〈ゴースト・セクサロイド〉 - 20P 浅野間麻友


 安藤さんと別れて家に帰る途中、おりょうさんはもう少し街を見たいと云ってぶらぶらと出かけてしまった。ぼくのパフォーマーになってから、彼女は時おりこのように所有者であるぼくのもとを離れてどこかに消えて行く。


 ぼくはといえば、それを特に気にしてもいなかった。おりょうさんはパフォーマーではあるものの、ぼくの分身ではない。所有者というのも名義上そうしているだけに近い。彼女はぼくと共有している権限を使って特になにをするわけでもなく、ただパフォーマーであるがゆえに遊びに行けるところに行って、適当にぶらついて帰ってくる。彼女は街を見るのが好きなようだった。


 蒐集家に狙われることも考えたけれど、犯罪集団が街中でアバター奪取などという目立った行動をするとは考えられなかった。それに、伊ヶ出駅はこの街のマム〈プラウダー〉の収められているタワーの近くだ。当然、その周辺にはそれを守る公安組織が目を光らせている。そんなところで堂々とアバターを奪えばすぐにしょっぴかれるだろう。だからぼくもおりょうさんを行かせることができる。それに、ぼく自身もひとりになって考えごとをしたかった。


 伊ヶ出駅の券売機で切符を買うとき、ふと見覚えのある人物を見かけた。


「眞甲斐さん」

「やあ」


 眞甲斐さんとは、好う候の集会で会って以来だった。


「マナミから話は聞いてるんだろ。悪かったね、きみを騙してしまった。僕は生粋の反アバター派ではないんだ。怒ってるかい?」

「いえ、それでなにか損をしたわけではないですから」


 ぼくらは駅を出て、どこへ行くわけでもなく人気が途絶えるまで歩き続けた。眞甲斐さんがそうしたいと行ったからだった。


「これを」


 彼はポケットから旧い外部記憶装置と、小型の変換アダプターを取り出してぼくに手渡した。


「改奇倶楽部の旧いパソコンで閲覧できる。僕が今から教えることがまとめられているから、必要であれば見てほしい。それに蒐集家についての情報と対策をマナミが用意してくれた」


 彼がどうして改奇倶楽部のことを知っているのかはわからなかった。マナミ・ウタミヤがかつて〈ペルソナ殺し〉を追っていたとき、眞甲斐さんもそれに関わっていたのだろうか。けれど、それについてはあまり深くは考えないことにした。マナミと改奇倶楽部の接点が明らかでないうちから考えても、すべてはぼくの想像に終わる。


「それで、教えるっていうのは」

「きみに逃亡したネットアバターの話をしに来た」

「どうして今それを、ぼくに」

「きみが僕らの信頼を勝ち得ているからだ」


 その言葉の意味を推し測ることはできない。ただマナミ側には、ぼくが〈ゴースト・セクサロイド〉であるおりょうさんと接触したことは知られている。このタイミングだ。そう思って間違いないだろう。


「逃げたのは、浅野間重工が開発していた試作品のネットアバターだ。と云っても、現行モデルのだけどね。つまり今、市販されてるエッチ目的に使用されるアバター、それの原型のひとつ」


 浅野間重工。大型情報集合体が実装される前から、電脳技術やネット端末の普及を続けてきた最大手の工業だ。ぼくらの扱うネール・デバイスや、市販されているアバター、情報集合体搭載式車両、機械服、さらには電子たばこなどの小さなものから電動擬似性器に至るまで、機械に関連するものなら何でも開発している。その他にもロケット打ち上げ計画、〈見世物戦争〉の母体運営、その技術力と安定性を認められてマムからは正式に収容施設の整備委託や護衛の依頼を受けるほどの信頼を獲得している。


 そのような大企業の試作部から、ネットアバターが逃げ出すものなのか。そのセキュリティをすり抜けるのは、至難の技ではないのか。


 おりょうさん、あなたはいったいなにものなんだ。


「試作品のワンオフだから、そんなに貴重なんですか」

「まさか。情報集合体だぜ。情報以外に価値はないさ。浅野間という会社にとってはね」

「じゃあどうしてそんなに躍起になるんです。マナミ・ウタミヤもそうだ。変態どもに渡してはいけないと云っていた。けれど元々そういうアバターでしょう」

「きみは無自覚に他人を傷つけるタイプだな」


 云われて、ぼくは唇を少しだけ噛んだ。そのとおりだよ。


「……でも事実だ。なにもおかしいことはないでしょう」

「まあな。でもそのアバターに上書きされたものが重要なんだ」


 上書き。おりょうさんは、今のようになる前に、いや〈ゴースト・セクサロイド〉になったときも、そのアバターに上書きするかたちで存在を取りとめたのだろうか。だとしたら、彼女はどこからきたのだろう。上書きを繰り返す前の、彼女のオリジナルは……。


