第6話:イリスの丘で
「さてと、ここからは気を引き締めていかないと」
「そうだね、えっと隊列はいつも通り?」
「ん」
食事を終えた一行が、出発の前に軽く打ち合わせをする。
ユクトの気合の入った言葉を聞いたミランが、取り敢えず確認をする。
それに対してリーダーのアベルではなく、ウルが力強く頷いて答えた。
「よし、じゃあ準備しよう」
「エルナ」
「ウォーター!」
火の始末をエルナに頼むと、それぞれが武器の点検をして位置につく。
「じゃあ、ケビンさんは私の後ろで。時折上空を見ても貰えると助かります」
「はいっ!」
一番前に位置取ったミランに真剣な目で頼まれたケビンは、若干緊張気味だ。
やはり商人からすれば魔物は、命を奪われかねない危険な生き物なのだ。
それに護衛対象とはいえ、目視での警戒くらいは出来る。
何もせずにぽやっと守られているよりは、生存の確立を上げるためにできることならなんでもした方が良い。
一行の先頭を歩くのは遠見のスキルと、遠距離攻撃のあるミラン。
時折スキルを使いながら、前方を広く警戒する役割だ。
殿はウルで、超嗅覚と、超聴覚を使って幅広い範囲で目に頼らない散敵を行う。
荷馬車の両横はユクトとアベルが固めて、どこから襲われても即座に対応できるようミランとウルに神経を向けつつ進む。
そして真ん中でエルナが守られるように移動するのが、いつもの陣形だ。
時と場合によっては形を変えるが、道が広い時の定番スタイル。
今回はケビンと荷馬車があるので、それを中央に置いて上にエルナが乗っている。
この丘さえ越えてしまえば、あとはまた障害物の少ない平坦な道が続く。
そう、ここがメイルの村までの道のりで、唯一の危険な場所だ。
進み始めて20分程は特に何もなかったのだが、丘を登りに差し掛かったところで後方を歩くウルに反応がある。
「グゥ」
ウルが小さく唸った瞬間、ユクトとアベルが腰につけた鞘に左手を掛け周囲を警戒する。
ピンと立てられて、方向を変えながら周囲の音を拾っていたウルの耳が、斜め前方に向けて固定されヒクヒクと何かを探るように小刻みに動く。
「風下からグレイウルフの群れ、6……いや7頭」
「っ!」
ウルの言葉を聞いたケビンがつい漏れそうになった悲鳴を押さえ、言われた方向に視線を向ける。
だが、そこにはまだ何も見えない。
人の目では分からない情報を察知できるのが、狼人のウルの強みだ。
風上にいるため匂いでの判断は難しいが、耳だけで相手の数をほぼ正確に把握する。
「距離は?」
「300m……一直線に向かって来ている」
アベルの問いかけに、ウルが自信をもって答える。
なだらかな斜面と、あちらこちらに転がっている大きめの岩のせいで相手の姿は見えないが、彼が間違えることはない。
「よしっ、ミラン遠見で前方に集中しろ、来たら先頭の一匹に一発見舞ってやれ」
「う……うん」
アベルに言われたミランが、弓を構えて矢を番えた。
弦はまだひかない。
その表情は少し強張っている。
冒険者になって1年以上経つが、戦闘というのはなかなか慣れないらしい。
「確実に当てられる距離まで引き付けて、射ったらすぐにさがれ」
「うん」
「ユクトとウルは相手の動きに合わせて、迎え撃ってくれ。ユクトが右、ウルが左を頼む」
「ん」
「分かった」
アベルの指示に合わせて、ユクトとウルもそれぞれが武器を構える。
無骨ながらも立派な鉄の剣と、使い込まれた鉄の斧だ。
「エルナは馬車から降りてミランと後方支援! ミランの言う事をよくきいて」
「わかった! しえんする!」
「了解。エルナ杖を握って」
「うん!」
アベルの言葉にエルナが本人としては、キリッとしているつもりの表情を浮かべる。
眉を寄せて、目を吊り上げているが……何か違う。
まるでにらめっこでもしているような表情。
