第9話:とある母子の話

 マシュー村がようやく村としての形を成してきたころの話だ。

 村に亭主を若くして亡くした、一人の女性が住んでいた。

 彼女は夫の置き土産で生き写しの息子を、とても大事に育てていた。

 彼女の職業適性は幸いにも農家だったため、畑を耕してなんとか生計を立てることが出来ていた。

 また、藁を編んだりして身の回りの物を作る事も出来たので、それなりに近所でも母一人子一人のこの親子は受け入れられた。


 暫くは何も問題無く生活を送っていたのだが、あるときそんな安穏とした暮らしに影が差す。


「ゴホッゴホッ」

「大丈夫か、かあちゃ?」

「やだよ、この季節に風邪かね」


 畑から帰って来て食事を済ませて床に入ったのだが、夜中に咳で目を覚ます。

 一緒に寝ていた息子が、母親の咳こんだ音に気付いて目を覚ます。

 

「大丈夫だよ、明日ゆっくりしてればよくなるさね」

「本当? 無理しちゃ駄目だよ?」


 自分の背中を一生懸命さする息子を心配させまいと、母は笑顔で力こぶを作って見せる。

 この時は自身も、少し寝てれば治るだろうくらいの感覚だった。 

 事実1日休めば、何の問題も無く普通に咳は収まった。


 しばらくして、そんなことも忘れた頃に酷く身体が重く感じる。

 そして、やはり夜中に咳が出る。


「かあちゃ?」

「ん? なんだろうね。寝てれば治ると思うけど」


 時々咳が出て寝込むこともあったが、そんなに大事なこととは思わずに1年が経つ。

 子供は9歳になり、畑に出て母親の仕事も手伝えるようになった。

 そのころから母親の寝込む回数も増えて来た。

 

