第17話:ソードボアとの遭遇
「次の目印見えるか?」
「うん、ちょっと待って」
アベルの問いかけに、ミランが目を凝らす。
遠見のスキルがあっても、夜目のスキルまでは会得していない。
レンジャーならばいずれ身に着くスキルではあるが、ミランのレベルは未だ2だ。
そもそも彼等はパーティとしてのランクが低く、ウル達が加入するまで討伐系よりも採取系や護衛系の依頼を多くこなしてきていた。
またミランの弓の技術も低く、なかなか魔物に止めをさせてこなかったこともある。
そういったことで、彼女は全然レベルが上がっていない。
純粋に暗順応と月明りを頼りに、木に付けられた印。
ヒカリゴケによる発光を目印に、道を選ぶ。
時折それだけに集中して、木の根に足を引っかけたりしているが。
頼りないレンジャーである。
「どれだけ先に進んでるんだ?」
午前中に見つけた石の場所から、さらに奥に進んでいる。
小さな石まで倒れているのを見掛けて、ユクト達は何か起きたのではと少し不安になったが。
先に進んでいるはずなのに、一向にウルと合流出来ないことがその不安を一層煽る。
「あれ?」
それから数カ所の目印をやり過ごしたところで、ミランが立ち止まる。
「っと、どうしたの?」
目の前を歩くミランが急に止まったことで、すぐ後ろを歩くユクトが彼女にぶつかりそうになる。
「いや、あそこに目印が見えるけど、一瞬点滅したの」
「点滅?」
「何か居るのか?」
ミランが遠見で辛うじて見える光が、一瞬消えて点いたとのこと。
となると、何かがその前を横切ったか……はたは、ミランの見間違いか。
「警戒していった方が良いか」
「こういうとき、ウルが居ないと厄介だな」
「うう……」
ウルがいたならば、彼の鼻と耳がきっと獲物を捕捉していたことだろう。
だが、いまは彼がいない。
頼りになるレンジャーのミランは低レベルで、散敵能力はそこまで高くはない。
大分森の奥深くまで入り込んでしまっている。
何が出て来てもおかしくはない。
幸いウルの遠吠えのお陰で夜行性の狼系の魔物どころか、他の魔物にも出会っていない。
そのおかげもあって、サクサクとここまで来られたという部分はあるが。
「あれ、ソードボアっぽい……」
「マジか。ちょっといまはまずいな」
「やり過ごせるかな?」
ある程度近付いたところで、ミランが後ろを振り返って首を振る。
彼女の口から出て来た魔物の名前は、ソードボア。
昼に出会って、村に逃げかえることになった相手だ。
「無理かも……鼻を忙しなく動かしてるっぽい」
「見つかったのか?」
「まだ、でも時間の問題」
ミランには大きな角と牙を持った猪が、しきりにこちらの方を何かを探すようにキョロキョロと見ているのが分かる。
「目があった!」
「やばい、逃げろ!」
「どこに?」
「来た道を戻るしかないだろう!」
ミランの発した言葉に、アベルが声をあげる。
ユクトの当然の疑問に対して、アベルが怒鳴るように叫ぶとユクトとミランの手を引っ張って自分の前に押し出す。
「後ろは俺が行く、ユクトは前を走って障害になりそうな枝を払ってくれ」
「私は?」
「ミランはとにかく、ユクトの背中だけ見て追いかけてろ!」
自分だけ役割を与えられないことを不満に言う暇はない。
追い付かれたら、かなりの確率でピンチだ。
「分かった、ついてきて」
「うん!」
「急げって!」
アベルが焦った様子で二人を急かす。
そして、一気に駆け出す。
折角ウル達に近づいているような気がしたのに、こんなところで足止めどころか戻らされる羽目になるとは。
3人とも頭も心もグチャグチャだ。
ソードボアに見つかった恐怖。
ウル達と合流出来ない不安。
未だに見つからないエルナの安否の心配。
全員がネガティブな感情に支配され、動きも精彩を欠く。