一生懸命さが可愛いらしいから、あえて誰も指摘しないが。
そしてその表情のまま、ウルに抱きかかえられて馬車から降ろされている姿はやっぱりしまらない。
「ウルが匂いと音を拾ってくれますが、一応ケビンさんも後ろを見ていてくれると助かります」
「ひゃいっ!」
まさか自分にまで指示がくると思っていなかったのか、返事が裏返ってしまったがすぐに後ろに視線を送る。
視線の先にはいま来た道が見えるだけだ。
それでも真剣にチラチラと何度も振り返って見ているあたり、真面目な性格のだろう。
「見える」
「来た!」
ウルとミランが同時に声を出す。
2人ははっきりと見えているが、他の4人からすればまだ豆粒のようにしか見えない距離だ。
「よーし」
気合を入れて弦を引くが、若干緊張気味のミラン。
レンジャーとはいえレベルの低い彼女の命中精度は、そこまで高くない。
慎重に、確実に当てられる距離まで引き付ける。
「グルゥゥゥゥ!」
「ガアッ!」
相手もこちらを視界に捉えたからか、速度をさらに上げて唸り声をあげて距離を縮めてくる。
敵はグレイウルフの群れ7頭。
体長1m50cm程の灰色の狼だ。
一般的に小柄とは言い難いが、それでも狼の魔物の中では小柄な方に位置する。
ある程度の準備と人数で当たれば、戦闘職なら初心者でもどうにか出来る程度の強さ。
が、そこはやはり狼。
一般人が襲われれば、ひとたまりもない。
弦を目いっぱい引き絞って、ある程度近付いたところで先頭の1頭に狙いを定める。
両目でしっかりと標的を合わせ、さらに6秒ほど経過したところで10mまで差し迫った狼の眉間目がけて矢を放つ。
「キャンッ!」
真っすぐと飛んでいった矢は、狙いとは少しずれたものの狼の右目を貫く。
弾かれたように体勢を崩した1頭が、地面を滑るように横倒しになったため群れの隊列のバランスが崩れる。
「やった!」
「喜んでないで、崩れた右側から後ろに下がれ!」
「あっ、うん」
小さくガッツポーズをしたミランに、すぐにアベルが指示を飛ばす。
彼女は慌てた様子で、アベルの横を通ってエルナの傍に移動する。
「おらっ!」
「キャイン!」
背中を向けたミランに反応した1頭目がけて、間に入るように飛び込んだアベルが腰のナイフを抜いて切りつける。
彼は素早い敵が相手の時は背中の長剣ではなく、基本的に腰のナイフで対応を行っているのだ。
アベルを躱そうと向きを変えようとした狼に、さらに一足飛びで突っ込むと下から喉を切り上げる。
力任せに振り抜いたナイフは、首を半分ほど切ったところで狼を弾き飛ばした。
「っと!」
仲間がやられたことな気にせずに攻撃を終えて無防備なアベルに対して、3頭の狼がまとめて飛び掛かるが、焦ることなく後ろに飛び退きながら突出している先頭の1頭の鼻先を斬りつける。
「キャン!」
傷は浅いが、斬られた狼が痛みで失速する。
「ミラン」
「うん!」
そこにミランの矢が放たれて、首に突き刺さる。
これだけでは致命打にならなかったが、すぐに2発目の矢が放たれ今度こそ眉間に突き立った。
「やった」
「だから、いちいち喜ぶなって」
また、嬉しそうに声をあげたミランをアベルが呆れた様子で注意する。
その間にも、すでに他の2頭にはユクトとウルが当たっている。
ウルは食らいつこうとしてきた狼の首を左手で横から掴んで地面に叩きつけると、そのまま右手に持った斧で首を斬り飛ばす。
ユクトは大きく開かれた口目がけて短剣を突き出して、喉を内側から突く。
「グゥッ」
グレイウルフは苦しそうな呻き声をあげて、後ろに少し押し戻される。
なんとか着地はしたものの口から血を流し、少し戸惑った様子を見せている。
ユクトはそのグレイウルフの顎先を蹴り上げると、喉を真一文字に切り裂く。
「ガハッ」