「数年前、女性蔑視を訴えるある党員を中心に、性的アバターの開発に抗議活動が行われた。その抗議の立役者は浅野間一族の長女、浅野間麻友氏だ。通称マユシー。聞いたことがあるだろ」


 ぼくは首を横に振った。


「そうか。まぁ知らなければそれでもいいさ。なにせ、もう表舞台には出て来ない。亡くなってるからね」


 眞甲斐さんはへたくそな作り笑いを浮かべてから、浅野間麻友について語り始めた。


「幼いころに性被害に遭った彼女は、その件以降は男性不信に陥っていたというのが通説だ。それを克服できないまま――いや、違うな。彼女にとってはそれが世の中の真実だったのだろう。行き着いた先が所謂、ミサンドリー論者だ。財閥出身の教養の高さを活かしながら性的充足の反対を訴えていたが、内容自体は白か黒かの主張で過激なんてもんじゃあなかった。死の直前まで世のポリコレなんてものを吹き飛ばす勢いだったそうだ。現代に蘇った怒れる人だよ。

 当然、浅野間重工にとっては厄介な存在だった。自分たちに牙を剥く前からね。浅野間は近未来テクノロジーを数多く産出したが、根っこの部分では前時代的なやり方を拭い切れていない企業だ。家族経営がいい例さ。浅野間の跡継ぎ問題に女性というだけで参加権を与えられていなかった彼女だったが、自身がそうした立場にあるからこそ、ときには大きな説得力を見せた」


「被害者としての背景がですか」


「それだけじゃないさ。マムシリーズの存在でこの世は擬似的な女性社会だ。なにせ『母』だからな。ジェンダーのかたちも変わった。莫迦な男には都合の悪い方向にね。だから僕には関係ない」


 自分に関わりがないと決め込む人間。その傍観的な姿勢こそが、抗議を行う人たちにとっての『敵』なのかもしれない。それを彼は鑑みていない。自分は賢いと思い込み、さも興味のなさそうな口ぶりに、ぼくは少しだけ腹が立った。


「麻友氏の活動が浅野間にとって身内の恥では済まされない段階に達したのは、例の性行為補助用アバターの開発が発表された時期だ。ほどなくして、浅野間と麻友氏の関係は切れたそうだ。麻友の側から切ったんだろうがね。さっきも云ったが、そのプロジェクトを巡る問題で麻友氏は浅野間と真っ向から対立した。その結果として生まれたのが、現在のアダルトコンテンツの制限だ」


「どうして性行為アバター開発に対する抗議が、情報集合体に性的表現の閲覧権限を与えることになるんです? つながりが見えない」


「麻友氏が主張と標的を変えたからさ。『すべての性的コンテンツの閲覧と利用は情報集合体がそれを許可した場合にのみ行われるべきだ』と。浅野間重工だけではなく、ネットすべてを対象にした抗議だ。けれど、浅野間との問題はそれが落としどころになった。あとは表現規制推進派の皆さんの頑張りが実り、晴れて未成年のパフォーマー持ちは性知識を育てられなくなったというわけだ。なんせ分身にエロ本見ちゃダメって云われるわけだから。ははっ」


 眞甲斐さんは笑いを堪えられないといった様子だった。そして僕を見る。笑えるだろ、帯刀田くん。そう云いたげな目をしていた。ぼくは――


「ま、とりあえず成人に満たない者、幼稚なヤツや社会的でないものも性欲の捌け口を失っちまった。それこそマム社会から追い出された、煤木しげるのような人は話は別だがね。〈好う候〉にもいるよ。エロに制限をかけたことを恨んでる連中。男も、女もねえ」


 ぼくはついに我慢できなくなった。


「脱線してます。話を続けて下さい」


「すまない、すまない。まぁでも、この規制は浅野間重工にとっても得だった。これで性的アバターの開発が進められて販売に至ったわけだ。当時は色んな憶測が出回った。例えば、表面上対立していた麻友氏と実家の癒着とかね。あるいはこんな意見もあった。『すべての情報集合体はマム、すなわち女性型の知性体につながっている。よって情報集合体は根底には女性の気持ちを理解できる』……だからエロ画像の閲覧権限を女心のわかる情報集合体に与えるのは正しいんだって」