当然……
「うわっ!」
「キャッ!」
「つっ! 気を付けろ」
ユクトが斬り損ねた細い枝がしなった反動で跳ね返ってくる。
慌ててミランが避けていたが、すぐ後ろを追いかけるアベルは急に目の前から消えた彼女の頭の代わりに飛んできた枝で胸を軽く叩かれる。
2人より少し背が高くて助かった。
もう少し背が低ければ顔面直撃だ。
幸いプレートメイルの首を覆う部分に当たったため、ダメージは無い。
つい、
「やばい、足音が近づいてる」
「知ってる! 鼻息も聞こえてる」
「もう少し引き付けたらミラン左に跳んで! 僕は右に跳ぶから、アベルは真っすぐ走って」
「なっ! ユクトおまえ、俺を囮にするのか?」
「このままじゃどうせ追い付かれて、最初に飛ばされるのアベルじゃん!」
「そうだけど、おまっ! 囮にされて狙われるのとはちょっとちげーだろ!」
走るだけで精一杯になっているアベルに代わって、ユクトが指示をだす。
アベルにとって、非情な。
流石にたまったもんじゃないと、アベルが不満を露わにする。
がユクトは気にした様子もなく、どっちにしても最初はアベルがやられるなんてのたまう。
「ミランすぐに弓でソードボアを射って! 僕も突くから! でソードボアが足を止めたらアベルも攻撃を加えてよ」
「どっちにしろ、俺が正面担当かよ! って、ちけー!」
そう言いながらも大きくなった足音に、ついアベルが振り返るとソードボアは数m後ろまで迫っている。
「くそっ、お前ら確実に止めろよ!」
「頑張る」
「同じく」
「くそ、頑張るじゃなくてそこは言い切れよ!」
なんとも頼りない仲間たちの返事に、アベルのこめかみに青筋すら浮かんでいる。
いや、これは全力で走っているからか。
「今だ!」
「うん!」
「だあああああああ!」
目の前から2人の姿が消えたことで、アベルが全力で足を動かす。
が、4足で走る猪は、そんなアベルの必死をあざ笑うかのように一気に距離を詰めにかかる。
「くらえ!」
「えいっ!」
幸いにも猪は左右に跳んだ2人を気に掛けるでもなく、アベルだけを一直線に追いかけていくつもりらしい。
無警戒のソードボア目がけて、ミランが矢を放つ。
限界まで引き絞ったそれは、狙いなんか定められていない。
的は大きいのだ、外すなんてことはありえない。
割と至近距離から、猪の頭目がけて矢が音を立てながら迫る。
あわよくば目にと思ったミランの想い虚しく、想定以上の速度が出ていたため矢はソードボアの首と肩の間に突き刺さる。
深く刺さっているように見えるがそれは、冬前の毛足の長い分厚い皮に阻まれて鏃が辛うじてすべて埋まったか程度。
一方、反対側から全力で刺突を放ったユクトの剣はというと。
右耳の後ろを狙ったそれは寸分たがわず、急所を直撃していた。
斬る事に関しては本職のそれに遠く及ばずとも、突く攻撃であれば誰であれそれなりに筋力に準じた威力は出る。
「グモォォォォォ!」
突如自分の耳の辺りから激痛が走ったことで、ソードボアが態勢を崩して地面を滑るように横倒しになる。
「ミラン! 撃って! 撃って! と、アベルも早く攻撃して」
剣をそのまま持って行かれたユクトがミランに指示を飛ばしながら、慌てて自分の剣を抜きに行く。
「うん!」
「ばかっ! ユクト油断するな」
そのユクトに対してアベルが焦った様子で怒鳴りつける。
「えっ?」
アベルとミランの視線の先では、すぐに身体を地面に叩きつけて起き上がったソードボアが勢いよく振り返る。
大きな鋭利な角を、剣のように振り切るように。
「うわっ! ぐっ!」
そして振るわれた角が、丁度耳元の剣の柄に手を伸ばしていたユクトを直撃する。
胸のあたりにぶつかった角は、少しだけ速度を落としたもの振り抜かれユクトを弾き飛ばす。
