〈ゴースト・セクサロイド〉 - 11P 電子競技戦「脳迷宮」

 次の日の放課後、安藤さんは部室には来なかった。


「なんでだよ!」


 ぼくは天に向かってツッコミを入れた。なにも本気で怒鳴っているわけではない。写真部の部室にはぼくと彰人だけであり、寂しくもそれがあまりにも当然であるかのように思えてならなかったがために腹の内側から力を入れて叫んだ。これは現実を煌びやかにする工夫、予定調和に対する演出である。


「そらオメー、昨日部活休みだったンだから今日は顔出すわいな」

「おのれどこまでもぼくをコケにしおって!」

「アンドーはあれでも周りの連中に気を使ってンのよ。本当は練習する必要なんてねーのに体裁があるから周りに合わせてる。息苦しいだろうねえ」


 入学式と同時に編入してきたのでだれも気にしてはいないものの、実は安藤さんは伊ヶ出大学付属中学からの編入生である。

 彼女はばりばりに頭のよい神童だけが門を叩くことを許されるエリート集団じみた私立小学校を卒業し、並の受験生が入試に悩む「葛藤の一年」を約三ヶ月に濃縮したような期末テストをクリアしたうえでエスカレーター式で大学まで上がっていけると云われている難関校に籍を置いていた。そのような超高校級の学生である彼女が、いったいどうして伊ヶ出高校などという二流進学校に襲来したのかは定かではない。エリートの階段を駆け上がる最中に思わぬ転倒に見舞われたか、あるいは単に勉強疲れか、遊びたかったのか、親の方針か。本人が語らない以上はすべてが謎に包まれているがしかし、己の過去について口を閉ざした彼女は魅力的というには十二分にミステリアスであり、同級生たちと比べるとやや童顔であることへのギャップも合わさって一部の男子たちのウィークポイントをメッタ刺しにしていた。


「シューティングスターか」


 彼女はテクノスポーツの電子競技戦に出場するたびにナンバーワンの栄光を浴び続けた。電子スポーツ系雑誌では何度も特集が組まれ、その圧倒的なまでの才能を世間に知らしめていた彼女が、よりにもよって伊ヶ出高校に編入するという話は当学校関係者の頭を大きく悩ませたという。進学校ゆえ勉強第一の校内方針を頑なに守って来た教師陣のスタンスを根底から揺るがしかねぬ事態となり、入学式にはスポーツ記者からネットブログ管理人まで何人も押し寄せていた。マスメディアに鋭い眼光で「伊ヶ出高校はこれからはテクノスポーツの分野にも力を入れていくのでしょうか?」と質問される教頭の顔は脂汗でまみれており、顧問を務めるゴリ松先生がカメラに向けてサムズアップを送ったことで教頭の胃潰瘍は確定した。


「それでも編入してきたのはウチの学校としてはラッキーよ。アンドーが勝ち続ける限りウチは文武両道を証明し続けることができるわけだからなァ」

「でも教頭は電子競技戦について仕組みすら理解してないんだろ。中年世代はアバター技術への適応が難しいって話だし」


 電脳技術が流行らなかった原因の一つが高齢化社会における「脳負荷のリスク」だ。老人たちが自分の脳みそを施術するに踏み切るための勇気を持てなかったといえばそれまでだけど、電脳支持派にも自分たちの好奇心を現実化させるための説得力が欠けていた。その溝を埋める前にアーカム大学の研究員が人工知性を情報集合体に進化させることに成功。兼ねてよりアーカム大学と仲のよかった浅野間重工は、情報集合体を人間の分身に作り替え、会話により代替悟性を獲得させることで「副脳」としての役割を果たすことに成功した。増加の一途を辿る注意欠陥多動性障害に対する画期的な解決策にもなり得たからだ。


 しかし成人した人間のコミュニケーション能力は年を重ねていくごとに低下する。マムの胎内に親アバターを作っておけば最高状態から落ちないよう設定できるため、コミュ力が若いままの分身に代弁してもらうことも可能だ。けれど一部の、親アバターを作った段階で老いている人々にそのアドバンテージはない。それでも設定次第では痴呆老人のパフォーマーを二十代前の状態に戻すこともできる。けれどそれはあくまで情報集合体が「予想」した過去の人格に構築するだけに過ぎない。果たしてそれは分身と呼べるのだろうか。


 アバター技術により世間が一変する様を眺めながら、理解の追いつかないまま取り残されてしまった人々は、この時代をどう感じているのだろう。少なくとも伊ヶ出高校の教頭は電子競技戦のインタビューには応じないほうがいい。


「そういや和長は?」


 先日シブ・シティで一山当てにいった幼馴染みは、未だ帰ってきていない。


「もう二、三日向こうにいるンだとよ」

「やつめ……学校にはなんと言い訳しているのだ」

「風邪とか旅行とかだろ。まあそこまで厳しかねーしなあ、ウチの学校」


 なるほど。たしかに二流進学校であることを逆手にとれば勉学そっちのけで稼ぎに出ることも可能だ。

 これから改奇倶楽部の活動をするにあたり和長はぼくにとって必要不可欠な存在である。なるだけ早めにメンバー入りさせたかったが〈蒐集家〉の件が片付くまでには戻りそうにないようだ。


