からない『魔法』で、見た目はボロボロの橋に強化魔法を施し、通常の橋よりも固い橋へと変えていたのである。この先の森では危険が伴う為、橋の危険さに気づき諦め帰るように、意図して危険な橋に見えるようにしていたのである。その昔、魔法を使える者が、唯一の通行手段である橋に細工を施した――。というのが、渡ることを許された者のみに伝わる情報であった。


 しかし、常人ならざる者が少年冒険隊いた。そう、少年ルイ・グラントである。

 本来であれば『魔法』を感知する為には、魔力感知の技術を習得する必要があるが、ルイ少年は、薄っすらと何かの力が働いていることに気づく。それが『魔法』だとは分からずも、橋に覆うようにしてかけられている力は、『危ないものではない、むしろ安全な力が働いている』と感じ取ることが出来た。


 少年3人がたじろんでいるところ、後方でルイ少年は母親譲りの癖である右の唇を噛みながら考える。

 このまま引き返し、村に帰ったとして、果たしてダニエルが静かになるだろうか…。いや、過去の経験と、今回は特に息を巻いていただけに、村へ帰っても暴れて面倒くさい事になるのが目に見えている。ならば、このまま渡って少し森を探索して帰った方がいいのではないかと――。

 

 「あの…僕がいってみよう…かな?」


 は?と、完全に諦めかけてた3人の少年は、ルイの一言に驚きを隠せず、三者三様の反応を見せる。

 「えっ…ルイ、お前本気か?こんなの絶対落ちるぞ」

 「ハハハ!やっぱり一番下のお前が初めに行くべきだったかッ!ルイわかってるじゃねーか」

 「ルイ…お前ってやつは…」

 最後に言ったのは、先程ダニエルから指名されていたマウロである。半べそをかきつつあった少年は、過去にルイへ行ってきた、ぞんざいな扱いを悔い改め、今にも拝むような眼差しを向けた。


 やっぱり自分が一番下に見られてたんだ。と薄々感じていた事をあっさり聞かされた事で少し残念だったが、どう考えても一番小心者のマウロが行けるはずが無い。今置かれている状況を少しでも進めなければ、村に戻った時ダニエルが駄々をこねる事は明白だった。


 「たぶん、この橋は崩れない、と思う」


 歯切れが悪いものの、しかし、内心確信めいたものがルイ少年にはあった。母リリアナが扱う『魔法』と似ている気配を感じたためである。その抽象的な感覚を言葉にするのは難しく、技術も無いため上手く伝えきれないが、ルイは自分の感覚を確かめてみたい欲求も少し沸いていた―――。


 「よしッ!ルイ!いってこいッ!!」

 一番小柄なものの、巨大で重量もある荷物を抱えているルイが渡れれば間違いなく渡れると踏んだのか、ダニエルは満足げにルイ少年の小さな背中をドンッと叩いた。

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