「ミラン、矢をどんどん撃てって! くそがっ! よくも、ユクトを!」
「でもユクトが!」
一瞬だけユクトに視線を送ったアベルだったが、慌てた様子で背中に背負った長剣を抜きソードボアに向かって行く。
ミランに矢を撃つように、指示を飛ばしながら。
ミランはその指示に対して、ユクトの救助を優先しようとする。
「ばか、ここでソードボアを押し切らないと、確実に殺されるぞ!」
「……もーっ! なんなのよー!」
未だに耳に刺さっている剣のせいで痛みがあるのか、4本の足で地面を叩いて跳び回っている猪目がけてアベルが剣を放ち、ミランもすぐにでもユクトの様子を見たいのにままならない状況に対して、ふつふつと湧き上がる怒りに任せて矢を放っていく。
「ブモォォ!」
何度か周りの木にぶつかりながらも、どうにか剣が抜け落ちた猪が目を真っ赤に血走らせてアベルとミランを睨み付ける。
体中に切り傷と矢を数本生やしたそれは、未だに戦意が衰えている様子はない。
「猪の心臓は……「そんな当たるかも分からない攻撃よりも、ひたすら撃てよ!」
猪が順に視線を動かす。
剣を構えているアベル。
弓を引き絞っているミラン。
そして、遠くで倒れてピクリとも動かないユクト。
さらに視線を戻し、ミランで止まる。
「ひっ!」
「させるかっ、よっ! スキル
この中で一番弱そうだと判断したのだろう。
ミランに突っ込んでいくソードボア。
彼女は恐怖に顔を引きつらせ、つい弓の弦から手を離す。
と同時にソードボアの前足に向かって、地面を滑るように近づきスキルを発動させるアベル。
たまたまか、ミランの矢は吸い込まれるようにソードボアの眉間に向かって行き、それを顔を逸らして躱そうとした猪の左目に深々と突き刺さる。
と同時に猪の右前足にカウンター気味に振り抜かれた剣が、太ももを三分の一くらい斬り割く。
流石にこれだけの攻撃ともなれば、猪も立っていられない。
突如支えを失った右斜め前に頭から突っ込んで倒れる。
「やった?」
「だから、ミランはとにかく完全にそいつが動かなくなるまで矢を射れって! 相当格上の相手なんだぞ!」
「えっ? うん」
言いながらもアベルは右前足にさらに一撃加えて、足を斬り飛ばす。
「ブモォォォォォ!」
「キャアアアア!」
あまりの激痛に猪がその場で暴れ始める。
それを見たミランは悲鳴をあげながら、倒れた猪に向かって少し離れた位置から矢を放ち続ける。
狙いなんかなく、連射を優先し……
「矢が尽きた」
「分かった、こっちは任せてユクトを見て来てくれ」
全ての矢を撃ち切ったため、ユクトの方へと駆け寄っていくミラン。
その顔は不安と恐怖で、真っ青だ。
そして、おそるおそるユクトを抱きかかえる。
「ユクト?」
皮鎧の胸の部分はぱっくりと割れていたが、幸いにも血は出ていない。
皮膚にまでは届いていなかったようだ。
それでも、ピクリともしないユクトに不安そうにミランが顔を引きつらせる。
「クソが、しぶてーんだよ!」
アベルは倒れた猪を滅多打ちにして止めを刺すと、完全に動かなくなったのを確認して剣を杖代わりにして肩で息をする。
そして軽く呼吸を整えて、ミランとユクトの元へと向かう。
「ミラン?」
「ユクト……起きないんだけど?」
「えっ?」
ミランの言葉に最悪の事態をイメージしたが、慌ててユクトに目をやると胸がかろうじて上下していることで生きていることだけは分かった。
「おいっ、ユクト! 起きろ!」
「うっ……うーん」
それから初級ポーションを取りあえず半分胸に振りかけて、残りを強引に口の中に流し込む。
そこまでされて、ようやくユクトが声を出す。
2人がホッと、安堵の表情を浮かべた。
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