第2話:事前準備 ミランとエルナ

「いいにおい」

「駄目だよエルナ。これから、次の冒険に必要なものを買い足しに行くんだから」


 ポポスの街の目抜き通り、主な商店や屋台の立ち並ぶ道を歩きながらあっちにフラフラ、こっちにフラフラしそうになるエルナの手をミランがしっかりと握る。

 生きてきた年数こそ大差ないものの、エルフの成長は人のそれよりも遅い。

 精神年齢も、見た目に寄ったものであることが多い。

 たまに早熟な子供のエルフも居るが、基本的には見たままで考えて問題無い。

 

 エルナの見た目は5歳、まだまだ落ち着きのない年齢だ。

 握った手も幼児特有のプニプニと柔らかくなめらかな肌触りで、ミランもほっこりとした気分になる。

 いつまでも握っていたいと思える手の感触を楽しんでいると、また引っ張られそうになる。


「あれ! あれなに?」

「ああ、あれは大道芸の人かな? 見たことない人だね」


 この街に1年近くいると、割と顔見知りは多くなる。

 が、街から街へと移動する旅芸人などは、ときおりこうやって真新しい芸を仕入れてきた人が来るのでつられて足を止めそうになる。

 

「面白そうだけど、買い物が先! 終わって時間があったら見てみよっか? まだ、やってるかは分からないけど」

「うん!」


 エルナを手元に引き寄せて軽く注意したあとに、付け加える。

 彼女がキラキラとした目で見上げてきたので、つい頭を優しく撫でる。

 薄緑色の柔らかい髪質で、指通りも滑らかでこれがまた心地よい。


「おやおや、エルナちゃん! 元気だったかい?」

 

 馴染みの道具屋に入ると、店番の老婆がニコニコとした表情でエルナに話しかけてくる。


「おお、ばあさんや、エルナちゃんが来たのかい? こっちにおいで、美味しいお菓子をあげよう」


 すぐに奥から店主が顔を覗けて、店先へと出迎えにくる。

 エルナがすがるようにミランを見上げてきたので、困ったような表情を浮かべつつも笑顔で頷くと手をパッと放して店主の方へと駆け寄っていった。

 