喉を切り裂かれた狼は口から大量の血を吐き出して、ヨタヨタと数歩進むと横倒しに倒れた。
「アベル!」
「分かってる、ウル」
「ん」
ミランに声を掛けられたアベルが、ウルを呼ぶと凄い速さで彼がアベルの横に並ぶ。
2頭の狼を相手にやりあっていたアベルだが、1頭をウルに任せると残るもう1頭を即座に切り伏せる。
最後の1頭はウルに横っ面を殴り飛ばされ、地面をバウンドしている。
「エルナ! あそこ!」
「うん! ファイア!」
その狼をミランが指さして、目まぐるしく変化する戦況を睨むように見ていたエルナに指示を出す。
そして、吹き飛ばされた狼目がけて火の魔法を放つ。
「あっ!」
「うわっと」
放物線を描くように飛んでいった火の球は、火の粉をまき散らしながらグレイウルフに着弾し、毛皮に燃え移って激しく燃え上がる。
途中で火の粉がアベルに掛かっていたが、慌てて手で払ったので特に問題は無かった。
「エルナぁ……」
「ごめんなさい」
アベルにジトっとした目を向けられたエルナがシュンとなっているが。
「でも、まあよくやった!」
「うん」
わざとじゃないことが分かっているので、彼は一つ溜息をついてすぐに親指を立てて褒める。
ぱあっと華やいだような笑みを浮かべるエルナに、肩をすくめつつも笑顔で応える。
アベルも大概エルナに甘い。
「あー取り敢えず、ユクトと俺が喉を切った2匹は完璧だな」
狼の死体を1頭ずつ確認したアベルが、自分とユクトが仕留めた狼を指さして満足そうに頷く。
彼のいう完璧というのは、素材のことだ。
少し血で汚れてしまったが、目立った外傷が喉だけだったので全身の皮が綺麗に剥げるからだ。
ウルの仕留めた1頭も首が斬れているが、まあ売れないことはない。
ミランの仕留めたのも、穴は開いているが首からは下は無事だ。
ただ、エルナの火で焼かれた1頭はどうしようもないが。
まあ、仕方がない。
それに爪や牙も素材として売れるので、7頭分ともなるとそれなりの金額にはなるだろう。
「いやはや、お見事ですね」
彼等の戦闘の様子を見ていたケビンが、驚いた様子で声を掛けてくる。
「途中から全然後ろ見てなかったですよね」
「あはは……」
が、見ていたというより、見入ってしまって後方の警戒がおろそかになっていたことはアベルにバレバレだった。
「大丈夫ですよ、ウルも僕も確認してましたので」
「面目ない」
ユクトが庇うが、自分の役割を忘れてすっかり戦闘に夢中になっていたケビンさんが少し小さくなってしまっていた。
エルナ以外の全員が素材の剥ぎ取りが出来るので、手早く解体していくとエルナにウォーターの魔法で水を出して貰って簡単に洗う。
「もう来たぜ」
「本当に鼻がいいよね」
地面を影が飛び交っているのを見て、上空を見上げたアベルとユクトが呆れたように首を竦めた。
彼等の視線の先には皮を剥いだ狼の肉を狙って、スカベンジャーホークが数匹ほど集まって来て上空を旋回しているのが見える。
小さな動物や魔物を襲う事はあるが、基本的には屍肉を漁る臆病な魔物だ。
狼の群れをあっさりと倒してしまうような集団には、間違っても襲い掛かって来ない。
唯一エルナだけが攫われる可能性があったが、ウルが睨みを利かせているので近付こうともしてこない。
ユクト達は先ほど出して貰ったエルナの水の残りで、剣や斧に付いた血脂を流すと布でサッと拭いて鞘に納める。
ミランも無事な矢は回収して、綺麗に洗って矢筒に戻している。
「さあ、余計な時間を食ったが、早く行こう」
「日が暮れるまでにメイルの村につきたいよね」
隊列を組みなおして、その場を離れる一行。
その中心では興奮したケビンが皆の戦いやエルナの魔法を褒めていて、エルナが嬉しそうに胸を張っていた。
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