「そういやアンドーは付属中学から来たわけだろ。あそこにはなかったンかなあ、カイキクラブ系の部活。一番そーゆーのありそうなのによう」

「なんのこっちゃ」

「あそこで昔パフォーマーの自殺があったのよ。知らねーの?」


 ぼくは思わず強張った。


「なぜもっと早く云わんのだ!」

「えー、だって知ッてると思ってたもんよ。別の今回の件とは関係ねーだろ」


 たしかに直接的なつながりは見えない。けれど重要なサンプルだ。パフォーマーが自殺して、その後の顛末はどうなったのだろう。偶発的に起きたのか、人為的に引き起こされたのか。状況や計画者の動機、その方法が明示されたなら、やはりマムによる罰は与えられたのだろうか。

 なにより気になるのは死の概念を持たない情報集合体の自殺だ。煤木理論の意外な足跡が隠されている、という可能性はある。


「安藤さんに聞きに行こう」


 ぼくは居ても立っても居られずに部室を飛び出した。ため息をついた彰人が、すぐに後ろからやってきて追いつく。



「スゲー。見事なもんだ。ああいうのよう、一昔前だったらウィザードだとかグル級ハッカーっていうンだろうなあ」


 テクノスポーツと呼ばれるものにはいくつかジャンルがある。テレビゲームによる対戦により始まった文化だから格ゲーはパイオニアだ、やがて立体映像を伴う本格的な運動競技が実装され、近年それにパフォーマーを用いる「電子競技戦」が加わった。

 単にスポーツではなく「競技戦」と呼ばれているのは〈見世物戦争〉以降のエンターテイメントとなり得るスポーツを目指すにあたって、スポーツがある種の戦いであることを認めたうえで純粋な戦争にはなり得ないことを強調するためだ。

 電子競技戦には球技や格闘技などあらゆる種目があるけれど、安藤さんが参加しているのは「脳迷宮」ノーメイクと呼ばれる競技だった。


 これはブレイン・ボール、あるいはそのまま脳球と呼ばれる脳みそのかたちをした一個のボールを、ラケットを使って交互に投球し合う競技で、自分のパフォーマーと組んで二対二で参加することを条件としている。

 可視化されたパフォーマーが所有者の動きとシンクロして仮想空間のなかでも脳球を投げ合うわけだけど、選手たちはそれぞれ脳球のなかにいる情報集合体に会話をすることができる。球内の情報集合体を説得し自発的に「速度の上方修正」や「変化球」などを実行するよう促すことで、相手にボールをキャッチされないように仕向けていく。


 脳球にはゲーム毎に性格が設定されており、聞き分けのいい子どもの人格になることもあれば、気難しい老人になることもある。それをどう説得するかでゲームの勝敗が決まる。公式試合では現実側と仮想空間側で球の性格が異なるよう設定されるなど、より難易度を増していく傾向にある。最終的に球内の情報集合体を「素直」ノーメイクにさせるべく戦うということ、そして脳の迷宮に入っていく選手たちの姿に由来して、このようなゲーム名を冠している。


 現実の体力、脳の体力、コミュニケーション能力、状況適応能力。「言葉のキャッチボール」をスポーツに発展させたこの競技は、会話により情報集合体と共存するこの社会を象徴するようなゲームであるとされ、世間では瞬く間に大人気となった。


 中には情報集合体の電子防壁をぶち破り代替悟性を乗っ取ることで強制的に命令を実行させる猛者もいた。近年ではむしろ情報集合体のセキュリティレベルを意図的に低く設定し、クラッキングによる乗っ取りを「可」とするルールや、そういった行為から説得中の情報集合体を守るため、選手による電子防壁の構築を認めるルールまで裁定された。特異な才能を持つ電子技術者の俗称にちなみ、このルールが適応された階級は「ウィザード」と呼ばれている。


 今、安藤さんは同学年の生徒と電子競技戦の模擬練習を行っている最中だった。彼女の飛ばした脳球は相手ラケットに触れる寸前のタイミングで予備動作なしに落下する。彼女の最も得意とする変化球である。〈シューティング・スター〉と呼ばれる所以ともなったこの技で、安藤さんは数々の強豪を自分の足下に這いつくばらせてきた。練習相手には気の毒だ。情報集合体に対するコミュニケーション能力の高さで、彼女と張り合える者は多くない。スポーツという分野において自身にない才能をこうも簡単に見せつけられる環境に身を置くのは辛いだろう。


「部活が終わったらお邪魔しようと思っていたのですが」


 安藤さんは声をかけたぼくらに軽く挨拶をする。額には汗。というか体中、汗でベタベタだった。スポーツウェアが所々滲んでいたのが印象的であり、どうしてかぼくは腹の芯のあたりに悩ましげな熱を感じた。あまり見つめると変態だと思われるため、ぼくは遠くの様子をうかがうふりをしながら会話を続けた。


「きみ、掛け持ちしてもいいのかい。花形選手なんだろ」

「非モテ感たっぷりで見ていて愉しくなる言葉選びですねえ――写真部に入ったことは伝えてあるので、毎日でなければ大丈夫かと」

「うるさい黙れ――けど部の中で浮かないか?」

「タテワキくんに会うたび優越感を覚えるよ――たぶん大丈夫だと思う。わたしはそのへん、うまいことやれるのです」


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