「あまり甘やかさないでくださいと言いたいところですが……あの顔を見たら、何も言えないですね」

「ほんに、素直で可愛い子だよ。エルフの子だから、まだまだずっと可愛いんだろうね」


 振りほどかれた手で所在無さげに指遊びをしながら、店主に手を引かれて奥にいくエルナを見送ると、横で老婆も大きく頷いている。


「冒険者用の道具屋に子供が来ることなんて無いからね。あの子と居ると、私達も若返るような気がしてね。私達にとっても良い事なんだよう?」

「そう言って貰えると、幾分か気が楽になります」

「そうかいそうかい、私も奥でエルナちゃんとお喋りしてくるから、好きに見ておいで。他にお客さんが来たら教えてくれるかい」

「はい、頂いたお菓子の代わりに、買い物がてら店番もさせてもらいます」


 こうやって老夫婦がエルナの相手をしてくれるので、ミランもゆっくりと店の中が見て回れる。

 最初の頃はそんな不用心なと難色を示していたが、エルナちゃんに顔向けできなくなるようなことはしないだろう? と言われてしまっては仕方がない。

 老夫婦も甘いが、ミランも存外エルナには甘いのだ。


「うーん、カンテラの油は少し心もとないかな……でも、あまり夜に出歩いたりはしないだろうし。最悪、現地で松明でも作れば」


 この世界、ガラスを使われたカンテラは高級品だが、奮発してパーティ用に1つ買ってある。

 夜を外で過ごすときははテントでの明り取りに使われる。

 見張りは、焚火の光があるから必要無い。

 テントの中でカンテラの灯りで、旅の記録や出納帳を書くことに憧れを抱いていたミランの希望だったが。

 普段、無駄遣いを咎められているアベルがここぞとばかりに揶揄うように悩む素振りをみせたが、ユクトとウルが便利だしと後押ししたため認めざるを得なかった。


 意外かどうかは別としてアベルは年長者であるウルに対しては、敬意をしっかりと払っている。

 基本的に相槌しか打たないウルに、なにかと相談するくらいには頼りにもしている。

 相談の時にウルが淹れてくれる、美味しいお茶が目的ではないはずだ。

 たぶん。


「端切れはいくらあっても問題ないし」


 端切れは約20cm四方のものが10枚で、200エンラ。

 いつも食堂で食べるランチが100エンラだから、端切れにしては高い。

 布自体がそこまで安価ではないから、当然といえば当然だが。

 端切れの使い道はいくらでもある。

 木の枝に巻いて油を染み込ませば、簡易の松明が作れるし。

 傷に巻く包帯代わりにも、物を包む風呂敷代わりにもなる。

 つなげてロープ代わりに……するくらいなら、ロープを買って持ち歩いた方が合理的だが。

 

「ロープはまだまだ使えるし、一応野営の可能性も入れて魔物除けの薬も買わないと」


 これは焚火に入れると魔物が嫌う匂いの煙を発する、球状に練られた磨り潰された草だったりする。

 そして、この匂いが苦手なのは魔物だけではなく、獣人にとっても好ましい匂いではないらしい。


 ウルは嫌がるが、鼻の下に痺れ薬を薄めたものを塗って対応している。

 せっかくの獣人特有の嗅覚が鈍くなるが、焚火を消した後で解毒剤を塗れば問題無い。


「虫よけは……まだ残ってるか、他には……」


 それから何個か消耗品を籠に入れると、店の奥に向かう。


「すいませ「しー」


 声を掛けようとしたら、老婆が奥から顔を覗かせて唇に人差し指を当てる。


「まだ他にも行くところあるんでしょ? エルナちゃん寝ちゃったから、いまのうちに行っておいで」

「でも……」

「どうせ、この時間ならそんなにお客は来ないから構わないよ」


 確かに一番忙しい朝のピークはすでに終わっている。

 というか、その時間を狙って来たのだから当然だ。


「すいません、でしたらすぐに終わらせてきますので、少しの間お願いできますか?」

「ほっほ、構わんよ。私達にとっても、仕事の疲れを癒すひと時ってのは大事じゃからね。見てみ? じいさんが、珍しく穏やかに眠っておる」


 見ればエルナのお腹に手を添えて、店主のおじいさんもスヤスヤと寝息をかいていた。

 おじいさんの胸が上下していたので、眠っているだけだと分かりミランがホッとしたのはここだけの話だ。


「最近は夜の寝つきが悪くて、トイレも近いらしくてね……あまり、眠れておらなんだようじゃったからね」


 少し肌寒い季節になってきたこともあってか、眠りもあさく頻尿気味だったらしい。

 昼前のこの時間なら、ほどよい暖かさでまだまだ過ごしやすい気候なので、グッスリ眠れるかもしれない。

 お互いの為ということで、おばあさんの言葉に甘えることにするミラン。


「じゃあ、清算だけさせてもらって、少し他の用事も済ませてきます」

「うんうん、買ったものは預かっておくから、エルナちゃんを迎えに来たときに渡そう」

「助かります」


 代金の支払いを済ませると、すぐ近くの靴のマークのお店へと向かう。

 

「本当は自分のお小遣いで買って欲しいんだけどね」


 そう言ってボロボロになった靴をお店の人に見せる。


「これと同じものをください」


 靴底と靴の接着面ははげ、歩くとカパカパと音がしそうな靴。

 それを汚いものでも摘むように、持ち上げて見せる。


「あー、アベルの靴か。なんで、こんなになるまで放ってるんだあいつは」


 ここでも顔なじみになってる店主の若い男性が溜息を吐くと、靴を受け取るのを拒否する。


「いらんよ、あいつの足のサイズなら覚えてるし」


 今回遠出をすることになったので、急遽アベルの冒険用の靴を買い替えることにしたのだ。

 近場とかだったらこれでも良いし、街を歩くようの靴は別に持っている。

 が、森や長距離を歩くには少し心配だったので、買い替えることにしたのだ。

 といっても、ユクトもウルも自分で靴や服は買っているというのに。

 