「バカなことを。主張がめちゃくちゃだ。そんなのまるで宗教じゃないか」


「だがゴースト・アバターのような霊的な存在も生まれ始めている。それに今は第二次オカルトブームだ。もうネットをスピリチュアルからは切り離せないだろ?」


「それは……、そうですが……」


「そして少し前、麻友氏は死んだ。旅行先で飛行機事故にあったんだ。海外の、ネットアバターの搭載されていない旧式の機体だったそうだ。

 浅野間の家族ルールでね。彼らは一族の関係者が死んだとき、本人がこの世を去ったあとも、ネットアバターを永遠に残すことで一族の威光を後世に語り継がせるんだ。そのなかには絶縁したとはいえ麻友氏も含まれていた。――というより、そのような者をあえて身内として許すことが、ある種の広告になったんだろう。浅野間はその件で抗議団体から更なる怒りを買ったが、それ以外からは概ね信頼を取り戻した。

 だが、問題はそのあとに起きた。死んだ指導者のネットアバターの所有権を、麻友氏と代替わりした後続の抗議団体が主張し始めたからだ」

「どうして」

「熱心な同志のひとりが、麻友氏の遺した直筆の遺書を持っていたんだよ。そこには『自分が死んだあとのネットアバターは、浅野間家ではなく志を同じくする者に所有してほしい』ということが書かれていた。わざわざ遺書なんてかたちにしたのは、古いやり方の浅野間一族に対する皮肉もあっただろうな」

「そこから、今度はネットアバターの所有権を巡る戦いになると」


 眞甲斐さんは頷いた。


「これに目を付けたのは人間側ではなくマムだった。マムはなによりも本人の意見を尊重するが、人間の側のしきたりには口を出さない。この件も浅野間側だけで話が済めば口を挟むことはなかったが、その遺書が本人のものだと確定すると麻友氏のネットアバターに関する所有権は同志たちの側にあると認めた。人間の側の裁判ではほぼ浅野間重工の勝利に思われたはずが、情報集合体の側では違った結論になったんだ。最後には麻友アバターの口から『浅野間ではなく仲間を選ぶ』という主張もあったため、所有権を巡る争いは浅野間の敗北で間違いない……と、そう誰もが信じて疑わなかった」


「違ったんですか?」


「その麻友アバターがどういうわけか浅野間の管理を離れ、本人が最も忌み嫌っていた性行為補助用アバターに自分を上書きした」


「じゃあ、浅野間麻友のアバターが……」


「〈ゴースト・セクサロイド〉だ」


 規制推進派のミサンドリー論者。今のアダルトコンテンツに制限を作った人物。死んでしまった浅野間麻友の分身。それが、おりょうさんの正体だった。


 その背景になにがあるのか、ぼくには想像し切れない。政治のことも浅野間重工のことも、ひとりの学生であるぼくには遠い出来事のように思えた。いや、思っていた。その自分の至らなさに苛立ちを覚える。ぼくがもっと社会に詳しければ、おりょうさんと会った時点でそこまで推察できたのだろうか。


 無理だ。例えぼくが本当に社会について詳しくなろうとしても、そのアダルトコンテンツの制限がある限り、その問題のすべてを実感することはできないだろう。結局、未成年の自分には関係のないこととして割り切っていた。そしてインディーズのゲームをプレイしていたんだ。バカみたいに。


「浅野間麻友のアバターはどうなったんです? そもそも、そんな状態で上書きができるなんて」

「できない。通常はね」


 おりょうさんは『廃棄されたアバターのなかに入っている』と云った。自分にはそれができたと。眞甲斐さんのいう上書きがそれに当たるのだろうか。ぼくの子アバターを媒介にしたパフォーマー化とは違うものなのだろうか。


「浅野間麻友のアバターは見つかっていない。我々が〈ゴースト・セクサロイド〉の痕跡を追い始めたときからずっと、それは性行為用の試作アバターでも、麻友のアバターでもない。けれどプロパティには、その二つの情報が載っている。だから僕らは、麻友アバターが上書きをしたと思った。けれどマナミに云わせればそれは……例えるなら……『上書き』ではなく『融合』なんだ。浅野間麻友のアバターがデミ・アバターだったのか、理由はまったくわからない。だがまったく別の、異質なネットアバターに変質した。俺たちがそのアバターを追跡できないのは、記録にない存在になったからなんだ。〈ゴースト・セクサロイド〉は二重の意味で幽霊なんだ」


「麻友アバターは、どうしてそこまでたどり着けたんでしょう。親アバターなんですよね?」


「もちろんだ。アバターは親子で存在するが本人が死亡したあとはいずれ親のみになる。人間にとって子アバター=パフォーマーってのは自分の分身としての役割を持ったものだが、マムにとっては所有者の最新情報を更新するための端末。見張るべき相手がいない場合、子アバターを必要ない。

 そういったとき、親から切り離された子が野良アバターになる。分身を演じる役割を失って、ネットの海を漂流するんだ。野良アバターのなかにはまだ分身だったころの面影を持つ者もいるが、それは濃いか薄いかの違いでしかない。麻友の子アバターは飛行機事故のあと、間もなく消失した。死んだってのがはっきりしていたからな」


「でも親アバターがマムの胎内から出るなんて、ありえるんですか」


「ああ。なぜか逃げ出した。そして浅野間の試作室で例のアバターと融合したってわけだ」


「ならマムは彼女を追うはずだ」


「追わなかったよ。大型情報集合体は賢いからな」


 マムは麻友アバターを見逃した。それに現段階でも追跡をしていない?


