〈アンブレイカブル〉 - 15P スターバックスの惨劇
元いた席に戻ると、ほかのメンバーたちはアバター生成をしながらこの企画の意義について話し合っていた。その表情のなかに、本気で反アバターを掲げるだけの素質を感じさせる人はいない。少なくともぼくは見出せなかった。
考案者の安藤さんだけはその談笑に入らず、俯いてなにかを考えている様子だった。彼女もぼくと同じような気持ちを今、彼らに感じているのだろうか。
「具合が悪いのか?」
安藤さんにそう訊く。彼女は意外そうな眼でぼくを見た。
「どうしてですか?」
「いや。きみなら、もう少し……」
少し云いかけて、ぼくはその言葉を飲み込んだ。
他人を手駒にとったあとでゆっくりと理攻めに追いつめていく……〈墓石男〉の事件でそのような底意地の悪さを見せつけていたあの安藤さんが、今日はやけに下手くそのような気がして仕方なかった。彼女は自身のアイデアが採用されたにも関わらず、その結末を「やればわかる」の一言から進めていない。それとも表情に出さないだけで〈好う候〉のメンバーの前で緊張しているのだろうか。彼女はそれほどまでに深刻な人見知りではなかったはずだけれど。
それとも、ぼくが知らないだけで彼女にはそのような一面もあるのだろうか。思えばぼくは彼女を、少し色眼鏡で見過ぎていたのかもしれない。
「ふつうですよ。ほら、体調チェック」
彼女はインストールしている健康管理のためのアプリを開いて、わざとらしくそれを見せた。
安藤さんが病気を抱えていることを今日まで知らなかったのだけれど、それがどのような病であるのか。それがもたらす諸症状についてもまったく見当がつかない。少なくともぼくが見てきた中で彼女は一度もそのような素振りを見せなかった。
「それでもありがとう。心配してくれて。タテワキくんって、もっと――」
彼女もまたぼくと同じようになにかを云いかけて、
「よし。準備オーケーだ」
眞甲斐さんの言葉にあっさりと遮られてしまった。彼女は短く「あ、はい」と返した。ぼくは目線を外した彼女に、一瞬だけなにかを期待してしまっていたことに気づく。
集会に参加したアバターたちが安藤さんの指定したアプリを利用して共有接続を完了する。ぼくも自分のパフォーマーを可視化させて彼らに繋いだ。
分身は《体調管理アプリで集団自殺するとはね》などという皮肉を一言も漏らさない。ぼくと同じようにそう思っていても、ぼくが口にしない以上は黙っている。安藤さんの言い分では仮想的に病気状態となったパフォーマーが徐々に衰退して、やがて死を迎えるという。それにはネール・デバイス内の時間設定を参照する必要があるらしく、彼女は淡々と今より未来の時刻に進めていく。
そして三ヵ月、半年、一年後、二年後というふうに仮想時間は進んだ。ぼくらのパフォーマーは不健康そうに歳を取っていく。その様子をぼくらは黙ってみていた。
「おかしいですね……」
安藤さんが顎を撫でた。
「いつもは半年もせずに死亡するはずなんですが」
どうやら失敗したようだった。彼女はしばらく考えたふうな表情をしてから一言、「ごめんなさい」と謝った。
「体調不良の原因に個人差があるように、設定する死亡原因が同じでも、死亡時刻が同じにはならないんじゃないか」
眞甲斐さんが自分の解釈を口にする。ぼくも概ね同じ意見だった。
結果的に安藤さんの案は却下となった。ぼくの案も同様に。ぼくらは諦めて、一同はまた別の方法を考えようといった。眞甲斐さんが「アイデアだけでも出し合わないか」と云って、ぼくらはそれに賛成した。だれも安藤さんを責める者はいなかったけれど、ぼくは彼女の手際の悪さに、やはり妙な違和感を覚えずにはいられなかった。
《なあ》
可視化したままのぼくの分身が一言。
ああ、そうか。ぼくは気づいた。病気状態にしたまま待機していた。一度、安藤さんたちとの接続を遮断しなくてはならない。ほかの人たちも着々と接続を切る。分身を普段使いしていないぼくは、〈自分〉に声をかけられるまで気づかなかった。
《今、なにか変な声が聞こえなかった?》
「え?」
遮断を完了したあと、分身はまだ何か云いたげだった。どうやら接続の件ではないらしい。