「出発はいつだい?」

「一応、明日の予定です。マシューの村まで向かうつもりです」

「あー……魔物が増えるイリスの丘までに馴染めばいいが、そうだな少しばかり叩いて柔らかくするからまた後で来てくれるか?」

「いつ頃なら良いですか?」

「飯でも食ってきたら丁度いいぞ思うぞ」


 少しばかり痛い出費だったが、薬草採取の際にたまたま狩ったグレイウルフの素材を売った臨時収入で賄えるので問題無い。

 旅の途中で靴が原因のトラブルに見舞われる方が、痛い。

 その辺りの心構えもウルに注意して貰わないと。

 そんなことを考えながらお金を払うと、次のお店に。

 

 季節の変わり目で抜け始めたウルの毛を、綺麗に集めたものを売りに来ている。

 普段からミランとエルナが手入れしているため、ウルの毛はとても上質なものになっている。

 それがバスケットボールほどの毛玉サイズになっている。

 それを裁縫道具を扱っているお店に売りに来たのだ。


「これは上等な狼人の毛だね。約束のウルさんのだね?」

「はい、この間からごっそりと抜け始めたので、かき集めてきました」

「うーん、この量だとウルさん人形が出来そうだけど、マフラーも悪くないか」


 夏前の換毛期には売れることを知らなかったため普通に捨ててしまったが、意外と獣人の毛は需要があったりするらしい。

 特にウルは街の依頼もこなすようになって、御婦人方の人気が高い。

 無口でとっつきにくそうなイメージがあって、少しだけニヒルでセクシーなところと、未婚なのにエルフの子を引き取って育てている優しさのギャップが受けたらしい。


 少し肌寒くなってきたので、エルナと自分の服を買いに来たときにウルが荷物持ちで付いてきてくれたのだが、ウルを一目見た店主が是非とも換毛期には毛を持ってきてくれと頼まれていたのだ。


「うんうん、アドバイス通りに日頃の手入れもしっかりしてたみたいだね。これなら、何を作っても売れると思うよ」


 店主はそう言いながら、量りに毛玉を乗せる。


「うーん、このくらいかな?」

「えっ? こんなにいただけるのですか?」

「あー……そうだよね、素人さんだもんね」


 店主の提示した額を見てミランが驚いていると、彼は頬を掻きながら困ったような表情をする。


「この値段で売って貰ったら、お店はぼろ儲けだよ」

「いや、いつも通り捨てるつもりでしたし、この金額でも十分です」

「うん……分かった。この値段で買うかわりに、何か仕立ててあげよう」

「ええ、そんな悪いですよ」

「ふふ、それでもお店が儲かる自信があると言ったら?」

「そ……そんなに? そんなにウルの毛って価値があるんですか?」

「僕が、価値を作るからにはね」


 意味深な表情を浮かべつつも、算盤を弾いて儲かると踏んでいるだろう店主を見てミランは軽く身震いする。

 ただ、これ以上踏み込むのは危険な気がしたので、その条件を受ける。


「ウルのためにと言いたいところですが、ウルは特に衣服にはこだわらないので、エルナの防寒着を何か用意して貰って良いですか?」

「ああ、良いともさ。来週には仕立て終えるから、取りにおいで」

「ありがとうございます」

「うーん、お礼を言われると心苦しいかな?」


 よほどウルの毛は高く売れそうなのだろう。

 知らない方が良いこともある。

 ミランは最後の言葉は聞かなかったことにして、エルナを迎えに最初のお店に戻る。


「ポーション類は……最近使って無かったから予備はあるし。これで、要るものは大体そろったかな」


 メモに掛かれたリストを消し込みながら確認する。

 よしっ! と小さく頷くと、元きた道をニコニコしながらと戻っていく。

 あれだけ店が儲かると言われても、それなりの値段でウルの毛が売れたことでホクホクだ。


「今日は、ウルに好きな物を頼んで良いよって言わないと」


 馴染みの定食屋で好きなものといってもたかがしれているが、それでもちょっとは還元しないと。

 そんなことを考えながら、足取り軽やかに道具屋に向かうエルナだった。

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