 バカな。ありえない。自分を世話している企業と、仮にも情報集合体に選択権を与える要因を作った団体の揉め事なのに。それに、もし麻友アバターが別のアバターと融合して、未知のなにかになっているのだとしたら、マムはなぜそれに無関心なんだ。


「あ……」


 ぼくはそこでようやく気づいた。


「浅野間にとっても抗議団体にとっても〈ゴースト・セクサロイド〉の存在はスキャンダルってことですか」


「そのとおり。それが僕たちが彼女を血眼になって探している理由だ。この事実が公になって最も得をするのは、浅野間と競合する他の企業。後続の仮想セクサロイド開発事業者だろう。浅野間は最悪、事業撤退に追い込まれる。敵対していた娘を、本人が忌み嫌っていた性行為用アバターのなかに入れちまったわけだからな。信用が落ちるなんてもんじゃない。いっぽうで団体は、批判対象にしていた性行為補助用アバターが自分らが麻友氏の分身と融合したという事実だけで、下手すりゃ消し飛ぶ。そして表現規制推進派の助力を得ていた党も痛手を負う。だれも得をしない。招くのは損失だけだ」


 眞甲斐さんを声を押し殺すように、くっくっく、と笑った。


「所有権をめぐる争いは一転。もうどちらもあのゴーストを押し付け合うことしか考えてない。マムも手を出せない。なぜなら、逃亡している限りはその争いを保留にできるからだ。その状態が最も平和だと理解しているんだよ。賢いなあ、マムは。

 そして最後の大問題は〈蒐集家〉だ。ヤツらがそんな珍しいアバターを放っておくわけがない。捕まえたあとに少し解析すれば、あれのベースになっているのが浅野間麻友の親アバターだとすぐにわかる。浅野間に売るか、団体に売るか、それとも隠し持つか。あるいはもっと有効な手段を考える何ものかに取引されるか……。いずれにしろ〈蒐集家〉たちのような変態連中の手によって世の中が動きかねん事態だ。そしてどう転んでもネットアバター文化に対する批判は避けられないだろう。

 学見が本当に避けたいのはそれさ。だから俺たちはゴースト・セクサロイドを誰よりも早く回収したい。――わかったか?」


 ぼくはなにも答えなかった。


「彼女本人の意思はどうなるんです。〈ゴースト・セクサロイド〉の意思は……」


 そして眞甲斐さんも、ぼくの質問には答えなかった。


「俺たちの仕事はこの社会の平和を守ることだ」

「わかってるなら、そんなキレイな言葉を使わないで下さいよ」

「本人にとっても、浅野間にとっても、団体にとっても、あのゴーストは存在そのものが不幸なんだ。きみもそれは理解しろ」


 理解しているのは、ぼくが今、この人に言い包められようとしてるってことだ。


「でもある意味で今は安全なんだ。きみのところにいる。このまま、あのゴーストを預かってほしいと云いたいところだよ。そうすれば、とりあえずは平和だしな」


「なぜそのゴーストが、ぼくのところにいるとわかったんですか」


「パフォーマー化の際、子アバターは決まってある質問をする。人によって異なる、オリジナリティーのある質問をな」


 子アバターが最初にぼくにする質問。それは――


「そこで嘘をついた者は、真っ先にマムに気づかれる」


 ぼくは大きくため息をついた。


「好きな人ができれば人生を肯定できるとだれしもが思う。わかるよ。きみがついた嘘は『好きな人がいる』って嘘だ。欲しいのはゴースト・セクサロイドではなく充実感だろ」


「ぼくは……」


 眞甲斐さんの話を俯いたまま聞いていた。


「案外お似合いかもな。あれには元々、所有者に気に入られるよう振る舞う習性がある。なあ帯刀田くん――」


 彼は一歩だけ前に進み、ぼくは思わず顔を上げた。眞甲斐さんの顔からはもう、笑みなんて消えていた。

 

「スターバックスの惨劇が起きた日、俺と話したことを覚えているか」


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