「帯刀田くんはパフォーマーと上手く意思疎通できないのか?」
眞甲斐さんが云う。分身と持ち主の意識と思考は共有されているから、パフォーマーのぼくが感じたものはぼくも感じているはずだった。
「いえ、そういうわけでは――」
ぼくが弁解するよりも早く、分身は《言語化できない》と答えた。
《言語化できない。なんだこれ。どういうアレだ……》
〈好う候〉のメンバーが怪訝な顔をする。ぼくも思わず立ち上がった。
「どうした、おい」
《言語化できない。言語化できない。ダメだ。うまく言葉にできない。なんだこれ》
分身は両耳を防ぎ始める。その様子に、ぼくは戸惑った。こんなのは初めてだ。ただならぬ空気に〈好う候〉のメンバーも顔を見合わせて、ぼくに声をかけてくる。眞甲斐さんが「帯刀田くん?」と心配そうな顔でぼくを見た。
《言語化できない》
ぼくは先ほどから分身が口走っているその言葉の意味を探す。言語化できない。いったいなんのことだ。〈ぼく〉はチッと舌打ちしてネット上からファイルをダウンロードし始めた。
《すごいな。色んな方法で試してるけど――パフォーマー化されてると口にできないのか? 解読用のアプリケーションを検索中。該当なし。言語化できない。翻訳機能オン。言語化できない。ダメか》
眞甲斐さんが強張った口調で「何してるんだ」と云った。
「おい、説明しろよ」とぼくもそれに続く。
分身は焦りの表情を浮かべながら答える。
《ぼくの判断でこの文章を言語化する手段を探している。〈ぼく〉にはわからないと思う。人間に例えると、これは――情報集合体の脳に直接あてられている文章なんだ。ぼくには読めるが、それを〈ぼく〉に伝える手段がない》
ぼくはやっと、言語化できない――その言葉の意味するものがわった。つまりぼくの分身には、人間には聴くことのできない、人工知性でも発することのできない言葉が聴こえていて、情報集合体が考え得る手段でそれをぼくたちに伝えようとしているのだ。
「そのまま伝えなくていい。要約してほしい」
ぼくは云った。
分身はこう答えた。《死ぬように云われている》
その一言がなにかの合図だったかのように、悲劇は始まった。
甲高い女性客の悲鳴がスターバックスの店内に響いた。耳にしたことのない絶叫だった。ぼくらの隣の席で、その女性のパフォーマーが首を掻きむしり血を流していた。血液は可視化されたデータだ。液体は粒子になって消えた。その分身は苦悶の表情を残し、だれか男の名前を呼んでいた。連鎖。そのまた隣にいた大学生の男女が、揃ってぽかんと口を開けていた。見ると、彼らの分身は手に持ったデジタルのフォークで、自らの眼や首をメッタ刺しにしている最中だった。持ち主の女性が両手で目を塞ぎ、男のほうは瞳孔を開いて固まっていた。
次々に、店内の客たちのパフォーマーが自害を始める。それらはすべて情報集合体だが、架空と呼ぶにはあまりにも酷い惨劇だった。まるで見えない死神が次々に鎌を振っているようだった。
「どうなってるんだ……」
ぼくはかろうじてそれだけを口にした。席を立った安藤さんが、ぼくに近寄る。ぼくはほかの客たちと同様に死に始めた彼女のパフォーマーに気づいた。安藤さんの肩を寄せて目を防ぐ。ぼく自身もそれからは目を背けた。彼女のかたちをした情報集合体の死なんてものを、ぼくは絶対に見たくなかった。同時に〈好う候〉メンバーたちのパフォーマーも、彼らなりの方法で惨たらしい自殺を遂げ始める。
《段々わかってきたぞ》
そのなかでただひとり平然としている者、分身。それはぼくのだ。
《これはある種の小説だ。面白い。〈ぼく〉も読めば興味が湧くと思う》
「小説……?」
《例えるなら手紙のなかに小説が仕込んであるようなものだ。手紙のかたちをした小説、というべきか。けれどわからないな。みんなはどうしてこんなものを怖がる。理解できない。たぶん〈ぼく〉がそれを理解できないからだろうけど……。
この――言語化できない――はぼくか。――言語化できない――に感情移入するとぼくが――言語化できない――になるのか?》
分身はその解釈を上手く言葉にできないようだった。
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