 流石にこれはおかしいと男の子も思い始め、村にただ1人居た祈祷師の男性を頼って母親の症状を伝える。


「なるほど……」


 男は水晶を覗きながら、色々と唸ったり黙り込んだりする。

 それから、大きく頷くと男の子に言葉を告げる。


「ジル。お前の母は、ここの風土が合わなかったらしい」

「えっ?」

「元々他所から嫁いできた女だ、土地との相性が悪かったのだろう」


 祈祷師の男の言葉に、子供が首を傾げる。


「ここに居る限り、母親の病は重くなる。治る事は無い」

「そ……そんな! かあちゃと俺に出てけっての?」

「まあ、慌てるな」


 泣きそうな表情で見つめてくる子供に、男は手を前に出して落ち着くように促す。

 それから地面に広げてある布の上で、綺麗な石をいくつか転がす。

 石が止まった場所の中心に香炉を置くと、細長い棒状のお香を焚いて煙の行方を見る。


「うむ、メソドの大森林の東よりの場所に、綺麗な泉がある。そこの泉はこの土地の穢れを浄化する力がある」

「うん」

「その水を、母に与えれば病状は良くなるし、この土地との相性もよくなるであろう」

「じゃあ!」

「が……お主では、とてもじゃないが辿り着けまい」

「そ……そんな」


 ようやく見えた光明であったが、それはとても小さく弱々しい光のようだった。

 手繰り寄せることも敵わない、ただ指をくわえて眺めているだけの希望を希望とはいわない。

 男の子は色々と逡巡していたが、男の再三の説得に自分で行くことは諦めることにした。

 誰か腕に自信のある人に頼むべきなのだが、払うものもない。


 母親が大事にしていた畑を手放すということは、母親が助かったとしてもその後の生活が成り立たない。

 母と畑のどちらが大事かと問われれば、それは当然母なのだが。

 畑を失うくらいなら売って、母と一緒に土地を変わった方が良い気さえしてくる。


 体調を崩しながらも元気な時は楽しそうに自分と一緒になって、畑仕事に勤しむ母親に祈祷師の言葉を正直に伝えることも出来ず、悪戯に時間ばかりが過ぎていく。


「ゴホッ! ゴホッ!」

「かあちゃ!」

「だいじょ……ゴホッ!」


 それでも時間は待ってくれない。

 どちらも相手を思いやって、そして誤魔化す事も出来なくなったとき男の子は決意を秘めた表情で家を飛び出す。


「ジル?」


 暫くしてようやく落ち着いた母親は、自分の子供が居なくなっていることに気付いた。


「ジルが……ジルが……ゴホッ! ゴホッ」

「オーリアさん?」

「そ……村長、息子を……息子を見ませんでしたか?」


 日がすっかり落ちてしまった状態で、外に出ているオーリアを見つけた老齢の男性が駆け寄る。

 夜の巡回をしていた、この村の村長だった。


「いや……ジル君がどうしたんだい?」

「いえ、気が付いたらどこにもいなくて」

「なんだって?」


 それから、村長の呼びかけで村中の男性が集められた。

 祈祷師の男もその場にいたが、ジルと話した内容について誰にも言わなかった。

 言えば、自分が責められると思ったのか。


「大丈夫、ジル君はきっと見つかりますよ」


 そんなことを言いながら慰めつつオーリアに肩をかしているのは、罪悪感からなのか。

 結局村の周辺を探したがジルは見つからなかった。


「いや、ジルはどこ? ジル! ジルー! ゴホッ! ゴホッ! ウゥ……ジル……」


 泣き叫ぶオーリアをどうにか宥めながら、一度は解散をする。

 ただ彼女がどうにも落ち着かないので、村長の家で村人達が交代で見張ることになった。

 泣き疲れたオーリアが意識を失くすように、眠りにつくまで。


「森の奥に向かって、子供の足跡が」

「ジルか?」

「いや、分かりませんが」


 翌朝早くに村長のもとに、狩人の男性から報告がある。

 そしてガタという、物音が奥から聞こえる。


「ジルが森に……行かないと」

「オーリアさん、寝てないとだめだ」

「待ってる……ジルが、私を待ってる」


 焦点の合わない目で、押さえようと彼女の肩を掴んでいた村長の手を振りほどくと、裸足のまま家から飛び出す。


「オーリアさん!」

「駄目だ!」


 狩人の男性と村長にすぐに捕まったオーリアは、獣のように唸りながら天に向かって慟哭をあげた。

 

「分かりました。取りあえず今日のところは家に帰ります」

「今のあんたを1人にはしておけん」

「大丈夫ですよ……それにご飯の支度をしないと。あの子がお腹を空かせて帰ってくるかもしれませんし」


 何がおかしいのか、ケタケタと笑いながら裸足で家に向かおうとするオーリアに、流石に村長も不気味なものを感じたのかそれ以上押しとどめることが出来なかった。


 そして……数日後に彼女も村から忽然と姿を消した。

 勿論、村の皆はどこに行ったか分かっていた。

 分かっていたが、息子を亡くし気が触れてしまった彼女を、どうにかしようとするような人は誰も居なかった。

 おかしくなって仕事もしなくなった彼女は、村にとって厄介者になりつつあったのだ。

 完全に嫌われる前に姿を消したことに、幾人かの村人はホッとしたような表情すら浮かべていた。


 それから暫くして森の中を小さな鬼火が飛んでいるのが、目撃されるようになる。

 さらには、森の奥から女性のすすり泣く声と。

 村人たちは心当たりがあったが、どうすることも出来ずにただただ困っていた。


 こんな時に彼等が頼りにするのは、祈祷師の男だった。

 珍しくあまり乗り気じゃない男をどうにか説得して、森の入り口で鎮魂の儀を執り行って貰う。

 墓石代わりの大きな岩と、少し小さな岩を並べて呪いを唱える。

 儀式の終わりに、花を墓石の前に供えようとした祈祷師の男が森に目を向けて固まる。

 

「ひいっ!」


 そして小さく悲鳴をあげて、青い顔で森から村に向かって飛び出す。

 慌てた様子の男に対して、村人たちが不安そうな表情を浮かべている。

 後ろを振り返った男は、そのまま空を見上げて溜息を吐くと大きく頷く。


「これで大丈夫だと思う」


 彼は鎮魂の儀の終わりに、ある言葉を聞いていた。


「お前が、あの子を隠したのか……」


 ただ男の言葉通りそれから村では鬼火を見る事も、女性のすすり泣く声も聞こえなくなった。

 ようやく、この痛ましい出来事に終止符が打たれたことで、村人たちも日常を取り戻していった。

 

 ただ1人を除いて。


『お前が、あの子を隠したのか……』


 怨嗟の籠ったその声は、いつまでも男の耳に残り……

 やがて、男は自分で自分の耳を木の枝で貫いて塞いだ。

 それでも聞こえてくるその言葉に、最後には男も発狂して自らの家に火を放ちこの世を去った。


 

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